【仮題】1日目その6

 レジは店の入り口付近。人目に付きたくないという気持ちが働いていた為か、俺は無意識に一番奥のテーブルを選択していたので、煩わしくも混み始めた店内の人やテーブルとの間を縫うようにしてレジまで辿り着き、無事清算を済ませた。


 会計の際、ミフユさんは最後の抵抗と言わんばかりにお札を差し出したのだが、奢ると言ってしまった手前そこはしっかりと奢らせて貰った。

        

 喫茶店を後にすると、ミフユさんと共に駅へ向かう。


 ミフユさんの家は大塚駅らしく、同じ方向だったのでそのまま一緒に電車に乗り込む。


 喫茶店ではあれだけ話をしていた筈なのに駅へ向かう道中とその一駅分の電車移動の間、俺たちはほとんど会話を交わさなかった。


 もうすっかり慣れたものだと高を括っていたが、やはり妙な気まずさはまだ俺の中に残っていたらしく、たった一駅分のその時間が嫌に長く感じられた。


「ではまた」


「ええ、また一週間後に」


 最後にそう余所余所しい挨拶を交わし、ミフユさんは大塚駅で下車していった。


 ミフユさんと別れてから、電車内でもう一度スマホを確認する。


 土曜日だ。確かに土曜日で間違いない。


 そう言えば行きの時は気配を押し殺していたので気付かなかったが、車内で学生服姿を見かけない。これでは変に気後れしながらここまで来たのが馬鹿みたいだ。それに曜日の感覚すらなくなるなんて、ニート生活の賜物だな。


 そう心中で自嘲してみたが、俺の中では既に別の疑念が渦巻いていた。


 ならば何故、ミフユさんは高校の制服姿だったのだろう。


 土曜日は今やほとんどの学校が休みだ。私立校の一部では土曜日も授業を行っているのかもしれないが、俺が通っていた学校すなわち、ミフユさんが現在通っている高校は間違いなく土曜は休みの筈だ。


 何らかの部活動に参加していて今日はその活動日だったのだろうか。そう片付けてしまえば簡単なのだが、一つの小さな疑念が火種となりじわりじわりと辺りに広がっていく。


 おかしなこと……。


 考えなければ気にも止まらない些末なことだった。だが、考えれば、思い当たることがいくつかあった。


 まず、ミフユさんがすぐに俺がカクヨムの「ヒイラギ」だと気付いたこと。


 俺は茗荷谷駅で下車しながら持参していた原稿を取り出して眺める。


 書かれているのは俺が現在執筆中のファンタジー小説、その一場面。転生した主人公が苦難を乗り越えヒロインを助け出す、俺の中では感動的なシーンとなる筈の、そのなりそこない。


 確かに普段俺の小説を読んでいる人間がこれを読めば「ヒイラギ」の作品だと気付く。だが果たして、あの一瞬で、たまたま通りかかった時に目に入ってしまった程度のことで気付けるものだろうか。手書きで書き殴った原稿はお世辞にも読み易いとは言えない。


 それに思えばあの時のミフユさんの反応も少し不自然だ。


 まず彼女はこう言った。「わかりませんか? ミフユです」と。


 何故、彼女は一番に本名を名乗らなかったのだろうか。学校での知り合いではなく、あくまでも同じカクヨムユーザーとして話し掛けたから? 本名を名乗れないわけではあるまい。あの学校へ通う生徒なら俺が知っている可能性も十分考えられるわけだし、現に彼女は途中何ら躊躇いなく〝本名で呼び合うこと〟を提案していた。


 でも……。


 考え過ぎなだけかもしれない。


 曜日の件から始まったほんの小さな疑念に過ぎない。だが、その小さな疑念も寄り集まればそれはやがて簡単には容認し難いものへと変貌を遂げる。しかし、その大きな影の正体が未だ俺には判然としてこない。


