【仮題】---

「魔……術師……だって?」


 まるで歌でも口ずさむように流れるような口調で魔術師を自称する目の前の奇怪な少女に、俺は戸惑いながらもそう聞き返す。


「そうさ我こそが! 世界に一人の、たった一人の、唯一無二のぉーっ! むにむにー」


 少女は「むにむにー」という気の抜けそうな擬音に合わせて自身の頬をむにーっと引っ張ってみせた。


 馬鹿にしているのだろうか。ただ、ところどころ言葉の言い回しも妙だ。もしかして外国の子とか? 見掛けはそうは見えないが。


 平常時の俺ならば変な子に絡まれてしまったと、早々におさらばするところだ。だが、今に限ってはとても看過できるような状況ではなかった。この少女の口から〝魔術師〟というワードが出た以上、どうしても例の件との関連性を想像してしまう。


 でも、取り敢えず。


「ほら」


 俺は持ち歩いているバッグから自分用とは別の新しいハンカチを取り出すと、口の周りを白いクリームだらけにしている少女に差し出す。


 以前、喫茶店で泣いていたあの彼女に何も差し出せなかったという教訓からそれ以来一応はバッグに忍ばせておくことにしたものだった。次の機会がいつになるのか見当も付かなかったが、まさかこのような形で役目が来るとは。


 差し出された真新しいハンカチを目の前に少女はそれをまじまじと見つめ、目をぱちくりさせたかと思うと、


「偉大なる魔術師に向かって左様な子供扱い、ふふふ、一度わからせる必要が……」


 そう言いながら目を閉じ、「ん」と俺に向かって口元を突き出すようにした。どうやら俺に拭けということらしい。


 見るからに子供じゃないか。それに結局拭かせるのかよ。


 俺は辺りを見回し誰にも見られていないことを確認すると、まるで口づけを待っているかのようなその少女の口元をハンカチで拭ってやった。気恥ずかしさから少々荒っぽくなってしまったが。ハンカチを口元から離すと少女は「うぼぁ」と呻き声を上げた。


「ほら、これで良い?」


「うぬ。おぬし面倒見が良いな。おぬしさては、面倒見良さ男だな」


「何だよそれ。第一君が拭けって……」


「とは言っとらんぞ」


 少女は俺の反論に被せる形でそう主張した。確かに言葉には出していなかったが、まったく、これだから子供は……。


「君は何なの? 何で僕を?」


「だから魔術師だと言っておろう! 面倒見良さ男は理解力なさ男か?」


 俺は少女に見えないように拳に力を入れ、無視してこの場を去りたい気持ちをぐっと堪える。そう、このタイミングで出会った目の前の少女が自身をそう主張している以上、ミフユさんの小説と事件との手掛かりを何か得られるかもしれない。


 しかしその前にこの少女が〝本物〟であるという証拠がない。無論、魔術師という存在を信じているわけではないし、見たことがない以上、どうやってその真偽を判断できるのかわからないが。子供のおふざけと見るのが普通だ。そもそも〝本物〟って何だ。


 しかし実に皮肉めいている。あれだけミフユさんの「見たり経験したりしていないものは書けない」という悩みに対し、「勝手に決めて良い」だなんて偉そうに言ってはいたが、そんな俺が今こうして判断に頭を悩ませる状況に直面しているとは。


「えっと、証明できる? 君が魔術師だってこと」


 これがもし単なる子供のおふざけだったならかなり大人気ない発言だろう。


 しかし俺の言葉を受けた少女は微塵も狼狽える様子を見せず、代わりに口角を軽く上げ「ふん」と鼻を鳴らした。


「見よ! これが我が魔法の杖! レッド・フレイム・クリムゾン・プロミネンス・マギア・ステッキ!」


 少女はそう言いながら立て掛けていた棒状の道具を手に取り、声高らかに長ったらしい杖の名を口にした。適当にそれらしい単語を繋げたような、それこそ子供じみたネーミングだったが何となく赤くて熱そうということは伝わってきた。その杖の色自体は無味乾燥な鉄色だったが。


「これで何を……」


「よいから見ておれ。出るぞよ出るぞよ……ぼうっとな」


 そう言いながら意味ありげに眉間にしわを寄せ、杖を地面と平行に構えた。


「〝出る〟って何が……」


「ほれ、ぼうっ!」


「うわぁっ!!」


 刹那、少女の口にした擬音に合わせて杖の先からサッカーボール大の炎が上がった。急な現象に一瞬何が起こったか理解が追い付かなかった。


 俺のリアクションが予想以上に大きかった所為か、驚かせた張本人の少女はびくりと身体を竦め、手にしていたソフトクリームを床に落としてしまった。薄暗いゲームセンターの店内が炎の光で一瞬明るくなったかと思うと次の瞬間には何事もなかったかのように杖の先の炎は消えていた。


