【仮題】1日目その2

「ミフユ……先生……」


 実に情けないことに、長時間人と会話をしていなかった為か、音の出し方を忘れ掛けた俺の声帯は変に上ずったような声を発した。


 座っている俺を覗き込むような形で彼女、ミフユ先生は目元を細くして優しく微笑んだ。


 違います。そう一言答えていればそれでこの話は終わったのかもしれない。だが不可解さに頭では拒絶反応を示しながらもあまりにも急なことに思考が追い付かず、


「はい、確かに僕がヒイラギです」


 気が付けば俺は何かに吸い寄せられるかのように肯定してしまっていた。


「な、何で……わかったんです?」


 そして遅れながらも俺はようやく彼女に問い掛ける。


「あ……。そうですよね。いきなりこんなこと、少し変ですよね」


「ええ、まあ……」


 変と言えば、正直かなり変なのだがさすがにそこまでは口に出さなかった。いかに他人とまともに接しなくなってから久しいとはいえ、初対面の相手に対する礼儀くらいはわきまえているつもりだ。


 だが、彼女が本当にあのミフユ先生なのだとしたらこれまでカクヨムのサイト上で約半年間のやり取りがあったことになる。何とも不思議な感覚だった。


「えっとですね、それ……」


 尋ねたまま呆けているしまっている俺を余所に、彼女はテーブルに広げられた原稿用紙を指差した。書き掛けのファンタジー小説だ。


「ああっ!」


 そこで俺は気付き、まるで法に触れるような何かを隠すかの如く、慌てて原稿用紙を束ねて裏返した。別に悪いことをしているわけではないのに、何らかの犯罪の証拠を掴まれてしまったかのような心境だった。


「すみません。盗み見るつもりはなかったのですが……」


 申し訳なさそうな声に顔を上げると、彼女の言葉とは裏腹にあまり表情に変化はなかった。


 端正に切り揃えられた黒髪はかなり長いようで、腰のあたりまで伸ばしている。毛量が多く重たそうではあるが、不思議と暗い印象は受けなかった。だからといって今時の女子高生のような遊んでいるふうでもなく、どちからというと見かけは真面目な優等生っぽいタイプといった方が正しいだろう。


 それに、はっきりとはわからないが、俺は彼女を…………。


 俺に視線に気付いた彼女がにこっと微笑んだので、俺は思わず視線を下げる。黒いタイツに包まれた彼女の細い脚が木製のテーブル越しに目に入った。


 いつまでも立たせておくわけにもいかないので、俺は手ぶりで座るように促す。本音を言えばそのまま立ち去ってくれるのが一番だったのだが、無言でいつまでも様子を伺って居られる程、俺の肝は据わっていなかった。


 彼女は「失礼します」と言いながら俺の対面に座ると、近くを通った店員を呼び止め、フレッシュマンゴージュース650円を注文する。どうやら挨拶程度で御暇してくれるわけではなさそうだ。


「あの、本当にミフユ先生なんですか?」


 そして改めて問う。彼女が俺に気付いた理由はわかったが、依然として彼女があのミフユ先生だという確証がない。嘘を吐いている感じでもないし、そもそも原稿を一目見て俺がヒイラギだと気付くのは恐らくこれまで俺の投稿を熱心に追ってくれていたミフユ先生くらいなのだが、それにしても偶然が過ぎる。


「そうですよ。ほら、これ」


 俺の心中を嘲笑うかのように、彼女はスマホを取り出し、自身のカクヨムの管理画面ページを開いて見せた。確認すると、確かにそれは俺が忘我してしまう程に心奪われるミフユ先生の作品が並ぶ管理画面だった。


「ミフユ先生……ホンモノ……」


「はい。本物です」


 彼女、改めミフユ先生は嬉しそうに笑みを返した。


 憧れの人気作家がこのような女子高生とは驚きだ。作風から女性なんだろうなくらいには考えていたが、正直少なくとも社会人だと勝手に思っていた。


 驚きと同時に少しショックでもある。別にここで変な嫉妬心を抱くつもりはないが、それでも多少の悔しさは否めない。


「わかりました信じましょう」


 信じるも何も、今やこちら以上に彼女が本物のミフユ先生だという証拠を突きつけられてしまったわけだが、疑い交じりの聞き方をしてしまった手前、明言しておいた方が良いだろう。


「あと、良い機会ですから一つ言いたかったことが」


 俺はそう続けた。そう、俺にはミフユ先生と面と向かって話す機会があったとしたらどうしても言いたかったことがある。


「その〝先生〟っていうの、やめて貰えると助かります」


 今までサイト上で言い出せなかったのは、文字だけでの指摘だとニュアンスが伝わりづらく、意に反してキツイ感じに捉えられてしまっては良くないと懸念していたからだ。こうして晴れて面と向かっている今、俺はせっかくなので前々から気になっていたそのことをお願いしてみる。


