第4話

「ウオオオオオッ!!」

「おはようヨッシー。……ってどうしたの、それ?」

「ムッ!?」


 どうやら自分の名前を呼ばれたらしいことに気づいたオリヴィアが、声のする方へぐるりと顔を向けた。警戒心丸出しのオリヴィアの顔が、欠伸混じりの眠たそうな他の生徒たちの中で、一際マヌケに見えた。


 校門の前で数分間気絶していた俺は、意識が戻ると慌ててオリヴィアの後を追った。オリヴィアは、まるで道場破りでもするかのように、上半身裸のまま靴箱の周りをウロウロと歩き回っていた。どうやら靴箱の使い方が分からないようだ。そのくせ、周りにいる生徒たちをギロリと睨みつけガンを飛ばしまくっている。その時点でもう不審者となんら変わりはない。俺はもう一度気絶しそうになった。

 同じく登校してきた生徒たちが、ジロジロとオリヴィアを遠巻きに眺めながら足早に玄関を通り抜けていく。誰もが『明らかに異質なもの』だと気づいているが、誰もオリヴィアに近寄ったり話しかけたりしないこの雰囲気。そりゃそうだ。俺だって、朝学校に行って玄関に上半身裸の男がうろついていたら、たとえクラスメイトだろうが全力でスルーする。


「ヨッシー、寒くない?」

「誰だ貴様は?」

 そんな中、明らかに浮きまくっているオリヴィアに話しかけた勇者が、この吉川吉春だった。吉川は俺と同じ一年三組のクラスメイトで、出席番号が俺の一つ前だった。机の席が一つ前ということもあり、クラスで一番はじめに仲良くなった生徒が、この吉川だった。

「服忘れたの? ヨッシー」

「ム……ちょっとな」

 オリヴィアは吉川に裸の上半身を指さされ、ようやく立ち止まった。

 吉川は俺の名前が吉澤芳樹だったので、勝手に俺に”ヨッシー”とあだ名をつけた。出会って五月であだ名をつけるとは、中々の手練れである。その理論で行くならお前もヨッシーだろと言いたくなるところだが、二人ともヨッシーだとややこしくなるので俺は吉川のことを吉川と呼んでいた。少なくとも『貴様』と呼んだことはない。


「これから始まる”戦い”に備え気合いを入れようと思ったら、破けてしまったのじゃ」

「そう……相変わらずだね」

「そうなのか?」

『そんなわけあるか!』

 俺は霊体のまま空中からツッコミを入れたが、あいにく彼らには聞こえていなかった。吉川はオリヴィアの姿を見て、あはは、とのん気に笑った。吉川は出会った当初から細かいことは気にしないというか、どこかのほほんとした奴なのだ。オリヴィアの方も、話しかけてきた吉川のことを興味深そうに眺めた。俺は、俺の高校生活のはじめての友情が壊されてしまわないかと、少しドキドキした。


「僕のジャージで良かったら貸すよ」

「……ム」

 吉川はサラサラヘアーを朝の太陽光に透かしながら、背負っていたカバンから体操着を取り出し始めた。こんなマッチ棒みたいな体型と温和な性格で、春からバスケ部に所属しているというのだから、不思議なものだ。

 オリヴィアは素直に吉川の差し出した体操着と青のジャージに袖を通すと、マジマジと吉川の顔を眺めた。


「……どうしたの?」

「主は、中々いい奴じゃな」

『主て!』

「相変わらずだね」

『んなわけあるか!!』

「主は、その温情に免じて見逃してやる」

「あははっ」


 オリヴィアがポンと吉川の肩を叩いた。どうやら吉川に好印象を持ったようだ。吉川はオリヴィアの言葉遣いが妙にツボに入ったのか、屈託のない笑顔を見せた。

 とにかく、吉川がいて助かった。

 俺は二人の頭上を漂いながら、ホッとため息をついた。ここで吉川とばったり出会わず、オリヴィアが上半身裸のまま放置されていたら、俺の高校生活は早々に終了していたかもしれない。吉川はのほほんとした奴だから、オリヴィアの奇妙な言動についてもそれほど気にしている様子はなかった。


