【仮題】--

 カクヨムの女性人気作家ミフユ。彼女の小説の中にはこれまで人の悪意によってもたらせられる死の描写というものはなかった。


 病気や事故といった要因での死はあったにせよ、故意に他者を殺めるシーンは一つの例外なく一切存在しなかった。


 それだけに彼女が連載を始めたファンタジー小説に対し、戸惑いを隠せないファンの言葉もちらほら見受けられる。単に〝ファンタジー〟というジャンルであるというだけで、純文学を愛して止まないミフユファンの中には批判的な意見を書き込む者もいたし、そこまでジャンルに偏見のなさそうなファンであっても、「どうしちゃったんですか?」的な当惑を露わにする書き込みをする者もいた。


 しかしあくまでもそれらはまだごく一部で、未だ大半はこれまで通り彼女の作品に対し、称賛を送る声と、あとはやはり現実の事件との奇妙な一致に関するコメントが多い。


 彼女は今、どういう想いで小説を書いているのだろうか。


 例外はまだ少数とはいえ、こうして読者によって反応が分かれる小説、つまり読者を選ぶ小説というのは、彼女の理想の作品に近づいているということにもなるのだろうか。


 対する俺はというと、正直もう純粋に彼女の小説を楽しめなくなりつつあるのを自覚していた。


 面白いことには変わりないのだが、それでもやはり事件との関連性が頭をチラついて、とてもじゃないが素で物語に没頭できそうもない。


 俺が小説を書くにあたって読者の心情変化的な効果を狙うやり方は、言ってしまえば目分量だ。対して彼女の場合はまるで薬剤の調合。彼女の言葉を借りるならば「そういうふうに」書いている。


 しかし、それでも読み手の持つ〝潜在的要素〟によっては彼女が期待する効果を得られるとは限らない。


 彼女の小説を読んでも何も感じなくなる、それこそ、ミフユさんと接点を持つことによってそういった潜在的要素が俺の中に確立しつつあるなら、それは人生における多大なる損失と言えるのではなかろうか。


 もし仮にミフユさんと出会っていなければ、カクヨム上でだけ彼女の存在を知っていたならば、俺は今回の件に直面したところで悩むことは疎か、むしろ都市伝説的に騒ぎ立てる者たちと一緒になっておもしろおかしく楽しんでしまっていたのかもしれない。


 地下鉄のドア付近に寄り掛かって思案するのも束の間、電車は第二の事件があった池袋に到着した。


 俺は懲りずにも、また事件現場へと足を運んでいた。


 朝ニュースで事件のことを知ってからの俺の心境は複雑なものだった。第二の一致が起きてしまったことへの戸惑いと、一晩中意識を保っていたことにより、自身に過った馬鹿らしい妄想が、結局正真正銘妄想だったと判明したことの安堵感。


 まるで熱湯と冷水を同時に浴びせられているような忙しない感覚の変動が腹の底で渦巻き、正直気分が悪かった。


 駅の東口を出てしばらく歩くと、例の喫茶店が目に入る。何となく足早に喫茶店を通り過ぎた。


 昨晩起きたという事件も最初の事件と同じく、被害者はケガだけで済んだようだった。


 時刻は昼過ぎ。目当ての路地裏付近には、やはりもう何も事件の形跡らしきものは残っていなかった。薄々わかってはいたが、結局俺はこんなところまで何をしに来たのだろうか。


 この界隈に長居するのは憚られたが、徹夜明けでぼんやりした頭の俺は無性にコーヒーが飲みたくなり、近くにあったベローチェに入店する。いつものあの喫茶店とは違い、ウェイトレスが注文を取りに来てくれるような店ではなかったのでカウンターでLサイズのアイスコーヒーを受け取ってから、一人用のテーブルに着いた。


 コーヒーの味にこだわりはない筈だったが、こうして意識して飲み比べてみるとあの喫茶店のコーヒーは高いだけあって良いものだったんだなぁと実感できる。


 手頃な価格帯のチェーン店であるだけに平日のこの時間でも店内はそれなりに混み合っていた。


 アイスコーヒーを最初の一口で三分の一程減らし、一息吐いてから考える。


 さて。いよいよ俺はどうしたら良い。


 また友人や倉敷さんに相談してみようかとも考えたが、先日あれだけハッキリと否定されてしまっただけに気が乗らなかった。


 状況は変わって二件立て続けに起きているわけだが、結局のところ俺自身にわからないことが立場的に俺よりさらに遠い所にいる人間にどうこうできる問題でもない。


 やはりもう一度ミフユさんに、ミフユと名乗るあの女性に会ってみるべきか。


 だが、無策でただ会うというのは得策とは言えない。


 会ってどうする。そのまま率直に訊けば教えてくれるだろうか。それこそ〝ありのまま正直〟に。


 名前も知らない女性。ミフユさんの名を騙る天才女子高生作家。


 あの女性のが何者なのか、加えて本物のミフユさんの正体、それらはこれまでに得た材料からある程度察しが付く。そして俺が気付いているということを、あの女性も知っただろう。その為にあの日最後に日記を渡したのだから。


