【仮題】1日目その5

「では気を取り直して」


 ミフユさんはミントの葉が浮かべられた薄い橙色の飲料に一度口を付けると、やっぱり俺の目をしっかりと見ながらそう前置きした。


「と言いましても、わたし自身上手くお教えできるのかわかりませんが……」


 さっき「ご説明をします」と宣言した割には、やや気概に欠ける様子だった。


 俺は一口アイスコーヒーを口に含む。


 当初と比べるとだいぶ慣れてしまったのか、俺は次の言葉を発しようとしているミフユさんから視線を外さずにストローを咥えていた。


 そしてこの時になって初めて気付く。ミフユさんは単に〝俺の目だけを見ているわけではない〟。俺がグラスを取る手の動きをずっと目で追っていた。そしてグラスを置くとすぐにその瞳に俺の顔を映し出した。


 俺は試しにズボンのポケットからスマホを取り出し、先程ミフユさんがやっていたように時間を確認するフリをしてからそれをテーブルに置く。意識してみるとやはりミフユさんはその動きをしっかりと目で追っていた。再度テーブルに置かれたスマホに一瞬目を遣ると、やはりミフユさんもワンテンポ遅れてスマホを一瞥する。そしてまたスッとすぐにこちらに視線を合わせてくる。


「ああ、すみません……癖なんです……」


 俺の表情から僅かな心情の変化でも読み取ったのか、ミフユさんの方からそう切り出した。


「気になりますか?」


「気になる……と言ったらやめてくれるんですか?」


「いいえやめません」


 やめないんかい!


 思わず心の中で似非えせ関西弁が出てしまった。


「まあ、別に気にしませんが……、もしかしてそれはミフユさんの創作活動と何か関係が?」


 内心かなり気にしていながらも、俺はそう尋ねてみる。


「ええ、確かに関係は……ありますね。人間の心を良く知るには人間を良く観察することが大切ですから」


 俺の書くようなファンタジーの世界ならまるで人外の種族か、あるいは心を持たないアンドロイドが言いそうな台詞だった。俺が節操を欠く人間だったならそのまま「ミフユさんは人間ですか?」とか続けていたかもしれない。


「先程の話題に戻りますが、何故一見すると〝無関係〟なシーンで心が揺り動かされるのか」


 本題に戻ったので俺は慌てて頭の中の下らない妄想をかき消した。


「答えは〝無関係ではない〟からです」


 だがミフユさんはそんな俺を嘲笑うかのように矛盾のようなことを口にする。


「どういうことです?」


「ヒイラギさんは何故、死に別かれた夫婦の方を〝関係がある〟とし、わたしの書く夕日と野良犬を〝無関係〟だとしたか。それはヒイラギさんがあくまでも関係性を表面上のストーリーそのものだと捉えているからだと思います」


「違うんですか?」


「全く違うとは言いません。ただ、人間の心情の変化はそんな単純なものでは影響されないのも事実です。試しに夫婦のストーリーの要点を挙げてみますと、概ねこうだと思います。〝人が人を愛した〟そして〝愛する人が死んだ〟。少し極端ではありますが」


「ええ、まあ、要点はそうかもしれませんが」


「では〝人が人を愛した〟という描写をA、〝愛する人が死んだ〟という描写をBとして、A→B→〝感動〟という単純な方程式が成り立ちますでしょうか?」


「確かにそれだけでは必ず感動する作品になるとは限りません」


 世の中に掃いて捨てる程ありそうではあるが。


「その通りです。もしこれが成り立つなら、そんなような物語の〝あらすじ〟を読むだけで人は感動してしまうことになります」


 最近の特にライトノベルというジャンルでは嫌に長いタイトルも流行っている。カクヨムの規定ではタイトルは100字までOKだそうだが、それではあらすじどころかタイトルだけで人の涙腺を刺激しかねない。