「え? 何故です? わたしにとってヒイラギ先生は紛れもなく、〝先生〟ですからヒイラギ先生とお呼びするのは当然ですよ? それに、それを仰るならヒイラギ先生こそ、そのミフユ先生という呼び方はやめて下さい。何だか照れくさいですし、恐縮してしまいます」


「いやいや、ミフユ先生はミフユ先生ですよ。だってあんなに人気ありますし、本だってほら、出してるじゃないですか」


「いえいえ、そんなことを言ったらヒイラギ先生だってヒイラギ先生です。ヒイラギ先生の作品には常日頃から関心させられっぱなしなんです。わたしもああいったジャンルを一度は書いてみたいと思っているのですが、なかなか上手くいかなくて……」


「いやいや、僕なんか底辺中の底辺の書き手ですよ? 評価見てるんですからわかるでしょう。ミフユ先生の足元にも及びません」


「いえいえ、世間の評価なんて関係ありません。わたしにとってはヒイラギ先生の描く世界こそ至高なのです。書籍化したからといって真に優れているとは限りません。問題なのは読み手その人にとってその作品が〝どういうものなのか〟ですから」


「いやいや――」


「いえいえ――」


「いやいや――」


「いえいえ――」


 俺たちはそんなことをしつこく繰り返し、


「わかりました。これからはミフユ先生のことは普通にミフユさんとお呼びします。だからミフユさんも〝先生〟はやめて下さい」


 幾度か言い合った後、不毛だと察した俺は折れて折衷案を提案するに至った。


「わかりました。でもそれでしたらむしろ普通に本名でも良いのでは? そういえば、先生……いえ、ヒイラギさんのペンネーム、本名が由来ですよね? ヒイラギさんもお気付きだと思いますが、わたしもそうですし」


 やはりだ。ミフユさんのそうした再提案を聞いてから、先程薄っすらと感じた何かが信憑性を帯びる。やはり、先程の感覚は俺がまだ学校へ通っていた頃に彼女とある一定の、それこそ少なくとも「校内で見かけただけ」以上の接点はあったということを示唆している。


 だが彼女の名前はおろか、学校で彼女とどういったやり取りが存在したのかさえ全く思い出せなかった。それは彼女に対してだけではない。目立つような生徒を除けばその大半が朧げだ。今目の前にいる彼女も会話のみならば明るくハキハキとした様子だが、それでも教室内で特段目立つようなタイプには見えない。


 しかし困った。俺の本名は冬樹。カクヨム上での名、〝ヒイラギ〟はまんま名前を漢字の〝柊〟に当てはめて決めた適当なものだ。そして彼女もまた同様の趣向でのネーミングだと言う。ダメだ。思いつかないし、俺が彼女の名前を知っていると思われている以上、当たりを付けたような適当を口にするわけにもいかない。


「いえ、本名はやめましょう。せっかく僕たちのあいだには僕たちの世界だけでの呼び名があるのですから」


 今更改めて名を尋ねるのは少々失礼だ。そう思い俺は頑なにそう提案し直した。まあ、そもそも今日偶然こうして出会ったにすぎず、今後会うとも限らないのだが。


 しかし俺の中でそのような葛藤があったことを知る由もない当のミフユさんは、


「わたしたちだけの……。ええ、はい。良いと思います。その、とても……良いと思います……」


 少し照れた様子で無事提案を受け入れてくれた。


 丁度その頃注文したアイスコーヒーとマンゴージュースが俺たちのテーブルに届き、各々無言でストローを刺すと同時に一口啜った。


 見かけ上の会話の様子では平静を装っているが、互いに変な緊張があるのかコップをテーブルに置くまでのその時間は妙にぎこちない空気が漂っているように感じた。


 少なくとも俺は緊張……、していると思う。いやどちらかと言うと気まずさと言った方が正しいのかもしれない。


「ヒイラギ……さん」


 話題もなく苦し紛れに手元のアイスコーヒーをちびちびと啜っていると、ミフユさんは妙に真剣味を帯びた視線を俺に向けた。


「わたしも、もしヒイラギさんとこうして面と向かって話す機会があったなら言いたかった……、いえ、お願いしたかったことがあったんです!」


「な、何です?」


 意を決したような緊張感を纏いながらもやや身を乗り出すミフユさんに、俺は少し身を引きながら尋ねる。


「わたしに、小説の書き方を教えて頂きたいんです」

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