【仮題】2日目その4
しかし、今日のミフユさんはわからないことだらけだ。
「わからないって、そんなことあります? あんなにも書きたがっているジャンルなのに」
「わかりません」、俺の問いに対し、ことごとくそのような回答をしてきたミフユさんだが、あれらは俺の質問が良くなかったというのもある。だが今回ばかりはとてもじゃないが看過できるものではない。「わからない」なんておかしいではないか。
「すみません」
ミフユさんは瞼を伏せ、また申し訳なさそうな表情をしてしまった。別にそんな表情にさせたかったわけではないのだが。こうなってしまっては、俺はどうして良いのかわからなくなる。でも、幸いにもミフユさんの方から先に口を開いてくれた。
「でも…………ファンタジーが……良いみたいです……」
それがミフユさんの回答だった。
その妙な言い回し、先の「100人中の1人に」云々というくだりから合わせ考えるに、回答としてはそれで十分なのかもしれない。恐らくミフユさんは特定の誰かの為にファンタジー小説を書こうとしている。そう当たりを付けると俺は、
「そうですか。無用な詮索をしました」
と自ら話を切り上げた。そして今度こそ伝票を手に率先してレジへ向かう。
「100人中の1人に」云々のくだりで言葉を遮られてしまった以上、そこに類する事柄ならばこの話題に関してこれ以上追求しようとは思わない。元よりわざわざ隠し事を容認するような宣言した彼女のことだ、恐らくそれは他ならぬ自身に隠したいことがあってのことに違いない。ならば無理に訊くこともないだろう。
それにあまり彼女にあのような表情をされるのは、何だか気が引ける。
喫茶店での清算の際、やはりミフユさんは頑なに支払いを申し出てきた。レジ前でのしばしの攻防戦の後、何とか今回も無事俺が全額支払うこととなった。
毎週彼女と会うということを思い定めた時点で週1,000円ちょっとの失費は覚悟済みだ。スマホアプリの課金をしばらく我慢すれば事足りる話である。
前回と同じく池袋駅に着くと、次の丸の内線当駅始発の到着まで5分程時間があるようだったので、二人並んで電車を待つ。
やはりあの喫茶店を出ると何か空気でも変わるのか、不思議と互いの口数は減ってしまう。
もしかしたらだが、こうして横に並ぶというのが良くないのかもしれない。
これまで俺たちが話をする時は常に互いが互いを視界に収め、表情や視線の動き、仕草を全て視認しながらだった。
常識的に考えてそちらの方が気まずい筈だが(現に俺は最初ずっと気まずかった)、不本意ながらそれに慣れてしまった今、相手の表情がわからない時の方がかえって妙な緊張感でも芽生えてしまうのだろうか。今思えばあんなにも長時間のあいだ臆面もなくミフユさんと接してこられたことが不思議だ。
俺はほとんど眼球だけを横に動かし、ミフユさんの様子を確認する。
ミフユさんは鞄を膝の前で持ちながら、ゆらゆらと身体を揺らしていた。照れているというよりは、どこか上機嫌な感じだ。今回の会合で何ら有用なことを彼女に教示できた自覚は毛頭ないが、本人がそれで満足なら重畳だ。
身体の微かな揺れに合わせ、彼女の長い黒髪が、紺色のスカートの裾がふわふわと揺らめく。
ふと地下鉄ホーム特有のあの何とも言えない臭気に、女性らしい甘い香りがふわりと混ざって鼻孔をくすぐった。
「ミフユさん」
俺はたまらず声を掛ける。話をしていた方が幾分か気が紛れる。
「何です?」
ミフユさんがこちらを向いた拍子に、甘い香りが一層濃く届いた。
心なしか距離が近い気がする、
「ミフユさんは何か、部活とかやってます?」
「特には部活動には参加していないです」
当てが外れた。無用な詮索はしないつもりだが、日常会話として何ら不自然でない内容ならば構わないだろう。まあ、俺の日記に目を通した以上、その裏にどんな思いがあるかはわかってしまうので、未練たらしい言い訳に過ぎないのかもしれないが。
ミフユさんは俺の思惑を汲んでか、
