【仮題】2日目

【仮題】2日目その1

「そうですか……。わからなかったんですね、わたしのこと……」


 ミフユさんから提示された宿題、もとい赤裸々日記、もとい自白文書に目を通しながら彼女は呟くように言った。声色こそ消え入りそうだったが、表情自体は薄い笑みを浮かべ、ショックを受けているというよりはどこか自嘲を含んだ感じだった。


 ミフユさんと出会ってから早くも一週間が経ち、例の無駄に高価な喫茶店の、前回と同じく奥の席にて俺たちは再会した。


 時刻は前回よりも早めの15時。テーブルには俺の分の水出しアイスコーヒー(店員に勧められたが正直普通のとの味の違いがわからない)と、ミフユさんの分のバナナミックスシェイクが置かれている。


「すみません……」


 そう、俺が手渡した日記には全てが書かれている。これまでの彼女とのやり取り、俺が彼女に対して思ったこと、感じたこと、その全てが。不意に湧いてしまった正体のわからぬ疑念まで全て、余すところなく。


「いえいえそんなつもりでは、全然構いませんよ? それにこの時期の女性って少し会っていないあいだにも結構変わりますから」


 確かに大人っぽいし美人と言えるが、それでも垢抜けた感じとは言い難い雰囲気のミフユさんはそう言って微笑んだ。俺が彼女と学校で会っていたなら、先程の「出会ってから」という言いまわしは正確には誤りということとなる。


「それに、わたしはちゃんと人間ですよ」


 そして俺が彼女に対して感じていた疑念諸々に関しては一切触れず、悪戯っぽい笑みでそれだけ口にした。俺は正直なこととはいえとても失礼な内容を書いてしまったことに再度「すみません」と謝罪した。


「大丈夫ですよ。でもヒイラギさん、これだけは約束してください。日記のことを含め、わたしとのやり取りには、隠し事はしても、嘘はなしでお願いします」


 こういうのって「嘘も隠し事もなし」というのが語感的にも一般的に広く流通している気がするが、それはつまるところ、その日記に書かれている俺が感じた彼女に対する不自然な事柄をいちいち全て解説するつもりはないとの宣言だろうか。


 だが、その条件は幾分こちらの方にも分があるものだったので、俺は素直に「わかりました」と快諾する。俺的に今の段階でもかなり恥を晒しているつもりだが、この先本当に隠したいことが出てこないとも限らない。こうした言質は願ってもいない。


 それに今後ミフユさんが俺に対してどんな隠し事をしようとも、俺は彼女の執筆に関することに対してだけは絶大な信頼を置いているのだから。俺が彼女の小説を読んで感じたこと、その小説が大多数に認められていること、それらは紛れもない真実だ。


「さてっ!」


 ミフユさんは日記の書かれた原稿用紙を丁寧に畳み俺に戻すと、両手で一度パンと叩いて話題に一区切りを付ける。やはりミフユさんはこれ以上日記の内容について言及しないようだった。まあ、それについての収穫はゼロというわけでもなし、良しとしよう。


「では、今度はわたしが知りたいことを訊きますね?」


 ミフユさんは前回もそうしていたように一度スマホで時間を確認すると、テーブルに置き、それからこちらを見据える。


「はい、どうぞ……」


 いつにもましてミフユさんの熱い視線を感じる。俺は少し緊張する共に全く何の準備もして来なかったことを後悔した。準備といっても何をどう準備して良いのかわからないし、そもそもミフユさんからどのような質問が来るのか想像もできなかった。


 それに俺はファンタジー小説を執筆するにあたって何らかの明確な執筆論に則って行っているわけではない。書きたいモノを書きたいままに書いているだけだ。


 ミフユさんは俺の瞳を射抜かんばかりに見つめたかと思うと、やや視線を逸らし、指で唇に触れながらそのまま考え込んでしまった。


 その物憂げな様子はどこか大人びていて、一瞬彼女が高校生だということを忘れそうになる。長い黒髪に折り目正しく制服を着こなす姿は楚々とした風情でありながらも、こうして思案している姿は、よくわからない妖艶さをも醸し出していて、どこかなまめかしくもあった。


