マルドゥック・ロケッツ
音無村
第1話
登場人物
バレル・フィッシャー…ギャングのリーダー
ブルー、ロック、ウフコック、イースター、スティール、トレイン、ウィスパー等
舞台設定
カジノ
梗概
ギャングに捕まった保護証人を助け出すため、イースターズ・オフィスの面々が動く。日夜カジノに通い詰めポーカーに興じるギャングのリーダー、<バレル・フィッシャー>には流儀がある。それは、ポーカーに勝った日には恩赦を出す事。保護証人を捕まえるように頼んだカジノ側、捕まえたギャング側、保護証人を救い出そうとするイースターズ・オフィス側の三つの思惑が混ざる。カジノで負け続けるフィッシャーにオフィスはブルーの能力を使って、次々とプレイスタイルを変えさせることで勝利へと導くが、能力の乱用にによってフィッシャーの虚勢を建てた人格は崩れてしまう。結果、フィッシャーは恩赦を与えずに保護証人を殺してしまう。ブルーの悔悟とウフコックとの溝の深まり、人の内面は他人には見えないという事。
本編
鬱蒼と茂る森/都市へと繋がる道は絶たれている/分領する川/崩壊した家庭/劣悪な家庭環境 /少年は思う。=俺は負け犬【 アンダードッグ】じゃないと。
逃れる事の出来ない己という名の檻=戦わなければいけない/お前は挑み続けなければいけない/怖れるな/逃げるな=もう一度あの場所に戻りたくなければ。
《<ウィスパー>、ターゲットのテーブル上で行われる全てのゲーム、プレイヤー達の癖、性向、あらゆる情報の分析を頼む。》
男の眼が左目から右目の順に形や大きさを変え、狙ったテーブルの全てを補足しようとする=獲物を狙う鷹のように/350度の視野を持つ馬のように/カードの傷一つ見逃さない精密機械のように…人智を超えて。
ウェイン・ロックシェパード、万能の目を持つ、理性の男。さながら、勇壮な老騎士。
《要請受諾―――実行》ウィスパーが応答するのを聞き、ロックはターゲットの元へ向かった。
広大なカジノの中では―――ダイス、スロット、ブラックジャック、バカラにルーレット、そしてポーカー。そこから派生する種々様々なゲームが行われていた。
取り分け、ポーカーの中でも最も主流とされているテキサスホールデム。そのゲームが行われている卓【テーブル】にフィッシャーは日夜、規則正しい時間に現れていた。
「乗った【コール】」
上乗せされていくかけ金【チップ】。強気の姿勢。テーブルに何万ドルものチップが積まれていく。上客【ハイローラー】の証そのもの。
このカジノの常連ならば知らない男はいない。名を<バレル・フィッシャー>。文字通りのカモ【 フィッシュ】である。
勝敗が決する【ショウダウン】
結果はフィッシャーの負けだった。山の様なチップが、勝利したプレイヤーの元へと運ばれていく。フィッシャーは強い手を持っていなかった。ブラフとも違った、彼はただ単にゲームに乗っかり、そして負けていた。
裏の顔はギャングのボスであり、都市の権力者であるフィッシューは笑う。負けて尚満足そうに。その男の内面を窺い知ることは誰にも出来ない。降ろされた《フォールド》手札のように。
「今日もあなたはあなたの流儀を貫き通しているようですね、フィッシャーさん」そう言って、ロックが話かけると、男は笑みを湛えて振り返った。
「やあ、君か。ケニー君」
―――同時刻、イースターズ・オフィスの所長室に設置された円形のハイテーブルを四人の男が取り囲んでいる。その横にあるソファに腰掛けながら、目の前に置かれたパンケーキを熱心に切り分ける少年が座っている。ブロンドの髪と青い瞳。さながら緻密な研究者のよう。彼の名は<トレイン>、オフィス屈指の知能指数を誇っている。
カードゲームに興じる3人と一匹の男たち、ドクター、ブルー、スティール、そしてウフコック。その四人と4つに切り分けられたパンケーキを見比べながら、トレインは何やら思案している。
「ロックは順調にフィッシャーと親交を深めることに成功しているよ」イースターがそう言って、人差し指でテーブルをコツコツと二回叩く。【チェック】の合図。
「なら、保護証人の救出は確実ですね」スティールが言った。ウフコックとブルーはすでに降りている、イースターとブルーの一騎打ち【ヘッズアップ】だった。
果たして、結果はスティールの勝利だった。
