【仮題】4日目その6

『何だよー。せっかくお前には珍しく女の話なのによぉ』


 俺の言葉を聞いた友人は残念がるように言う。


「別にそんなんじゃねーよ。いい、お前に話した俺が馬鹿だった。お前にはわかんねーだろうし」


『同じこと二回も言うなよな。つまり、あれだろ? その娘の書く小説がとてつもなくエモいってことだろ?』


「おいやめろ。彼女の小説をそんないかにも現代的な俗語で表現するな。読んでもいないクセに」


『知んねーの? 現代的な俗語は使われるうちにやがては正しい日本語になるんだぜ? ほら、広辞苑だって何度も改訂されてるって言うだろ? 今だと〝ちゃらい〟とか〝ヤバイ〟とかも広辞苑に載ってるらしーぜ』


 本を読まないクセにそういった何の役にも立たなそうな雑学に妙に詳しいのも、この友人の特徴だった。


 それに関しては俺も知っている。反対に削除された言葉もあって、例えば「給水ポンプ」とかが該当するらしい。何かしらの理由あってのことだろうが、俺からすると謎でしかない。それに広辞苑にちゃらい若者言葉が増えすぎるのは将来的に何だかヤバイ気もする。根拠は、ないが。


「何でも良いが、彼女の小説を薄っぺらい言葉で表すのは俺が許さん。もっとこう、歴史的かつ重厚感のある言葉で表して然るべきだ」


『じゃあ歴史的に言うと…………、いとをかし?』


「…………」


 俺は言葉の代わりに半目の視線を返すが、当然電話の向こうには伝わらない。


『でもさ、そんなに気になるなら色々調べよーがあるじゃんか』


「…………、は?」


 俺はそんな方法に全く心当たりがなく、気の抜けた返事を返す。


『だからさー、例えば、前にお前んち遊びに行った時、見せてくれた学校の冊子あるだろ? 苗字がわかるならそれでどのクラスかと下の名前くらいはわかるんじゃね? そしたらそこからさらに調べられるだろ。ネットとかSNSとかあるんだし』


「あ…………、そっか……」


 友人の何気ない提案の言葉が胸に突き刺さる。まさに電流が走る感覚だった。


 何で今まで気付けなかったのか。やはりあの頃の記憶は無意識に頭の奥深くへ追いやってしまっているのだろうか。


 友人の言う「前に見せてくれた冊子」とは、入学後、教師、生徒全員に配られる学校案内のことだ。意味もなく高そうな装丁のカラー冊子で、校内施設の案内の他に、その年に入学した全生徒と担当する教員の顔写真が名前と共に掲載されている。


 彼女が学校で俺と関わりがあったならば、その冊子に載っている可能性が高い。


『まさか、忘れてたんか? お前、頭良さそうなのに時々抜けてるっつーか、おバカだよなー』


「うっせー。そろそろ電話切るぞ」


 俺は気が急いで、早口になる。頭が完全に学校案内の方へ持って行かれていた。


『でも良いのか? 提案しておいて何だけど、あの学校の生徒なんだろ、その娘?』


 だが友人は俺とは反対にやや声のトーンを落としてそう尋ねた。


 俺が趣味で小説を書いていることは話していない。だが、当然のこととして、急に学校へ行かなくなったとなれば、そこに何かしらネガティブな出来事があったことをこの友人は察している。恐らくそのことを気にしているのだろう。


 勿論、俺から詳細を話すつもりはないし、そうしない以上、この友人も必要以上に踏み込んではこないだろう。長い付き合いの中での粗暴な物言いは仕方ないとして、俺もこの友人に対してその辺りの信頼は置いているので、変に気を遣わずに打ち明けることができる。


