【仮題】1日目その3

「…………」


 俺は返答に困り、左右に目を泳がせてからもう一度アイスコーヒーを啜った。そして再度ミフユさんに顔を向けるが、彼女の眼差しは真っすぐに俺を捕らえたままだった。


「小説の書き方……ですか……。いやでも、それならミフユさんの方が断然上手いじゃないですか。カクヨムの評価を見ても一目瞭然です。何でしたら僕の方が教わりたいですよ」


「先生、いえ、ヒイラギさんをわたしが教える!? 滅相もないです! それにわたしが教わりたいのは〝上手い〟小説ではなく、〝面白い〟小説なんです」


「それならなおさらですよ。面白いからこそ、ミフユさんの小説はあそこまで評価されているんじゃないですか」


 確かにミフユさんの小説は歴代の文豪が手掛けるように文章が秀逸だとか数寄を凝らしているだとか、あるいは本格ミステリのように緻密で巧妙な構成だとか、決してそういったふうではなかった。 

  

 難しい言葉はほとんど使わず、あくまでも自然で、要所要所を切り取れば何の変哲もない小説のワンシーンに思える。


 決して難しくなく、自然で、優しく、とても優しく、それでいて悲しく、切なかった。


 彼女の小説は、そう、言うなれば曲だ。音楽に全く造詣のない俺は考える。構成される無数のセンテンス、それらが折り重なって一つの物語を紡いだ瞬間から、彼女の描く物語は他者には到底真似のできない高尚かつ幻想的な音を奏でる。ドレミファソラシド個々の音を上手く出せたところで、それらを正しい配置、正しいリズムで奏でられなければ意味がない。


 反対に正しい配置とリズムを伴えば、一見すると何気ないシーンでも読み手の心を掴むことができる。


 例えば、そうだ。現在彼女が執筆中の「ラピスラズリ」。シーンのひとつに主人公が夕日の照らす道端で一匹の野良犬を見かけるというのがある。


 俺はそのシーンに差し掛かった瞬間、狂ったように涙が止まらなくなった。不思議だったのは、その野良犬の存在は物語とは全く関係なく、何の脈絡もなく登場したということだ。


 主人公と奇跡的な再会を果たしただとか、主人公の小さい頃に死に別れた犬に似ていただとか、そんなストーリーは一切存在せず、本当に、普段読んでいる別の小説でならば、気に留めることなく読み飛ばしていたと断言できる場面。


 小説内容それ自体は悲しい物語だが、それでもあからさまに悲しいシーンで涙は出なかった。にも関わらず、その夕日と犬の情景で俺の中の何かが引き金となり、俺の内面に蓄積されていた主人公の抱える悲しみや切なさが一気に外へ溢れ出たのだ。


 そういった観点や経験から言わせてもらうと、彼女の小説こそ、単に〝上手い〟のではなく、〝面白い〟のだ。〝面白い〟小説を書くのが〝上手い〟と言うべきか。


 そしてその面白さの原理は決して説明ができない。恐らく教科書を読むような心構えで理解しようとしてはダメなものなんだと思う。彼女の小説には、それこそもっと、説明の付かない、超常的な、人々を虜にする魔法的な何かがあるのだと、そう思わざるを得ない。


「ヒイラギさん。〝上手い〟という評価はまだしも〝面白い〟という評価は絶対的なものではありません。見る人によって当然感想は違いますし、その人の心にどこまで訴えられるか、それも違います」


「確かにそうかもしれません。ジャンルによっても好みはありますし、万人が読んで同様に素晴らしいと評価する作品はこの世にないと思います」


 かく言う俺自身、ミフユさんのジャンル自体全く好みでなかったにも関わらず、ことごとくミフユさんの作品に魅了されてしまったのだが、矛盾を避ける為あえてそのことは口には出さず一般論として答える。


「でもアベレージは大事だと思います。ミフユさんが言うように〝面白い〟という評価が絶対的ではないとして、その〝面白い〟と評価する人間の割合が相対的に多いか少ないかで判断すると、やはりミフユさんの方が何倍も上です」


 星というカクヨム独自の評価法によれば何倍どころか、何百倍も上だ。


「いいえヒイラギさん。ヒイラギさんはわかっていません」


 ミフユさんの口調は丁寧ながらも少し熱を帯びたように声に力強さを重ねた。


「わたしは大勢に面白いと思われる小説が書きたいわけではないんです! わたしは、わたし自身が面白いと思える、面白いと感じながらもわたし自身には決して書くことのできなかった、ヒイラギさんの書くような〝ファンタジー〟小説が書きたいんです!」


