第六幕 愛の言い訳
彼女はまだ見ぬ赤ちゃんをとても愛おしく思った。とてもではないけれどこの子を見捨てることなどできない。いのちを懸けて子どもを生もうと決めたのよ。その子が生まれるまでの十月十日、彼女は陸に留まった。赤ちゃんのお父さんになる夫も、もちろん一緒にいたわ。ふたりは少しずついのちを削りながら、赤ちゃんが生まれてくるのを、それは楽しみに待っていた。
ユキは失意の底にいた。ヘレナ先生のレッスン室の前で前の生徒のレッスンが終わるのを待ちながら、廊下のソファに沈みこんだ。右手に握りしめた台本が手の中で湿って皺になる。左手に持っていた本は、力ない指からこぼれてソファに落ちた。
自分の現実から目を背けるように、目の前の扉からかすかに漏れ聞こえてくる歌声を、あんまり上手じゃないな、と思う。まだ練習中なのかもしれないが、それにしても高音が苦手なのか尖ってばかりできれいじゃないし、音程が離れている音に飛ぶとその音を外す。十六分音符がほとんど八分音符になっていたり、休符を逃して音が伸びすぎたりしていた。わざと楽譜の指示とは違う演奏をすることもあるけれど、それは十分に曲を理解し、解釈した上でおこなうものだ。今歌っている子は、演奏技術が不十分な上、自分が演奏している歌をちっとも理解できていない。だから勝手に音を伸ばしたりクレッシェンドの始まりが楽譜上と違っても平気で歌い、音楽を捕まえられずにいる。
下手くそな歌。この歌の意味を全然わかってない。
頭の中でわめき散らして、ユキは深すぎて背骨が抜けそうなため息をついた。
みっともない八つ当たりだった。声も若いというよりまだ幼いし、せいぜい六つかそこらの子どもだろう。それでも担当講師が付いているということは、特に歌に見込みがあると思われている子なのだ。
幼い子どもが、おとなと同じように楽譜を理解し解釈できるわけがない。曲が作られた背景となる、さまざまな文化や歴史、情動、言葉、演奏技術と表現の結びつき、それら知識と経験を蓄え、蓄えたものを使って目指すべき音楽を想像できるようになるには、身体と心の成熟が必要不可欠である。先生の指導と成長の課程で、子どもは自然とそれらを蓄積し、理解し、やがて自ら思考するようになってゆく。
つまり、先生が適切な指導をしてくださっていたら、子どもが自分のやっていることを理解できるようになる頃には、基本的な技術は身についているのだ。
ユキは手の中の台本を固く握りこみ、俯く額に当てた。
先ほどまで演技のレッスンを受けていた。朝の公園で、やっと自分に足りなかったものを見つけた気がして舞い上がり、意気揚々とレッスンに臨んだ。これでやっと胸を張って舞台に戻れる日が来る、と、本気で思った。
それがとんだ見当違いだった。安易な答えに浅はかにも飛びついた自分が恥ずかしくて情けない。
知識として知らないでいることと、その技術が身についていないことは必ずしもイコールはない。あるテクニックを何と呼ぶのかは知らないけれど、使い方は知っていて運用できていれば、誰もあの子はあのテクニックを知らないんだわ、とは思わないだろう。
たとえば、【魔法のもし】と【与えられた状況】という考え方が、演技の技術のひとつにある。
『俳優の演技、また演技における行動には内面的な正当性があってリアルなものでなければならない。俳優は役のおかれた状況、すなわち【与えられた状況】を想定し、「【もし】自分がこの役の状況にあったら、何を感じ、何を考え、なにをするだろう」と自分に問いかけることで役と自分を重ね合わせ、役を理解し、役をリアルに表すことができるようになる』