「そうですね。もっと、その……上手く言えませんが、やはり〝過程の描写〟が重要なんだと思います」


「過程……そうです。人の心情に変化をもたらすには、一定の時間を掛けて様々な描写で徐々に心に訴え続ける必要があります。それこそがわたしが先程言った〝共感する〟ということなのでしょう」


「つまりそういった〝共感〟を得るための描写という点では、夫婦の例と野良犬の例は同じだと、そういうことですか?」


 俺は確認するようにそうまとめた。


「あまり腑に落ちませんか?」


 ミフユさんはやはり俺の心情を察している様子でそう聞き返す。


「夫婦の例はストーリーとして表面的にわかり易いので一見すると同じに思えないに過ぎません。ヒイラギさん? 小説を読むことによる人の心情の変化というものは……そうですね、先程方程式を引き合いに出しましたが、あんな感じで案外〝科学的なもの〟だと思うんです」


「科学的……ねぇ」


「〝法則的〟と言い換えても良いかもしれません」


 ミフユさんは言葉を探しながら答えているようだった。ミフユさん自身も人に教えた経験がない以上は仕方のないことかもしれない。


「わたしは先程夫婦の話をA→Bとしましたが、これだとダメです。何がいけないか……、これではやはり表面上のストーリーのみをさらっているに過ぎません。物語を構成するこのAやBもまた、各々が集合体に過ぎません。もっとこう……そうです、それこそ数学の因数分解のようにAを、Bを、その中にある全ての描写を細かく分解してその一つひとつの要素がもたらす心情への変化を読み解き、それを正しい順序で配置しなければなりません」


 いよいよミフユさんの説明が理解の範疇を逸脱し始めた。だが、それが伝わる筈もなくミフユさんは構わず続ける。


「順番が重要です。心情の変化は絵具ではありません。絵具は様々な色をどのような順番で混ぜても最終的に得られる色は同じですから。心情の変化は……そうですね〝味覚〟のようなものなんですよ」


 そう言ってまたジュースに口を付ける。


「ほら、辛いものを食べた後に甘いものを食べるとすっごく甘く感じたり、逆に甘いものを食べたあとに辛いものを食べると余計に辛く感じたり、あとはお腹が空いている時は同じ料理でもいつもの何倍も美味しく感じたり、満腹の時は見るのも嫌だったり! ね?」


 ミフユさんは人差し指を立てながら笑顔でそう言った。


「ね、と言われましても……」


 今更になって無理矢理説明の難易度を下げるような配慮をされたところで、俺は遥か手前で置いてけぼりを食らっている。


「要素と順番が正しければ、ある一定数の感動は得られます。そしてその要素と順番の組み合わせとは、とても繊細で途方もないくらいに細分化して分けられるものだと思います。もし仮に、単純に〝人が死ぬこと〟が要素に成り得るなら、登場人物が大量に亡くなる物語はすべて感動超大作になってしまいます」


 確かにそうだ。いや、依然としてわからないが。


「それがわかればミフユさんの書くような何気ないワンシーンで人を感動させることができるんですね」


「ヒイラギさん、注意しなければならないのは、小説のような物語は一本の線であるということです。ただ闇雲に要素を配置しては無意味です。一本の線が冒頭からラストシーンまで続いていて、それが直線ではなく配置される要素によって常に波打っていると想像して下さい」


 まだ上手く想像できていないが、ミフユさんは無情にも話を進める。


「いきなりの荒波では人はそこに心情を重ねられません。徐々に慣らしながら同調させるように、そう、まるで周波数を合わせるかのように徐々に馴染ませていき、読む人の波と書く物語の波が合わさった頃合いを見計らって、大きく揺り動かすんです。双方の波が合わさる瞬間、それはつまり〝共鳴〟と言っても良いかもしれません」


