小説タイトルはあなたが
所為堂 篝火
【仮題】1日目
【仮題】1日目その1
『人間は、本来夜行性の動物なのかもしれない。
ふとそう考え至ってしまう時がある。
隅に埃の溜まったデスクに置かれた四角いデジタル式時計は緑色のLEDで午前4時23分を示していた。
瘴気にも似た何かが纏わりつくとでも言えば良いのだろうか。日中は身体が重く動く気にもなれず、結局デスクに向かうのは毎度深夜を回ってからになってしまうのが俺の中での日常となりつつあった。
何故そうなってしまうのかはわからない。だからそういった埒もない世迷言が頭に浮かんでしまうのも咎められないことだ。だがそのような生活サイクルになってしまっていることに自己嫌悪しているのも事実である。
デジタル時計が指す月はMay。5月。
教育関係の職に身を置く親のコネで入ることのできた私立の進学校へ通わなくなってから、早くも半年が経とうとしていた。平日のこの時間は、世のほとんどの人間が出勤、登校に備えベッドに入っていることであろう。そう考え始めると何気なく沸き起こった自己嫌悪が無限連鎖的に増幅されていき、頭を抱えそうになる。
それもこれも、上手く筆が進まない所為だ。
狭いデスクスペースの半分程は26.5インチのモニター一体型のPCに占領され、カーテンを閉め切った薄暗い室内で煌々とした光を放っている。その灯りに照らされるのは400字詰めの原稿用紙。右から順に埋められたシャープペンの文字は用紙の半ばで止まっている。
芯の太さが一定のシャープペンの字である筈なのに、最後の方は心なしか弱々しく思えた。
「ダメだ……」
俺はついに深い息を吐き出し、同時にそう口に出した。
俺が書いているのは小説の原稿。
何も俺が小説家というわけではなく、あくまでも趣味の範囲でのことであるが、俺自身はそれなりに真剣に取り組んでいる。
原稿はどこかの賞へ応募する為のものではなく、後々PCで清書し、Web上に投稿する言わば下書きのようなものだ。
Webで小説を投稿できるサイトは今やいくつもあるが、俺は取り分け『カクヨム』というサイトを好んで使っている。ユーザー名『ヒイラギ』。目の前のPC画面に表示されているのはカクヨムのユーザー管理画面。青の差し色がまばらに入った白地のページは良い光源となってくれる。
何故いきなりPC上で打ち込まずに、今時手書きだなんていう現代人からすると多分にまどろっこしい手法を取っているのかというと、それは何も昔の小説家気取りの格好付けではなく、俺の好みによるところが大きい。まずは一度書いてみて、その上から修正した方が良いと思った個所に斜線を引いたり追記したりしながら直観的に手を加えていくのだ。そうして出来上がった原稿をPC上で清書する。幾度か書き方を試した末にそのスタイルが一番自分に合っているのだと思い至った。
だがいかに自分に合ったスタイルであろうと、上手くいかない時は上手くいかない。原稿用紙の中頃で止まったシャープペンの先はコツコツと幾度となく紙に打ち付けられ、細かい斑点模様を作っていた。
「ダメだ……」
もう一度、独り言つ。
俺が書いているのはいわゆる「異世界ファンタジー」。このカクヨム内で最も人気があると言って良いジャンルである。同時にそれはそれだけ競合作品も多いということを意味しており、その中でずば抜けた作品を新たに生み出すのは困難となっている。
カクヨムの管理画面には俺がこの半年のあいだに投稿した作品たちが十作程並んでいるが、そのすべてが「異世界ファンタジー」であった。
だが俺が今や書き尽くされてしまっているそんなジャンルに固執するのは、単純にそれが〝好き〟だからである。