「そうそう、わたしの仲の良い友人が演劇部なんですが、ちょうどこの時期は学園祭の出し物に向けて練習が増えるらしく、今日みたいな土曜日も活動があるんですよ? その子、高校生なのに背が全然伸びなくて見た目は小学生みたいだから子供役ばっかりやらされちゃうんです。ふふっ、本人はそれが不服みたいで、笑っちゃいますよね」
楽しそうにそんな友人の話題を口にした。
「そうなんですか」
特に知りたくもない内容に、俺はあからさまに感慨の籠らない返事をしてしまう。
それにしても、あえて「土曜日の部活動」の話題を出してくるとは、俺は何かを試されているのだろうか。その上品な見掛けの微笑は、果たして本当に背の低い友人に対して向けられたものなのか。俺の日記を読んだ後の彼女の言葉に、どうしても穿った考えばかりが頭を過ってしまう。
「ところでヒイラギさん」
不意にミフユさんは一歩足を進め、元から近かった距離をさらに詰める。そして、いつものように俺の目を見つめた。見えない何かで繋いだかのように、捉えて離さない。
刹那、ホームに反響していたまばらな喧騒が止んだ。まるで時間の進みが遅くなったかのように錯覚する。
静寂の中で見た彼女の澄んだ瞳はその清廉さとは裏腹にどこか蠱惑的でもあり、まるで獲物に向けるような嗜虐的なものにも見え…………。胸裏に過るそんな揺らめくような危うさに、俺は耐え切れず半歩後ずさる。
彼女のそのひなげしの花弁のように薄い唇が開かれる。
「なぜそんなことを訊くんです?」
「…………」
わかっているクセに。これではもう、「何故土曜なのに制服なんですか?」とは訊きづらい。完全に会話の持って行き方をミスった。
ちょうどその時、静寂を破って電車がホームに流れ込んできた。緩やかな風圧で揺れた髪とスカートを押さえながらミフユさんは「さあ来ましたよ」と、何事もなかったかのようにそそくさと電車に乗り込んだ。
その後、これ以上ミフユさんから何かを訊かれることはなかった。
不可解さは否めないが、しかし俺もつくづく懲りるということをしない。
怖いもの見たさというか、俺は彼女とのその不可解な関係を心のどこかで楽しんでいるのかもしれない。
深入りは、し過ぎないように見極めるつもりだ。
だって、彼女はあの学校の生徒なのだから。
何はともあれ、収穫はゼロじゃない。
今日、ミフユさんについてわかったこと。彼女が嘘吐きでないとするならば、〝彼女と俺は学校で明確な接点があった〟。それと、〝彼女は人間〟だ。
いずれにしてもだ、こんな執筆活動とは無関係なことばかり考えているうちは俺の〝カクヨム攻略への道〟は遠そうである。
自宅に戻った俺は、先程茗荷谷駅前で購入したてりやきバーガーとスプライトMサイズを胃に収め、そのままベッドでだらけているうちに気が付けば眠ってしまった。
起きて時計を確認すると日付が変わって深夜1時を示していた。
やってしまった。こうして中途半端に睡眠を取ると、真っ当な生活リズムの戻すのは至難だ。せっかくミフユさんと会うようになってから、生活サイクルを常識的なものに戻しつつあったというのに。
デスクの上には書きかけの原稿用紙、書き込みやらシワやら折り目やらですっかり汚くなってしまったなりそこないファンタジー。結局二週間ものあいだカクヨムの更新をしていない。
俺の執筆活動が何らかの生産的な意味を持つものだとは現状考えにくいが、こうして生活していて何もカタチを残さないというのは、実に空虚な気持ちにさせてくれる。
俺は結局のところ、小説を書くことである種の心のバランスを取っているのかもしれない。
何事もなく、無駄に若さを浪費することが耐え難く。その空虚感を埋めるが如く。
少しのあいだ原稿用紙を前に考えてみたが、早々に諦め、俺はミフユさんから提示された課題である日記だけを書き上げて、スマホ画面へ逃避した。
だが逃げた先に思わぬ邪魔が入っていた。
母親からのメールである。
機械音痴の慣れない手つきで打ったであろうその文面は読むのが億劫になるくらい長ったらしく、読み終わるまでに欠伸が二回も出た。しかし肝心の内容は「父の計らいで学校へ戻りなさい」との一言に要約できた。
