【仮題】3日目その3

 さて、どうするべきか。


 原稿なら確かに持ち歩いているものがあるが、あれは書いている途中の場面のみだし、そもそも下書き用なのでとてもじゃないが人様に見せられた代物ではない。


「何? どうしたの? はやくなさい」


 俺が未練たらしく動かずにいると、早くも業を煮やした女性が声色に苛立ちを滲ませて差し出す手をぶんぶんと振った。


 こうなったら……仕方がない。


「あの、実は紙面での原稿はないんです。その……、カクヨムってサイト知ってますよね? そのサイトに投稿してるのでそれを読んで頂きたくて……」


「ああ、そういうこと。まあ良いわ、作品名だけ教えて。後で気が向いたら読んでおいてあげる」


 女性は慣れた手つきで素早くジャケットの内側から手帳とボールペンを取り出すと、俺の言葉を待つ。


「気が向いたらでは、その、困ります。今、読んで頂けませんか?」


 せっかく一度は切り抜けたんだ、このままでは終われない。内心折れかけていた俺は何とか踏ん張ると、意を決してそう切り出した。


 男性社員が呆れとも憐みともつかぬ表情でふぅと溜息を吐く傍らで、しかし女性は何故か関心するように、うんうんと頷く。


「おもしろいじゃない。こっちに来なさい」


 そう言うと女性は事務所の奥へと俺を連れて行った。


 事務所内に漂う空気はモワッとしていて重く、印刷用紙とインクとコーヒーが入り混じったような香りがした。空気感が学校の職員室と近い気がする。


「どうぞ」


 促されるがまま通されたのはどうやら応接室らしく、キャスター付きの長テーブルにパイプ椅子が並べられた簡素なものだった。


 窓はなく、壁際に汚れたホワイトボードと部屋の角には申し訳程度の観葉植物が置かれている。壁には当レーベルが発行している書籍の宣伝ポスターが何枚も張られていて質素な部屋に多少の彩りを添えていた。


 編集長らしき女性と共に入室して間もなく、別の女性社員が二人分のお茶をテーブルに置き、すぐに退室していった。今度こそ女性と二人きりになる。


「改めて初めまして、わたしが編集長の倉敷美零よ」


 編集長の倉敷さんはそういって名刺を差し出す。受け取ったそれには確かに〝株式会社御影書房 御影文庫編集長 倉敷美零〟の肩書が明記されていた。


「あ、あの僕はヒイラギ……という名で小説を書いてます」


 一瞬迷ったが、一応小説家志望っぽくペンネームで自己紹介をしておく。


 倉敷さんはそれを受けて「ふんっ」と短く鼻を鳴らし、俺を見つめた。


「わたしは編集長。でもね、読むことそれ自体はもはや仕事ではないの。そう、例えば呼吸。わたしは息をするように文字を読むのよ。そう、活字は空気。読むのは苦じゃないし、むしろ読まなければ窒息してしまうの」


 倉敷さんはまるでステージ上から大勢の観客にでも聞かせるかのような語調で話す。創作物中の登場人物のように濃いキャラをしていると思った。


「でもね、いくら空気って言ってもね、排気ガスで汚染されたようなのを吸わされるのは御免よ。吸っても吸っても満たされないような酸素の薄い空気も御免」


 ミフユさん相手とはまた違ったやりづらさがある。どうミフユさんについて質問を切り出そうか考える隙は微塵もなく、俺は彼女の雰囲気に圧倒される形で自分の作品名を告げる。


 倉敷さんは素早くスマホを操作し、俺の作品を見つけたかと思うと、目の前の俺に構わずスマホに視線を落としたまま読み始めてしまった。


 途中で声を掛けるわけにもいかず、完全に手持無沙汰な俺は出されたお茶を啜りながらどうしたものかと湯飲みの縁と倉敷さんの顔を交互に視界に入れていた。


 倉敷さんは押し黙ったまま、眼鏡の奥の瞳を微かに左右に振りながら時折スマホ画面をスクロースさせる素振りをしていた。


 15分程経ったであろうか、俺は途中スマホで時間を確認するのも失礼かと思ってしまうくらいには気後れしてしまっていたので正確な時間は定かではないが、倉敷さんは思ったよりも早く俺の作品を読むのを止めた。


 最後まで読むに値しない程度の評価だったのか。そう考えたのも束の間、


「読んだわ、全部」


 倉敷さんは言いながらその鋭い視線を俺に戻す。


「え? ぜ、全部ですか!?」


 連載中の未完作品とはいえ少なくとも5万字はあった筈だ。いくらなんでも早すぎる。


「言ったでしょ。わたしにとって字を読むのは呼吸と同義、この程度の分量はすぐに読めるわよ」


 すごい。さすが本に関するプロだ。読む速度が関係するかはわからないが。


「それで……どう、です……か?」


 俺は恐る恐る評価を尋ねる。本来の目的ではないとはいえ、自身の作品がプロの目にどう映るかは気になるところだ。


「上手く書かれてるわね。このまま書籍化しても良いくらいのレベルだわ」


 倉敷さんの人柄的に甘口な評価は下されないだろうと多少後ろ向きな覚悟はしていたが、意外にも第一声はお褒めの言葉だった。


「あ、ありがとうございます」


「勘違いしないで。〝書籍化しても良いくらいのレベル〟の作品なんてそのサイトには掃いて捨てる程あるのよ。今のは単に小説としてのカタチの評価。言い方を変えれば及第点。上手く書かれた小説がイコールわたしたちの眼鏡に適うと思ってるなら大間違い。腹が立つくらい酷い文章だって、人気が取れると確信できればわたしは出版するわ」