「ヘッズアップ時のポケットペアは強力なハンドですが、この場合は遅くてもリバーの時点でフォールドすべきです。」やれやれとスティール。
「ドクターは賭け事には弱いんだ。赦してやってくれスティール」ウフコックが言う。
トレインは4分の1に切り分けたパンケーキを何度も崩しては重ねている。
「ブルーに、スティール、ウフコック、全員呑み込みが早いよ。とりわけスティールの強さは作戦の成功を保証するものだろう、人選の勝利だ。そっちの調子はどうだい?トレイン」
トレインは四等分に切り分けたパンケーキを何度も崩しては積み重ねるという行為を繰り返していたが、突然自信ありげに囁いた。
「四分の
それから数日後、作戦は決行された。
カジノでは、ブルーとスティールとロックが、保護証人が監禁されている、ウェストサイドにあるギャングのアジトにはウフコックとトレインがそれぞれ配置している。
ブルーはカジノにある、喫煙エリアで自身のターゲットを待ち構えていた。
―――「逆に何故未だに保護証人が生かされているのか考えてみて欲しい、彼らの流儀を尊重していると言えば聞こえはいいが、依頼したカジノ側は負けるなんてこれっぽっちも思ってもいなんだ」
その日、イースターズ・オフィスに舞い込んできた依頼は、複雑な関係の中に複雑な構図をはめ込んだ、キュビズムのように頭の重い案件だった。
「難しいゲームだ、勝ち目があるとは思えない」
「そのフィッシャーとかいう男はカモにされているんだろう、どうやってそんな男を勝たせると言うんだ」
いくつもの反駁が飛ぶ事になった難しい依頼であった。
真っ黒なカジノを相手取り、数々の社会的な不正を暴こうとしていた男が、カジノ側が雇ったウェストサイドのスラムを根城とするギャング団によって拉致監禁されていた。
ウフコックの能力【ギフト】に依って、その男を保護証人とするまでは順調だったが、急速さよりも安全性を考慮した結果、男の身柄を安全に救い出す方法でオフィスのメンバーは壁にぶつかった。
そんな折、ギャングの情報を洗っていたロックから、素っ頓狂な情報が届けられた。
「ギャングのリーダーは恩赦を出す事がある」
恩赦?作戦の指揮に務めていた、ドクター・イースターもブルーも耳を疑った。
「ギャングのリーダーである<バレル・フィッシャー>はカジノに通い詰めている。カジノに勝った日には懲罰を与えていた構成員や、ギャングによって被害を受けていた人間全てに許しを与えて解放するそうだ」
「つまり、その男をカジノで勝たせることさえできれば、安全に保護証人を救いだせる可能性が大きくなるんだな」ウフコックが自分自身に言い聞かせるように言う、横からイースターが質問する、「そいつはカジノではどんなゲームをしてるんだい?」
「ポーカー、それもテキサスと呼ばれるスタイル一筋だそうだ」ドクターがパチンと指を鳴らしたが、ウフコックに睨みつけられ目を逸らした。
「バロットはまだ未成年だ、巻きこむ事は出来ない」
「ウフコック、僕はまだ何も言ってないぞ」
それから、カジノにロックとウフコックのチームを送り込み、<バレル・フィッシャー>のカジノにおける戦績を調べつくした。
「カジノに騙されてるんじゃないですか?いくらなんでも負けすぎですよ」スティールが馬鹿にしたように言い放つ。
「ただ闇雲にゲームと散財を楽しんでいるように見えるが、プレイスタイルとフィッシャー自身の性格に強迫的で自分を後押ししようとするような匂いがしている」ウフコックがドクターにアイコンタクトを送った。
「あー…テキサスホールデムについて少し説明をしておくよ。ポーカーは4つのプレイスタイルにわけることが出来るんだが、フィッシャーのプレイスタイルはルースパッシブと呼ばれるものに区分出来る。ルースパッシブというのは名前の通り、ゲームに対して消極的に参加【コール】しながらもダラダラとどんな手札【ハンド】であってもと参戦【ベット】するという…つまり、一番カモにされやすいスタイルだな。まあ、フィッシャーがもし仮に、強力なプレイヤーで日夜カジノで勝ち続けてることで大勢の人間に恩赦を与えていたとしたら、ギャングとしては立ち行かなかっただろうからね、順当だとも言える」
問題はどうやってこの男を勝たせるかということか……ブルーは自分の能力【ギフト】の可能性を少しずつ頭の中で巡らせ始めていた。
ベルハージャは喫煙家だった、それも飛びっきりの。