俺はスマホを放り投げたい衝動にかられ、寸でのところで思い留まる。
余計なお世話だ。あんな〝くだらない〟場所、戻るくらいなら今の方がまだマシだ。
息抜きの当てが外れ、すっかり嫌な記憶が呼び起こされてしまった。
学校へ通っていた頃は、本当にくだらなかった。くだらないと思いながらも惰性で通っていた。何が駄目だったのか、考えればきりがない。あの雰囲気、この身に感じる音、匂い、空気、どれを取っても肌に合わなかった。
でも自ら変革をなす力も気概もない俺は、ほとんど無感情で毎日を過ごしていた。
それだけならまだ良かった。
ある日のことである。とある事故が起こった。
本当に、今考えても事故としか言いようがない。空き時間に気分転換にと持参していたカクヨム投稿用の原稿を、廊下を駆ける男子生徒にぶつかった拍子に派手にぶちまけてしまったのだ。
その時偶然通りかかった一人の女子生徒に拾うのを手伝って貰ったのだが、そこまでは別に何てことのない出来事だった。
しかし、いらぬ恥を晒してしまったと汗顔しつつ一片の親切心に感謝するのも束の間、あろうことかその女子は俺がファンタジー小説を執筆していることをクラス中に暴露したのである。
元よりくだらない環境に馴染んだ人間が多い場所だ、そういった人種の口の端に掛かるのは理の当然、その日から俺はからかいの対象となった。俺は〝中二病〟のレッテルを貼られ、それはあきれるくらいに執念く延々と続いた。
そしてそれから程なくして、俺はあの学校へ通うことを辞めた。
別にからかいの対象となることが心的にキツかったわけではない。ただ、くだらないと思いながら当たり前のように通う毎日が、その時になってようやく馬鹿らしいと思えたのである。
きっかけが欲しかっただけなのかもしれない。あの学校へ行くことが〝馬鹿らしい〟と思えるような。
だから、その暴露がなくても遅かれ早かれ、別のきっかけに行き当たっていたに違いない。
母親からのメールは返信せず、そっと閉じた。
そして急ぐようにカクヨムの画面を立ち上げる。
やはり、ミフユさんの近況ノートには前回と同じく、『ありがとうございました。』とだけコメントの追記がされていた。俺は前回書いた『こちらこそ、ありがとうございました。』をコピー&ペーストして新たに記載する。
数分待ってみるが、さすがにミフユさんからの返信はなかった。
でもこの調子で会う度にこの近況ノートに『ありがとうございました。』と『こちらこそ、ありがとうございました。』が追記され続けるのは、それはそれで周りからしたら奇妙だろう。
そうこう考えているうちに無関係なユーザーから書き込みがされる。『何ですか? 何かの暗号ですか?』。
ほら言わんこっちゃない。俺と違って彼女のアカウントにはファンが多いのだ、次からは別の方法を考えねば。
次いで、彼女の更新状況を確認すると、なんと、最新作『ラピスラズリ』に新たに次話が投稿されていた。
あれから短い時間で書き上げたのだろうか、それとも書いてあったストックを推敲して上げたのか、いや、そんなことはどうでも良い。
中途半端な睡眠と思わぬ邪魔の所為ですっかり暗澹としていた俺の気持ちは瞬時に晴れ渡り、まるで貪るように、あるいは縋るように、心の浄化を求めミフユさんの書いた最新話を読み進めた。
そして読み終わってからはしばし放心状態だった。
深夜の時間帯もあり部屋が静かな所為だろうか。少し早くなった心臓の鼓動が一定の間隔で耳に響く。
辛うじて重い腕を上げ、頬を確かめるが、どうやら涙は流れていない。
ミフユさんの小説を読んで俺の中に呼び起こされる感情。それはこれまでの作品にはない、全く新しい種類のものだった。
それは悲しみでもなく、切なさでもなく……。今、ミフユさんの小説を読んでこの身に残る感情、それは……、
悲しいくらいに、切ないくらいに、淡く儚い……、けれども、確かなる恋慕の情だった。
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