【仮題】-
顔を洗い、歯を磨いたものの特に予定の無い俺はベッドに戻りニュースの続きを確認する。先程見たチャンネルだけでなく他局の情報も耳に入れながら、手元ではスマホでポータルサイトのニュース板をチェックした。
どうやら本当らしい。まあ、ネットはともかくテレビで放送されているのだから嘘ではないのは当然だろうが。
しかしミフユさんの作中で起こった内容と違うのは被害者が生きているということ。その被害者の目撃情報から犯人が男性だとわかっているらしい。
それ以外は概ねミフユさんの作中と似通った内容の事件だった。その奇妙な一致に戸惑いながらも、俺は一抹の不安を感じていた。
昨晩夢で見たこと。もしあれが夢ではないとしたら?
俺は慌てて馬鹿な妄想を掻き消す。いやそんな筈ない。
だって、夢の中では俺はあの女性を確実に殺していた。
楽しみながらナイフで何度も刺して、刺して、刺して。刺しながら自分流のイカれたモノローグなんかを口遊んで。
第一、今の俺にはあれだけの凶行に及んだというその形跡が全くない。返り血一滴たりとも残ってはいない。
そんなおかしな自信で身の潔白を証明しようとしている自分を俯瞰的に見て、ついには吹き出して笑ってしまう。酷く乾いた笑いだったが。
それもこれもミフユさんの作中描写が変にリアルな所為だ。加えて以前彼女が言っていた「小説によって殺人衝動を助長させることができるか否か」という質問に対する回答。あそこで彼女が「わからない」とか「現状は無理」とか、曖昧な返事ではなくハッキリと否定してくれていれば変な妄想をせずに済んだのかもしれない。
突拍子もない疑念から抜け出すとテレビを消し、しかしその後何をしても落ち着かず、居ても立ってもいられない俺は犯行現場の駅付近へ足を運んでみることにした。
そうすることで、どうなるということでもないのかもしれない。
ただ確かめておきたかった。無意識下の俺が夢の中にいる感覚であんな事件を起こしたというのはかなり馬鹿げた妄想だと思うし、疑っているわけはないが、それでもミフユさんの小説との共通点は不可解が過ぎる。少しでも良いから無関係だという手掛かりが得られれば。そう思って俺は家を出る。
午前中とはいえ駅付近に着いた頃には時刻は既に10時を回っていたので、人通りはまばらだった。
俺は駅構内には入らず、駅の周りをぐるりと一周する。
殺人のような重大な事件ではないからか、通行止めだとか、「KEEP OUT」と書かれた黄色いテープが張られているとか、コンクリートにチョークで人型の印が描かれているとか、そんなあからさまな形跡は見当たらなかった。
ニュース等の情報では「茗荷谷駅付近」としか得られなかったので駅を基点に見て回る範囲を広げてみたが、特にそれらしいものはない。
俺は諦めて自宅方面へ歩を進める。
そういえば、午前中に外出したのは久々かもしれない。
毎朝当たり前のように目覚まし時計のお世話になっていた時期、学校に通っていた頃が懐かしく感じる。そんな生暖かい懐古と冷ややかな自嘲の念が入り混じった足取りでとぼとぼと歩いていると、コンビニの前で警察官が店員と何やら話しているのが目に入った。
昨晩の事件に関する聞き込み捜査だろうか、それとも単なるトラブルか。会話内容は聞こえないのでわからないが、俺は思わず横道に逸れ、遠回りする形で帰路に着く。
別にやましいことなんてないのだから堂々と目の前を通り過ぎれば良いのに、何故だかそんな事件現場に戻って来た犯人のような挙動をしてしまった。
事件に関して俺は無実だ。いや、そもそも頭の中だけであったしてもそんな主張をすること自体おかしい。
警察を避けながら何となく惨めな気持ちになった。
でも、無実とはいえ全くの無関係とは言えないのかもしれない。
これは仮の話だ。仮にミフユさんの小説の影響を受けた読者の一人が作中の事件を模倣したのだとするならば、俺の行動如何では防げたことかもしれないからだ。ミフユさんがあんな小説を書いた原因の一端は俺にある。
俺があの時あんな風に彼女を突き放しさえしなければ、これまで通り執筆のアドバイスを続けていたならば、もっと違った作品が生まれていたのかもしれない。
ならば俺は昨晩の事件を起こした元凶の一つと言って差し支えない。
程なくして自宅のアパートに辿り着く。自宅に入る前に一度、今や俺にとって新鮮になってしまった朝(いやもう昼前か)の日を仰いでみる。
淀んだ空気を纏う今の俺には眩し過ぎた。