「ファンタジー小説……だって?」


 確かに先程俺の作品のようなジャンルの小説を書いてみたいとも言っていた気がする。さらに思い返せば、こうして実際に面と向かって会うよりももっと前、サイト上の感想でもそう書いてくれていたことがある。だがそんな分不相応な言葉は社交辞令としてしか受け取っていなかった。


 ミフユさんの作品の中にファンタジーはひとつもない。だからといって彼女の技術で〝書けない〟というのはおかしい。それこそ、ミフユさんのような才能で以て人気ジャンルであるファンタジー小説を手掛けたならば、それこそ〝無敵〟だ。そこまで考えたところで、俺は再度結論を伝える。


「やっぱり僕なんかでは務まりませんよ。第一、ミフユさんは本当に僕の書く小説が面白いと思いますか?」


「ヒイラギさんはご自分の小説に自信がないのですか?」


 実に答えづらい質問だ。人気がない以上、胸を張って「自信がある」と主張することはできないが、勿論俺だってそれなりに考えて書いているつもりだ。「自信がない」と答えるのもある意味卑怯な布石を打っているようであまり良い気がしない。


 だから俺は、「どうでしょう」と適当に濁し、再度質問で返すことにした。ミフユさん自身も質問に質問で返しているんだ、お相子だろう。


「そもそも他に人気のあるファンタジー小説の作者はごまんといると思いますが、何故僕なんです? 今日、たまたま出会えたからですか?」


「例えば……」


 ミフユさんは答える。だが、雰囲気から察するに、どうやらまたしても質問への直接的な回答ではないようだ。


「例えば、100人の読者がいて、そのうちの99人が面白くないと感じたら、その作品はつまらない作品でしょうか?」


「ええ、つまらないと思います。先程言いました通り、評価が人それぞれである以上はその平均値で測るしかないと思いますから」


「でも99人がそうでも、残り1人が面白いと感じている。それでも同じことが言えますか?」


「ええそうですね。100分の1での評価でしたら、それは世間的には評価されていないのと同義かと」


「わたしはですね、思うんです。ヒイラギさん。99人に支持される作品よりも、1人の心に刺さった作品は、その1人にとって、とても特別なものになるのではないかと」


「そう……なんですかねぇ……」


「ええそうです!」


 確かに世に蔓延している人気どころをあえて避け、マニアックなターゲット層を狙うのは一種の手法と言えよう。だが戦略的にニッチなターゲットを狙った作品と、世間的に評価が乏しい所謂「つまらない」作品とは、やはり違うと思う。


「誰からも共感されなくて、誰からも見向きすらされなくて、でもそんな中で誰かひとりに、そのひとりの心に突き刺さるような小説、それってとても素敵ではありませんか?」


「ええまあ……」


 俺は煮え切らない言葉とは反対に少し苛立っていた。彼女の言葉を鑑みるに、別に馬鹿にしているわけではなさそうだ。だが会話を重ねる毎に俺の中の劣等感が沸々とし出す。


「それでもです。人気がないということは、つまらない小説なんだと思います。これまで聞いている限りでは僕とミフユさんとでは考え方が甚だしく違うようです。僕は書くとしたら99人に選ばれる方を目指したいです。ミフユさんは……そうですね、恐らく既にその99人から選ばれているからそんな考え方ができるのかもしれません」


 極力声は荒げないように押し殺したつもりだが、それでも心中に渦巻く気重な空気が漏れてしまっていたのか、ミフユさんは俺の言葉にすっかり黙りこくってしまった。


 失敗した。こんな八つ当たりみたいなこと、言うつもりじゃなかった。みっともないことこの上ない。


「ヒイラギさんは……つまるところ〝人気〟が欲しいのですか?」


「ええそうですね」


 俺は暗澹たる思いでそう答える。アイスコーヒーを啜るとグラスにはほとんど残っておらず、ずずっと行儀の悪い音を立てた。


「僕は人気が欲しいです。人気が、世の中の大多数の声が、評価の全てだと思っています」


 もうどうにでもなれ。別に目の前の少女に対して格好付けたいわけでも好かれたいわけではない。もしここで嫌われて今後カクヨム内でこれまでのような〝ミフユ先生〟との交流がなくなってしまうのは正直残念だが、元よりこんな気持ちのままミフユさんと会話を続けるのはうんざりだ。


「ではこうしましょう」


 少し間があって、ミフユさんは頬に掛かる髪をかき上げ居住まいを正すと、これまでで一番真剣な表情を俺に向けた。


「わたしはヒイラギさんに小説の書き方をお教えします。ですからヒイラギさんはわたしが納得できるファンタジー小説を書けるよう教えてください」

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