絶対降臨☆断罪天使ピクリーン! その1

 今しも夏の日が暮れようとしていた。

 駅では一週間を終え帰宅しようとする人、あるいはこれから訪れる長い宵を楽しもうとする人でごった返していた。待ち合わせ場所として有名な大型映像掲示板の前は特に混雑している。話し声と広告動画の音が混じり合って、騒々しくも楽しげだ。

 涼月・ディートリッヒ・シュルツもその喧騒の中にいた。すらりと伸びた背筋/さらりと流れる短い黒髪/夏らしい半袖にショートパンツ──成長に合わせて付け替えたばかりの機械化義肢の調子が気になり、しきりに接続部の二の腕を撫でる。

 スマートフォンのメッセージアプリを確認──学校の友達と待ち合わせ中。早く着きすぎて手持ち無沙汰の様子。時間まで駅ビルでショッピングをしていると送信、踵を返そうとした。

 その時。

『ミリオポリスのみんな、大好きだよ!!』

 響き渡る異音。驚いた雑踏が動きを止め、音源を探してキョロキョロと周囲を見回す。その一瞬の静寂に滑り込む、ポップで間抜けなミュージック。

 すぐにみんなが気づいた。大型映像掲示板に浮かびあがる彼女の姿に。

『黒天使が二年ぶりにミリオポリスへ絶対☆降臨! みんな、ピクリーンのこと覚えていてくれたかな?』

 とびきりキュートな女の子──黒い子羊を思わせるふわふわの衣装/無垢に潤んだ黒い瞳/祈るように胸の前で指を組み、どういうわけかしっかと頷く。

 唖然としたり、ただの広告かと──あるいはMPBと納得してスルーしようとする人々の中で、誰かが雄々しい叫びをあげた。

「ピクリーン! 俺たちのピクリーンだ!!!」

 少女の画像がその絶叫に答えるように再び頷く。

『ありがとう、みんなの愛の声が聞こえるよ!ヤー!』

「ピクリーン!」「ヤー!!」「ピクリ──ン!」

『ねぇみんな、今日はピクリーン、あなたたちにお願い事があってやってきたの。聞いてくれる?』

 掲示板を見上げて硬直していた涼月が、リュックのポケットに引っ掛けていた眼鏡をそろそろと鼻に引っ掛ける。なんだこれは。信じられない、いったい誰の許可があってこんなことを。目立たないようじりじりと撤退しながら、電話帳を検索してコール。

 相手はすぐに出た。腹立たしいほど懐かしく変わらない声──『何の用だ、涼月』

「副長!!どうなってんだよこれ!!!」我慢できず怒鳴りながら、とうとう走り出した──戦略的撤退。

 副長が訝しげに応じる。「何の話だ?」

「このクソたわけた広報動画だよ! 肖像権の侵害だぞ!!」

『何? 陽炎たちが今撮影している特番か? お前の過去動画は、この前連絡した通り──』

「ちげーよ、駅をジャックしてるやつ! あの、よりによってピ、ピ、ピ」

『ピクリーンか?』

「やめろ!!」

 理不尽だとは思いつつ、真面目にその名を呼ばれ絶叫。

『そんな企画は把握していない。駅だと? 広報課に確認するが、どこの駅にいる』

「ああ、もうほら、これ!」

 テレビ通話に切り替えて、カメラを背後の掲示板に向ける。黒天使ピクリーンが可憐にスピーチ中。

『みんな、二年前のこと覚えてる? この都市にはびこる悪を根絶するため、みんなで力を合わせて戦ったよね? 熱い応援のおかげで、私たちは見事に巨悪を倒したね。とっても素敵な出来事だった。けれど──』悲しげに首を振るピクリーン。謎のバーチャル空間を背景に、悩ましげに歩き回る。『

 端末の中の小さな副長──カメラではなく自分の端末の画面を見ているため微妙に視線が合わない。驚いた顔を見せ、慌ててヘッドセットをつけて別の端末を操作して怒鳴る。『ベイカー課長!』

『ピクリーンは再び悪と戦うよ! ピクリーンは怠らない、ピクリーンは諦めない! みんな、ピクリーンの戦いを応援して!!』

 指でピストルの形を作り、まるで映画のポスターみたいに華麗なポーズを決めるピクリーン。わぁっと歓声──涼月は走りながら、道端の店舗のデジタル広告、テレビ、もろもが全て同じ動画を流しているのを目撃した。