自宅のデスクで朝飯代わりのカップラーメンを食べ終えると、俺は先日ミフユさんのことを話した友人に電話を掛けた。
ネットで調べてみたところでミフユさんと事件の関係性に関しては面白おかしく都市伝説気分で投稿されたであろうコメントくらいしか見当たらない。
かといって俺一人で考えたところで進展があるわけでもなし。
勿論小説に対して無関心のこの友人に相談したところで何かがわかる筈もないが、ニートの俺には相談する相手が少なかった。
『なに? どした?』
「ああスマン、忙しいか?」
普段特に気を遣わない相手だが、声色で察して一応断りを入れておく。そういえば、こんな早い時間帯に俺から電話したことがなかった。
『まあ暇じゃないけど……、良いよ、なに?』
俺は忙しそうな友人の言葉に甘え、事の次第を端的に伝えた。
『うーん…………大丈夫?』
友人には珍しく、何かを案じるように優しくそう言った。
「大丈夫かっていうと彼女の小説が関係してるって決まったわけじゃないからまだわからないけど……」
『いやそうじゃなくて、お前の頭』
別に珍しいことはなく、いつも通りの友人だった。
『小説の読み過ぎだ。程々にしとけって言っただろ?』
「今更しょーがねーだろ。実際事件が起きてんだから」
『しょーがなくねーよ。偶然だ、偶然。放っとけって』
友人の言葉に対し何も返さず、代わりに深い溜息を吐いた。
『気っ持ちわりーな。電話の向こうで落ち込むなよー』
「別に落ち込んではない……でも落ち着かない」
『何だよそれ』
「例えばアレだ、全12話アニメの10話目くらいの主人公の気分」
『…………。うーん、何言ってるかわかんねーけど、それ、アラレちゃんだと何話目?』
「…………。つまりだな、何かしなくちゃいけないような気がするけどどーして良いかわかねー感じ。活路が欲しいっつーか、解決? って言うと何か違う気がするけど……」
『もし一万歩譲ってその彼女が人を操って事件を起こしたってんなら、解決は彼女の罪を証明するってことだろ? でもそれってお前にとって幸せなことなのか? それがお前にとっての最善か?』
「正直俺は根っからの善人じゃない。自分と無関係な人間がどーなろうが知ったこっちゃない。確かにミフユさんがこれまで通り小説を投稿し続けてくれて、サイト上だけで勝手に楽しんでいた方が俺にとっては幸せなのかもしれない」
『わたしだってそー思うよ』
「でも、何か嫌だなぁって」
『〝何か〟って言われてもなぁ……』
上手く言葉にできないのがもどかしい。いくら気を遣わなくて良い相手だとはいえ、もう少し頭の整理をしてから連絡すべきだった。
「まあいいや、取り込み中のとこ悪いな。じゃあ」
俺はそう言って友人との通話を終了する。
通話を切ったスマホを見つめながら、俺は考えを巡らせる。そして思い立ったかのように財布を取り出すと、いつのものかもわからないレシートのクズを掻き分け、とあるものを探す。
あと一人、俺の知り合いにミフユさんの小説について知る人物がいる。
期限切れの牛丼屋の割引券に挟まれる形で目当てのものは見つかった。それは以前ミフユさんが本を出版した御影書房の編集長である倉敷美零さんから貰った名刺。良かった。ゴミと一緒に捨てたりしていなかった。
名刺には会社の代表番号と共に倉敷さんの携帯電話番号が記載されていた。
俺はやや緊張しながらも番号を打ち込み通話をタップする。電話は1コールで繋がった。
『はい倉敷です』
まるで怒っているかのような張り詰めた口調で倉敷さんが出る。恐らくこれが彼女のニュートラルなんだろうけど、やはり少し気圧されてしまう。
「あ、あのヒイラギです。前に会社に伺ったあの」
『ん? ああ……あなた。なに? 打合せ前で忙しいんだけど』
倉敷さんは俺が先程の友人の時のように断りを入れる前に、そう言い放った。
「少しで良いんです。ちょっと気になることがありまして……」
謝罪と共に切って逃げたい衝動を抑え、俺はそう前置きをし、先程友人にしたのと同じ話を倉敷さんに聞かせた。
「どう……、思います?」
『頭大丈夫?』
本当にこの人はハッキリものを言ってくれる。粗暴な友人が可愛く思えてくる。
『馬鹿馬鹿しい、あなたは本当にそんなことがあると思ってるの?』
どうやら倉敷さんも友人と同じく単なる俺の妄言と捉えているようだ。やはりおかしいのは俺の方なのだろうか。突拍子もない仮説だというのは俺だってわかっているが。
しかしそれを差し引いても意外だ。
