第3話
「お……オリヴィアちゃんッ!? お兄ちゃんの学校、男子はズボンだってば……私のスカート、返してよぅ……ッ!」
「だって履きにくいんじゃもん」
「だってじゃなくてぇ……!」
「スカートだけじゃないぞ。ほれ」
「きゃああああッ!?」
オリヴィアは俺の体に居着き、今日から学校に通うことになった。わざわざ異世界から転生してきてやることが学校に行くだなんてどんだけ暇なんだよと言いたくもなるが、何せオリヴィア本人がノリノリなのだから仕方がない。俺はもう、昨日から不安で不安で仕方がなかった。そして案の定、朝になってみればこの騒ぎである。
「もうっ! ちゃんと男子の制服着てってば!」
「分かった分かった。やれやれ。現地人は小煩いのう……」
「ホントにもう……お兄ちゃんのバカ! お父さんにはあんなこと言ったくせに、自分は勝手に転生して出て行っちゃうだなんて……あ! ちょ、ちょっと!?」
「よッ、と」
「オ、オリヴィアちゃん!? ここ、二階だよッ!?」
渋々男子高校生の制服に袖を通したオリヴィアは、何を思ったのかそのまま窓枠に足をかけた。小鳥が慌てて静止するのも虚しく、魔女に乗っ取られた俺の体は奇怪な雄叫びを上げながら、二階の俺の部屋から外へとダイブした。
昨日からずっと、この調子である。
現世に蘇り気力を漲らせたオリヴィアは、風呂場で窒息死寸前まで潜水を試みたり、鍛えられるからと裸で外をランニングしようとしたり、今みたいに二階の窓から飛び降りて登校しようとした。いくら三百年ぶりの外の世界だからって、張り切りすぎだ。お前はターザンか。そんなにこっちの世界が珍しいのか。何より肉体的ダメージ及びご近所からの評判は全て俺に蓄積されると言うことを、彼女は分かっているのだろうか?
奇声を上げ二階の窓から飛び降りたオリヴィアは、両足で踏ん張り地面に着地すると、何事もなかったかのような顔で二階を見上げた。
「案ずるな、小鳥。私がかつて城に居た時は、これよりもっと高い塀から飛び降りたものじゃ」
「案ずるよ! それ、お兄ちゃんの体だし……」
「大丈夫じゃ。最悪折れたとしても、どうせワシのじゃなくてコイツの体じゃし」
『本当に最悪じゃねえか!』
オリヴィアの無事を確かめた小鳥が、窓枠に寄りかかりホッと胸を撫で下ろした。オリヴィアは玄関の前で屈伸を繰り返し、楽しそうに笑った。コッチは何も楽しくない。俺はオリヴィアの隣に浮き、聞こえないと分かりつつ思わず突っ込んだ。やはり、コイツを学校に行かせるのはあまりにも馬鹿げている。たかが学校に行く前の登校段階でこれなら、授業なぞまともに受けられるはずがない。俺の体は、俺の平穏無事な高校生活はどうなってしまうんだ。
「行くぞ、小鳥! 出陣じゃ!」
「ハァ……」
キラキラと目を輝かせるオリヴィアとは対照的に、俺と小鳥のため息はますます深くなっていった。
□□□
俺の家は閑静な住宅街の一角にある。家の前の道路には、すでに通学や通勤する人々がちらほらと見受けられた。足早に歩く学生やサラリーマンたちを、オリヴィアが目を皿のようにしてじっと眺めていた。転生してきた彼女にとっては、それすらも珍しいようだ。家の前で元気いっぱいに首を伸ばすオリヴィアを尻目に、小鳥が口を尖らせてオリヴィアの白いシャツのボタンのかけ違いを直していた。
「もう……オリヴィアちゃん、朝から元気すぎ!」
「そうか?」
「そうだよ! そんなに元気なお兄ちゃん、今まで見たことないよ……そんなんじゃすぐバレちゃうよぉ……」
「ふむ」
いつも綺麗に整えられた小鳥のショートボブが、今朝は心なしか寝癖が目立っていた。疲れた顔を浮かべる小鳥の言葉を聞いているのかいないのか、オリヴィアは通り過ぎて行く自動車に合わせて首をぐるぐると動かし続けた。
学校に通うに当たって、オリヴィアが俺の体に転生したことは、家族会議の結果、周囲には内緒にすることにした。もしバレたら、市役所の手続きとか何かと面倒だからだそうだ。
「オリヴィアちゃん。お願いだから、学校じゃ大人しく、お兄ちゃんらしくしててね。じゃないと、急に教室で暴れ出しましたとか言われたら、私が恥ずかしいんだから……」
「ふぅむ」
数百メートル先のバス停に兄妹二人で向かいながら、小鳥が注意散漫なオリヴィアの横で注意した。魂だけの姿になった俺は風に流されないように、ふわふわとゼリー状になって二人の後ろをついていった。
五月ももう中旬にさしかかろうかと言う季節。青々とした空に浮かぶ白い雲と太陽が目に眩しかった。時折吹く暖かな風が、緩やかな坂道を歩く二人の間を気持ち良さそうに通り抜けて行く。一カ月前にはピンク色の花を満開に咲かせていた桜の木も、今やその枝葉を徐々に新緑色に衣替えしているところだった。通学路の途中に植えられた桜の下で、三百年ぶりに復活を果たしたオリヴィアがカバンを振り回しながら首をかしげた。
「小鳥の言う、その”お兄ちゃん”らしくと言うのは、具体的にどんなことをすればいいんじゃ?」
「それは……」
小鳥は飛び跳ねるオリヴィアに必死に追い縋り、オリヴィアの背中から飛び出たシャツをズボンの中に入れようと必死になった。
「お兄ちゃんは……ズボラで気が利かなくて……」
『…………』
「よく洗濯物脱ぎっぱなしにしてるし……部屋の掃除も全然しないし……」