 その日、ミリオポリスに黒天使ピクリーンが再び降臨した──MPBの手を離れ、得体の知れない電子犯罪者として。





「結論から言うと、MPBの失態だ」

 MPB本部ビルの会議室。制服に身を包んだ陽炎がキリッと説明。副長と千々石、マリアまで控えている。

 相対するのはやけに肩身の狭そうな涼月──その両脇に座る男女。

「我々の過失でご息女に多大な迷惑をおかけしました。陳謝します」

 頭を下げる副長と千々石。涼月は顔を覆った。その耳が真っ赤になっている。

「あの、顔をあげてください」

 オロオロと声をかける、涼月の右側に座る男性。つまり、涼月のパパ。

 困ったように娘の横顔を見る、涼月の左側に座る女性。つまり、涼月のママ。

 両親に挟まれて副長に謝罪されるという、前代未聞の絵図に涼月は早くこの場を終わらせたい一心であった。

「お前にも、迷惑をかけた。申し訳ない」

「いや、もう」いいよ、とは言い切れない。「とにかく状況の説明をしてくれよ」

 先日のピクリーン騒動について説明をすると呼び出された時、涼月は一人で来るつもりだったのだ。それなのに、副長たちがそんなわけにはいくまいと勝手に両親を呼び出して、今日のこれだ。普段寮暮らしの涼月は、まだ両親とは数度しか面会したことがなく、欠けていた関係を少しずつ再構築しているところだ。ようやく今年の誕生日にディナーを共にする約束をしたが、今から逃げ出したくなる自分をこらえる日々だ。 

 それなのにこんなことになっている。MPBの本部ビルの前で待ち合わせた時も気まずくてどうにかなりそうだった。何より、小さな子供みたいに両親に挟まれているのを友人の陽炎に見られているのが恥ずかしいというか面映いというか、とにかく「やめろ、あたしを見るな」と叫びたくなる。

「詳しい説明はアタシからするわ」

 いつも軟体動物のようにクネクネしている千々石も、今日はピシリと背筋を伸ばしている。そうしていると実は副長より背が高いので涼月は驚いた。ド派手な衣装ではなくストライプの「できる男」風スーツ姿であることも相まって、本来の美男子ぶりが際立っていた。

「あなたの除隊の時に、ピクリーンのデータはバックアップも含めて破棄しました。肖像データの取り扱いについて契約書を交わしたのは覚えているわね?」

「もちろんだ」重要事項だったので隅々までチェックしたものだ。あまり頓着していない夕霧のほうも涼月が手伝って確認したので二重チェックになってよく覚えている。

「今回現れた偽ピクリーンは、当初ただの摸造だと目されていたの。けれど、念の為バックアップデータやアーカイブまで総スクリーニングにかけたところ、侵入の痕跡が見つかったわ。盗まれたのはピクリーン自体のデータではなく、ピクリーンを駆動させた特別エンジンだったの」

「侵入って、それ大丈夫なのかよ。吹雪は?」

 今もMPBのマスターサーバー《刕》に接続されている少年のことを思って、青ざめる。それをなだめるようにマリアが手を振る。

「吹雪くんは問題ないわ。彼を介して侵入なんてことでもなかったから」

 確かに先週見舞いに来たときも異変はなかったようだった。

「レイのプロテクトを破って侵入して、まさか被害がそれだけってわけでもないだろ。──あぁ、言えないならいいんだけど」

 一般人の遠慮として付け加えたが、千々石が首を振る。

「それだけだったの。ほかの一切に手を付けず、それだけが盗まれた」

「なんでまた」

「それはこれから犯人に聞くわ。マスターサーバに侵入されて気付かないなんてあってはならないこと。そして何より、アタシが生み出したかつてないほど神聖な天使、この地上に舞い降りた愛の使徒ピクリーンを犯罪のイコンにするなんて許されない!! MPBは全力で捜査に取り組みます! 絶対にこの薄汚いこそ泥を捕まえて、ふんじばって、引っこ抜いてやるんだから!!」

 極楽鳥の憤激。何を引っこ抜くつもりなのかは聞けなかった。

 副長が千々石の肩を叩き、耳打ちする。 我に返った千々石が咳払い。

「もちろん貴方に対する重篤な権利侵害の回復にも全力で取り組むわ。それでね、申し訳ないんだけれどしばらくMPBの保護下に入ってほしいの」

「具体的には女子寮に戻ってきてもらいたいの」マリアが説明を引き継ぐ。

「貴方は顔も、高校も世間に知られているわ。わざわざピクリーンを使用するということは、犯人はあなたになんらかの強い感情を持っている可能性が高い。直接あなたに接触する可能性は低いにしても、煽られて熱狂的なファンが押しかける可能性もある。本当なら貴方の生活が変わらないようにするのが筋なんだけど」

