【仮題】6日目その4、或いはやはり失敗でしたね。ええ、色々と。

 俺は理解が追い付かないまま、ただただミフユさんの瞳を見つめた。目が慣れ始め、徐々に彼女の顔が明らかになる。


「ミフユさん……落ち着いて下さい。どうされたんです?」


「もうどうして良いか……わからないんです……」


 ミフユさんは俺の首に手を掛けたまま表情を悲痛で歪ませた。今にも泣き出しそうだった。


「こんな…………。こんなつもりじゃなかったのに……」


「ミフユさん」


 俺は自身の首に絡められた彼女の両手の上から、優しく包み込むように自分の手を重ねた。


「『僕がいなければ』って、どういうことか教えて頂けませんか?」


 俺の問い掛けに、ミフユさんは答えようとせず、代わりにふるふと首を振った。


「ミフユさんは僕に消えていなくなって欲しいですか?」


 ミフユさんは無言のままさらに強く首を振る。


 彼女は言っていた。「俺にだけは決して言いたくない」と。


 俺は既に気付いてしまっていた。彼女がどうしてこうも思い詰めているかに。気付いてなお、目を背けたくなる事実に。  


 だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。俺の所為で彼女を、いや、を苦しませることになっているのなら。これ以上しらを切り続けるようなことはしてはならない。


 俺は腹を括った。


「ミフユさん。あなたが小説を書きたい理由、それはの為、違いますか?」


 ミフユさんは否定も肯定もせず、ただただ俺の瞳を見つめ続けた。


「すみません、〝本当の〟というのは正確ではありませんね。あなたと、、あなたたちは二人併せてカクヨム上の〝ミフユ〟だった」


「ヒイラギさんが気付かれているということは知っていました……」


 ようやく、ミフユさんは重い口を開く。今にも泣き出しそうな震える声で。


「まあ、前回の日記に書きましたからね」


 気付いたのは本当に偶然だった。友人の助言でミフユさんについて調べていたあの日、〝カエルのぬいぐるみ〟が手掛かりに成り得ると、俺は手当たり次第近辺の病院に問い合わせ、そしてたまたまアタリに行き当たった。そして、あの時受付から探している入院患者の名前を問われた際、ミフユさんの本名を口にしたのだ。「海藤雪」と。咄嗟に出たその場をやり過ごす取り繕いの返答だった筈なのだが、図らずも受付から「その女の子ならつい先日まで入院していた」という情報を得られる結果となった。


 情報はそれだけあれば十分だった。誰だって行き付く回答である。


 まず、つい先日まで入院していたとなると、俺が毎週土曜日に会っていたこの目の前の女性はカクヨム上の〝ミフユ〟である「海藤雪」とは別人だ。しかし彼女は初めて会った折、俺の目の前で本物の証明として自身のアカウントにログインして見せた。恐らく別人の二人ともがそれぞれ〝ミフユ〟アカウントにログインできるということだろう。写真を見て同一人物だと誤認してしまうくらいには似た容姿、加えてアカウントを共有するくらい近しい間柄、ここまでくれば察しが付かない方がおかしい。


「あなたたちは姉妹で一つのカクヨムアカウントを共有していた。つまり書き専である姉と読み専である妹。僕の小説のファンでありいつもコメントをくれていたミフユさんは後者の方だった。あの日あなたが言った『カクヨムのミフユはちゃんと読んでいる』という言葉で僕の憶測は確信に変わりました」


 生身の人間と違い、アカウントは共有することができる。あそこまで似ているのにすぐに気付けなかったのも、写真の〝海藤雪〟さんが実際に会っているミフユさんよりも幼く見えたのも、無理のないことだ。だって、正真正銘別人だったんだから。彼女は最初から嘘をなんて一つも吐いていない。書き専の〝ミフユ〟と読み専の〝ミフユ〟。そのどちらもが本物の〝ミフユ〟だったのだから。


「でも、あの時点で僕にはわからなかった。何故あなたが妹さんの為に小説を書こうとしているのか、そして何故、その為に僕に接触してきたのか」


 ミフユさんは何も答えない。いや、もう無理に訊く事はしなくて良いのかもしれない。


「いえ、もしかしたらあの時から薄々勘付いていたのかもしれません。ただ、僕は逃げたんです。それ以上考えないように。答えに行き着かないように。あなたからも、自分からも、怖くなって逃げたんです。本当に自分勝手ですよね……」


