【仮題】3日目その4

 倉敷さんは身を乗り出したまま長テーブルをバンバンと叩いた。部屋の外の従業員の皆さんに聞かれないか心配になる。


「あれは最早活字の暴力! 狂気! いえ、わたしたちからしたら〝凶器〟そのもの! あれはそんな類のものよ! 心に文字という名の鋭いナイフを差し込んで、単語という名のバールで無理やりこじ開けて、描写という名のどろどろに溶かした鉄を流し込むの! 流し込まれた鉄はやがて固まり、他を寄せ付けない強固な膜となるのよ! その膜を破るには同じくらいに熱い、そう、それこそ――」


「倉敷さん、落ち着いて」


 俺は際限なくヒートアップし続ける倉敷さんに困惑しながらも辛うじて言葉を挟む。


「倉敷さんにとってミフユ先生の小説が……その……、どう、えっと……最低だったのですか?」


「最低じゃなくて最悪。まったく、そうやって情報は間違って伝達していくのね。近いニュアンスの言葉だからって勝手に言い換えるのは良くないわ。曲がりなりにも小説家志望なら、その辺りのことには特に慎重になりなさい。小説としては決して〝低い〟出来ではない。でも、わたしにとっては〝悪〟だった……。最悪…………、別の言葉に言い換えるなら〝災厄〟が相応しいかしら」


 相変わらず酷い言いようだったが、俺の言葉を受けていくらか見た目通りの冷静さを取り戻してくれたようだ。


「あなた、例えば、小学校低学年の子が書いたような文章と夏目漱石の書いた文章、どちらが小説として〝成功〟だと思う?」


 倉敷さんはすっかり冷めてしまったであろうお茶を一口含み、そう質問を挟んだ。


 その意図は見当が付かなかったが、最近似たようなニュアンスの問い掛けをされたことを思い出す。〝面白い〟小説とは何かと、小説に〝正解〟があるか否か。


 だから、そこまで深く考えずに答えることができた。


「場合によると思います。絶対はないかと」


「ええ、その通り」


 どうやら俺の回答は正しかったようだ。


「文章として高尚なのは明らかに夏目漱石。でもこと小説においては必ずしもそれが成功とはならないわ。必ずしも高尚な文章イコール成功とはならない。ポイントなのは小学校低学年の子が書いた〝ような〟ってとこ。いかに文章が稚拙でも、読者にしている。シチュエーション、適材適所が大事ね。幼い子が書いたような文章も、ある一定の目的においては成功といえるのだから」


 そのシチュエーションの想定は考えればキリがないが、確かに倉敷さんの言いたいことはわかる。


「反対にシチュエーションが間違っていればいかに夏目漱石であろうとぶち壊しよ」


「は、はあ……」


 中々話は見えてこない。だが倉敷さんは小鼻を膨らまして続ける。


「つまり、ミフユ先生、彼女の小説はわたしたち編集部の人間が、いえ、わたしだけが読むことを想定し、その範囲においてだけ言えば、成功していたと言えるわ」


 「だから〝最悪〟なの」と倉敷さんは言った。


「あんな明らかに流行らなさそうな題材の小説、間違っても書籍化なんてしないわ。わたしたちはビジネスとして本を出版しているの。書籍化にあたって映像化やキャラクターグッズの販売といった二次的な展開だって視野に入れているのに」


 まあ間違いなくミフユさんの『ひなげしと哭く空』の題材では、映像化はまだしもこの出版社がHPに掲げるような二次限キャラクターに起こすのは無理そうだ。


「彼女の書く小説には明確な〝目的〟がある。その観点から言えば、あの小説はきっとこれ以上ないくらいに〝成功〟だったのよ」


「でもカクヨムに上がっているものと同じ内容の話なんですよね?」


「ええ、さっきも言った通りストーリー自体は同じだったわ。全く同じ。これでもかっていうくらい。むしろ不気味な程に。当り前よね、違っていたら変だもの。でも全然違った。そこに込められた意味が、いえ、目的が全然違ってたのよ」