好きである以上はそれが二番煎じあろうとマンネリ化された展開であろうと、物語を妄想していて楽しいのだ。一人頭の中で膨らませた自分だけの世界を己の手で活字に起こした瞬間から、その世界は他者と共有できるモノとしてこの世に体現される。そして今はそうして生まれた作品をインターネットという便利なツールを使って簡単に発信することができるようになった。そう、今の時代、小説家でなくても小説家と同じように世に作品を、「自分だけの世界」を残せるのだ。
最初はそれだけでも十分に楽しめた。たまに感想なんかを投稿して貰えると、それだけで心が躍った。
だが、慣れてしまえば人間の醜い欲深さが出てくるもので、最近はそれだけでは満足できなくなっていた。つまりは、自身の作品にもっと「人気」が出て欲しい、それが意のある所だ。
ランキング上位のいくつかの作品を流し読みして、「俺の方が上手い」そう内心で虚勢を張ったこともあるが、まあ、いわゆる負け惜しみだ。結局票を多く集める作品はそのどれもがそれなりに「面白い」ものであった。仮に文章力や語彙力が今一つな作品であっても、人気がある作品にはそれを補って余りある「勢い」と「情熱」と「アイディア」があり、そして何よりも本当に楽しんで書いているんだろうなというものが伝わってきた。
それらに比べると俺の作品は単純に「面白くない」。そうなのだろう。
勿論俺自身は面白いと思って書いていたのだが、最近はどうもそれがわからなくなりつつあった。自分で自分の作品を信じられなくなったらおしまいだ。それに、確かに疑心が強まりつつはあるが、頭の中で考えていた時は間違いなく、「面白い」そう思ったからこそ書き始めた。それだけは確信できる。
でも……、
「ダメだ。こいつは〝生きていない〟」
場面は異世界に転生した主人公が苦難を乗り越えヒロインを助け出すシーン。その感動的なシーンでのヒロインの言動が上手く描写できない。
その感覚は上手く言語化できないし、そもそもそれができるならここまで立ち往生する羽目にはなっていないのだが、やはり「ダメだ」この一言に尽きる。強いて挙げるならば口にした通りこのキャラクターは「生きていない」のだろう。
勿論俺は俺で自分の作品のキャラクターが好きだ。気に入っている。愛している。自身の創造したキャラクターを「こいつ」呼ばわりするくらいには、生かしているつもりだ。
だが、その生かしている筈のキャラクターを、ただの活字という色のない無機物に成り下げ、殺してしまっているのもまた、自分自身なのだ。
自分が良いと思って発信してきた作品たちの評価が芳しくない以上、良くないと自覚したまま公開するのはより耐え難い。
俺はそれから数分悩んだ後、パタンとシャープペンを放り一度伸びをすると、スマホを片手に一直線にベッドになだれ込んだ。部屋のライトはいつ寝落ちしても良いように予め消している。
ベッドに入ったからといってすぐに眠るわけではない。
俺は慣れた手つきで仰向けのままスマホを掲げ、カクヨムのサイトにログインする。
自然と瞼が落ちるまでの時間、カクヨム内で自身の作品をチェックしたりブックマークしているお気に入りの作品を読むのが就寝時のお決まりだった。
まず管理画面に入ると先程PC上に映し出されていたものと同じ内容が表示される。そして今執筆中の作品の最新話に誰かがハートを付けているのを発見した。急いでチェックすると見知ったユーザー名が目に入る。ご丁寧に感想まで付けてくれていた。
『とても先が気になる展開ですね。次も楽しみにしています。投稿時間、いつも遅い時間帯ですけど、あまり無理はなさらず執筆頑張ってくださいね』
「またミフユ先生か……」
ミフユ先生とは俺の連載を追ってくれている数少ないカクヨムユーザーの一人だ。「また」だなんてことを口走ってはいたが、内心嬉しく、表情が綻んでしまっているのが自分でもわかる。と同時に今後は投稿時間を少し考えねばと思った。ミフユ先生は身体の心配をしてくれているようなこと書いてはいるが、こんな時間帯にばかり投稿している人間のことだ、本音ではきっとまともな生活スタイルに身を置かないニートだと思われているに違いない。まあ、実際そうなのだが。