と、簡単に言えばそういう技術のことなのだが、ユキは【魔法のもし】【与えられた状況】、どちらの言葉も知らなかったし、何ならこの技術を提唱した有名な演出家の名前さえ知らなかった。だけれど稽古でも舞台でも、そんなことはずっと当たり前にやってきたのだ。さすがにまずいと思ったのは舞台芸術の分野で超有名な人の名前さえ知らないでいたことくらいか。
ユキが自分の技術を技術として理解していなかったのは、それを習得したのがあまりに幼い頃だったからである。その後のユキは子役として公演に出ることが多くて、レッスンを受けるより稽古で直接演技を学んできたのも一因だった。教科書を読む暇や発想がなく、理論と実践を結びつけられなかった。
ユキにとって、演じる技術は文字と似たようなものだ。
ふつう、母国語の本を開いたときに「わたし今、文字を読んでいるわ。文字を読む技術があるわ」などといちいち意識しない。本を開いて意識に流れ込んでくるのはせめてその言葉そのものか、文章が表している内容だろう。
幼少のころは違う。文字を読む技術を十分に習得していないために、文字を読むことそのものに懸命に意識を向けた。やがてすらすらと読むことができるようになって、意識は文字が作る文章や、文章が表す内容へと移っていった。
よくよく子どものころを思い返せば、先生に教えてもらいながら、役を理解すること、台本の読み方、感情を表現すること、舞台の上でどういう動きをするか、そもそも演じるとはどういうことか、など、まさに演技技術に関する本に書いてあった通りの、演技をするのに必要なさまざまなことをひとつひとつ意識し、確かめ、注意を払って何度も繰り返した。けれどもその時のユキは、自分のやっていることやその重要性を技術として認識するにはまだ幼く、先生も難しい言葉は使わずに遊ぶようにしてユキを導いてくれたから、演じるための技術を学び、実践しているとは思っていなかったのだ。
だが技術がある一方で、演じることの芯にある難しさには、おとなも子どももない。表現する。人間とは、感情とは、心とは何かを問いかけ、観客に伝える。そのシンプルで複雑な課題は身体の大きさにかかわらず、平等に立ちはだかっている。演じる者は一生を懸けてそれに向き合ってゆく。
ユキは幼くして何度も課題にぶつかり、稽古を重ねて乗り越えてきた。この頃からすでに、ユキにとって演じる技術はただの文字となっていて、関心はその文字をどう使ってどのような表現へたどりつくかに向いていた。
今また、ユキがぶつかっているのはまさにその『演じることの難しさ』そのもののほうなのだろう。子どものユキはいつも無我夢中で体当たりをしていたから、いったいどのようにして乗り越えてきたのか、思い出そうにも確かな記憶がない。ただひたすら一生懸命にやっていた、という覚えだけがある。だから理路整然と、論理的に考えながら乗り越えたわけではないのは確かだ。あのころは、いったい何をきっかけにしていたのだっけ。
「はあ……」
あれから十数年、ここにきてようやく、ユキは自分のことを振り返っていた。今までは後ろを向く余裕もなく駆け抜けてきた。子どものころから今まで、さまざまなことがあったけれど、いつだって舞台に夢中で――きっと、夢中でいようとしてきたのだ。他のことを何も考えないでいられるように。
子役時代は公演の稽古に忙しく、シニアでデビューを逃してからはネージュの仕事に手一杯で歌とダンスだけに絞っていたから、演技のレッスンを受けたのはいったいいつぶりだったろうか。だが先生が板書を交えながら説明していた演技の技術は、ユキにはひとつも目新しくなかった。なるほど今までやってきたあれらが技術というものだったのか、と知った程度である。
シニアから入団してきたおとなの団員向けの基礎クラスだったから、まずは丁寧に技術の説明がなされていたが、演技とは技術を披露することではない。技術を完全に自分のものにして使いこなしてもようやく単なる土台ができるのであって、そこから演技と言えるものを練りあげなければならない。レッスンの中でユキの演技を見た先生も、まさにそれができていると言ってユキを褒めた。