普段はカジノのオーナーに雇われて、カジノに来る上客【ハイローラー】に対して、時には負かせ、時には勝たせることでこのカジノに釘付けにさせるのがこの道のプロである彼の仕事であった。
しかし、この日の彼の仕事は違った。いつもとは違う仕事への重責と緊張がピークに達し、彼は一旦、オーナーから頼まれた顧客の元を離れ煙草を一服吸おうと喫煙エリアに向かっていた。
彼が階段を昇って喫煙エリアに行くと、無害を絵に書いたような男が彼に向かって真っすぐに突き進んできた。
「フィッシャーは禁煙家だと聞いている。ヘビースモーカーのお前がゲームに付き合い続けるにはここに来て休憩が必要だな」
「あんた誰だ?」交歓の印とばかりに右手を差し出してくる男に明らかな不信感を覚え距離を取った。
「私を忘れてもらっては困るな、兄弟」左手に持っていた葉巻【シガー】を咥え、男が煙を吐きかけてきた。「支配人の顔も忘れたのか?」
「支配人?いや、違う…支配人はマーカスさんのはずだ」男は澱のようにまとわりついていた不信感が徐々にほどけていくことに不思議を覚えながらも、更に会話を続けた。
「そうだ、支配人にお前の代わりにテーブルにつくように頼まれて、私はここへ来たんだ。聞いてないのか?」
「なんだって、俺は今そのマーカスさんに頼まれてこの仕事に就いていて、だから俺はあんたを代わりにゲームを交代してもらう…ん?」男の顔が二重三重に揺らいで見えた、脳を揺ら【シェイク】される感覚。一体何が起こってるのか自分でも分からなかった。
「マーカスがフィッシャーに頼んで拉致した男。その男を処分するのは今日のはずだな?」
「その通りだ、だがその話はここでは禁止【タブー】だ、兄弟」いつのまにか男に家族に対するよりも強い親密感を覚え始めていた。この男は俺に取って誰よりも信頼できると。
「そうだ、今日は大事な日だ だからお前は今すぐテーブルに引き返して、チップを片付けろ。大人しく席【シート】を私に引き渡すんだ。仲間にもちゃんと説明しておけ。支配人直々の伝手で呼ばれた助っ人と変わると」
「了解だ、兄弟、さっそくみんなに伝えてくるよ」そういって、行動に移ろうとしたところを「待つんだ」と、男が腕を掴んでベルハージャの動きを止めた。
「頼み事が終わったらどうするつもりだ?その辺をうろつかれてもこっちは気が飛び散って困る。最近疲れてるんじゃないのか?トイレの個室で眠ってくると良い。どうだ?」
「待ってくれ、俺は閉所恐怖症なんだ」ベルハージャは自分が狭い場所に居続けなければいけないかと思うと、想像するだけでパニックになりそうだったが、この男の命令を聞かなかった方がもっと恐ろしいことが起こるような強迫観念に囚われた。
「大丈夫だ。お前は暗くて小さな場所を好むコバエだ。一時間何も考えずにそこにいろ、いいな」一時間後。規則正しい、フィッシャーのカジノからの退出時間であり、同時にそれは作戦の残り時間そのものだった。
《ブルーがフィッシャーと同じ卓【テーブル】につく。向かってくれロック》
《了解だ【コピー】》
イースターからの通信で、ロックは待機していたテーブルから離れ、フィッシャーの元へと向かう。
「どうも、フィッシャーさん、今日は酷い悪運をつかまされた様でね、これから帰るところです」
「そいつは残念だったなケニー君」さぞ面白そうなフィッシャー。「まさか、負け腰で挑んだんじゃあるまいね」
「俺はあなたを心底尊敬してるんですよ、例え負け続けたって勝負には挑み続けますよ」
「それでいい、君はいつか大きな成功を収めると私が保証しよう」数日の張り込みの中でフィッシャーと接触したロックは、(そこにはウフコックの嗅ぎ取る相手の匂いというアドバンテージがあったのも含め)フィッシャーと流儀や思考の哲学の中に自分も同調し、彼の懐中に入り込むことに成功していた。
「ああそうだ、フィッシャーさん、あなたに私からこれを」ロックは持っていたグラスをフィッシャーの目の前にゆっくりと置いた。
「ほう、これは綺麗なカクテルだな、ありがとう、特製のものだね」
「その通りです、無理を言って作らせたんですよ、このカクテルには意味が込められているんです、それをあなたには当てて頂きたい」
「国旗の色にそれぞれ意味があるようにかね?面白い試みだ、私なら君が考えた答え以上のものを用意出来るかもしれんな」