 とにかくこのまま、オリヴィアが何の問題も起こさないでくれれば。

 俺はふわふわと宙を浮きながらそれだけを願った。小鳥にも終始注意されていたが、”大人しく”、だ。何も高校生活が始まってすぐのこんな時期に、わざわざ悪目立ちするようなことはしたくない。今朝だけで大分致命傷を受けたが、幸い致死には至っていない。



 決して目立たず、騒がず、浮かれすぎず。



 それが俺の今まで生きてきた中での、モットーだった。

 そんな身もふたもない処世術が、十六歳の俺のこれまでの経験で身についていた。とにかく集団の中で目立たないというのが大事なのだ。一度でも騒いだり浮かれたりして枠からはみ出そうものなら、”集団”は全力でそいつを叩きのめしにくる。俺も十六にもなってくると、正直そうやって”はみ出した”せいで転生していったやつも何人も見てきた。”こいつは叩いてもいいんだ”という認識を得た若者の”集団”の残酷さは、大人の比ではない。人生を平穏無事で楽しみたいのなら、決して目立ってはいけないのだ。

 だから一刻も早くこの”目立ち・騒ぎ・浮かれすぎ”のオリヴィアから体を取り戻さないと、大変なことになってしまう。俺ははやる気持ちを抑え、下駄箱の上でゼリー状の体をわななかせた。


 

 次第に賑わいを見せてきた朝の渡り廊下を抜け、青ジャージのオリヴィアと吉川の二人は一年生に用意された三階の教室を目指して歩いた。ウチの高校では一年生が最上階、二年生が真ん中で、三年生が一階に教室がある。周りがきちんと制服をきている中で、一人青のジャージを身にまとったオリヴィアは人でごった返す階段の中でも十分に目立った。オリヴィアは興味深そうに首を伸ばし、すれ違う生徒たちの顔をジロジロと眺めていた。俺はというと、喧嘩っ早い上級生に目をつけられませんように、とひたすら祈っていた。

 だがオリヴィアは、そんな俺の心配の斜め上を突っ走って行った。


「ヨッシー、誰か探してるの?」

 ちょうど二階に差し掛かった時だった。キョロキョロと辺りを見渡すオリヴィアに吉川が尋ねた。

「ウム。ちょっとな……お!」

『ん??』

 オリヴィアは急に階段の人の流れから離れ、人混みの中を掻き分けていった。それから人混みを抜け出すと、オリヴィアは二年六組の教室の前でたむろしていたオールバック眉なしの三人組に歩み寄った。

「クク……”ちょうどいい”のがおるじゃあないか」

「あ?」

「誰だてめえ?」

 オリヴィアが近づいてくるのに気づいた三人組が、ドスの効いた声で青ジャージの一年生を睨んだ。明らかに、先生のことを先公とか呼んでそうな、悪そうな集団だ。


「なん……」

 三人組の中で一番背の高い坊主頭が、至近距離まで近づいてきたオリヴィアを小突こうとした、その時だった。オリヴィアは、いつの間にポケットに入れていた細長い枝のようなものを取り出し、その場にいた誰もが目をふさいでしまうほどの閃光を枝先から放った。

『………!!』

 瞬間、激しい炸裂音とともに、辺りに白煙が拡散していく。まるでマジックの手品のようなその一連の所作は、彼女の魔法か何かだろうか。二年生の教室の前が、一時騒然となった。俺は空中から落っこちそうになった。廊下中に広まる煙幕の中で、オリヴィアの影が妖しく揺らめいていた。やがて徐々に光と音の衝撃が去り、煙から視界が解放されて行くと……。


「ニャア」

「よし! 成功じゃ!」


 その場にいた誰もが突然の出来事に呆然とする中、オリヴィアが嬉しそうに手を叩いて叫んだ。俺は目を見張った。三人組の、両脇の二人の間。その場にいた坊主頭のいた場所に、一匹のキジ猫が座っていた。俺はもう一度、瞼の限界を超えて目を見張った。


 オリヴィアは上級生に目をつけられるまでも無く、自分から目をつけに行く系魔女だった。

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