演技のレッスンではっきりと「すでにできている」と言われて、ユキはようやく、自分が劇団で過ごしてきたあいだのことを省みた。いつも、どの先生も、熱心に、わかりやすい説明でユキを導いてくれた。この上なく恵まれた道だった。
なのに、どうしてうまくいかないのかなあ……。
レッスンを反芻するほど、ため息をつかずにいられなかった。胸がきゅうきゅう締め付けられて、少しでも空気を外に出さなければやっていられない。
レッスンの終わり際、ユキは「演技の基礎を学びなおしたい」と殊勝な理由をつけて先生から一冊の本を借りた。先生が、あなたに必要なのはきっとこれではないと思うけれど、と言いながら貸してくれた本をすぐさま読んで、そして、幼少期にユキに演技のいろはを教え込んでくれていた先生に感謝しつつも、今度こそ目の前が真っ暗になった。
「わたしに足りないもの」
ほとんど声に出せず、口の中で呟く。絶対に見つけると決意したのに、本気で探していただろうか。よく考えたらすぐさま違うと言えたかもしれないほど安易な答えに飛びついたのは、ただ楽になりたかったからじゃないのか。そもそも、舞台に立ちたいと思った、それは果たして本当の願いだったろうか。
子どものころから歌もダンスも演技も精一杯やってきた。厳しい稽古にも音を上げず、舞台にもたくさん立った。それでもユキには足りないものがあって、ユキを追い越していった他の子はそれを持っているというのだろうか。
足りないもの。ヘレナ先生が言ったような、本物の音楽をつくるもの。感情って何だろう。どうしたら役を演じられるのか。想像する、とはいったいどういうこと?
本当はうすうす感づいている。【それ】はもう、わかりやすいテクニックとか知識とか、そういったことではないのである。
見つけたと思ったのに、ふりだしに戻ってしまった。
本当にやるつもりなら、今度こそちゃんと探さなければ。けれど足もとから這い上がってくる冷気のように、恐怖がじわじわとユキを蝕んだ。【それ】を見つけてしまうことは、もしかしたらユキにとって幸せではないのかもしれない。
落胆している間に、前の子がヘレナ先生のレッスン室から出てきた。予想通り、ユキの半分以下の歳くらいしかない子どもだ。髪をふわふわカールさせて肩に流している、赤いワンピースの女の子。すれ違いざま、ユキを強く睨んでいったような気がする。劇団員は仲間であると同時に皆ライバルでもある。上昇志向が強い子ほど対抗意識を持つとも言う。とはいえあんな子どもはユキにとっても、そしておそらくあの子にとっても互いがライバルになどなりえないし、見知らぬ子どもにわけもわからず睨まれたくらいで落ち込む必要はないというのに、際限なく下降していく気持ちを抑えられずに疲労ばかりたまっていった。ユキはため息をこらえながら、今までにないほど憂鬱な気分でレッスン室の扉を開けた。
「おはようございます、ヘレナ先生」
「おはよう、ユキ。なんだか元気がないわね」
「まあ、ちょっと」
「こんなに元気がないのは人魚姫のオーディションに落ちて以来かしら」
痛い。楽譜を取り出すのにリュックに顔を伏せていたユキは、自分の目にじわりと涙が滲み出すのを感じた。楽譜と一緒にハンドタオルを出して、汗を拭うふりをして目もとをおさえる。目をつむるとまつげの先から滴った。
演技のレッスンへの当てつけではないが、ことさら入念に身体のストレッチをし、発声練習をして、練習曲をやった。今日はほんの少しのミスにも過敏になるくらい神経がピリピリしていて、ユキはいつもの三倍くらい「今のところ、もう一度お願いします」と口にした。せめて歌だけは完璧でいたかった。