 可能性ではなく、すでに学校の近くでフーリガンに取り囲まれたこともある。教師やクラスメイトが庇ってくれたので事なきを得たが、通報まで発展したこともあった。

 涼月は左右の両親の様子を伺った。それまで静かに話を聞いていた父は、ひとつまばたきをすると、思いがけずそろそろと挙手した。

「あの、よろしいですか」

「何でも仰ってください、シュルツさん」

「皆さんがディーのことを考えてくださっているのはよく分かります。ただその、ここから通うとなると、日々の負担も大きい。それに移動距離が増える分危険ではないですか」

 涼月はお腹のあたりがふわりと温かくなるのを感じた。

「もうあと少しで夏季休暇だし……」

 だから大丈夫だ、と涼月はもごもご呟いた。マリアが頷く。

「休暇までは学校の寮にいて構わないわ。その間は護衛を出す。休暇の間だけ、そして休暇明けには貴方に日常を返せるよう努力します」

 両親は頷いた。あとはあなたが決めなさいという感じに、母が肩を撫でた。恐る恐る触れてきたその感触を、反感なく受け入れられた自分に安堵した。

「分かった。みんなの言うことはわかるしな。ちゃんと捕まえてくれ」

 ほっとしたように副長が息をつき、陽炎がにこりと笑った。

 その時はまだ、誰もこの偽ピクリーン事件がそれほど難しい事件だとは思っていなかった。



『みんな、グーテンモルゲン! お待ちかね、今日の絶対降臨☆ピクリーン放送局のテーマはこれ! じゃじゃーん、脳外科手術装置使ってみた! とはいかないんだけど、ここにある手術歴からレビューをしてみるね! これを製造したエムジーン社はドイツ資本の某ヘルスケア企業の子会社。今回レビューするBR600モデルは2015年に発売され、これまでヨーロッパで約2000台販売されました。主な販売先はこのリストを参照してね! ところでこのBR600には致命的な欠陥がありました。その問題点を実際の術例から見ていこうね! まずケース1、ミリオポリス在住のギュンターくん四歳の場合──』



 接続を解除する瞬間、雛はその刹那の間だけ祈る。指先から感覚が蘇っていく。握り合わせた手の感触が、脳へ遡り覚醒を促す。

 たいてい、向かい合わせの水無月のほうが目覚め切るのが早く、手を離すのも向こうからだ。今日もそうで、「やれ、疲れた」と言いながら離れていく少年を名残惜しく思いながら雛はまぶたをあげた。

 職員から上着を受け取り、身繕いしつつ他の解析班員がいる解析ルームへ向かう。

「飲むかい? 君のはいつもの酸っぱいやつだ」

 水無月がデスクに置いてあったドリンクボトルを投げて来たのでキャッチ。レモン果汁の比率が異様に高いレモネードで水分補給しつつ、ただいまの活動の解析を続けているアル課長の元へ。

 出動中の乙たちからも帰還の報。後輩の新要撃小隊員たちも大きな負傷なく、規定時間内で戦闘状況を収束させることができた。

「──こんな感じかな。よし、ニナ長官へのレポートは班員にまとめておいてもらうから接続官は少し休憩を。夜にブリーフィングがあるから、了解しておいてくれ」

「何のブリーフィング?」水無月が問う。「何時からぁ?」雛がかぶせて問う。

「MPBの例の事件のことでね。時間は今の所一九〇〇を予定している」

「ピクリーンか」水無月が微妙な表情になる。「そうか、MPBはいま電子捜査が弱いものな。合同捜査か?」

「そういうことだね。長引くかもしれないから、できれば早めに夕飯を済ませておくといい」

 アル課長の言葉に従い、二人はいったんそれぞれの寮の部屋に帰った。

 雛はシャワーを浴びたかったが、一緒にお風呂に入ってくれる人がまだ誰も戻っていなかったので我慢した。乙たちがブリーフィング前に帰って来てくれるといいが。

(水無月を誘っちゃう?)

