【仮題】未定というよりは未完、或いは・・・

【仮題】6日目その2。或いはやはり、この題付けは失敗でしたか?

 振り返るとそこに立っていたのは幻なんかではなく、現実のミフユさんだった。


 何だろう、最後に会ってから一週間も経っていなかった筈なのにすごく久しぶりな気がした。


「ヒイラギさん……びっくりしました」


「こっちのセリフですよ……。驚かせないで下さい……」


 俺は膝に手を付き、肩で息をしながら何とか応じる。


 やはりミフユさんはここに来ていた。そして結局、俺はまた彼女に会ってしまった。色々と思うところはあったが、乱れた呼吸と疲労感が良い具合に思考を希釈してくれているお陰か、自分でも意外と感じるくらい冷静だった。


「すみません……まさかヒイラギさんがいらっしゃるとは思いませんし、急に名前を呼ぶものですから……」


 名前…………そうだ、彼女は正確には〝ミフユ〟ではなかった。


「ちょうど会いたいと思っていたんですミフユさん……」


 でも、まあ、今の状態で気の利いた何かは浮かびそうもないし、厳密にはミフユさんと呼ぶのは正しくないのはわかっているものの、ここは利便性を考えて以前からの呼び名で通すことにする。俺は手の甲で額に滲んだ汗を拭うと腹の底に力を入れ、居住まいを正した。


 ミフユさんは俺の言葉を聞いて何を思ったのか、少し顔を赤らめた。


「会って、訊きたいことがありました」


「わ、わたしも……です。ヒイラギさん、あなたにはもう一度お会いしたかった……」


 傍から聞けば、甘酸っぱく微笑ましい男女の邂逅シーンに思えたかもしれない。


 しかし、そこまで言葉を交わしたところで互いに無言になってしまう。果たしてこんな時間からどうすれば良いのか。恐らく相手も言ってしまってから同じようなことを思ったのだろう。ここは素直に日を改めるべきか。だが、俺の中で結論が出るよりも先に彼女は口を開く。


「ヒイラギさん、わたしにファンタジー小説を教えて頂けませんか?」


「え? これからですか?」


「ええ……、ダメ……でしょうか?」


 ダメと言う程ではないのだが……、しかし今からどこに行こうというのだ。


「ヒイラギさん、ちなみにあれから日記は?」


「ああ…………一応……書いてはいますけど……」


「では、いつも通りまずは日記から拝見します」


 そう言って彼女は両手のひらを差し出した。


 え? まさかこんな所で?


「あの、生憎今日は持ち歩いていません。家に帰れば……確かにあるのですが」


 彼女に別れを告げてからも日記を書き続けていた理由は、俺でさえよくわかっていない。考え得るものとしては、ただ単に習慣として書いていたものであるだけに何となく惰性で続けてしまっていたというくらいだろうか。こうして今日彼女と再会することだって想定外のことだし、持ち歩いているわけがなかった。


「そうですか……そう……ですよね……」


 本気で俺が日記を持ち歩いていると思っていたのか、ミフユさんは少し残念そうに目を伏せ、指先を顎に当てて考え込む。しかし、すぐに面を上げて俺に視線を合わせた。いつもあの喫茶店で向かい合っていた時と同じように。


「では今から取りに行きましょう」


「え?」


 俺はあまりにも急かつ想定の範囲外の提案に一瞬思考がフリーズする。


「もちろん、ヒイラギさんがよろしければ……ですが」


「取りに……って、僕の家に……ですか?」


「ヒイラギさんのお家にあるのでしょう?」


 まあ、それはそうなのだが。何だろう、色々とマズい気がする。対するミフユさんは自身が口にしていることを本当に理解しているのか、不思議そうに小首を傾げていた。あまりにも「当然」といった感じの様子に、危うく戸惑っている俺の方がおかしいのではと錯覚しそうになる。


「で、でも、こんな時間からですか? 帰りの電車ありませんよ?」


「それは仕方のないことです」


 ミフユさんは一言返してからまた俺の返答を待つように見つめる。え? それだけ?