良くも悪くもミフユさんの小説の魔力を知る倉敷さんなら、多少は俺の仮説に理解を示してくれても良いと思ったのだが。倉敷さん程、ミフユさんの小説が読み手に与える影響力をもろに思い知らされた人間はいないのだから。
『まあ、あの娘が今ファンタジーを書き始めたっていうのは確かに意外だったけど、あの娘の書く内容と同じような事件が起こってるからって、それで単に彼女の所為だなんて』
そこまで言って倉敷さんは呆れたように息を吐いた。
やはり倉敷さんはミフユさんの新作についても例外なく読んでいないようだった。
『そんなのが予言って言うなら予言者を謳うのは簡単ね』
「でも偶然にしては出来過ぎてないでしょうか?」
『良い? 偶然なんて普通に起こるものなの。それを予言だの意味深だの都市伝説だの言うのは騒ぎたがりの子供のすることよ』
「そう……なんでしょうか……」
『偶然同じ場所で偶然同じ性別の人間が偶然同じ凶器で人を襲ったからそれは偶然じゃないって? 何か特別な力が介在しているって言いたいの?』
「でもですね、そこまで偶然が揃うものでしょうか?」
『いい? 世の中には男か女しかいないの。犯人が男だったっていうのはそもそも偶然とすら言えないわ。それに人を襲う方法だって大抵素手か鈍器か刃物。その作中の悪役が闇魔術の使い手で、今後の鑑識の結果、闇属性の魔法の形跡が発見されたってんなら別だけど』
「で、でも、場所の問題はどうなんです?」
倉敷さんの口ぶりに俺は少しムキになって聞き返す。
『そんな内容で騒ぎ立てる人間は仮にその事件が新宿駅で起きたとしても同様に騒ぎ立てるのよ。小説と同じ〝東京〟で事件が起こった、ってね』
「それは……そうかもしれませんが……」
『それにね、全国の駅数、どれくらいか知ってる?』
煮え切らない俺に倉敷さんはそう質問を挟む。
「い、いえ」
そんなこと、考えたこともない。
『大体9,000駅くらいあるらしいわ。けど、それでも9,000分の1の確率。宝くじの2,000万分の1からしたら良心的な数字じゃない? もしその事件が超常的な力で起こったものだとしたら宝くじの当選者は皆超能力者ね』
「…………」
ついには俺は何も言い返せなくなり、スマホを耳に当てたまま口籠る。
『それにね、共通点共通点って、第一一番重要なところが違ってるじゃない』
「え?」
『だから、その小説では殺人が起こってるんでしょ? ニュースでは被害者、死んでないじゃない。何でその一番重要な部分が違ってるのよ。全然共通してないじゃない。そこはどう説明するつもり?』
倉敷さんは追い打ちを掛けるようにそう続けた。
「そ、それは……」
『馬鹿なこと考えてる暇があったら小説でも書きなさい。小説の中でなら多少の馬鹿は許容されるのだし、突拍子もない妄言も面白い題材になったりするかもしれないんだから』
「そう……ですよね」
『あなた、あれから小説の続き書いてないでしょう』
「ええ、まあ……」
あれから俺の小説をチェックしてくれていたとは。以前は一蹴されたとはいえ、こんな心境でなければ気に留めていてくれていたことを素直に喜べたかもしれない。
『良い? 小説家は書いてナンボよ。書かなくなったら終わり。あなたが小説に対して真剣に思う気持ちがあるなら無理矢理でも書き続けなさい。わたしからは以上よ。忙しいから切るわね』
そこまで言うと、倉敷さんは一方的に電話を切った。
いよいよ打つ手がなくなった俺は力なくベッドに倒れ込む。
別に共感が欲しかったわけではない。無論、ミフユさんが無実の方が良いに決まっている。しかし、先の二人への連絡は多少気持ちが軽くなることを期待しての相談目的だっただけに余計に精神に靄を残す形となった。
俺が考え過ぎなだけだろうか。あの二人のような感じがごく普通の人としての反応なのだろうか。
気持ちの整理が付かないままいると、無情にもブックマークしていたミフユ作〝仮題:ファンタジーⅡ〟、その次話投稿を告げる新着情報がスマホ画面に表示される。
こんな時でもミフユさんの小説の魔力に抗えない俺はすぐに読み始める。作中ではごく当たり前のように第二の事件が起こっていた。
場所は池袋、またこの界隈だ。最初の事件と同じく女性が刃物で殺害された。
そしてまた、俺の身体をあの何とも名状し難い感覚が包む。
その日、俺は一睡もできなかった。
翌朝。生気を失った隈だらけの顔のままテレビを付けると、ニュースキャスターがこれまたごく当たり前のように池袋での事件発生を告げていた。
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