 〝共感〟ではなく、〝共鳴〟。描くシーンそのものは関係なく、ミフユさんの主張する〝要素〟というものが重要ならば頷ける表現である。それに確かにそっちの方が科学的だ。


「最初なのでやや抽象的過ぎかもしれませんが、こんなところです。何となくでもわかって頂けました?」


「なるほど……」


 わからん。


「でもヒイラギさん、あくまでもこれはわたしの持論ですよ? あまり本気にされるとかえって申し訳なく思えてきます」


 本気にするも何も、まだその土俵に立っていないのだが。


 はっきりと理解が追い付いていないことを白状するのは、ここまで一生懸命説明をしてくれたミフユさんに申し訳ないと思ったのでそれは言わずにおいた。


「でもそうなら、僕がミフユさんのような小説を書くにはまずはその細かい要素を知る必要がありますね」


 俺は最後にこう質問してみる。そしてそれが墓穴を掘る結果となるのだが。


「何か……良い方法はあります?」


「良い方法……」


 顎に指を当ててやや首を傾げるようにすると、ミフユさんはしばし考え込む。


「そうです! 日記を書きましょう!」


「え? 日記……ですか?」


「ええ、わたしも最初の頃は日記を書いていたんです。それがよりリアルに自分の感情を残そうとしていった結果、いつしか小説になっていたというのがそもそもの執筆活動のキッカケですし! 少なくとも何かがあって自分が感じたこと、思ったことは真実ですから」


 確かに最初、自身の書く小説を「日記のようなもの」と称していた気がする。しかし……、


「日記と言われましても……何を書いて良いのか……」


「日記ですから出来事を書いて下さい」


 確かにそれはそうなのだが、俺はここ最近の体たらくを顧みて言葉を詰まらせる。到底人様に見せられるモノではない。


「出来事……ですか……。えっと、それはその……どこまで、書きましょう?」


「ありのままを書いて下さい」


「…………。それは当然ミフユさんも確認するんですよね?」


「ええ、まあ……お教えする立場ですから……」


 異性に対して細大漏らさず俺の全てを曝け出す。遅れながらもミフユさんは俺の羞恥を理解してか、やや言葉の歯切れを悪くした。


「まあ全部というのは大変ですからこうしましょう。ヒイラギさんが誰か他人と接する出来事があった時、そんな時はなるべく全部書いて下さい。その時の情景、話の内容、何を感じ、何を思ったか、それらをなるべく詳細に、かつ正直にお願いします」


「はぁ……」


「あと追加の課題と言いますか……これは余裕があればなんですが、他人と話す時はなるべく相手のこと良く見て話して下さい」


 ミフユ先生は俺の目を一層深く見つめながら付け加える。瞳に映るのは俺の瞳。まるで心の奥底を見透かさんとするように。


「良く見て……ですか?」


「ええ、基本的には相手の目を、動きがあった時はその仕草を、そして慣れましたらできるだけその人が今、何を思っているか、それを想像しながら。自分だけでなく、他者から得られるものも大切な手掛かりです。早速今日から始めましょう」


 そうか、だから彼女はずっとこんな感じで話す相手のことを見ているのか。今は俺という人間のことをわかろうとする為に。


「だから今日のわたしとのやり取りは早速書いて下さいね!」


「……………………わかりました。やってみます…………」


 ここにきて拒否できる気骨も度胸も俺にはなかった。


「その……、わたしについての感想も、あの……ちゃんと書いて下さいね」


 最後にミフユさんは照れながらそう締め括った。


「では、次はわたしが教わる番ですが…………えっと、今日はもう遅いですね」


 スマホで確認すると既に20時を回っていた。

 

「そうですね、ちょうど一週間後の土曜日またこの場所で、どうでしょう? 日記はついでにその時一度見せて下さい。ヒイラギさんのご予定はいかがです?」


「大……丈夫だと思います……」


 考えるまでもなく今のところ俺のスケジュールはずっと真っ白なのだが。


 しかし困った。乗りかかった船とはいえ、ミフユさんから執筆のコツを教わるにあたって宿題を提示されたばかりか、この様子で行くと俺はこの先何度も彼女と会うことになりそうだ。


 俺は急な出来事に反して思考が薄まっていくのを感じながら、伝票が挟まったバインダーを手に取る。そしてふと思う。


 ってちょっと待てよ…………。土曜日?

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