「すみません」


 不用心に感謝の言葉を口にしたことを謝罪する。まあ、やはりそう上手くはいかないだろう。


「ふん、反対にいくら文章が上手くても売れる見込みがなければ絶対に書籍化はしない。たまにわたしの仕事に対してプライドがないのかって言われることもあるけれど、愚問ね、あるに決まってんでしょ。わたしの仕事は面白い小説を世に広めることじゃないの。どんな作品であろうとも〝本をたくさん売ること〟なの。わたしは、わたし自身、わたしの仕事にプライドを持っているからこそ、そうしているのよ。確かに本は好きだけれどそれを他者と共有する趣味はないわ。あくまでも仕事とわたし個人の趣味は別」


 倉敷さんはクールな見た目とは対照的に大げさに抑揚を付けた話し方で力説する。


 世の読書家が聞いたら瞬く間に批判が集まりそうな持論だが、確かに会社としてはそれが正しいのかもしれない。仕事と趣味は別だ、売り上げが立って会社が存続しなければそこで働く意味がない。


 内心自身の作品の評価が結局あまり良いものではなかったことにやや落胆しながらも、しかし俺はこの時同時に倉敷さんの話の中に本来の目的への突破口を見出していた。


 〝ここしかない〟と思った。


「確かに御社の出版する本はどれも最近の人気どころを押さえていると言えます」


 逸る気持ちを抑え、俺はまずそう前置きする。倉敷さんは俺の言葉を否定せず、それでも「ふん」と不機嫌そうに小さく鼻を鳴らした。


「でもそれは〝絶対〟ではありませんよね? 例外がある筈です。何か別の審査基準があるならば、僕は是非それを知りたいです」


「…………。どういう意味かしら?」


 倉敷さんはパイプ椅子の背もたれから背を離し、やや前傾になってまるで凄むように低い声を向けた。何だろう、所作一つひとつに威圧感があって、下手をするとそのまま押しつぶされてしまいそうだ。


「これです」


 俺はスマホで自身のカクヨムアカウントのフォローリストからミフユさんの『ひなげしと哭く空』を探し出し、威圧感を遮るように画面を倉敷さんへ向ける。


「昨年御社で書籍化した作品ですよね? これまで出版してきたものからすると、全く異なるジャンルではないでしょうか?」


 倉敷さんは俺のスマホを一瞥すると、呆れたように嘆息し、再び背もたれに体重を預けた。


「ああ、それのこと」


 まるで汚いモノでも見るように、眼鏡の奥で目を細める。


「あなたが真剣に小説家を目指すならば、それは読まない方がいいわ」


 そして手を組み、顎でしゃくるようにしてそう吐き捨てた。


「真剣じゃないってなら、それほどお勧めする小説はないわね。生半可な〝夢〟なんて綺麗さっぱり打ち砕いてくれるから」


 確かにミフユさんの書く小説は俺なんかと比べるとレベルが違う。それで自信を喪失してしまう人間がいそうなのも理解できる。だが、残念なことに俺は既に読んでしまっている。それどころか今や彼女の小説の虜だ。


「すみません、実はもう読了済みです」


「あらそうなの。それでもなお小説家を目指してるなら殊勝なことね。エラいわ」


 倉敷さんはまるで褒めているとは言えない声色でそう称賛をくれた。


「本の方も読んだのかしら?」


「いえ、サイトで結構読み返してしまいましたから。改めて購入しようとは思いませんでした」


 原稿の持ち込みをした人間としては、ここは嘘でも本も購入していると言っておいた方が心象が良かっただろうか? まあ、先程の反応で可能性はほぼないと判明してしまっているので無駄な気遣いだろうが。


「そう、それなら親切心として言っておいてあげる。間違っても本の方は買わない方が良いわよ。あなたがお金捨てたい病を患ってる哀れな人間ならば話は別だろうけど。わたしの読書人生の中で間違いなく〝最悪〟の小説だったわ」


「え?」


 俺は耳を疑った。ミフユさんの小説が〝最悪〟?


「その証拠にわたしのプライベートの本棚には今までわたしが出版に携わった本が収められているんだけど、彼女、ミフユ先生の本だけはないの。あんなもの背表紙ですら視界に入れたくないもの」


 俺は最早わけがわからず、スマホを片手に固まってしまっていた。


 そんなこと、ある筈がない。


「無論、さっき言ったと通り、会社として出版した本だからといってわたし自身が必ずしも良い作品だと思えるものばかりではない。でもね、一応は携わった者としてその実績となる本は全て本棚に収めるようにしているの。ただ、あの本だけは別。あれを出版してしまったことは、これまでのわたしの編集部として仕事の中で唯一の失敗よ。いえ、人生における失敗と言ってもいいわ」


「え? あの、ちょっと待って下さい」


 延々と愚痴を漏らす倉敷さんの言葉を遮り、俺は戸惑い混じりに尋ねる。


「ミフユさんのあの作品は、サイト上のものと書籍のものとでは内容が違うんですか?」


「物語としての大筋は同じよ」


 これまで質問に対して即答してきた倉敷さんは、そこで初めて言葉を詰まらせた。


「でもね、まあ…………、そうね。確かに違ったわ…………」


 静かにそう口にしたかと思うと、次の瞬間にはカっと眼鏡の奥の両眼を見開き、せっかく落ち着けていた背を浮かして勢いよくテーブルに乗り出すようにした。


「いい? あれは最早小説なんかじゃないわっ!!」

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