04
カフェ、アルペジオ。BGMがいつもクラシック音楽の、ちょっと珍しい店だ。店員は若い女性二人だけだが、客もほとんどいないもんだから人手不足で問題ということはなさそうだ——経営的には大問題だろうが。二人とも良い人なのだが、なかなかどうして客足が遠い。
「おい、聖名子。そんなにキョロキョロすんな。こっちだ」
入り口で突っ立ったままの聖名子を窓際のテーブル席に誘導する。
窓からは学校と駅を結ぶ大通りが見える。車や人の往来は無限に続いていて、ここ座山がそこそこ大きい都市であることを思い出させてくれる。人口約二十万、東京都西部の中心地だから、駅の周りに人が集まるのは当たり前なのだ。待てよ、こんだけ駅周辺が栄えているなら、ここら辺の地価は高いはず。……このカフェの経営事情が気になる。この客足で採算が取れているはずがない。店長は昔宝くじでもあてたのだろうか、それともお金持ちのパトロンでもいるのだろうか。
なんて考えても仕方がない。今度店長に聞いてみるか。
いつもの席に座る。週に一回はここに座っている気がする。放課後、千秋と適当に駄弁って、西日が窓から差し込んで眩しくなったら帰るのだ。時事ネタから学校のこと、哲学みたいな学術的な話——話題は何でも良かった。ただ話すだけで俺は充分満足していたんだ。お前もそうだっただろう、なあ千秋?
「へえ、こんなカフェがあったんだ」
「結構良いだろ。俺たちのお気に入りだ」
「そうね、私もこの雰囲気、気に入ったかもー。ねえねえ今度二人で行こっ!」
「お前が奢ってくれるならな」
「はあ、女の子に払わせるなんてサイテー」
「じゃなきゃ、俺のメリットがないだろ?」
「可愛い女の子と一緒に優雅なひと時を過ごせるのに、メリットがないって……」
「藤原、残念だけど君はボクには勝てないよ」
「にゃにー」
ムキーと歯を食いしばっている聖名子を一瞥して、
「注文は」
背の高い綺麗なお姉さんがお冷やとメニューを持ってきた。
俺と千秋にはメニューは不要だ。
「俺はいつもので」
「ボクも」
「えっ、じゃあ私も同じので」
聖名子、絶対グリッサンドが何だかわかってないだろ。適当に合わせやがって。
「グリッサンドを三つ。飲み物もいつも通りか」
「ああ、俺はアイスコーヒーで。千秋はオレンジジュースか?」
「うん」
「で、聖名子は——」
「私はアイスティーで。砂糖とミルクも」
「ではしばらく待っててくれ」
手際よくメニューを回収して、お姉さんは立ち去ろうとする。まるで何かから逃げるかのように。
「あ、店長、待ってくれ。例のアレ、いいか?」
「はいはい、作曲者と曲名をどうぞ」
彼女はトンズラに失敗してもう諦めたような顔をしている。
「今店内で流れているのは、バッハのブランデンブルク協奏曲の五番の一楽章だな」
親父のおかげで俺はクラシック音楽にちょいと詳しい。なにせ家には親父のCDが何百枚もある。親父に幼い頃に嫌でも聞かされりゃ、有名どころは覚えるさ。まあ、その結果が音楽センスのないピアノ歴八年なんだがな。
俺の解答に、美人のお姉さんは残念そうな顔をした。
「やれやれ。君たちはいつも正解するなあ。約束通りドリンクは無料だ」
「よっしゃ、いつもありがとうな」
「次はもっと難しい曲にしないとな」
「ハハハ、高校生の財布には厳しいんで今後もこんくらいのレベルで頼むぜ」
「それにたとえ難しくしても、ボクが代わりに答えるだけだからね、このままの方が一般受けしていいんじゃない」
こら、千秋は皮肉を言うな。今のレベルでも客はBGMに興味を持たないのに。クラシック音楽に惹かれるのは一部の人間だけなのだ。お前もそれはよく知っていることだろうに。
「ねえ、これってどういうこと?」
「聖名子は初めて来たから知らないだろうが、ここはBGMの曲を当てると、ドリンクがタダになるんだよ。まあ、クラシック音楽しか流れないから一般人には意味がないけどな」
「このサービスを始めたものの、まともに利用してるのは君たちくらいだ。まったく嘆かわしいことだ。あ、そうだ、いつも飲み物タダで出してるんだから、たまにはSNSで宣伝してくれよ」
残念ながら、俺と千秋はSNSの類をやらない。
「悪いが、聖名子。任せた」
「はいはい」
こういう人の頼みを引き受けてくれるのは聖名子の長所だ。性格が良いというのも、あながち間違いではないのかもしれない。
「ありがとな」
「いいよ。そんなに大したことじゃないし。今度一緒に二人だけでここに来てくれたらね」
「まあ、いいだろう。そんなに大したことじゃないからな」
コホン。店長は咳払いした。
「それでは、私は注文の品を用意するとしよう。少し待っててくれ」
——で、いつもより女の子が一人多いのはどういうことだい?
俺にだけ聞こえるように言い残して、店長は厨房に戻っていった。
さあな、俺にも全く訳がわからんさ。
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