 しかし、何故彼女がわざわざ俺に接触してきたのか、何故ファンタジー小説の執筆にそこまでこだわるのか、それらは最後までわからず終いだったが。


 まあ、それは今となってはどうでも良くなった。俺と名前も知らない彼女との関係は終わり、またカクヨム上の〝ミフユ〟の一ファンとしてこれからも彼女の小説を読む。そうなる筈だった。だったのに……。


 考えれば考える程、精神に泥のような重く暗い何かが纏わり付く。本当に、このままでは素直に〝ミフユ〟の小説を楽しめなくなってしまうのではなかろうか。確かに読んでいるそのひと時は物語に入り込めるのだが、どうしても読了後の余韻を余計な感情が邪魔をする。最早呪いとも呼べるその脊髄反射的作用は、恐らく今後〝ミフユ〟のどの作品を読んでも感じることだろう。


 まったく、作中に登場する正義の魔術師は何をやっている。


 こちらの世界に来て日が浅いのはわかるが、できることなら早くその悪役とやらを退治してくれ。


 俺はミフユさんのファンタジー作品に対し心の中で唇を尖らせた。その魔術師がどうするもこうするも執筆者のミフユさんの匙加減なのだが、連日胸が痞えている俺は徹夜も相まって疲弊していた。そんな状況じゃあ軽口だって叩きたくなるものだ。


 それに本来時間や労働に縛られないニートである俺がこんな状態って、どんな冗談だ。


 俺はアイスコーヒーを一度だけ追加注文し、ちびちび飲んでいると迂闊にもウトウトと軽く眠りに落ちてしまった。ハッとして残りのアイスコーヒーを飲み干してから店を出た。


 Lサイズ二杯分合わせても毎週ミフユさんと通っていたあの喫茶店のレギュラーサイズ一杯分の値段よりもずっと安かった。





 店を出てスマホで時刻を確認する。そしてすぐに「しまった」と自身を責めた。


 時刻は16時半。気付けば俺は約三時間近くもあの店に入り浸っていたらしい。


 こんなところに長居したくない気持ちと、丁度学校から下校する生徒で駅が混み始める時刻であるということがせめぎ合って、俺の駅方面へ向かう足取りは不自然なリズムを刻む。


 だが結局俺は早々に帰宅する方を選んだ。


 カラオケやゲームセンター等、夜まで時間を潰せそうな場所を模索してもみたが、どれも高校生が集まりそうでかえって危険そうだというのも理由にある。


 しかし、偶然目に入った危険地帯である筈のゲームセンターの店先で思わず足が止まる。


 自動ドアのガラス越しに、様々なUFOキャッチャーが並ぶ店内の隅の方にガチャガチャの台が置かれている一角が確認できる。昔は好きでなけなしのおこずかいを使いよく回していたものだが、今は微塵も興味がない。


 俺の足を止めたのは正確にはその壮観とも思えるガチャガチャの群れではなく、そこに佇む一人の少女らしき人物だった。


 背丈からして小学生くらいだろうか、セミロングくらいの髪を両サイドで結んでいる少女は背をこちらに向け、必死につま先立しながら積み重ねるように陳列されているガチャガチャの上の方にある一台を食い入るように見ている。


 そこまでは特に目を留める程のことではないが、異様なのはその身なりだ。背後からでは着ている服装がわからない程に大きな黒マントを羽織っており、そしてその右手には食べ掛けのソフトクリームと、反対の左手には何やら棒状の奇怪な道具を携えている。


 恐る恐るゲームセンターに入店し、近付いてみるとその少女の持つ道具らしきものは金属製のよくわからない機械やらガラス製の管やらが棒状に組み合わさったようなものだった。一体何だ、この子。


 俺が呆気に取られていると、その少女はくるりと小さな身体を反転させ、こちらに向き直る。


「おおっ!」


 少女がこちらを見て大きな声を上げる。


「え!?」


 わけのわからない俺は思わず上擦った声を上げた。


「おやぁ?」


 少女はそう言って不敵な笑みを見せる。


「おやおや、君ぃ、ここに直れ」


 嬉しそうに言いながら少女は持っていた棒状の何かをガチャガチャの台に立て掛け、空いた手で俺に向かって手招きした。


「あれよあれよと、ここに直りたまへ」


 「何なんだ」と思いつつも、俺は少女に言われるがまま、近付く。


「よいからよいから、ふふふっ、よいではないかよいではないか、うふふふっ」


 未だ不信感でいっぱいな俺とは対照的に、少女は楽しそうに笑みを浮かべながら手招きする。


「え、えっと……、君は……」


「誰かと問われればっ! 何者かーと問われればぁー、そうさ我が! 我こそがぁっ! 唯我独尊! マゴウカタナキ、唯一無二の! 魔術師だよっ」


 全く以て意味不明だったが、意気揚々と自身を魔術師と名乗る少女の口の周りはソフトクリームでべちゃべちゃだった。

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