 いやいやさすがにそれはない、と己の中の不埒な声を圧殺。さすがにそれはニナによるお説教大会を免れない。それにそもそも水無月はうんと言わないだろう。

 何となくつまらない気分になった。部屋の姿見に自分を写してくるりと回転してみる。

 セミロングに伸びた金髪/小柄ながらバランスのとれた肢体/ニキビひとつない陶器のような肌──少女らしさを強調するスレンダーなスタイル。

」呪文のように唱える。「

 雛の近頃の悩み事──水無月がちっともこっちのことを意識してくれない。決して仲が悪いわけではなく十分仲良しなのだけれど、ただ仲良しなだけだった。お兄さんぶって面倒を見ようとしてくるのがちょっと腹が立つ。この金髪が子供っぽいのかもしれない、ニナや涼月さんみたいな大人っぽい黒髪がよかった──蜜の糸のような髪を一束つまんでため息。

 涼月といえば。

 雛はふと思い立って、情報端末を手にベッドに寝転んだ。自分なりにまとめた情報収拾のためのネットワークを渡り歩き、偽ピクリーン事件の情報を集める。

 十日前に突如として現れた偽ピクリーン。当初MSSでさえもMPBがまた新たなキャンペーンを始めたのか、涼月は引退したのに協力しているのかプロ根性だ、くらいの呑気な態度でいたのだが、すぐにピクリーンが悪事を働き始めたので大変に驚いた。当初は、MPBが管轄なので、雛や乙たちも気にはしていながらもそれほど深く注意を払ってはいなかった。

 その事態が急変したのが昨日だった。

 偽ピクリーンは、まず降臨の三日後、私立病院のデータベースからひっこぬいた個人情報を使って医療機器のレビュー動画を配信し、記録的な再生数を稼いだ。その二日後、行政機関と、とあるメーカーの談合の証拠をアイドルPV風動画の中に電子式の暗号として仕込み、その魅力的な歌声と、愛らしい衣装とは裏腹な迫力のあるダンスでこれまた記録的な再生数を稼いだ。──これはアマチュアのファンがその暗号を解読してネット上にリークしたため今も大騒ぎになっている。

 さらにその四日後、つまり昨日。なんと彼女は福祉局の《羴》に、あの二年前の事件の際も持ちこたえた強固なマスターサーバーに侵入を果たして、機械化児童の個人情報を盗んでいった。まだそれらの情報がどこかにリークされたり、動画に組み込まれて配信されてはいないけれど、時間の問題だという意見が多数を占めている。

 福祉局での犯行は、「絶対降臨☆ピクリーン!」というタイトルの犯行宣言動画が《羴》の管轄下にある端末で一斉に再生されたのでそれと知れたのだが、それがなければ発覚しなかったかもしれないほど見事なハッキングだった。都市の治安関係者、およびエンジニアたちは震え上がった。ピクリーンは偽物で鋭意捜査中だとしか発表していなかったM P Bは、《羴》の被害のあとで実は《刕》にも侵入されていたと明かし、その情報開示の遅さ、後手後手に回る対応に対して猛烈なバッシングを浴びた。

 能動的な接続官が今も補充できていないM P Bは、先ほど水無月が言ったように電子捜査に弱点を抱えている。それでMSSへ協力要請が来たのだろう、いささか遅きに失した感は否めないが。

 ともかく、公的な情報は今夜の会議で共有されるだろうし、解析班のひとたちがまとめてくれるだろう。雛はある程度でニュースサイトの閲覧を止めると、一般の人が偽ピクリーン事件について何と言っているかに目を通した。

 いわく──『ピクリーンは天使だ。今回の事件も何らかの正義の意図があるのでは』

 いわく──『M P Bはクソ。子供騙しの下品な宣伝をしているからこうなるんだよ』

 いわく──『ピクリーンの名誉回復に協力したい奴は下のリンクから署名してくれ』

 いわく──『マスターサーバー侵入されすぎだろ。いい加減時代遅れなんじゃね?』

 いわく──『中身が涼月ちゃんじゃないピクリーンなんて意味がない。早く捕まれ』

 有象無象のコメントが津波のように電子世界のあちこちを襲っている。涼月さんは大変だ、というのが雛が抱いた一番の感想だった。

 偽ピクリーンがどうしてピクリーンのガワを使っているかについての意見を見たかったので、検索し直す。こちらも色々と憶測や推察が見られたものの、あまりピンとくるものがなく、何だか眠くなって来たので雛は目を閉じた。

 しばらくうたた寝をした。

『おーい、雛。帰ったぞ』

 乙からの無線で目覚めた。時間は十八時少し前。まぶたをこすりながら応答する。

『おかえり。ねえ乙ちゃん、お風呂入ろ。ボク待ってたの』

『わかったわかった。後輩も一緒な』

『うん。シャワールームで待ってるね』

『おっけー。そうだ、陽炎おねーさんと、あっちのみんなも来てたぞ』

 おそらくブリーフィングに参加するのだろう。雛はぷるぷると頭を振って眠気を弾き飛ばし、ベッドから降りた。



 M P BとMSSの合同捜査は順調に始まったようだった。二年前の事件以来、情報提供のラインなど、協力体制が整えられていたようで、実際の合同捜査も、昔よりは随分融通が利くようになったらしい。