「どういうことです?」


「目的…………、つまり、彼女が最終的にわたしの会社に持ち込んできたのは、わたしに書いた小説だったのよ。〝そういうふうに〟書かれていたの」


 〝そういうふうに〟書いた。ミフユさんとあの喫茶店で初めて遭遇した時、俺の質問に対してもそう言っていた。


「ミフユ先生もね、あなたと同じく作家志望としてある日突然この会社にやって来たの。WEBの小説投稿サイトでかなり人気だって言うし、何よりも熱意が感じられたから一応読んだわ」


「それで出版を決めたと、そういうことですか?」


「いいえ、最初にわたしが読んだのはWEB上に上がっている作品だもの。確かにすごく良い作品だったけど、うちのレーベルとは合わなかったからその時は検討という形で丁重にお断りして、別の、純文学系ジャンルを扱うレーベルの賞への応募を勧めたわ」


 まあ、俺もあの作風的にはそれが正しい選択だと思う。


「でもね、彼女、それからも頻繁にうちの事務所を訪れるようになったの。『書籍化のコツ』を知りたいとか何とかで。わたしもそういう熱意自体は嫌いじゃなかったから時間の空いている時はよくこの会議室に通して色々と質問に答えてあげていたわ。でね、それがそもそもの間違いだった」


 倉敷さんは色が変わるくらいに力を込めて拳を握り込んだ。


「ああやって小説について勉強しているふりをして、〝わたしのこと〟を知ろうと探っていたのよ。あの最悪な小説を完成させる〝要素〟を得る為に」


 出た、ミフユさんの提唱する小説の〝要素〟というワード。でも、それだと、ミフユさんの主張と矛盾する。


「倉敷さんは小説で人の心を操れると思いますか?」


「わたしの32年間の読書人生を前提とした見解からすると、高度な蓋然性を伴って否定されるべき事柄ね。馬鹿馬鹿しいったらないわ。でも認めざるを得ないわ。この身を以て体験してしまった以上は。本当に忌々しい……。言葉に出すだけで最悪な気分よ」


 ミフユさんはそんなことは出来ないと言っていた筈だ。だが現にミフユさんの小説を読んで出版したくもない小説を出版させられた編集部の人間が目の前にいる。俺が体験した〝涙を流す〟というのとでは、明らかにその効果のレベルが違う。当初の倉敷さんの話を伺う限りでは、彼女は自身の職務において並々ならぬ責任感と使命感を持っていた筈だ。


 そんな強い意思まで捻じ曲げてしまうなら、やはりミフユさんは小説で人の心を操ることが出来ると考えざるを得ない。


「それに、何よりも許せなかったのが、何だと思う? 彼女、いえ、あの女、言ったのよ! どうしてうちの会社を選んだのかって、わたしが最後に聞いた時! ああもうっ! 思い返すだけで動脈が破裂しそうになる! 良い? 何て言ったと思う? 笑顔で! ハッキリとこう言ったわ!」


 俺は、怒りから社内にも関わらず声を荒げる倉敷さんに恐怖すら感じてしまっていた。だが、少なからず表情にも表れてしまっていた筈の俺を気に留めるでもなく、倉敷さんは続ける。


「『家が近かったから』ですって!」


 そう言ってまた一度テーブルをバンと叩いた。衝撃でキャスター付きの長テーブルが少し斜めにずれる。


「最後にほんの僅かでも期待したわたしが馬鹿だったわ! あんな最悪なことして出版までさせたからには、当然うちの会社から出したいっていう強い意思というか、何か明確な理由があって然るものだと思ったのに! そんな、学生がバイト先を探すような感覚でうちに決めただなんて! ふざけてるにも程があるわよっ!」


 そこまで言い切ると今度こそようやく我に返ったのか、表情を戻し、くいと眼鏡の位置を調整した。


 でも確かに怒るのも無理はない。いかにミフユさんが嘘を嫌うとはいえ、そんな出版先の編集長の不興を買うようなこと、普通なら口に出さない。普段は礼儀正しいミフユさんだが、社交辞令は不得手なのだろうか。