 俺は自身の手を添えていたミフユさんの両手を軽く握った。


「ミフユさん。全ては僕が元凶なんですね? 全ては僕の所為で……」


「自分勝手なのはわたしの方です……。でも、わたしにはあの子が苦しむのが耐えられなかった。何とかしてあげたかった……」


 ついにミフユさんの一粒の瞳から涙が毀れる。その雫は重力に従って俺の胸の辺りに落ちた。


「例え、ヒイラギさん。それがあなたの小説への想いを踏みにじるようなやり方だとしても……」


「ミフユさん……僕は……」


「すみません……。本当にすみませんでした。ヒイラギさん、これまでご迷惑をお掛けしたことはなんとお詫びすれば良いか……。本当にすみませんでした……」


 ミフユさんは俺の言葉を遮るように幾度も謝罪を口にした。


「最後まであなたの所為にしてしまえれば楽だったのに。それどころかわたしは…………。あなたといて……。これじゃああの子に顔向けできない……。本当にすみませんでした……」


 ミフユさんは身体を起こすと、俺の首から手を放し、その場で立ち上がる。そしてそのまま玄関に向かった。


「ミフユさん?」


「今度こそサヨナラです。ヒイラギさん」


 首だけで振り返りながらミフユさんはそう言い、部屋を出て行った。


 部屋に一人取り残された俺は、しばらく放心状態でその場に座り込んでいた。


 テーブルに残された二人分のカップ、脱ぎ捨てられたままのレギンス、背を預けているベッドから香る彼女の残り香。それらが先程までの出来事が夢ではないと証明している。


 このままで良いのだろうか。そして、俺が全てを悟ったことを知った彼女、ミフユさんはこの先どうするのだろう。そんなことを考えながらも、カクヨムで〝ミフユ〟のページを開く。


 特に理由はない。これで彼女との本当の別れになるのだと、傷心めいた余韻にでも浸りたかっただけなのかもしれない。


 ミフユさんの作品の中で最後に投稿されたのは初挑戦ファンタジー。


 この作品は、もしかしたら今後更新されることがないのかもしれない。待望のミフユ作ファンタジーを結果的に二度も台無しにしてしまうなんて、彼女の純粋なファンたちからしたら極刑ものだ。


「ん?」


 俺は何気なく眺めていた彼女の投稿情報のとある点に目を留めた。


 おかしい。


 カクヨムに投稿された作品に表記される最終更新日時。日付は昨日のままだったが、時間が不自然だ。


 最後に投稿の通知があった時のことはよく覚えている。それを見て俺は慌てて御茶ノ水に行くことになったのだから。


 しかし、確認できる最終更新日時と記憶とにズレがある。新規投稿がないとすると、改稿があったのだろうか。この時間は…………。


 この時間はちょうど御茶ノ水から俺の家に向かう電車内にいた頃だ。この時は電車の時間を意識していただけに記憶に残っている。


 俺が電車内で色々な懸念に悶々としていたあいだにだろうか。恐らくだが、スマホから変更を加えていたようだ。


 小説内容を確認する。この最新話に関しては飛ばし飛ばしに読んでしまったこともあり、あまり細かい部分を正確に覚えているわけではないが、変更箇所明らかだった。


 小説内の事件の起きる時間帯が〝夜〟から〝明け方〟に、そしてその場所が〝御茶ノ水〟から〝茗荷谷〟に変更されている。現在の時刻を確認すると、午前4時を過ぎた所。まごうことなく明け方だった。


「ミフユさん……」


 俺はすぐに立ち上がると、念の為武器になりそうなものをと謎の魔法少女から預かった魔法の杖ガラクタを手に取り、外へ飛び出る。今日は本当に走ってばかりいる気がする。


「僕はもう逃げません」


 聞こえる筈もないのに、明け方の薄暗い街を駆けながら呟く。


「だから、これ以上馬鹿な真似はやめてください」





 駅前に辿り着くと当然人気は全くなく、時折傍らの道路を走る自動車が風を切る音と共にテールランプの赤い光線を引きながら通り過ぎてくばかりであった。


 俺は先日見て回ったように駅の周囲を探し回る。そして線路の高架下、トンネル状になっている場所に辿り着いて足を止めた。


 入口からではトンネルの奥まで街灯の灯りが届かず真っ暗だったが、奥の方で人影が見えた気がした。


「ミフユさんっ!」


 俺は叫びながら人影の元へ駆ける。しかし、ようやくミフユさんの姿が認識できたかと思うと、彼女の背後から別の人影が姿を現した。

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