【仮題】2日目その3
「ミフユさん。今回挑戦しようとしているファンタジーの執筆ですが、仮に〝正解〟が存在するとして、ミフユさんにとってどんな小説になると、その、〝正解〟なんでしょうか?」
小説に〝正解〟があるか否か。その問いに関してはミフユさんがどんな意図でしたことだとしても、どの道俺の持論は同じようなものになるのだろう。「面白い小説」と同じで絶対的なものはない。相対的に一番人気を集めた小説が〝正解〟に違いない。
だが、先日と同じ押し問答になることが明白だったのでそこまでは言わずにおいた。
言葉を受け、朧げだったミフユさんの焦点が俺の瞳に合う。
「わかりません」
「正解があるのかどうかが? それとも正解がわからないということでしょうか?」
「両方です」
ミフユさんは空になったグラスを手元で弄びながら答える。
「でも、これだけは言えます。わたしの目指す小説、それは100人の読者の中でたった1人の心に突き刺さるような物語…………。そんな素敵な小説をわたしは書きたいです」
「何故です? 前回もそんなような話を聞きましたが、やっぱり僕には理解できませんよ。だって――」
「ヒイラギさん?」
ミフユさんはまるで子供をあやす時のようなとても優しい声色で俺の言葉を遮った。
「今日はこれくらいにしておきます。とても参考になりました。本当にありがとうございます」
そう言って軽くお辞儀をする。これ以上はこのことに関して議論はしないという意思表示にも思え、俺は追及を諦めた。
押し問答を避けようとした筈なのに、俺はまた余計なことを口走ってしまっていた。やはり俺の中で、ミフユさんの考えが受け入れられない気持ちが執拗に絡みついているのだろう。反省しなければ。しかしやはり、俺が信頼しているのはあくまでもミフユさんの執筆の腕で、彼女の執筆に対する考えにはどうにも共感し難い。
それにしてもお礼を言われる程、まだ何かを教えた自覚はない。この長いやり取りでの成果と言えば、ミフユさんの書く小説の題材が「魔法」で主人公が「魔術師」ということが決まったくらいだ。成果と呼んで良いものかも怪しい。本当に彼女はこれで良いのだろうか。
「ミフユさん、聞きたいことがあればもう少し良いですよ?」
「いえ、大丈夫です。今回のヒイラギさんとのやり取りで、課題と言いますか、色々と考えなければいけないことがわかったので、もう少し準備をして来週にまた教えて頂こうと思います」
ミフユさんはそう言いながらテーブルに置いていたスマホを確認する。時間だろうか? 俺もつられて自身のスマホを取り出し、時間を確認してみる。17時27分。
たった一杯ずつの飲み物でここまで居座られてしまってはお店側もさぞ迷惑だろう。だが、当の店員からは特段嫌な顔はされていないようだったのであまり居心地の悪さは感じない。心中ではどう思われているか確認のしようがないが。
「ヒイラギさんはお時間大丈夫ですか?」
「ええ、まあもう少しくらい大丈夫ですよ」
正直言うと「もう少し」どころか何時間でも、それこそ喫茶店が閉店時間になるまででも大丈夫なのだが、俺は変に見栄を張ってそんな答え方をしてしまった。
「ではヒイラギさん、訊きたいことがあればどうぞ」
「そうですか、えっと………」
今日はミフユさんの回で終わると踏んでいた俺は完全に無警戒だった。どうしたものかと考えるが、実際前回の内容がまだ俺の中で消化しきれていないのだ。ミフユさんの主張する〝要素〟というものを知る為に行っている「日記付け」、それだって彼女から勧められるがままに行っているに過ぎない。これが今後どのように意味を持ってくるのか、全く以て予想できない。
だから俺はこう訊くことにした。
「あの……、日記ですが、あんな感じで良いのでしょうか? その、〝合って〟いますか?」
「わかりません」
ミフユさんは即答する。俺の目を見つめながら。
「え? わからない?」
「はい、わかりません」
困惑する俺を余所にミフユさんは言葉を繰り返した。真顔で。
しかし少し無責任ではなかろうか。俺はミフユさんに言われて日記を書いたというのに。
「ヒイラギさんは〝ありのまま正直に〟その日記を書きましたか?」
「ええ……、一応は……そのつもりです……」
「では合っていると思います」
ミフユさんは平然とそう言い切る。
理不尽ながらもきっぱりとした彼女の言葉に、俺は多少の遣り切れなさを感じつつ、しかし「それもそうか」とやや遅れ気味に納得する。
俺の書いた日記が〝ありのまま正直〟かを知るのはこの世で俺しかいないわけだからミフユさんに判断のしようがない。
愚問であった。だが愚問であろうとも訊きたくもなる。日記を書いた俺自身、本当にこれでミフユさんの言うような〝要素〟がわかるようになるのか想像もつかないのだから。
しかしこのままではミフユさんの講義が終わってしまう。せっかくなので俺は新たな質問をすることにした。
「ミフユさんは〝要素〟が必要だと言いましたが、例えば、手っ取り早くミフユさんが既に書いている小説の〝要素〟を教えて頂ければ僕にもミフユさんが書いたものと似たような感動を読み手に与えられるでしょうか?」
「可能だと思います」
ミフユさんは答える。平然と。
「前にも言った通り、わたしの書く小説は〝わたし自身〟ながらその内容は事実ではなくフィクションとして、あくまでも〝小説として〟書いてます。その〝要素〟を正確に知れば、ヒイラギさんはヒイラギさん独自の物語設定でわたしの書いた小説と同じような効果を読み手に与えることができます」