 ミフユさんが珍しく視線を外しているのを良いことにずっと彼女の顔を見つめていると、急にその双眸がこちらを捕らえた。俺は内心どきりとする。


「わたしがファンタジー小説を書くにはどうしたら良いですか?」


「…………」


 彼女の小説のワンシーンに対して「どうやってるんです?」なんて質問してしまった前回の俺も大概だが、彼女はもっと酷い。オープンクエスチョンにも程がある。そこまで質問の範囲を広げられてしまえば彼女自身の提案する「知りたいことを質問してそれに答える」という形式そのものが破綻してしまうではないか。


 でも、そう思ったと同時に、内心少し助かったとも思った。どうやら彼女もまた、どう質問して良いのか・・・・・・・・・・わからないようだ。こちらが何も準備をしていない以上、入念に質問事項のリストアップを準備されて来られるよりも気が楽になる。


 それにこの場合、こちらが道筋を立ててやることである程度答えやすい方向へ誘導できる。俺はミフユさんの質問に対しいたずらに批判的な反応をせず応じる。


「そうですね……、ミフユさんはどんなファンタジー小説が書きたいんですか?」


「えっとですね、例えば……」


「例えば?」


「楽しめるお話しが良いです」


「楽しめる……」


「それを読んだ人の心が、強くなれるお話しが良いです」


「強くなれる……」


「読んだ人が頑張れるお話が良いです」


「頑張れる……」


「勇気を貰えるような、お話しが良いです」


「勇気を貰える……」


 どうしよう。具体性が皆無だ。


「ミフユさん? そういった〝人の感情に訴える〟という類の点ではミフユさんは十分優れているので、僕にはもっと、そうですね……、ファンタジーを書く上での……、何て言うんですか? 世界観? とか……、そう、物語の設定ですとか、そういった類の中で書きたい内容を話して貰っても良いですか?」


「あ、そっか、そうですよね……すみません……」


「焦らなくて大丈夫ですからゆっくり考えましょう。時間はたくさんありますから」


 それこそニートの俺には無限にありますから。


 ミフユさんは考える。先程もよりも真剣味を増して。そしてついに具体的な質問を口にした。


「作者名は……どんなのが良いでしょうか?」


「そこからですか!?」


 全く予想だにしない質問内容に俺は手にしていたアイスコーヒーを危うく落としそうになる。


「名前はこれまで通り『ミフユ』ではダメなんですか?」


「ダメというわけではありませんが……。その、今回わたしが書こうとしているファンタジー小説はこれまでわたしが書いてきたものからするとかなり種類と言いますか、性質が異なるものだと思うんです」


「ま、まあ、ジャンルで言うとそうかもしれませんが」


「いいえ、ジャンルの問題ではありません。性質の問題・・・・・です」


 ミフユさんは俺の誤りを正すように言葉をやや区切り気味に繰り返した。


「どう違うんです?」


「言いましたよね? わたしの書く小説は〝わたし自身〟だと。今まで書いてきたものはあくまでもわたし自身の感情、想い、思考、そのもの。でもこれから書こうとしているものは違うんです。わたしが書きたくて書く初めての、本当の意味での〝創作〟なんです。これまでのものからすると、まさしく無から有を生み出す作業をするという点でその性質は大きく異なります。従って、わたしという作者も新しい名で以て生まれ変わるべきではないでしょうか」


「なるほど……」


 わからん。ミフユさんの考えることが。


「でもそんなに重要なことでしょうか?」


「ええ、きっと重要です!」


 ありがちだが、その言葉の勢いで「きっと」だなんて不確実の代名詞とも言える言葉をチョイスするのはいかがなものかと常々思う。


「例えばヒイラギさん、これを見て下さい」


 ミフユさんはテーブルに置かれたスマホを操作したかたと思うと、まるで印籠か何かのようにその可愛らしい花柄のケースに包まれた画面を俺に向けた。


 そこには良く見慣れたカクヨムのサイトが開かれていて、よくよくページ内容を確認してみると、どうやらそれは異世界ファンタジージャンルの作品を「人気順」にソートしたもののようだ。今更確認しなくとも、この一ページ目に載るようなタイトル名ぐらい俺だって過去に一度はチェックしている。


「それがどうか――」


「〝ここ〟ですヒイラギさん、〝ここ〟」


 ミフユさんは俺の方に画面を向けたまま器用に中程に位置するとある作品を指で示す。


 タイトルは『フラれたショック死で異世界転生。女神から授かったチートがモテ能力だったからとりあえず女神から落としてみる』。


 タイトルが長いのが気になるが、今時ありそうな何の変哲もない、theラノベって感じだった。でも今注目すべきはそこではない。俺は次いで作者名を確認する。えっと、なになに……?