『…………』
「頭が良いってわけでもなさそうだし、かと言ってスポーツもからっきしだし……」
『……!!』
「家じゃ、あんまりぎゃあぎゃあ大声で騒ぎ立てる人じゃ無かったかな。クラスでも目立たなくて、隅っこの方で窓の外眺めてる感じだよ、多分。私もよく知らないけど……」
「ほう?」
「顔もいつもムスッとしてるし、彼女もいないよ、きっと。見たことないもん。友達も、本当にいるのかな? 家じゃずっと、私とゲームやりたがるんだよ。おかしいよね、高校生にもなって……」
『小鳥……!!』
転生した気持ちも分かるかも……と言って小鳥が苦笑いを浮かべた。小鳥、もういい。もうそれ以上はやめてくれ。俺は普段、そんな風に見られていたのか……妹の”兄評”を耳にして、俺は言葉の弾丸に心臓を撃ち抜かれ空中から落っこちそうになった。
自分の体を何者かに乗っ取られると言うこの最悪の事態において、不幸中の幸いと言うべきか、妹の小鳥には幽体になった俺の姿が辛うじて見えていたようだった。どうやら俺の家族で、霊感や第六感の類が備わっているのは小鳥ただ一人だったらしい。だがしかし、昨晩は確かに俺の姿が見えていたようだったが、霊感が安定しないのかあいにくそれ以降俺の声や姿に小鳥が反応を示すことはなかった。
今のところ、現状を打開するには小鳥に頼る他ない。なんとか妹の霊感に呼びかけ、俺がまだ健在(?)だと言うことを家族に知らせなくては。小鳥の霊感を呼び覚ますモノ。その鍵となるものが分かれば、妹と話すことだって可能になるかもしれない。
一体どうして、あの時だけ小鳥は俺の姿が見えるようになったのか。俺は昨晩のことを思い出そうと、必死にゼリーになった首をひねった。早くしないと俺の肉体は度重なる酷使でボロボロになってしまう。
「それから、制服はちゃんと着て。シャツは中に入れて! ってお母さんが言ってた。大人しく……大人しくだよ」
「なるほど、大人しくじゃな?」
オリヴィアが俺の顔で、何かに納得したような表情でニヤリと唇の端を釣り上げた。小鳥と、それから俺は、心底不安げな顔で意気揚々とバス停に走っていくオリヴィアの背中を見送った。
□□□
「それじゃ……私は次のバス停だから、オリヴィ……お兄ちゃんはここで降りて」
「うむ」
人のごった返すバスの中で、小鳥がヒソヒソとオリヴィアに耳打ちした。本当に分かったのか分かっていないのか、オリヴィアはウキウキで返事をし、窓の外に見えてきた学び舎の姿を見て歓声をあげた。お前は小学一年生か。今日びこんなに希望に満ち溢れた顔で学校に通う高校生が、果たして日本にいるだろうか。
「見ろ、小鳥! あれが”がっこう”じゃな!」
オリヴィアの甲高い声にバスの中は少しざわつき、隣に座っていた小鳥は頬を赤らめ即座に知らない人のふりをした。車内には同じ高校の制服をきた、見知った顔も何人か乗っている。俺は頭を抱えた。まだ高校一年になったばかりなのに。五月になり、クラスにもようやく馴染めてきたようなきてないような、そんな大切な時期なのに。一体どんな噂をたてられてしまうだろうと思うと、俺は憂鬱になった。
「そんなに珍しいの……?」
オリヴィアが小鳥の制服の端を引っ張るので、彼女が仕方なしに小声で囁いた。
「うむ! ワシの家系は代々魔法使いでの。若い頃は修行の毎日で、まともに学校に通わせてもらえなかったんじゃ」
「そうなんだ……」
小鳥がちょっと同情したように目を細めた。ウトウトと居眠りをしていたリーマンも、今や車内の全員がオリヴィアの話に耳を傾けていた。俺はと言うと、ここにいる全員の耳を今すぐ引き千切りたくてしょうがなかった。
そうなんだ……じゃないよ。代々家系が魔法使いって、この現代日本じゃ完全に痛い人だよ。お前の見た目は今、俺なんだよ。俺が喋ってるのと同じなんだよ。なのに、一体みんなの前で何を言い出すつもりなんだよ、この魔女は。何が若い頃は毎日修行だよ。どんな高校生だ。そりゃコッチは事情を知ってるから納得できるけど、周りの人たちには何が何やらちんぷんかんぷんだよ。俺の平穏な高校生活はどうなるんだよ。
「滾るのう。なんせ三百年ぶりじゃから……! まずは手始めにこの学び舎で一番強い奴と……ククク……!!」
頼む、もうやめてくれ。お前は学校に通うことを道場破りか何かと勘違いしているのか。学校って戦うとか、そういう場所じゃないから。その笑い方ドン引きされてるから。いくら転生が当たり前だからって、ここは剣と魔法の異世界じゃないから。そんな台詞を吐く奴は側から見たらどう見ても漫画やアニメの見過ぎの、ただの痛々しいヤバい奴だから……!
「お兄ちゃん。大人しく、ね……」
「おう!」
やがてバスが校門の前で停車した。小鳥が顔を真っ赤にして、降車するオリヴィアに小さく手を振った。オリヴィアは車内に響き渡る声で元気よく小鳥に返事をすると、なぜか来ていたシャツをその場で引きちぎり、雄叫びを上げ、気合い十分といった表情で学校の門を駆け抜けて行った。呆然とする乗客とともに後に取り残された俺は、とうとう心の許容限界を迎え、バス停の前でゼリー状に崩れ落ちた。
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