 夏季休暇が始まる日、涼月はM P B女子寮へ戻って来た。まさかここへ再び戻って来るとはいささか心外だが仕方がない。

 早朝、荷物運びを手伝いに来てくれた陽炎にせがまれて、学校の寮から校舎を案内した。陽炎は物珍しげな様子であたりを観察していた。両親と一緒のところを見られた時みたいに、ちょっと照れ臭いような複雑な気分だ。

「これが学校か」

 がらんとした教室で、生徒の机を撫でて陽炎はため息をついた。

「なるほどな、こんな雰囲気なのか。まあ、お前が楽しくやっているようで何よりだよ。この前会わせてくれた学校の友達も同じクラスなのか?」

「いや、今年は選択授業が一緒なだけだよ」

 椅子を引いて、腰掛ける陽炎。涼月は教卓に肘をついてその様子を見やる。

「偽ピクリーンのプロファイルだがな」

「うん?」

 言い出しておいて、陽炎は言葉を止めた。教室の窓ガラスから差し込む規則正しい光が、陽炎の長い髪を輝かせている。

「子供っぽいんだ」

「性格が? まあそうだろうな」

「少なくとも、あの偽ピクリーン動画に出演しているのは、未成年と目されている」

 涼月は眉をひそめた。陽炎が説明モードに入る。

「ピクリーン動画作成エンジンは、動画部分と音声部分に大別されるという話だ。動画の方は、既存のデータからモーションを取り出してお前のガワをかぶせて編集するものだという。これはピクリーンの3Dデータとそれっぽいアイドル動画、あるいはモデリングの技術があれば生身の誰かは必要ない。なんならわざわざ盗んでいく必要もない、自作が可能だ。いっぽう、音声はそれより難易度が高い。まるごと合成音声では自然な抑揚をつけるのが難しいそうでな。録音した音声をお前の声に聞こえるよう変換していたそうだ。千々石に言わせれば、そこが特許ものの画期的なプログラムらしい。──犯人はその音声変換のプログラムがほしかったのではないかという話になっている。そこでピクリーンエンジンで動画音声を逆変換して分析にかけた。結果は十代の子供だろうという話だ」

「どれくらい確かなんだ、それ」

「まあ、それなりに。ただフライ先生によると、声は難しいらしいけど──その他の行動なんかからのプロファイリングもあってな」

 しばらく二人は黙った。陽炎は目を細めて窓の外を見つめている。窓の向こうは中庭で、休暇に入ったにも関わらず、課外活動に参加する生徒が幾人かたむろしていた。

「どっかの犯罪者が、子供を使って好き放題やってるわけか」

「それならまだマシだけどな」

 陽炎は肩をすくめた。

「それなら、糸を引いているやつを引っ張って責めればいい」

「主犯も子供だと思ってるのか」

「……例えばサードアイがしたように、マスターサーバーを脅かすほどの電子戦適性を示す人間は稀だ」

 陽炎が何を懸念しているのかやっと察した涼月はそれを口にした。「? ……プリンチップの残党か」

「わからん。私個人の感触では、違う気がするが──しかし、捜査はその方向で進みそうだ」

 涼月も窓の外を見る。歯がゆい気分になる。いま、自分にはあそこでスケッチブックを開いている級友を守る力がない。──望んでそうしたのだけれど、少し、残念だ。

「私は後輩諸君や乙くんたちと一緒に、まずは犠脳手術を行える可能性がある団体や人物を追跡する。雛くんや水無月は電子面からもっと直接的に捜査を進める。──雛くんが特にお前に会いたがっていた。合間を見てまたみんなでカフェにでも行こう」

「おう。──頼むぜ、捜査官様」

「任せておけ」

 陽炎はぽんと胸元を叩いた。笑い合ったあと、学校を後にした。



『グーテンモルゲン、絶対降臨☆ピクリーンだよ! よき市民のみんな、今日も元気に出勤中かな? うんうん、労働は大事だよね、経済の要だよね! そこで今日のピクリーン放送局では、とある機械化児童の一日の労働の様子を密着配信するよ! じゃじゃん! シンガポール移民のレイファちゃん十五歳、笑顔が素敵だね! まずは彼女の生い立ちを紹介しようかな。でも、彼女の過去は悪しき輩に封印されてしまっているの。そこでピクリーンはこの魔法のステッキをひとふり、羊さんを眠らせて《羴》に侵入するよ。みんな、邪悪なマスターサーバーと戦うピクリーンに声援を送って!』


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絶対降臨☆断罪天使ピクリーン! 浅田 @kirinnoasada

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