「別に」


 曲がりなりにも心配してくれているのだ、もっと気の利いた言葉を返すべきだろうが、馴れからくる照れくささが邪魔をして俺はぶっきらぼうに返してしまう。


『ならいーんだけどさ』


 「別に」なんて返してみたものの、俺だって気にしていないわけではない。それこそ当初はミフユさんが俺が通っていた学校の生徒だと知って、あまり踏み込み過ぎないようにある程度のブレーキは掛けていたつもりだ。少なくともそう意識はしていた。


 だが今となってはブレーキを握りつつ、それでも反対の手でスロットルを回すのを止められずにいる。その同時に働く真逆の作用が俺の中で軋み音を上げていた。


『でもまあ、何かあったら言えよ? 他人ってそう簡単にわかるもんじゃねーんだから』


「わかってるよ。無理して意味あり気なこと言うな」


『ははっ、バレた? それにあまりのめり込み過ぎるなよ。所詮は〝小説〟なんだ。からしたらあんな文字だけのもんのどこにそんな魅力があるのか理解できねーが、何事もあまり執着し過ぎるのは考えもんだ』


「ああ」


 「所詮小説」だなんて、もし仮にこの友人以外の者から聞いていたら一悶着起きていてもおかしくないくらいに読書家には剣呑なワードだ。聞いたのが倉敷さんなら軽く拳くらいは飛んできそうだ。


「もし仮に、この今のお前との会話を小説のワンシーンのように文字に起こしたら、たぶんお前は大半の読者から男だと思われてるだろーな」


 せめてもの罰として、俺はそう口にした。


 友人は気にするふうでもなく、ただ薄く笑い混じりの相槌を返し、電話を切った。


 さて。


 俺はまずデスクの引き出しを開け、過去の下書き用原稿やいつのものかもわからないメモ帳、インクが出るのかも怪しい古いボールペンの群れを掻き分け、目当てのものを探す。だが見つからない。一体どこに仕舞ったのだろうか。そういえば久しく目にしていない。


 もしかしたら記憶を消したいあまり、無意識に処分してしまっただろうか。いや、そんな夢遊病のようなこと、あるだろうか。


 俺のこめかみに焦りの汗が伝う。


 だが懸念していたようなことはなく、その後ベッド下に置いていた様々な領収書や光熱費の支払い用紙控え等が雑多に入れられた箱の底で、例の学校案内の青い表紙を発見し、俺は安堵の溜息を吐いた。


 俺は椅子へ移動する時間すら惜しく、ベッドの下で胡坐を掻いたままその薄いながらも妙に上等な装丁のページを捲る。


 設備の案内は後半のページにまとめられており、前半は専ら各クラスの顔写真と名前、そして同じく担当する教師陣の顔写真と名前が連ねてある。


 ないとは思うが、俺は念の為、俺のクラスのページを開くとまず教師陣からチェックしていく。数学担当、藤堂。英語担当、丸山。現国担当、佐倉……。以上三名。勿論これがこのクラスの授業を担当する全教師というわけではないが、全教科の教師陣の中から大体3名が一クラスに割り当てられ、その中から担任一名と副担任二名に任命されることになっている。