 あんなふうに偶然出会った場合、普通は本名を先に名乗るのではないだろうか? 「わかりませんか?」と前置きしているならなおさらにそっちの方が自然だ。彼女がカクヨムの「ミフユ」であることを俺が知らなかったことは明白であるのだから。やはり「わかりませんか?」の後は本名を名乗り、そしてその後に改めて「実は――」というふうに続けるのが不自然のないやり取りだっただろう。


 いやでも……。


 先のことで薄まってしまった思考がまだ不完全なのか、俺の中でなかなか上手く纏まってはくれない。情報が小出しで湧き上がってくる。


 彼女は途中、本名での呼び合いを提案した時、俺が当然のように彼女の名前を知っている体で話を進めていた。


 そう、彼女はあたかも〝俺が彼女の本名を知っていること〟を前提であるかのように……。


 でもそうなると、やはりおかしい。そもそもがその前提だと、最初の言葉が「わかりませんか?」とはならない。俺が彼女の正体がカクヨムの「ミフユ」だと知らなくても、学生としての彼女と面識があり、本名を当然のように知っているとしたら、そしてそれが彼女自身も認識している事柄なら、あんなことを言う筈がない。


 俺は原稿用紙を握りしめたまま、改札を潜る。


 途中何度か人とぶつかりそうになり、迷惑そうな視線を向けられてしまった。


 確かめていた・・・・・・


 一人になることで幾分か落ち着き、次第に本調子を取り戻し始めた俺の脳は、しかし完全に穿った考えの基にそんな解を導き出す。愚考と言っても良いかもしれない。


 もしかしたら彼女は確かめていたのかもしれない。〝俺が彼女のことを覚えているのか〟を。それは確信と呼ぶには程遠い、自然さで言えばそちらの方が幾分かマシと言えるだけのものである。でも……、


 だとしたらやはり何故?  


 俺は彼女と対面していた時に諦めてしまった記憶の捜索を再開する。


「ダメだ……」


 しかし、ものの数分で断念した。


 元よりあまり良い思い出がなかった時期のことだ、俺の脳は自己防衛的な本能でその頃の記憶を消し去ろうと働いてしまったのかもしれない。


 そして一度諦めが付くとこれまで心中に溜めていた疑念の数々が急に馬鹿らしく思えてきた。


 そこでようやく思考の矛先を外界へ向ける。そして腹が減っているのが気になった。家を出る前に軽く食べて来た筈だが……。


 俺は財布の中身が寂しくなっているのを感じながらも道中にある牛丼屋の看板の煌々と照らすような魅惑的な存在感に引き寄せられてしまった。





 家に着くと俺はYoutubeを流し見しながら牛丼並盛りを平らげ、原稿を机に広げて執筆の準備だけ完璧に整えるとベッドに倒れ込んだ。


 こうして何をするにもまずはベッドに仰向けになってから行動を起こすまである一定の時間が掛かってしまうのがヒイラギ大先生だ。


 こんな姿、ミフユさんに知られたら幻滅されるだろうか。


 そこで俺は思い出す。


「そうだ、日記……」


 小説を執筆する方法を教わる上でミフユさんから提示された宿題。日記を書くということ。人と会った時はなるべくそのことを書く。「なるべく」なのだから、別に毎回書く必要はない。だが、さすがに今日のことは書かないとマズいだろう。ミフユさんから念を押されているわけだし。それに下手をしたら次の土曜日まで一度も人と会わない、まである。


 牛丼屋で試しにと店員のお姉さんの目を見てみたが、お姉さんは俺と一度も目を合わせてくれなかった。


 俺は軽い満腹感で気怠くなった身体を奮い立たせ机に向かうと、書き掛けの〝なりそこない〟ファンタジーを端に追いやり、新たな原稿用紙を広げる。


 さて、どこから書こうか。


 少し悩んでから、俺は今日、ミフユさんと出会う喫茶店へ行く少し前のことから書き始めることにする。


 ミフユさんと出会った場面に差し掛かったところで筆が止まる。


 嫌でもあの不自然なやり取りが思い出され、どうしたものかとしばし考えてしまった。


 しかし、不可解さで言えば、今こうして書いている日記のこともそうだ。


 彼女は言った。小説で感動を得るには「要素」と「順番」、それに付随する法則が必要だと。俺が想像の中で彼女の書く小説を音楽に例えたことは、一見近いように思えなくもないが、恐らく、彼女の主張することとはその根本において異なるのだろう。