「それとそのカクテルには名前があるんですよ」
「ほう、ヒントというわけか、教えて欲しいね」
「四分の四【カトル・カール】といいます。また後日にでも答えを聞かせてください、それでは」フィッシャーの元から去りながら、ロックは思う。この男はたとえ酒に毒が盛ってあろうと躊躇わずにそれを飲んで見せるだろうと。この男は引き返すという事が出来ないのだ。
「興味深いご友人をお持ちですね、羨ましい」フィッシャーの向かいから、たった今着席したブルーが声をかけた。
「見かけない顔だな、いやこれはよろしく」
ブルーのギフト「カクテル」=体内で製造され、皮膚の刺胞細胞から分泌される物質=法で問う事の出来ない、化学組成を変えられた薬物
カトル・カールは、小型の化学工場<ブルー=<ザ・カクテルシェイカー>>から製造された「カクテル」を抽出し作り上げられた、文字通り特製のカクテルだった。四層に均等に美しく並んだ色相は上段から赤、黄、青、白、と色が分かれている。
これこそが秘策だった。
フィッシャーの右隣にいる男が怪訝な顔でカクテルを見ていた。疑っているのだ。ロックが、カジノ側の人間であれば、フィッシャーにお酒を進めるのは上手い策略だと言える。だが、こうして疑いの目を向けられているという事は、知らず知らずのうちにロックがカジノ側から目をつけられていた可能性が高くなった。他の席【シート】の人間の挙動からも、ブルーとフィッシャーを除く全てのテーブルの人間がマーカス【カジノ】側の人間だという事は容易に分かった。
「カジノでお酒が飲み放題の理由は知っていますか?」
「当たり前だ」
「それが分かっていて口にするとは、あなたは余程の理性を持つ人間のようだ」丁度、自分と同じように。「私にも一口頂けないでしょうか?」
「毒見というわけか、その手には乗らん。いいか今日この私が勝ったら、アジトに捉えている男は恩赦を与えて逃がすことになるぞ、全員本気で勝負するんだな」そう言うフィッシャーは何枚も上手だった。この誤算にはブルーも驚かされた。
「さて、カクテルのテーマという抽象的なゲームと、テキサスホールデム。今夜は趣向の異なる二つのゲームに勝利しなければいけないようだな」フィッシャーはそう一人ごちると、上段の赤いカクテルから飲み始めた。
赤【ドクター】を飲んだな。カトル・カールは順番に飲みさえすれば、きっかり15分毎に、飲んだ人間のプレイスタイルをブルーが予めイメージして作り出しておいた人物のプレイスタイルへと変えていく作用がある。
<ドクター・イースター>のプレイスタイルはルースアグレッシブだ。普段のフィッシャー【ルースパッシブ】からドクター【ルースアグレッシブ】への変化は絶妙だった。
フィッシャーはレイズやフォールドを繰り返しゲーム全体に荒波を起こしていった。彼がいつも通りのコーラーだと思っていたテーブルの全員が順応に遅れ、それぞれのチップの量が面白いように増減を繰り返していった。そうして次の15分が来た。
黄【ウフコック】の時間だった。プレイスタイルはタイトパッシブ。積極性の無い、防御で固めた、最も煮え切らないスタイル。
このプレイスタイルでは、普通にいけばフィッシャーにとっては損しかなかった。が、ブルーにとっては違った。撒き餌を使う時間だった。
フィッシャーがアジトに帰路を取る時間まで残り45分。だが、順調に勝たせていけばカジノ側に目を付けられかねなかった。あくまで今は中盤戦、仕掛けを作っていくことに専念する。
「上げろ!上げろ!上げろ!【 レイズ!レイズ!レイズ!】」
少しずつ、ブルーが手を触れた起爆剤【チップ】が、彼の手から離れ、フィッシャーを除く男たちの手に渡っていくように戦う。煮え切らないスタイル【ウフコック】が上手く作戦と合致し、ブルーが触れたカクテル付きのチップを造作もなく配ることができた。
テーブルの男たちは、ゲームに高揚し少しずつ掛け金【チップ】を手荒にかけ始めている事実を認識出来ずにいた。
首尾の良い男/オーナーが呼んだだけはある/こうしていれば満が一にもフィッシャーが勝つ事はない=男たちの思惑。ブルーの策略が疑われもせずに進んでいく。
チップに付着しているカクテルは微量であり直接手で触れなければ、影響はない。ある程度の時間が経てば付着していたカクテルは自然に気化するため、フィッシャーが直ぐにもブルーが掛け金の山【ボット】に出したチップを獲得しさえしなければ、何の問題もない。