そう考えつつ俺は早速お礼の返事を打ち掛けて、そういえば今の時間帯も時間帯だなと思い至り、その手を止めた。
返事は明日投稿することにしよう。
カクヨムユーザー名「ミフユ」。俺の作品の読者であると同時にカクヨム内では名の知れたトップランカーの執筆者でもある。執筆した作品は四作品とまだ少ないものの、そのどれもが一度はカクヨムのランキング欄に載ったことがあり、人気が出るキッカケとなった処女作は書籍化までしている。
カクヨムには読者が星を付けて評価できる機能があり、その累積でその作品の良しあしを一目で判断できるのだが、ミフユ先生の作品は軒並み星の累積が4桁だ。
俺はというと投稿作品10作品中6作品が星3で、その全てがミフユさん一人からの評価によるものだ。他四作品も辛うじて2桁といったところ。この評価システムは上限がないだけに、100点が上限の学校の試験に比べ、より顕著でずっと残酷な実力差を目の当たりにできる。
俺はミフユというユーザーのことをサイト上では「ミフユ先生」と呼ぶ。そういうミフユ先生も俺のことを「ヒイラギ先生」と呼ぶ。
会ったこともないだのが、先生と呼んでも現に書籍化しているのだから別に差し支えないだろう。対する俺の方はというと、正直かなり差し支える。俺に「先生」だなんて敬称で呼ばれる価値はない。
そういえば、以前にミフユさんからは次のようなコメントを頂戴したことがある。
『空想上のことですのに発想が凄いです! ヒイラギ先生には是非、そういったアイディアを生み出す上でのコツを教えて頂きたいです!』
仮にミフユさんがここまで交流のない人物だとしたならば、星4桁の作品を持つ作者からのその言葉は、俺のような者にはとても辛辣な皮肉以外の何物にも映らなかっただろう。
だから、それだけにミフユさんのその言葉が不思議でならなかった。
俺が初めて読んだミフユ先生の作品は『ひなげしと哭く空』。あらすじを要約すると一人の女性が小学校時代の恩師と偶然街で再会し、そこから始まる数奇な物語。
それだけ聞けば絶望的に退屈この上ない印象しか受けないのだが、かえってそれがその作品の内容が気になってしまった理由となり、何と無しに目を通してしまった。
そしてその気紛れと言っても良い迂闊な行動があのようなことになるなんて、俺自身当然知る由もなかった。
一言で言うなれば「驚き」だ。
全30話、総文字数にして優に10万を越える活字の羅列を、一度の休憩も挟まないまま読み進めてしまった事実が俺にとっては既に驚愕に値するのだが、読了後、顔でも洗おうと洗面台に立った時に自身の顔を鏡で見て、俺はさらに驚くことになる。
掃除が行き届いておらず曇り気味の鏡に映るのは、目元を真っ赤に泣き腫らした俺自身の顔だった。瞼の下には流れていたであろう涙の形跡がくっきりと残っていた。
俺は驚くと同時に、少しばかり恐怖を感じてしまった。俺自身創作の類は好きだが、それでも活字で涙を流すほど感受性に富んでいる自覚はない。事実、〝泣けるドラマ〟の類で泣いたことなど一度も無いのだ。
その俺がここまで一つの作品に夢中になり、ファンタジー専門の俺からするとまさしく正反対の、言わば趣味上のカテゴリエラーとも言えるジャンルで心がここまで動かされるのはある意味一種の暗示と称しても差し支えなかった。人をああまでさせる魔力がミフユ先生の作品に備わっているのならば、使い方によっては本当に人を陶然し尽くし、果ては軽い洗脳くらいはできてしまうのではなかろうか。そう思えたのだ。
現在はミフユ先生の四作目、新連載中の『ラピスラズリ』を読んでいるところだ。