 作者名『おパンツ大好き幼女』。


「…………」


 俺は絶句した。


「ねっ!」


 ミフユさんは画面を指していた人差し指をそのまま立てると、今日一良い笑顔で微笑んだ。


「何が『ねっ』ですか? これで僕に何を伝えようっていうんです」


「わたしは単に本名からこの『ミフユ』という作者名に決めましたが、あまりにも安直だったかと思うんです。せっかく新たにファンタジーを生み出そうというのですから、作者名も凝ったものにしたいという想いがありまして……」


 それだと、暗に俺のユーザー名も安直と言ってることになるのだが。


「ミフユさん」


「はい何でしょう」


 俺は一度わからないように深呼吸すると、窘めるような口調で言う。


「ミフユさんは僕にファンタジーの書き方を教わりたいんですよね?」


「ええそうです」


「凝った名前を考えるのが先程ミフユさんが主張した〝重要〟なことですか? それってもうファンタジーを書く云々ではないような……」


「なぜこの方は『おパンツ大好き幼女』だなんて名前にしたのでしょう。もしかしたらこの方の書くファンタジーの人気の秘密がそこにあるのかもしれません」


「その同じページに載っている他の作者を見て下さい。確かに他にも怪しいのがチラホラありますが、圧倒的に少数派ですよ」


「ヒイラギさん」


「何です?」


「『おパンツ大好き幼女』とは、一体どういうことでしょう?」


 真面目に答えなければいけないだろうか。でも、ミフユさんの表情を見る限りでは少なくとも彼女は真剣だ。


「さあ? おパンツが大好きな幼女じゃないですか?」


「そのまんまですね」


「そのまんまです」


「なるほど……」


 ミフユさんは思案気な表情で自身のスマホを眺めていた。


「どんな意味を見出そうとしているんです? 他人がその名前を見たところで変態ってことしか伝わらないですし。それに、まあ、そいつ間違いなく大人だし、男だと思いますけどね」


「ええ」


 ミフユさんは聞こえているのかいないのか、スマホを凝視したまま頷くばかりであった。彼女がここまでの時間俺から視線を外すのは初めてのことかもしれない。


「すみません、無理矢理ファンタジー小説との関連性を見出そうとしたのは、わたしの身勝手でした。でも、このくらい奇抜でなければ、〝生まれ変わる〟とは言えないかもしれません。ヒイラギさん! どうか手伝って下さい。わたしを知るすべての人が〝わたしだとは夢にも思わない〟くらいに奇抜な名前を!」


「えぇ……」


 俺は根負けしてそこから小一時間、ミフユさんとまだ設定すら決まっていないファンタジー小説の作者名を考えた。


 考えては彼女の持参するルーズリーフに書き、書いては次の案を考え、考えては書き……。いつしか案を出す以外の口数も減り、それを延々と続けた果てにミフユさんが出した最終結論は……、


「やっぱり作者の名前はファンタジーにおいてそこまで重要じゃないです」


 だった。


 俺がもっと直情的な人間だったならばズコーっと派手にコケている場面かもしれない。何はともあれ、俺のミフユさんへの絶大な信頼がやや揺らぎかけた瞬間だった。


 いや、彼女にばかり責任を押し付けるのは良くない。俺の方にも一割くらい非がある。最初は半ば押し切られてしまったが、途中では彼女もそれが本当に重要な事柄か、自分で自分に疑問を持ち始めていただろう。その段なら俺も彼女を説得できたかもしれない。もっと早く、それこそ「女子の脇舐め憎」が案として出る前に気付くべきだった。


「それにそもそもカクヨムの規定では同一ユーザーの二重登録は禁止事項ですしね」


 ミフユさんは最後にしれっとそう言った。本当にもう、何だったんだ。


 この後、彼女がお手洗いに立った際、俺は休憩ついでに先程の『フラれたショック死で異世界転生。女神から授かったチートがモテ能力だったからとりあえず女神から落としてみる』を自身のスマホで流し読みしてみた。


 ネーミングとは裏腹に意外と硬派な作風で少し驚いた。

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