俺が質問の中で使用した〝感動〟というワードをミフユさんはあえて〝効果〟と言い換えて話した。やはりミフユさんが執筆論を口にする時はどこか妙に機械的な印象だ。
「でもその場合、〝要素〟とその〝配置〟は同じものになりますから、読み手の心情の〝波〟の推移もまた、同じものになりますが」
「ミフユさんを疑うわけではないんですが、やはり僕にはその〝要素〟というものがいまいち見えなくて……」
「ヒイラギさん? その為の日記です。練習みたいなものだと思って下さい。でもそうですね……これは多分に感覚的なものなのでわたし自身もそれを説明するのはなかなかに難しいのですが…………例えば」
何かひらめいたのか、ミフユさんは歯切れの悪かった言葉を一度区切った。
「例えばですよ? 前回の話題で、人の心は〝あらすじ〟では動かされないというのがありましたよね?」
「はい」
「短すぎる文章では人の心は動かされません。それは確かです。では、ヒイラギさん。人の心が動かされるのは、果たして何文字目からですか?」
「え? えっと…………」
そんなこと、考えたこともない。仮に1000文字の感動的な文章があったとして、それが999文字に減ったとしても感動できると何となく思うし、反対に999文字の感動的でない文章がたった1文字の追加で1000文字の感動できる文章に激変するとは思えない。そう考えると明確な数字はないと思われる。
しかし俺の回答を待たずミフユさんは続ける。
「これならどうです? わたしの処女作である『ひなげしと哭く空』、その冒頭は『その日は雨だった』から始まりますが、仮にこの冒頭を『その日は雨が降っていた』に変えたとします。果たしてこの変更で読んだ人の心が動かなくなりますでしょうか?」
「それはないと思います。…………たぶん」
即答してみたもののやはり明確な理由を答えられそうにはない。感覚としか言いようがない。でも俺以外の誰に尋ねても同じ回答が返ってくるであろう、それだけは予想できた。冒頭の、しかもその程度の変更がなされただけなら、俺はその微改稿版『ひなげしと哭く空』を読んでも間違いなく涙を流すだろう。
「では改めてお聞きします」
ミフユさんは「何故」とは問わずにそう続けた。
「そんな感じで冒頭だけでなく、少しずつ作中の中身を変えていった場合、そのうちわたしの『ひなげしと哭く空』ではなくなりますよね?」
「ええ、まあ……。変えようによっては感動も、しなくなると思います」
「では、どの程度変えたらわたしの『ひなげしと哭く空』ではなくなりますか?」
「…………」
俺は言葉を詰まらせる。
これはあれだ、いつか聞いた意地悪な話題に似ている。例えば大事な宝物を100万円で譲るという人に対し、99万9,999円、99万9,998円、99万9,997円と、1円ずつ値切るやつ。
当然希望額として100万円を提示する人間には99万9,999円でも交渉成立しそうなものだが、1円ずつでも延々と値切られれば、いずれどこかで線引きをしなければならない。仮に線引きを50万円と決めたところで、じゃあ49万9,999円では? と言われれば、やはりわからなくなりそうなものだ。
「すみませんヒイラギさん。これに対する明確な回答はわたしにも難しいです」
俺が困っているのを見かねてか、ミフユさんは申し訳なさそうに言った。
「でも、そこに何かが存在するのは確かです。それはわかりますよね?」
「ええ。僕も存在自体は、確かにすると思います。なぜかという説明は……当然できませんが」
「ですからこうは考えられませんか? 『人の心が動かされるのは何文字目からか』、答えは『〝要素〟が揃った段階から』。『どの程度変えたらわたしの作品ではなくなるか』、答えは『〝要素〟が欠ける程の変更』。すみません、最初の『何文字目』からという訊き方はちょっと意地悪でしたね」
「いえ、何となくわかった気がします。少なくとも前よりは」
俺はそうやって話題を打ち切った。「前よりは」というのは本心だが、正直まだ完全にわかったとは言い難い。
でも、ミフユさんの言う〝要素〟が存在するという雰囲気だけは感じられたのは、薄っすらとだがある。存在証明というには不確定要素が多過ぎるのも事実だが。
これは言わば人間独自の〝定義付け〟のようなものかもしれない。そこに何かがないと説明が付かなかったり色々と都合が悪い、だから仮の記号を決めておこうというような。
昔習った円周率πのようなものだろうか。理系の人からしたら「それはちょっと違う」というような反論がきそうだが、公に口にするわけでもなし、勝手に想像する分には自由だ。
「ヒイラギさんは、わたしの書いた小説の〝要素〟を基に小説を書いて人気を得たいですか?」
「……いえ、それはやめておきます」
そんな訊き方をされればそう答えざるを得ないだろう。
俺は追加注文をしまいと大事に飲んでいた(氷が融けすっかり温くて薄くなった)アイスコーヒーを飲み干し、伝票を手にお開きの意思表示をする。それを受けてミフユさんも出しっぱなしだったルーズリーフや筆記用具を鞄に仕舞った。
「その前にもうひとつ」
と、席を立つ前に俺はミフユさんを呼び止める。
「はいどうぞ」
ミフユさんは鞄を抱えたまま顔を上げ、言葉を促した。
でもこの時俺が訊きたかったのは、小説の書き方に関することではない。
「なぜ、ファンタジー小説なんです?」
ただ何と無しに、ふと過った疑問だった。今までも幾度か頭には浮かんでいた。
「わかりません」
ミフユさんは即答する。やはり、俺の目をじっと見つめながら。
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