「…………わ……かりました……」


 スマホの音声AIのように若干不自然なイントネーションになってしまったが、俺は了承した。


 彼女にはどこかで待っていて貰うという選択肢もあるわけだが、こんな危うい状況で彼女を一人にしておくことは臆病者の俺にはできなかった。


 例の事件と小説との関連性のことも未解決である以上、安心はできない。もしここで断って彼女が明日の朝のニュースに出ることになったなら、俺は強烈極まる自責の念で立ち直れそうもない。


 それに電車がなくともタクシー等、他にも手段はある。幸いミフユさんの家は大塚の方なのだし、距離的にタクシー代もそこまで掛からないだろう。


「そうと決まりましたら電車がなくなる前に、さあヒイラギさん、行きましょう」


「はい」


 俺は率先して足を進めるミフユさんの後を追う形で駅の改札へ向かった。


 電車の中では、互いの口数は少なかった。


 傍らの彼女を横目に一瞥する。控えめなフリルが施された純白のブラウスに軽そうな素材の黒いロングスカート。そしてやんわりと彼女から漂う甘い香り。やはり私服姿のミフユさんは大人っぽい。


 俺は無言のまま、正面に張られた栄養ドリンクの広告掲示に視線を戻した。


 以前感じたような喫茶店以外の場所で彼女と接することに気まずさがあってということではなく、今は焦らず腰を落ち着けてからゆっくりと話をした方が良いと考えてのことだった。それよりも今はこうしてある猶予を使い頭を整理する方が先決だ。それは恐らく彼女も同じことを思ってのことだろう。だが、困ったことに俺は思考を邪魔をする別の問題というか、憂慮がチラついて、いまいち集中できなかった。


 急なことで何も準備していないが…………果たして、現在俺の部屋は女性を招き入れて大丈夫な状態だろうか?


 変なモノは……なかった筈だが……、最近はろくに掃除もしていないし、お菓子の食べ残しとかが出しっぱなしだった気がする……。服も起き抜けに脱ぎ捨てたままどうなっているのか思い出せない。考えれば考える程不安は募っていく。


 それに……彼女が、ミフユさんが俺の部屋に……。


 やがて俺の思考は部屋の現状に対する懸念から異性を部屋に上げることに対する戸惑いへと推移した。


「ヒイラギさん?」


「…………はい?」


「その……、着きましたよ。茗荷谷駅……」


 体感時間と心情の変化のあいだに密接な関係があることは周知の事実である。行きの時はあんなにも長くもどかしいと感じていた時間がまさに一瞬だった。


 二人並んで駅を後にし、俺は「こっちです」と、自宅へ向かって進もうとする。


「その前にヒイラギさん」


 一歩踏み出す俺をミフユさんが呼び止める。


「お腹……空きません?」


「え、ええ……まあ」


 正直、そんなことを自覚する余裕はなかったが、そういえば昼食をとっていない。


「別に僕は大丈夫ですが……」


「わたしは空きました。何か買っていきましょう。それで本題はヒイラギさんのお家でご飯を食べてからにしませんか? もちろんヒイラギさんがよろしければ、ですが……」


 ミフユさんはお腹のあたりを押さえながら恥ずかしそうに微笑んだ。


 ああこれ、日記を取りに行くだけではなく、そのまま俺の家で本題に入る流れだ。まあ、こんな時間だし、薄々わかってはいたが。


「ええそうですね……」


 辺りを見回すが、こんな時間に開いている店なんて限られている。


「ここを真っすぐ行けばコンビニがありますが……」


「アレなんてどうです?」


「え? アレですか?」


 ミフユさんが指差したのは俺が良く通う牛丼屋だった。見回した時に視界に入らなかったわけではないが、ミフユさんという女性にはあまりにも似つかわしくないことを理由に勝手に除外していた。


