【仮題】間話その2
【仮題】間話その2の1
体感時間と心情の変化のあいだに密接な関係があることは周知の事実である。
楽しいことが待っている場合は中々過ぎ去ってくれないし、苦痛や困難が待っている場合には時の経過はそれこそ事故るぞってくらいのスピード感だ。
今は考えるまでもなく後者だった。
デスクに置かれたデジタル式時計が示す曜日はSaturday、つまり土曜日、さらに言うとミフユさんと会う約束の日だ。
「いやいや、無理だろ……」
デスクに腰かけたままぶんぶんと頭を振ると、その様子が暗いPC画面に朧げに映し出された。
傍らには新たに書かれた日記の原稿。前回のミフユさんとのやりとりと、その後の出来事、俺がミフユさんの書いた小説を再現しようとしてすぐに断念したこと、友人との会話、そして、判明してしまったミフユさんとの接点についてが書かれている。
無論、今回に限っては彼女から何らかの反応が得られるかもしれないと嬉々としてこの課題に取り組んだというよりは、念の為準備をしたという方が正しかった。
反応を得られるかもという点では、確かに今回においては期待ができるのかもしれないが、そんなことどうでも良くなるくらいに俺の気持ちが向かなかった。
決心が付かないのだ。今の状態でミフユさんに会うことに対して。
勿論あれから一週間のあいだ、俺は色々と考えた。その中でいくつか俺の中で憶測に至った事柄もある。それを確認したい気持ちもあるにはあるのだが、しかし……、
「会いづらいよなぁ……」
決心の代わりに溜息ばかりが出る。
一体どこまでが彼女の狙いだったのだろうか。
倉敷さんの言葉を思い返す。「特定のどこかでそうなるわけじゃない。彼女は最終的に期待する結果を得る為の要素を正確に、順序正しく、配置している。その全ての過程に意味がある。」のだと。
「特定のどこか」ではなく、その全てに意味がある。だとしても最初からだなんて、ことありえるだろうか?
そして最大の疑問はやはりこれに尽きる。
だとしたら、何故そんなことを?
答えが出ないまま中途半端に開いた虚ろな眼差しで時計を確認する。
時間は刻一刻と過ぎて行き、やがて約束の15時までに例の喫茶店へ到着する為に出発しなければならない時刻ぎりぎりに差し掛かり始めた。
彼女が怖いからではない。気まずいからでも、情けないからでも、ない。
確かにああしてこれまで平然とやり取りを続けてきた彼女に対して思うところはあるし、趣味をバラされたことで不登校になったことに関してその原因を作った張本人と対峙するのはかなり気が引ける。
でも一番の大きな理由はやはり、俺はもう「あの学校と関わりたくない」であった。
だからこそ外出する度に肩身の狭い思いで隠れるように行動していたし、当初はあの学校の生徒であるミフユさんに対して警戒をしていた。
しかしあろうことか、彼女があの一件に一番関係の深い人物だったなんて、こんな仕打ちがあるだろうか。確かに気付けなかった俺も俺だが、彼女自身があんな風に普通に接してきたいたことが俺の警戒を鈍らせていたのも言い分としてある。
もしかしたら彼女は俺が不登校になった理由が例の一件だと知らないでいるのかもしれない。それならば普段の様子としては合点が行く。まさかこの歳になって、たかだかクラスの皆から趣味をからかわれたことが理由だとは思い至らなかったのかもしれない。
そこまで考えてしまってから、俺はようやく虚無感で死にたくなった。
情けなくないというのは、強がりか……。ああ……、情けない。
現に俺は学校へ行くことを辞めた。言い分としてその結論に至るまでの複雑で様々な心情の変化があったものの、「たかだか」だなんて、考えてしまってから自分で自分がかなりどうしようもなく下らなくてちっぽけな葛藤の中で今に至っていることがまざまざと自覚させられてしまった。
それからしばし自己嫌悪に浸っていると、気が付けば約束の15時はとうに過ぎていた。