「本当にそれだけの理由だったのでしょうか。彼女、えっと……ミフユ先生が御社を選んだのって」


 倉敷さんを疑うわけではないが、話を聞いた今でも俺はにわかに信じられなかった。だが、それを裏付ける為の明確な根拠がないのも確かだ。俺自身、実際にミフユさんとはまだ数度会ったにすぎず、彼女のことを良くわかっていない。だからこそ、こうしてここまで来てしまったのだ。


「彼女は〝人の心を知りたい〟だけで、〝人の気持ちを考えよう〟だなんて微塵も思ってないんだから。彼女にとって大切なのは、そう、単なる〝効率性〟よ」


 〝家が近かったから〟を理由として持ち出されてしまえば、そう思い至ってしまうのも無理はない。それに俺だって彼女のそのような性質の一端を垣間見たことがある。一緒に水族館へ行った折、彼女は自分に絵心があったならば小説ではなく絵を選んでいたかもしれないと言っていた。


 100人に1人が感動する小説の素晴らしさを説く彼女はしかし、小説という形式それ自体にはそこまでの執着も愛着もないのだ。彼女が素晴らしいと思っているのは、〝人の心を動かす〟という結果なのだから。


「彼女の小説の下書き、どう書いてると思う?」


「あの、数字ばかり書いてあるような原稿のことでしょうか」


「…………。良く知ってるわね。そう、あの気味の悪い原稿よ」


 しまった。反射でつい口に出してしまった。俺は阿保だ。


「あの下書きの書き方が彼女の性質を如実に物語っているわね」


「あれは一体どういうことなんでしょう」


 特に突っ込まれもしなかったので、俺は上昇する心拍数に気を取られながらも何事もなかったかのように尋ねる。


「あの下書きは絵で言う色付け前のラフ画のようなものなの。彼女にとって執筆における最も重要なことは、〝要素〟とその〝配置〟。彼女は小説として書き上げる前にああやって期待する効果を得る為の必要な要素を数字に置き換えて骨組みを作るのよ」


「ミフユ先生がそう説明したのですか?」


 俺はあの原稿用紙を見てしまった時、慌てて隠してしまったが、あの時正直に白状していたなら同じく説明をしてくれたのだろうか。でも、日記には記載したが、今日会った時には彼女は何も言ってはくれなかった。


「簡単には説明してくれなかったわ」


「どうして教えてくれたんです?」


 気になるところだ。


「彼女がその気になるまでしつこく食い下がったのよ。肩を掴んで、縋り付いて、まるで親におもちゃをねだる子供のようにね」


 想像以上にシンプルなやり方だった。倉敷さんは眼鏡を蛍光灯で光らせながらすまし顔で平然と言ってのけるが、俺にはその光景が想像できない。


「だって悔しいじゃない。良いようにやられっぱなしで終わるのなんて。わたしも必死だったのよ。それにあの時は彼女の小説を読んで日が浅かったから、少なからずその影響で頭がおかしくなっていたっていうのもあるでしょうね」


「頭がおかしく……ですか……」


 オウム返しで誤魔化しながら言葉を選びかねている俺を余所に、倉敷さんはまた「ふん」と不機嫌そうに鼻を鳴らすと、自身のスマホを二、三操作し、それを俺の目の前にコトリと置いた。画面に起動しているのはスマホにデフォルトで備わっている録音アプリのようだ。


『例えば、この夕日と野良犬の場面ですが……』


 やや籠り気味な荒い音質で女性の声が流れる。それは間違いなく聞き慣れたミフユさんの声だった。


『犬ではなく、例えば猫でも良いかもしれません……』


 どうやら倉敷さんはミフユさんの説明する様子を録音していたらしい。それも再生している場面はちょうど俺自身も気になった夕日と野良犬のワンシーン。


 俺は極力平静を装いつつ、音声の続きに耳を傾ける。

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