 ミフユさんの執筆における秘訣が知りたいと思いながら、あの時の俺はまだ、彼女の小説が人の心を揺り動かすのは単に彼女が執筆において他者には到底真似のできない、言わば鬼才とも言える才能で以てして成し得ることだと思っていたのだから。


 だが彼女は言う、感動は科学的なものだと。あるいは法則的なものだとも。


 その言葉は、上手く言えないが、何だか血の通わない酷く冷たいものに思えてならなかった。〝人の心〟といった温かみの最たる部分に干渉する事柄だけに、俺は余計に不条理さと言うか、ある種のアンバランスさを感じると共に、やはり彼女の書く小説はどこか怖くもあると思った。本当に、もう、上手く言えないが。


 相手の目を見つめ、「人の心を知ること」の大切さを訴える彼女が口にする、どこか機械的な執筆論。


 再度、あの時の心の戯言が頭を過る。「ミフユさんは人間ですか?」。


 いやいや、何を考えている俺。ファンタジーの読み過ぎだ。


 いかに理解の及ばない理論であれ、それをミフユさんが、しかもあの若さで独自に編み出したというなら紛れもなく鬼才と言って良いだろう。あるいは〝奇才〟とも。


 俺は内容を忘れないうちに今日のやり取りを日記として書き上げた。書いてみると小説と違って無理に趣向を凝らそうとしなくて良い分、楽と言えば楽だった。面倒なことに変わりないが。


 だが、情景や事実としての会話内容はともかく、何を感じ、何を思ったかまで書くには限界がある。なので俺都合の身勝手なフィルターを通しつつ書いた結果、やや当たり障りのない内容になってしまった。謙虚で寛厚そうなミフユさんならこのくらいで勘弁してくれるだろう。


 俺は次いで肝心の自作に手を付ける前に、付けっぱなしだったPCを操作し、カクヨムの管理画面をチェックする。PV数にさして変動なし。いつも通りだ。


 しかし、気まぐれに覗いてみたミフユさんの近況ノートに新たなコメントの書き込みがあった。


『ありがとうございました。』


 そう一言だけのメッセージだった。


 タイミングからして、俺に向けられたものであるのは明白だ。


 特に携帯番号やメルアドを交換していなかったので、わざわざここに書き込んでくれたのだろう。こうして偶然目にしていなかったら気付きすらしなかった。


 『今日は』とか『先程は』とか付けないのは、リアルで接触があったことを示唆させない為の彼女なりの配慮した書き方だろうか。まあ、「配慮」という言い回しは幾分自分に都合の良い表現で、俺なんかと外で会っていることが知られて迷惑なのは彼女の方だろう。


 俺はすぐに『こちらこそ、ありがとうございました。』とだけ返信を記載する。


 するとたまたまリアルタイムでチェックしていたのか、すぐに返信のコメントがあった。


『ありのまま、正直に』


 その言葉に、俺は内側の鼓動が少し早くなりつつもしばし考え、先程書いたばかりの日記を読み返す。 


 事実こそ書かれているものの、それを読んでも全く当時感じたリアルな感覚は微塵も呼び起こされなかった。


 深く嘆息する。


 俺は一体どうしたいんだ。彼女の小説の秘密が知りたかったのではないのか。何を誤魔化そうと、やり過ごそうとしている。やらないならやらない。やるなら徹底的にやらねば意味がない。どっち付かずだからいつまで経っても〝こんな〟なんだ。


「どうにでもなれ」


 一度は書いたその日記を破り捨てると、新たな原稿用紙に書き直し始める。今日起きた出来事、俺がその時何を感じ、何を思ったか、ありのまま、正直に。今こうして日記を書き直していることまで詳細に。


 俺のなりそこないファンタジーの方は結局、なりそこないのままだった。

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