無駄に時間のかかった気のする基礎練習を終えて、課題曲に入る。ユキはさっき握りしめて皺にした台本と、涙ひとつぶが落ちて紙が滲んだ楽譜を譜面立てに乗せ、こわばった面もちで見下ろした。
歌で演技をする。歌の主役はエヴァンジェリン、伯爵家の箱入りお嬢様。不慮の事故で幼くして両親を亡くし、その後は家を継いだ兄と暮らしている。けれどふとしたはずみで自分に本当は兄はおらず、兄として振る舞っているのは素性もしれない青年であることを知ってしまう。でもその時、お兄さまと長年家族として暮らしてきたエヴァンジェリンは、彼に深い愛情を抱いていた。
そう、エヴァンジェリンはそういう身の上で、お兄さまを深く愛する、優しくも芯の強い少女。ここはお兄さまを思って薔薇を眺めるシーンだから、エヴァンジェリンはお兄さまが喜んでくださる期待と、庭で摘んだ花など子どもっぽいものを差し上げるためらいもあって心は喜びと羞恥、そしてお兄さまのまわりにいる大人の女性たちへの嫉妬が少し。もしわたしがエヴァンジェリンの立場にいたとしたら。このときの感情は……。そうしたら動きは、こう……。
「ユキ?」
伴奏部分が終わっても歌いださないユキに、ヘレナ先生がピアノを止めて声をかけた。ユキははっとして思考を切り、自分がさっき受けた演技レッスンでのテクニックに絡め取られていたのに気がついた。技術が気になるあまりに、自分がきちんとそれをおこなえているかばかりに気を取られて演技にたどり着かない。もう一度歌おうとしても同じだった。血の気が引いた。
どうして、何もかも当たり前にできていたはずのことまで急にできなくなってしまったの。さっき、演技のレッスンまではよかったのに。
「ユキ、あなたはあなたの演技をすでに持っているのだから、あまり技術とかメソッドとか、今は気にしすぎなくていいのよ。演技のレッスンでは紹介しても、うちの劇団では採用していないメソッドもあるのだし」
楽譜と台本を置いて、こちらにおいでなさい、とヘレナ先生はピアノのすぐそばへユキを呼び寄せた。先生の指が鍵盤に沈む、持ち上がる、また沈むのがよく見える。ずっと子どものころ、グループレッスンの中でひとりだけ音を確かめてもらう時とか、先生と一緒に譜読みをするときに立っていた、懐かしい位置だった。
「ちょっと気分を変えてみましょう。元気の出る歌。ユキ、これまだ歌えるわね?」
先生が前奏部分を軽く弾く。懐かしい曲だ。でも、もちろん歌える。ユキはうなずいて軽く目を閉じた。
劇団の興行で、子役が主役になる演目は多くない。その中で、これは年に一度必ず上演される演目であり、劇団内オーディションで子役たちが最も気合いを入れる役。
ユキは当然のように、主役となる少女と同じ十一歳でこの舞台に立った。その何年か前からオーディションに出ることを考えていたのだが、体格が小さかったことと、当時別の公演で与えられていた役がどれもこれも純粋無垢な天使みたいなイメージで、それを惜しんだ先生方がしばらく引き留め、ようやく十歳になってオーディションの許可が出たのだった。審査に一発合格したユキは公演までのあいだにひとつ歳をとってちょうど十一になり、奇しくも、というよりおそらくは先生方の作戦によって、主役の少女と同い年、という売り文句も追加で詰め込んで宣伝された。
楽しい舞台だった。主役の少女は恵まれない境遇にいるのだけれど、前向きで、めげず、希望を失わない。つらいことがあってもにこにこ笑って、悲しみを乗り越えようとする。最後は彼女に心打たれた紳士と愛情たっぷりの絆で結ばれる。
その主題歌とも言えるこの曲は、いつだって前を向いて、顔を上げて生きる少女の強さを歌っているが、作中では少女が自ら歌って人びとに希望を与える歌だ。