こうしてブルーは次の15分までに撒き餌を完了させた。
残りの三十分。カモ【フィッシュ】だと思っていた人間に釣られることになるはずだった。
異様な熱気に包まれていくテーブル。
青【ブルー】がフィッシャーを支配する。プレイスタイルはタイトアグレッシブ。フィッシャーは俄然、周囲の男たちにとって、不利なプレイスタイルになることによって勝ち始めていた。
その時、予想外の事件が起こった、ヘッドマイクを通じて、何やら通話をしていたディーラーが、フィッシャーからカトル・カールを取り上げてしまった。
四分の一【スティール】を残したグラスは奥に取り下げられていった。白【スティール】こそが作戦の要だったのだ。
そのスティール本人からも通信用チップによる声なき声の連絡が入った。
《ロックがカジノ側の人間に囲まれて揉めています、不測の事態が起こりえます》
不測の事態の発生。
「川を渡れ・・・森を渡れ・・・」ブツブツとフィッシャーは何事かを喋っていた。
不測の事態の発生と同時に不穏な兆候がフィッシャー自身にも見られ始めていた。
鬱蒼と茂る森に囲まれた家の中にフィッシャーはいた。開拓者の一族。
父は山師だった、ゴールドラッシュを夢見て、一家を狂騒と不安の渦に陥れていった。まるでルースアグレッシブのように。
家庭環境は最悪だった、外では仮面をつけたように偽善家の父は、家に帰ってくると母に暴力を振るった。
母は静かに耐えしのぐ事で、一生懸命に家族を守ろうとしていた。まるでタイトパッシブのように。
放蕩癖のある兄がフィッシャーに手招きしている。都市へと繋がる道を分領する川。「こっちへ来いフィッシャー」
フィッシャーはその川を飛び超える事を選んだ、冒険家の兄。まるでタイトアグレッシブのように。
あの時兄を止めていれば死ななかったかもしれない。
そうして、川に落ちてフィッシャーは溺れてしまった。「誰か助けてくれ!」
幼いころのフィッシャーが川の向こう側で冷たい目でフィッシャーを見つめていた。
「俺は負け犬【 アンダードッグ】じゃない」
少年のフィッシャーが言う「今ならまだ間に合う、全てを取り戻せる」
「俺は負け犬【 アンダードッグ】じゃない!」「俺は負け犬【 アンダードッグ】じゃない!」「俺は負け犬【 アンダードッグ】じゃない!」
気が付くとフィッシャーの元には手札【ハンド】が配られていた。
フィッシャーは手札【ハンド】に一瞬、目をやると、何かを決したように自分の番が回ってくるのを待ち始めた。
「川を渡れ・・・森を渡れ・・・川を渡れ・・・森を渡れ・・・」
カトル・カールの効果は切れてしまったはずだったが、明らかにフィッシャーの様子がおかしかった。
「オールイン」
ディーラーも含めたテーブルの全員が耳を疑った。イースターズオフィスの面々の中でも群を抜いてプレイングが上手かったスティールには、フィッシャーと同じルースパッシブを基調としながら、どんな状況でも勝てるようにプロレベルの変幻自在のプレイスタイルを作ってもらった、そのイメージをカクテルにも込めて作ったはずだった。しかし今、目の前にいるプレイヤーはスティールにはとうてい見えず、されとてフィッシャーでもない、ブルーの知らない何者かであった。
「俺もだ!俺もだ!俺もだ!【コール!コール!コール!】」ブルーの撒き餌によって錯乱状態に陥ったプレイヤ―達が一斉に乗っかって来た。
チップは山を築きあげ。このカジノ始まって以来の大きな掛け金へと膨らんでいった。その金額は裕に二百万ドルを超えるかという数字だ。
ブルーは状況の全てに理解が追いつかない状態であったが、自らにカクテルを施すことで理性を保っていた。
テーブルの上ではプリフロップ/ターン/リバーとゲームが進んでいく、見物人がぞろぞろと周りを取り囲んでいた。一種のお祭りだった。
やがて、フィッシャーは自身の手札【ハンド】を開示した。
AA【ロケッツ】
口笛を吹くもの/踊りだすもの/大声で発狂するもの
大きな熱狂と共にフィッシャーの元へ山のようなチップがもたらされた。時間が来た。フィッシャーの勝利だった。
ゲームは幕を閉じた。
ブルーは別の位置に待機していたスティールと合流した。
勝った…確かに勝って、フィッシャーはこのカジノを後にしていった。それなのにこの不安は一体なんだ?