「牛丼を買いましょう」


「僕は全然良いですけど……その、良いんですか?」


「あら、よく食べてますよ? 恐らくヒイラギさんよりも牛丼の味を知っています」


 そんな変なところで強気になられても……。


「いや、さすがにそれはないでしょう。週一は食べてますよ? 僕」


「わたしは少なくとも週二で通ってます」


「すみません負けました」


 こんなことで張り合うつもりもない俺は、潔く負けを認める。


「でもかなり高頻度ですね。好きなんですか?」


「嫌いでは……ないです。効率的ですから」


 彼女は食生活にさえ効率性を求めているのか。見かけの印象とは裏腹に、ふと彼女の食生活が心配になる。


 俺たちは牛丼屋で各々並盛とお新香のセットを購入し、俺の自宅へ向かった。


 喫茶店での時のようにミフユさんの分の支払いを申し出たが、やはり彼女は頑なに拒絶した。


「お邪魔します……」


 家の戸を開け、中に促すとミフユさんは律儀にも玄関で一礼した。ここにきて多少の緊張が芽生えたのか、少しぎこちない「お邪魔します」だった。


「どうぞ、汚いですが……」


「いえいえ、そんな……」


 俺も負けず劣らないぎこちなさでミフユさんを部屋に上げると、居場所が定まらない様子で隅の壁の方に縮こまっている彼女を、床に敷いた座布団に座らせる。


 PCを見ながらデスクで食事をとっている為、最近全く使用していない小型の折り畳みテーブルをベッドの裏から引っ張り出すと、その上に買って来た牛丼を並べた。


 飲み物としてペットボトルのお茶を二人分のグラスに注ぐ。親が買い揃えてくれたグラスは一人暮らしを始めてからいくつか割ってしまっており、二人分残っているか怪しかったが、生き残りがぎりぎり二個あった。


「「いただきます」」


 俺たちは小さいテーブルを挟んで牛丼を食べ始める。


「「…………」」


 食べているあいだは互いに無言で、静かな室内、二人分の咀嚼音だけが耳に入った。


「「…………」」


 何というか、とても気まずい……。


 こんな状況でもミフユさんはしきりに視線を合わせてくる。それに彼女がこうして牛丼を口に運びもぐもぐと頬を動かしている様子はかなり新鮮で、どことなく背徳的な気分にもさせた。でもやっぱり一言で言い表すならば、気まずい以外の何物でもなかった。


「気になりますか?」


 目線を泳がせ気味にしている俺に、ミフユさんは問い掛ける。


「気になる、と言ったらやめてもらえるんですか?」


「ふふっ。いいえやめません」


 いつしかと同じやり取り、彼女につられて俺にも笑みが毀れる。ミフユさんの咄嗟の茶目っ気のお陰で少し緊張感が和らいだ気がした。


 もしこんな状況でなかったなら、俺たちの関係がもっと自然なものだったなら、この緊張感だって男としてそれなりに楽しめたのかもしれない。


 無駄のない所作で牛丼を食べ終えると、空になった容器をビニール袋にまとめ、お茶のおかわりを注いでから改めてテーブルに着く。


「さて、ヒイラギさん」


「これです」


 俺は惰性で続けていた日記の原稿用紙を彼女に手渡す。ミフユさんはいつもよりやや時間を掛けて日記を読み終えた。


「やはりヒイラギさんも例の件、気付かれているのですね?」


 例によって日記の中身の具体的な部分には言及しないものの、このやり取りで初めてミフユさんの方から発言があった。


「はい」


 ここで聞いてしまおう。俺は胡坐を正座に直し、身を乗り出す。


「結局のところ、どうなんです? 現実に起きている事件のこと」


「ええ……」


 ミフユさんは何かに苦悶するように表情を歪めると、コクリと頷く。


「正直わたしにはわかりません。その、現実の事件との因果関係……。わたしは〝そうなるように〟書いたわけではありませんから。少なくともわたしにはそのつもりはありませんでした。わたしはただヒイラギさん、あなたにもう一度お会いしたくて、お会いしてきちんと謝りたくて、そしてその上でもう一度ファンタジー小説について教わりたくて、その一心であの小説を書いていたのですから……」


 確かに俺は彼女の小説に導かれるがまま御茶ノ水に赴き、結果的にこうして再開することとなった。でもそれは彼女の小説と事件の奇妙な一致があってのことだ。それがあったから俺は必死になって彼女を探した。


