ex1−2 魔法薬師の懸念

 世間知らずな少年は、私の言葉に従って、宿屋の下働きを始めた。

 出来るだけ人目に触れない所で使ってやって欲しいという私の注文に、元冒険者の女亭主は不思議そうな顔をしながらも深くは探らず受け入れてくれた。この辺りは、付き合いの長さと信頼関係の積み立てが物を言う。彼女は、私が幼い頃からの姉貴分なのだ。私が独り立ちに憧れたのも、彼女の存在が大きい。

 しかも彼女は私と違って冒険者に成って町を飛び出し、ほどなく見事男を引っ捕まえて戻って来たのだから大したものだ。その夫は現在宿屋内の食堂で料理人として腕を振るっていて、才能持ちという事もあって中々評判の宿屋だった。


 ともあれ、彼女の宿に非常用の魔法薬を卸すついでに、少年の働きぶりに探りを入れてみた。少なくとも悪評は聞いていないので、大きな問題は起こしていないとは思うのだが、斡旋した者の勤めとして、彼の振る舞いには責任が生じる以上動向に気を揉むのは当然だろう。

「時々頓珍漢な事をやらかすし、あまり人付き合いは器用とも言えないけど、根っこは良い奴だね。歳の割に世渡りが下手ってのが、ノンちゃんの心を動かせたチャームポイントかな?」

 極一部の知り合いしか使わないニックネームに、私はそっぽを向いた。既に独り立ちした身だ。確かにこうして頼ってしまう事があるから強くは言えないが、それなりに自尊心くらいある。

「そう。なら、やっぱり直ぐには使い物にならないか」

 余りに子供っぽい態度も憚られるので、考える素振りを後付けして、そんな事を言ってみる。

 衣食住込みの下働き給与なし、なんて扱いはつまり戦力外のうちは養ってやるから必死に仕事を覚えろという雇用者からのメッセージだ。それを理解できる様になって半人前。給与を出せる最低限の戦力に成ってようやく見習いと言える。完全な戦力外に給与を払ってやれる様な余裕は、どこに行ってもないだろう。

「いや、逆だね。接客は他に見習わせたいぐらいスムーズだし、暗算も速くて正確。ちょっと口は粗雑だけど、ウチは貴族専門高級宿なんかじゃないからね。問題にもならないさ。むしろ、役不足と言っても良いね」

 そもそも、亭主のアタシからしてこんなだし。そういって豪快に笑う彼女は、常連客から「かあちゃん」なんて呼ばれる懐の深さが魅力の女性で。彼女が許容する欠点が、許容されない職場だってあるだろう。そういう意味では、今回の巡り合わせは互いに取って幸運だったようだ。

 そう安堵した私に、しかし、予想外の言葉が続けられた。

「まぁ、長続きはしないさ」

 惜しむでもなく、馬鹿にするでもなく、彼女は極当たり前の様に言い放った。

 それは私に対して信用がないという事か、彼に問題があるという事か。どちらにしても、聞き流せる言葉では無く。

「何故そう思うの?」

 今更取り繕う間柄でもないので、私は真っ直ぐに彼女に尋ねる。

「私がそうさせないからさ」

 それは何とも奇妙な回答だった。折角育てた戦力を、わざわざ追い出す理由がどこにあるというのか。

 私が感じる疑問なんて彼女にはお見通しのようで、彼女は肩を揺らして笑った。

「どうして、だって? 生きる為に仕方なく、なんて理由でウチで働かれても、嬉しく無いんだよ。未来や人生を諦めるにゃ、あいつは早すぎる。冒険の1つや2つ積んでからでも、遅かぁないだろうさ。それで心折れて返ってきたってんだったら、まぁ改めて受け入れてやるけどさ」

 流石は、元冒険者。同じことを私が言っても、多分説得力がないだろう。私は圧倒されながら感心するしかなかった。


 ◇◆◇


 彼が冒険者に成ったという話を聞いたのは、それから2ヶ月程しての事。

 商人や庶民の間では噂にも成らない様な、小さな出来事だった。

 もし彼がその冒険で、回復不可能な程の精神的傷を負ったなら、その責任の一端は、私にもある事だろう。いちいち他人の人生を背負い込んでいては商売なんて出来たものではないが、彼の今の立場は私の干渉に依る結果という所が少なく無い。

 だから、もし彼が今度本気で助けを求めに来たのなら、私は私の責任に基づいて可能な限りの事をすると心に決めた。


 別に、純粋すぎる彼の事が心配で溜まらない訳ではない。ないったらない。

 行動に伴った責任を果たす。それだけだ。

 私は商人の端くれなのだから。


 ◇◆◇


 彼が再び店にやって来たのは、その日の午後の事。

 幾らなんでも心が折れるには早すぎるとは思うが、元々剣なんて振った事のなさそうな容貌だった。荒事が似合うとは思えないし、とりあえず愚痴に付き合って、もう少し頑張ってみたらどうだと促そうか。

 そう考えた私は、一旦魔法薬調合の下準備をしていた手を止めて、彼に向き直った。


 しかし少年は、泣き言を言いに来たのではなかった。真新しい傷を肌に残しながらも、「貴方のおかげで今日まで食うに困らず、ついに冒険者に成る事が出来た」とのたまう。正直、肩すかしを食らった気分だった。

 初めての冒険——といっても町近くの森での単身採取活動だが——を終え、お礼がてら、魔法薬師の私に調合に使うであろう薬草を卸しに来たのだとか。

 しかし、肌に残る生傷を見れば少年にとってそれはまだ難度の高い冒険だったという事が見て取れる。もし毒性の高い葉で肌をやられていれば、数日のうちに体調を崩すだろう。それに気付かず冒険を重ねれば命を1つ2つ落とすかも知れないし、最悪生きたまま四肢を食われる可能性だってある。私は少年の能天気さに呆れ果てて、溜め息を吐いた。

「どこまで世間知らずなんだい、君は」

 ついつい、口調がキツくなってしまう。

「とにかく、ちょっと傷を見せなさいな」

 これは営業だ。見習い冒険者に唾をつけて、将来常連客にする為の投資だ。

 少年の肌の傷を調べて、取って来た薬草の状態から素人そのものの採取にダメ出しをしながら、私は世間知らずなこの少年でも理解できる様、薬草の採取や取り扱いについて少しだけ手解きをしてやる事にした。

 今の少年では、魔法薬なんて高過ぎて常用できる筈もない。冒険者なら常備しろと言いたい所だが、子供のお使いに毛が生えた位の薬草採取でこんな生傷を負っている素人冒険者には無理な注文だ。ああ、全く。この少年は冒険者には向いていないというのに、あの人は無茶をさせる。

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