 いかに人の顔を覚えない俺であろうと、教師陣の顔くらいは記憶にある。


 次いで生徒の、取り分け女子生徒の名前を順々に確認する。あの時耳にした「カイトウ」という名を頭に置きながら。


 生徒の並びは五十音順になっており、指でなぞりながら進めていくと、すぐにカ行に差し掛かった「貝塚」、「加藤」、「木下」…………。


 しかし、「カイトウ」という苗字は見当たらず、あっけなくカ行を通り過ぎる。


 このクラスではなかったか。いや、そもそもまだ彼女が俺と同じ学年だという確証もない。


 それでも俺はやや緊張を緩めつつ、次のクラスのページへ進む為、残りの生徒は流すようになぞる指を速めた…………が、一番最後の生徒名の位置でその指は止まる。


 そして今度はその女子生徒の名前の文字の所で指先を何往復もし、確認する。


 海藤雪。


「カイトウ…………いや、この女子生徒の場合、読み方は確か……」


 徐々に古い記憶が呼び起こされていき、朧気だったそれは思考の中でゆっくりと焦点が合わさっていく。やがて明瞭となり、そして同時に確信に至る。


 海藤雪ミフジユキ。読み方は確かそうだ。五十音順である筈の並びの最後に位置していることからも俺の記憶は正しいだろう。


 それに〝ミフジユキ〟…………〝ミフユ〟……。


 確かにこれなら彼女もまた俺と同じく本名を文字ったカクヨムユーザー名だと言える。あの水族館の時の知り合いらしき女性が何故〝カイトウ〟と呼んでいたかは謎だが。


 しかし今はそれどころではない。


 俺はミフユさんの本名と共に載っている女子生徒の顔写真を瞳にはっきりと映し取った。


 そこに載っている女子生徒は、見るからに大人しそうな子だった。長い黒髪をゆるく二つに結んでいて、小さな顔には不釣り合いな大きめの眼鏡を掛けている。正面こそ向いているものの、その視線は自信なさげに伏し目がちだった。まるでこの世の全てに怯えていそうな表情だ。


 でも、よく見なくとも、確かに写真の女子生徒はミフユさんだった。


 今のミフユさんとは雰囲気がだいぶ違う気もするが、この写真が撮られたのは入学直後、それこそ丸一年以上前だ。恐らく中学生の頃の幼さが残っている所為だろう。それに写真の彼女でも髪を解き、眼鏡を外せばかなり今のミフユさんと合致する。それは容易に想像できた。


 確か以前彼女は言っていた。「この時期の女性って少し会っていないあいだにも結構変わりますから」と。


 でも…………、


「こんなことって……」


 俺は判明した事実に愕然としていた。


 視覚情報に感情が追い付かず、遅れるようにして心拍数が徐々に上がっていく。


「そりゃないよ……ミフユさん……」


 これまでだって彼女の言動に対して驚いたり、多少の恐怖を感じたり、ある種のショックというものを受けることは少なくなかった。


 それに毎回、最早恒例のように彼女はその日の最後に大き目の爆弾を投下していく。先の録音の件然り、数字だらけの原稿の件然り……。


 でも、これだけは……、これだけは……。


 恐らく俺が今感じている感情はこれまで感じたような驚き、恐怖、その他諸々のショッキングな感情を一緒くたに綯い交ぜにしたようなものだろう。既存の感情を表すようなワードに置き換えられる程生易しいものでは決してない。


 終わったな……。俺はもう間違いなく彼女とはまともな顔して会うことはできない。


 でもようやくこれで一つわかった。


 彼女に対してずっと謎に思っていたこと、そのひとつの答えが。


 何故、彼女は一瞬下書き原稿を見ただけで俺がカクヨムのヒイラギだと気付いたか。


 彼女は喫茶店で出会った当時、俺から同じようなことを問われて俺の原稿を指差した。それこそが答えだったんだ。彼女自身言っていたではないか、「嘘は吐かない」と。


 嘘ではなかった。だが同時に、俺が勝手に想像したことは真実ではなかった。だって、彼女はあの時喫茶店のテーブルに広げていた原稿のことを言っていたわけではなかったのだから。


 彼女は単に、稿ということを伝えていただけだったんだ。


 俺が学校へ通うのをやめるキッカケを作ったとある女生徒。俺がファンタジー小説の執筆をしていることを学校中に暴露した張本人。


 あの時、廊下で俺の原稿を拾うのを手伝ってくれた彼女がミフユさんだと、俺は〝海藤雪〟の写真を見て記憶から呼び覚まし、そして確信していた。


 派手に散らばった原稿を拾いながらならば、気付ける時間は十分にあったのだろう。彼女はあの時初めて、俺がカクヨムの無名作家〝ヒイラギ〟だと知ったんだ。

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