 でも……。


 俺は想像する。


 もし仮に、彼女の小説内容と似通った傷害事件なんて起こらなかったとして、ミフユさんとまた会うことを願わなかっただろうか。そうだと言い切れるだろうか。


 少なくとも俺はそこまで時間が掛からないうちに彼女との別れ方に後悔というか、後ろめたさを感じ始めていた。それが日を追う毎に大きくならないとも言い切れない。そんな中で一人ファンタジー小説の執筆に励む彼女の姿をカクヨムというサイトを通して見ているうちに、また会って執筆のアドバイスをしてあげたいと思ったかもしれない。


 確かに彼女は俺の小説のファンではなかったかもしれないし、結果的に俺を騙すような形をとっていたかもしれない。しかし彼女は悪人ではない。ならばそこに何らかの事情があるであろうことは想像に難くない。彼女に対する負の感情が時と共に薄れれば、また彼女の謎に対する魅力が顔を出し始めるだろう。


 まあ、とは考えても、彼女の執筆論における〝そういうふうに〟書くということは、俺が想像できる程単純でも表面的でもないだろうが。恐らく今の俺にはまだ理解の及ばない仕掛があの小説の中に織り込まれていたに違いない。


「それでは何故、小説の中にミフユさん自身と似たキャラクターを被害者として登場させたのですか? それで何故、今日作中の現場である御茶ノ水駅にいたのですか?」


「確かめる為です」


「確かめる為……だって?」


「ええそうです」


 ミフユさんは表情を固くしたまま続ける。


「事件のことはわたし自身全く予見していなかったことです。でももし仮にわたしが要因だという可能性があるならば、わたしにはそれを確認する責任があります」


「その一番手っ取り早い方法を考えた結果、ああなったと……」


「すみません……」


 事情を知らない者から見たら理解など到底できないだろうが、彼女の小説の力を知る俺は「何て馬鹿なことを」と内心穏やかではなく、無意識に語気を強めてしまった。それを感じてか、ミフユさんは視線を伏せる。


「それに……これはとても言いづらいのですが……確認したいことはそれだけではないんです……」


「…………? どういうことです?」


「わたしは確かめたかった。人の〝悪意〟について……」


 俺はその言葉を聞くなり呆れと少しの安堵が入り混じった息を吐いた。


「すみません……」


 彼女は視線を伏せたまま二度目の謝罪を口にする。


 何ということを考えるんだ、彼女は。いかに自分が人の〝悪意〟を理解できないからといって小説を書く為の取材として本物の悪人と接触しようとしていたなんて。


 いつしか彼女は言っていた。「命がけで書く小説は、素敵でしょうか?」。あの時はリアルな想像ができなくて曖昧な返答になってしまったが、今同じ質問をされたら即答できる自信がある。「馬鹿馬鹿しい」と。


「ミフユさん……あなたが本気だということはわかりました。では一つ教えて頂けませんか?」


 俺の言葉にミフユさんは面を上げる。細く柔らかそうな黒髪がさらりと肩で流れた。


「ミフユさん。これまでの件、あなたの最終的な目的は、行き着く先は、一体何ですか?」


「ヒイラギさん……」


 ミフユさんはそう言って一度唇を噛むように固く結んだ。作り物のように綺麗な瞳が微かに潤んでいる。


「言いたく……ありません…………ヒイラギ先生、あなたにだけは……決して……」


「〝先生〟はやめて下さい。その約束の筈です」


 冷静なふりでそう返しつつも俺は狐につままれたような気分だった。彼女は嘘を嫌う正直者だ。ならば聞いてしまえば全てわかると思っていた。


「ええ……すみません……」


「いえ、こちらこそすみません。これくらいにしておきます」


 理由は違うが俺に謝りたいが為に再会を望んでいたとはいえ、三度も謝ってもらえれば十分過ぎる。それにこれ以上彼女の謝罪聞き続けるのは、あまり気分じゃない。俺の所為で彼女の身に危険が及ぶということがなかった、今はそれだけで十分だ。


「ミフユさん」


 俺は気持ちを切り替えてミフユさんの目を見る。


「面白い小説の書き方、教えて下さい」

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