それを確認してから力なくデスクに突っ伏す。
何となく緊張が解けた気がした。未だもやもやとした気持ちは残っているし、楽になったとは言い難いが、盛大な寝坊をした時にかえって開き直ってしまう心理に近かった。
真面目な彼女のことだ、しばらくは待ってくれているのかもしれないが、雪の降りしきる寒空の下延々と立たせているわけではないんだ、俺が来ないとわかればそのうち諦めるだろう。快適な室内でジュースを一杯飲んで帰宅するだけだ。
それにもしかしたら今日のことで俺が気付いたことに彼女もまた気付くのかもしれない。
それから30分程、俺はデスクに突っ伏していた。数分置きに横目で時計を確認するが、あれだけ速いと感じていた時間の流れは急にその足を緩め、ゆっくりと秒数を刻んでいた。
デジタル時計と同じ時刻を表示しているスマホを確認すると、ゲームアプリや気紛れで入れた飲食店のクーポンアプリの通知に混じって何件か、カクヨムのお気に入りユーザーの新着が表示されていた。
そういえば、もう全くと言って良い程自作の執筆を進めていない。
いつからだろうかと記憶を遡ってみると、あの日、最初に喫茶店でミフユさんと出会った日からであった。
もうしばらくは、執筆活動をする気にはなりそうもない。
思えば当初は〝面白い小説を書く方法〟を学ぶ為にミフユさんから色々と教えて貰っていた筈なのに、〝面白い小説を書く〟ことはおろか、小説を書くこと自体できなくなっているのだから皮肉が効いている。
そんなことを考えながらも特にすることのなくなった俺は新着情報の内容を読み進める。そしてとある新着情報を目に止め、固まった。時刻は一分前、表示されている内容は『ミフユさんが新作を公開しました』の文字。
このタイミングで新作の公開。俺は恐る恐る表示をタップして確認する。開かれた画面には『ヒイラギさんへ』と付けられた小説タイトルと共にその第一話には簡素な一文が記されていた。
『お待ちしております』
予想外の連絡方法に俺は思わず小説の表示画面を閉じた。予想外も何も、結局連絡先を交換していない俺らのあいだで連絡を取る方法といったらこれくらいなのだが。近況ノートではなく、わざわざ新作投稿で知らせてきたのは俺が目にする確実性を選択してのことだろう。
作品名『ヒイラギさんへ』のTOP画面を眺めつつ、俺はスマホを片手にどうしたものかと考える。暑くもないのに汗が一筋こめかみを這った。
結論が出ないまま画面を眺めていると、一言だけの第一話に続き、すでに第二話が投稿されていることに気が付き、それを開く。第一話と同様に一言だけの投稿内容だった。
『ご体調が優れないようでしたら無理はなさらないでくださいね』
そこまで確認して、俺は不意に忘れかけていた呼吸を再開する。
どうやらこのまま無事パスできるようだ。いや、結局俺は何もしていないが。
とにかく、『ヒイラギさんへ』という題の小説に対してヒイラギという名で返信の投稿をする羽目になることだけは免れた。
人気者とはいえ別に彼女はアイドルでも芸能人でもない、接触が知られたところで一大スキャンダルには成り得ないし、彼女の作品を聖書と崇め奉るような敬虔なる信徒達から無粋者の排撃との名目で乗り込まれるといった物騒なことになる心配もなかろうが、不要なことはしないに越したことはない。
しかし、無関係なその他の読者にとっては、これまで以上にわけのわからない投稿だっただろう。
と思いきや、俺に宛てられた、無関係者にとっては何ら意味のない投稿に対して、早くも星3を付与している読者もいた。
『意味深な始まり方ですね。今回のミフユワールドに期待します! ファンタジーの改稿も待ってます!』
そう3つの星と共に投稿されたコメントを読んで、俺は少しいたたまれない気持ちになった。
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