「やれやれ。途中で例のカクテルを取り上げられたときは心配しましたが…最後のロケッツ、良いものを見せてもらいましたね。いやあ、面白かったですよ」
「私には、あの男が勝てた理屈が分からない」
「運が味方をしたというやつでしょう」
「スティール、やつの目をみたか?やつは我々の知るフィッシャーだったか?」
「ええ、確かにフィッシャー、その人でしたよ。一体どうしたんですか?すごい汗をかいてますね」
スティールには分かっていない。フィッシャーはツキがあったから勝てたわけじゃない。それなのに……ブルーは近くの椅子に腰を下ろし、ただ俯くばかりだった。
そして、運命の時が来た。
イースターズオフィスが守るべき保護証人に恩赦が与えられるときが。
ウェストサイドのスラム街を闊歩する一人の男。
(あのカクテルは俺自身だったんだな、ケニー君。キミに感謝をしなければいけないな)
アジトに着くと、檻から出された男が涙を流しながらフィッシャーの目を見ていた。
「お前に恩赦を与える。お前は許されたんだ、ここから出ていくんだ」
《ロック、まだなのか?》
《カジノの連中を撒くのに時間を食った。すぐにそちらへ向かう……だが間に合うかどうか》
《……深い絶望の匂いが充満している》
ウフコックとトレインはアジトの近くの路地で息を殺して待機していた。
《大丈夫だ、その男はもうすぐ助かるんだ、落ち着くんだウフコック》イースターの声。
《違う、そうじゃない、絶望の匂いは二つだ。そしてより強い臭気がフィッシャーの方から漂ってくるんだ》
トレインが恐怖するウフコックを手の中で包み込んだ。恐怖と諦念の匂いにウフコックは震え続けていた。
「ノーだ、おれは助からない、助けてもらう必要もない」捉えられていた保護証人がフィッシャーに訴えかける。
「お前は川を渡らない、森を抜けようともしない、昨日までの俺はそれが愚かしい事だと思っていた。」笑みを湛えてフィッシャーが言う。「だが今は違う、お前は賢い、俺よりも、ずっとずっと賢い存在だ」
《オフィスへ、保護すべき証人はたった今フィッシャーによって殺された》
《オフィスへ、たった今フィッシャーは自分に向けて撃ち放ったピストルによって自害した》
トレインからの報告。
空っぽになった所長室。ハイテーブルの上には散らばったままのトランプが残されている。
ソファにに座ったまま、何もしようとはせずただただ時計の秒針を追っていたブルーの元へ、音も無く来訪者が現れた。
「ウフコックは?」
ロックは無言でかぶりを振った。
「そうか」
カードが一枚ハイテーブルの上から音も無く落ちた。
「俺はオフィスのメンバーの良心を信じている。ブルー、お前もだ」
そう言い残して、ロックは静かに、ブルーの元から去っていった。
川を渡れ!森を抜けろ!
ブルーの耳にまだ哀れな男の声と残響がこだまし、離れようとしなかった。
マルドゥック・ロケッツ 音無村 @karekitogogotobluemountain
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