03
土曜は午前四時間授業であるから、下校時刻といってもまだお昼時だ。無論、こんな時間に下校するのは休日オフの部活や帰宅部の活動を全うする人間たちだけの話。校庭で野球部の掛け声が聞こえたり、体育館でバレーボール部ないしバドミントン部、バスケットボール部が汗を流していたり、音楽室で吹奏楽部が合奏したりしていてもまったく不思議ではない。部活に熱心な方々は、どうぞご自由に部活でエンジョイしてくださいな。
俺と千秋は美術部所属のため帰宅部員ではない。が、ほぼ幽霊部員と化している俺たちは、帰宅部といっても差し支えなかった。
一般的には帰宅部という存在は「落ちこぼれ」と思われがちだ。
しかし、花山院千秋の場合は例外だ。家で十時間猛勉強しているという根も葉もない神話が出来ているため、まったく「落ちこぼれ」扱いされないのだ。それに比べて、俺は「落ちこぼれ」か「千秋の金魚のフン」の烙印を押されている。随分と不当な差別だ。でも、千秋がいけないわけではないし、俺が枚挙にいとまのないほど「落ちこぼれ」と言われる資格を所持しているのも事実なわけで、俺に一ナノグラム程度の責任があるのは認めよう。
さて、授業を適当に受けた俺たちは——先生より千秋の説明の方がわかりやすいので、俺はあえて惰眠を貪らせていただいているし、千秋は授業中ずっと読書に耽っている——いよいよ灼熱地獄と太陽光線と悪戦苦闘しながら、帰路の真っ最中である。
ちょうど学校と駅の中間地点を歩いている。この辺り最大の書店が見えるが、土曜の割には、人はいなさそうだ。やはり暑いからみんな家を出ないのだろうな。
そうだ。暑い。絶対的には夏本場にとてもかなわないものの、相対的には暑いことも確かなもので、温度変化に弱い繊細な俺の体は毎秒蝕まれているのだった。
さらに運の悪いことに、都内のそこそこ有名な進学校であるのが災いしてか、織風高校は規則云々にはやたらと厳しく、五月十五日になるまでは冬服でなくてはいけない。つまりは、絶対に余計と思えるほど分厚く重いブレザーと冬の寒さに耐えるため無駄に保温性の高いズボンを、あと十日ほどは着用しなくてはならないのである。俺は空しくもそんな学校への抵抗として、ズボンの裾をまくしあげていたが、あまり涼しくはならず、むしろ動きにくくなっていた。
「暑いな」
千秋に同意を求めた。同じ気持ちの仲間がいれば、少しは楽になれるかもしれない。
しかし、千秋はことごとく期待を裏切ってくれる。
「そうかな。ちょうど過ごしやすい快適な感じだと思うんだけど」
「千秋、おまえ、この天気で、なお暖かいと言うのか」
唖然とする俺に、千秋は止めの一撃とばかりに、
「ちょっと、待って。正太郎、何か勘違いしてるようだから言っておくけど、『暖かい』なんて僕は一言も言ってないよ」
「まさか涼しいくらいだと?」
「僕と正太郎の『涼しい』という言葉に対する認識が等しいならば、そうなるね」
涼しげな顔で言ってくれる千秋だった。
妙に感情が高まって、なんか余計に暑くなってきたじゃないか。
話題を転換しないと、これは マズイな。
なんか、なんかいいネタはないのか……。
そう思っていると、向こうの方が先に話しかけてきた。
「正太郎ってさ、よくあんな長時間ゲームやってて飽きないね」
馬鹿にするというよりは感心、といったところか。いや、むしろ呆れられてる気がする。まあ、確かに俺は自他ともに認める生粋のゲーマーさ。シューティング、RPG、アドベンチャー、ノベル、アクション、ボードゲームなどなど。大体のジャンルは網羅(カバー)している自信がある。
そもそも実質帰宅部で友達づきあいもよろしくない俺が家に帰ってやれることは、ネットサーフィンとゲームと読書くらいしかない。あ、ピアノも弾くぞ。まだ、下手の横好きで続けているからな。
「お前こそ、良くそんなに読書して飽きないな」
多少腹を立てて馬鹿にしたような口調で言ったのに、
「正太郎、質問しているのは僕の方だよ。先に君が答えるべきじゃない?」
あっさり返されてしまった。
それで、あんまり自然にかわされてしまったものだから、俺はぼそぼそと仕方なく、
「なんでゲーム飽きないかって? そりゃ……楽しいからに決まってるだろ。現実ではあり得ないことを体験できる素晴らしさ、読書好きのお前ならわかるだろ? で、お前の方は何で読書が好きなのさ?」
途端に目が輝きだす千秋。
「本は知識の宝庫だよ! 過去から現在に至るまで万人が思ったこと、考えたこと、調べたこと、気づいたことが纏められているんだ。誰かが一生涯かけて考えたことをほんの数時間で知識にできる。ああ、なんて素晴らしいんだ。それに比べてゲームは……ゲームは何なんだろうね? 所詮現実逃避にしかならないんじゃない」
皮肉っぽく言う千秋に、俺はとてつもない敗北を感じた。せめての抵抗として、絶命寸前の兵士が槍を投擲するように悪あがきしてやりたい。
「夢かな」
「随分とロマンティックだね。正太郎ってそんな人だったっけ?」
千秋はクスクスと笑いだした。チッ。千秋にそのように笑われると、なんだか無性に腹が立つな。
ここは千秋の好きな話題で収めるのが一番だな。と今までの経験でもって悟った俺は、当初まったく予定していなかった提案をした。
「そろそろ、駅に着くけど、どうする? あ、そうだ一緒に駅前の本屋に行くのはどうだ?」
「あれれ? 本屋じゃなくてゲームショップの間違いじゃないの?」
「は? お前の耳はなんかゴミでも詰まっているのか。ちゃんと耳掃除しておけよ」
「だってさ、千秋のレゾンデートルってゲームだけじゃん。『本屋行く』なんて言うと思わないよ」
千秋よ、両腕で「ひ」の字を作っておどけるのはなかなか腹立つぜ。
「俺だってそれなりに本は読むんだ」
「あー、ごめんごめん。ちょっとからかい過ぎたね。うん、そうだね……前から買いたかった本もあるし行ってもいいけれど」
俺の怒りを察知したのか、態度を改めた。まあ、俺が読むのは主にラノベなんだがな。
「よし、じゃあ行こうぜ」
こうして、俺たちは本屋へと足を踏みいれ——
「ちょっと、私も混ぜてよ」
「やっと来てくれたね、藤原。遅いよ」
「千秋、どういうことだ。で、聖名子、どうしてお前はここにいる? 部活は——」
「ちょっと気になることがあるから、部活は休んだ。それに——」
「ボクが呼んだんだ」
千秋が聖名子を呼んだだと……。明日は雪が降るに違いないな。それくらいの天変地異が起こっても俺は驚かないぞ。
「悪い。話についていけん。俺にもわかるように説明してくれ」
「いいとも。ただし、場所を変えよう。ほら、あそこにカフェが見えるだろう? あそこで説明するよ」
確かにあそこなら、話をするには好都合だな。
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