カクヨムのような小説投稿サイトの良い点は、連載中の作品が少しずつ更新されていくところだ。もし一度に文庫本一冊分の分量を持つミフユ先生の作品が投稿されたならば、俺は読むのを途中で止める自信がない。彼女の書く作品は人の自己抑制というものをことごとく破壊してしまうのだろう。現に他二作品の時も『ひなげしと哭く空』と同様の症状に見舞われた。
こうして連載作品の最新部に追いつくことのできた今は、晴れて自分の生活を乱されることなくミフユ先生の作品を楽しむことができる。
ベッドの中で新着通知を確認し、ミフユ先生の更新がないことに落胆していると、いつのまにか眠りについていた。
翌日、いや、既に日付は翌日を回っていたので同日の昼13時過ぎ、俺は目を覚まして買い置きしてある食料で適当に空腹を満たした。
その後は小説を読んだり、ベッドに舞い戻ったりしながらゴロゴロと時間を浪費しているとあっという間に時刻は17時、夕方になっていた。
そしてこの頃からいつも俺の中の己に対する嫌悪感が顔を出し始める。それがわかっているなら少しずつでも有意義な生活に変えていく努力をすれば良いのだが、そこは馬鹿の一つ覚えのように「明日から」という戯言ばかり繰り返してしまうのだ。
だがこの日は外に出てみようと思い立った。気紛れ、そう言う他ない。少しでも何かを変えたかったのかもしれない。
少なくなってきている食料や生活必需品を買い足すついでと無理矢理自分を鼓舞し、俺は適当な服に着替えるとアパートを後にした。
俺は現在一人暮らしで、少しばかりの貯金と両親からの仕送りで何とか生きながらえている。最寄り駅は東京の茗荷谷駅。丸の内線で後楽園と池袋のあいだにあるそこそこ都会と言って良い立地だ。その場所に決めた理由は昨年まで通っていた高校に近いからということ一点で、今ではその環境が自分の首を絞めている。
手狭な広さに関わらず家賃が割高だということもそうなのだが、真っ当な生活をドロップアウトした俺にとって、それ以上に深刻な問題があった。
そう、高校の最寄り駅ということは俺が通っていた学校の生徒と鉢合わせる可能性が高いということを意味し、特に今みたいな夕方の時間帯は部活動に従事していない生徒たちが駅に集結するタイミングでもある。
だから俺はなるべく顔を伏せ、逃亡中の指名手配犯さながらの心境で足早に電車に乗り込むと、二駅先の池袋駅で下車、お目当ての喫茶店を見つけ、一目散に入店した。
俺の選んだ喫茶店は全国にチェーン展開しているような有名どころではなく、少し高価そうな店構えのものにした。チェーン展開しているようないかにもなお店だと、学生が集まり易いということを鑑みての対処であったが、上等な西洋風の雰囲気のその店は洒落た意匠の施された内装で、席に着いてから確認したメニューの価格もやはりその雰囲気に見合ったものだった。
コーヒー一杯が830円……。
ある程度わかっていて入店した手前だが、両親からの仕送りと日を追う毎に徐々に目減りしていく貯金でやりくりする身としては少々痛い。
だが、と。気を取り直して俺は注文のコーヒーが来る前に原稿用紙を広げる。
せっかくこうして環境を変えたんだ。少しでも有効活用しなければ。
「ヒイラギ……先生?」
不意の女性の声が耳に入った。
とても澄んだ綺麗な声だったが、そんなことよりも俺はその女性の言葉に耳を疑っていた。
ありえない。本名ならまだしも、何故カクヨム内でしか使用していないユーザー名で声を掛けられる。
「ヒイラギ先生ですよね?」
繰り返される。聞き間違いではない。
恐る恐る顔を上げるとそこには、昨年まで俺が通っていた高校の制服である紺のセーラー服に身を包む一人の女子高生が立っていた。
「ああ、わかりませんか? えっと、〝ミフユ〟です。ヒイラギ先生、ですよね?」
未だ言葉が出ずにいる俺を余所に、彼女はそう続けた。
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