五年以上も前、赤いワンピースを着て舞台に立った。絶対にこの舞台には出るのだろうと思っていたから、オーディションに通った感動は薄かったのに、主役として舞台に立つと、舞台から見える景色、共演する他の劇団員とのやりとり、自分がこの公演を引っ張っていくんだという使命感、なにもかもが色鮮やかで、誇らしく、胸がいっぱいになった。
思い出して、唇が微笑む。まぶたの裏に舞台のセットを描いた。わたしは夜空の月を見上げながら、どんなときだって、ぜったいに明日があるから、と歌う。
子どもの頃に歌った、自分の歌声とは違う。この歌は子どもの声がいちばん似合う。わたしもおとなになってきたのだ、と思った。それでも演じれば思考とは別の心が、主役の少女と同じ気持ちになれる。明日があるからきっと大丈夫。どんな最悪な日でも、明日になれば必ず太陽が昇って、世界を照らしてくれるの。だからわたしは、まだ頑張れる。
「とっても素敵だったわよ、ユキ」
明日を愛している、と少女は全力で叫ぶ。彼女のまなざしの先には、いつだって希望がある。
「歌うのは好き?」
「好きです」
「そう」
ヘレナ先生はなぜか、とても優しい顔をした。子どものころたまに見た、ユキに何か言い諭そうとする時の顔だ。楽しい気持ちが急速に萎んで、心が警戒に固くなるのを感じる。ユキの気持ちにヘレナ先生も気づいているのだろう、少し困ったように微笑み、鍵盤に向けていた体をユキに向けなおして、ちらりと譜面台の上の楽譜を見た。
「でも演じるのは、苦しいかしら」
「…………」
図星だったから、ユキは何も言えなかった。うかつに何かを言うと、ここまで懸命に押しとどめていたものが、一気に崩壊しそうな気がした。
「苦しいのは悪いばかりじゃないのよ。そういう時期、ってこともある。でもね、私、ふと気づいたの。ユキ、あなたはあまりに小さい頃からここにいて、ここ以外の居場所を考えたことがないのねって」
「それじゃ、ダメなんですか」
「ダメじゃないわ」
縋るようなユキの声に、ヘレナ先生は間髪入れず返した。だが、直後に「だけど」とひっくり返す。
「ユキ、あなたには歌の才能がある。私は劇団にいるから他のことも多少は知っているつもりだけれど、専門は歌だから、歌のことだけはわかると思っているわ。あなたの才能がどこまでのものかは、それは試してみないとわからない。でも確かにあなたは他よりずっと優れて、歌の才能があるの。だから」
才能がある。それはよいことではないのか。だから何だ。ユキは呼吸も忘れてヘレナ先生の口もとを凝視した。
「あなたには、劇団の他にも可能性があるのよ。たとえばクラシックの世界とか、もちろんポップミュージックでも、あなたが行きたいと思えばきっと行ける。でもクラシックを目指すならやっぱり音大に行ったほうがいいわね。出身大学や師事した先生の名前も大事な世界だから。もし進学するなら、もちろん私が推薦状を書くし、ピアノのレッスンもするわ。あなたは来年受験資格を得られる歳になるでしょう?」
「それは……」
それは、劇団で、舞台に立つのは諦めろということですか、先生。
喉が締まり、声がかすれて、とても音にはならなかった。提示された進路は確かに新しい世界への扉かもしれない、でもユキは、ユキがたどり着きたいのは。
「急に、どうしてそんな」
ユキがなんとかそれだけ絞り出すと、ヘレナ先生は眉を下げた困り顔をしてユキを見返した。手の掛かる、でもかわいい教え子を前にしたかのような慈しみ深い微笑。そのまなざしはユキに向けられているのではなかった。
「ヨハンが来たのよ」
「ヨハンさん、ネージュの仕事に専念させろ、って?」
「誤解しないでほしいのだけれど、ヨハンはあなたのこと、本気で入れ込んでいるのよ。あの子はちょっと仕事熱心すぎて頭が固いところがあるけれども、本心では舞台や、藝術の才能をとても愛しているの」