 肌の露出した顔と両腕に熱せられた空気の余韻を感じ、今起きたことが現実だと証明している。


「な、何を……」


「これが我が魔法、杖の先からは炎が出る」


「いや炎って……」


「我は偉大なる魔術師ぞ、炎くらい出おるわ」


「でもどう見たってそれ……」


 少女が手にする杖らしき道具、その見かけがそれこそよくあるファンタジーアニメに登場するような木製の棒の先に意味深な宝石が付いているといった王道スタイルならまだしも、妙にメカメカしい少女のそれは、そこに機械的な何らかの仕掛けがあるものと見てしまうのは仕方がない。


 しかし、そんな無粋な感想を持っている俺に向かって少女は向き直ると、表情を曇らせ、


「わからなくともよい。今は……な。だが感じよ……」


 切なさを含んだ声色でそんな意味深なセリフを吐いて見せた。


「うぅ……」


 俺が閉口してしまっていると少女はその場に屈み込み、先程床に落としてしまったソフトクリームの無残な姿を見つめ、涙目になった。


 どうやらその悲哀に満ちた表情の理由はこれだったらしい。


「あー……ごめん。ほら、新しいの買ってあげるから……」


 俺は先程の騒ぎの所為で徐々に周囲の視線を集めつつあることに耐え切れず、そう申し出た。ここで小さな女の子に泣かれるのは面倒そうだ。店員に気付かれなかったのが不幸中の幸いだった。


「まことか!?」


 俺の言葉を聞くなり、少女は俯いていた顔をくるりと上げ、笑みを見せる。


「いいよ、一応は僕の所為だし」


「では、アレが良い」


 少女はすくと立ち上がると、最初に食い入るように眺めていたガチャガチャの台の一つを指差す。それは『超古代の謎オーパーツ』と題された黄金ジェットやクリスタルドクロのような有名なオーパーツを模したフィギュアの台だった。


「偉大なる魔術の為にあれを全種集めなければならぬのだが、最後の一つが難儀でな。もう魔力を使い果たしてしまっておったのだ」


「〝魔力〟って、つまりはお金だよね?」


「魔力はお金……お金は魔力……。ある意味においてもすっごく魔力ぷくくく。クレジットカードの魔力にご注意―」


 少女は心底楽しそうにそう口遊んだ。台を確認してみると一回300円の所謂お高めのガチャガチャだった。確かに子供にとっては魔力消費が大きいと言える。


 俺が100円玉三枚を差し出すと少女は力士が懸賞金を受け取る時にするようにシュっシュっと空中で手刀を切ってから受け取り、つま先立ちしながら辛うじてという感じで台に入れ、レバーを回そうとする。


「でも魔術師ならさ、魔法で欲しいやつ出せるのでは?」


 何気なく口にした俺の言葉を聞くなり少女はレバーに掛けた手をピタリと止める。


「おぬしはそんな都合の良い魔法があると思うのか?」


「夢がないなー。魔術師なのに」


「夢は寝ている時か子供が見るものだよ」


「見るからに子供じゃないか」


「子供扱いするでない。しかしまあ、それがし、貴重な魔力ゆえ試してみようぞ」


 そう言うと、少女は先程の杖を構え両目を閉じる。「それがし」って、しかし安定しない口調だな。


「リョーシリキガク的なナニガシをあーしてこーして……」


 それは呪文なのだろうか。魔法というか量子力学の力を借りようとしている。しかしそんな付け焼刃とすら言えないおざなりな呪文程度で物事の運命が決するならば苦労はしない。かのシュレディンガーさんも苦笑いしながら無言で首を横に振りそうだ。


「そうそう、僕、昔ミニチュアのガチャガチャを持っていたからこの手の台の仕組みを知ってるんだけど、次に出るものは予め決まってるよ」


「マジで!?」


 俺の夢の欠片もない発言に少女はくわっと目を見開き、杖を構えたままこちを振り返った。余程ショックだったのか、口調がキャラ崩壊していた。


「さすれば、既に運命は決しておるな。ぐぬぬぬぬ……」


 そう言って唇を噛みながらレバーを回し、出て来たカプセルを開けてから少女はがくりと項垂れた。どうやら今出て来た黄金ドクロは目当てのものではなかったらしい。少々からかい過ぎたか。先程の炎の仕返しにしても大人気なかった。


「何が欲しかったの?」


 俺は未だ力なく項垂れてる少女に問う。


「あかんばろ……」


「あかんばろ? えっと……ああこれか」


 台に載っているラインナップには、アカンバロ恐竜土偶という首の長いトカゲのような気味の悪いフィギュアがあった。


「二種類あるけど? AとB、どっち?」


「A……」


 少女は涙声で答える。


 仕方ない。俺は新たに財布から300円を取り出し、ガチャガチャを回す。勿論少女の目当てのフィギュアが出るまで回すつもりはない。精々1,000円分くらい、3回程回してダメなら諦めて貰おう。


 俺は出てきたカプセルを空けてみる。少女も我慢できずに覗き込む。中身はアカンバロ恐竜土偶Aだった。


「しゅれでぃんがー!!」


 謎の魔術師少女の謎の叫び声がゲームセンターの室内に響き渡った。

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