「ヘレナ先生とヨハンさんって、仲、良かったんですね」
ユキからは、ヨハンはとてもそういう人には思えなかったのに、ヘレナ先生があまりに慈愛に満ちた声で語るので、否定もできなかった。代わりに、ふたりは恋人同士なのか、と疑う。しかしヨハンは三十台前半、ヘレナ先生は年齢不詳気味とはいえ五十台近いはず。恋に年齢は関係ないとは言うけれど、ヨハンさんとヘレナ先生の普段の性格を考えると、そういう恋をしそうには見えなかった。
ヘレナ先生はいっそう優しげに、懐かしそうに目を細めた。
「元教え子だもの。ヨハンもね、あなたよりもうすこし上の年齢になるまで、ずっと劇団員として頑張っていたの。歌も上手なのよ。でも、どうしても舞台に立てなかった。どんなに頑張ってもなかなかオーディションに通らなくて、とても苦しんだわ。劇団を去ることも考えたようだけれど、結局、ヨハンは自分が舞台に立つことと同じくらい演劇を愛していて、どんなかたちでもいいから関わりたいって、役者ではなく事務局の人間として、劇団に留まることにしたの。そのうちに才能のある人間がいるなら最大限に活躍させたい、その手助けをしたいと思って、芸能事務所のほうに行ったのね」
でも、もったいないくらい歌が上手なのよ、今でも。ヘレナ先生が少しやるせなさそうに付け足した。先生は自分の生徒を望む道で活躍させてやれなかったと悔やんでいるのだろう。ユキから見れば、ヨハンは腕のいいマネージャーだし、今の仕事にそれは熱心で、楽しんでいるように見える。どうやって担当している劇団員を売り込み、人気に火を付けるか、そればかり考えているのが好きな人だと思っていた。そうして数字が出ることに満足する、有能なマネージャー。
「あのね、これはネージュには言ってはいけないことなのでしょうけれど、本当は、ヨハンは決して、あなたにネージュとしての道を強制させようと私に相談したのではないの。でもこのままでは、あなたは潰れてしまうのではないかって、とても心配しているのよ」
ヘレナ先生は切々と訴えた。音楽に向き合うときと同じくらいに真摯な目で、ユキにヨハンのことを語り聞かせる。ノンフレームの眼鏡の奥からネージュにコンサートで歌うよう圧力をかけてくるヨハンさんと、ヘレナ先生の語る藝術に身を賭したような青年のヨハンは、ユキのなかでなかなか一人にはならない。けれど初めてマネージャーとして紹介されて彼に出会ったとき、整った面差しの、特によく目立つヘーゼルの瞳の中に、劇団員としての誇りを見た気がした。だから最初は劇団の先輩だと感じたのだ。本当に先輩だったのか。
「ネージュをやめるなんて、ヨハンさん、絶対許してくれないと思います」
ユキは苦し紛れに言った。希望を失いかけているユキにとって、ほとんど最後のあがきだった。舞台を諦め、ネージュもやめて劇団を去ったら、もうユキに夢なんてない。歌う才能はあったとしても、欲張りと言われようと、もうひとつ、絶対に欲しい才能があった。あなたにはきっとそれがあると言ってほしかった。
「ヨハンはあなたの前ではあくまでネージュのマネージャだから言えなかっただけで、本当は、どんな道でもいいから、あなたの才能を無駄にしてほしくない、あなたの歌を、この世界から失いたくないと願っているの。彼は、あなたをとても愛しているから」
優しくて、胸を抉る言葉だった。ユキの頬に、さっきは堪えられていた涙がこぼれた。嗚咽をこらえて唇を噛む。泣き崩れることは、これまで必死にこの世界に立ってきたユキの矜持が許さなかった。
愛なんて。
愛という言葉を残して言い訳にして、人は簡単に人を捨てるくせに。愛しているからといって人をだまして、嘘をつくくせに。
愛で、人を裏切るくせに。
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