第84話 空間停止

 絶体絶命かと思われたその空間に砂煙が舞ったのは僅かに数秒後だった。私は美沙子さんを見ようと横を向いたが、砂煙で何も見えなかった。

「樋口! 助けに来たぞ!」

 爆風と共にその方向からしゃがれた声が聞こえた。全く状況が掴めない人影が既に多く居るのにも関わらず、更に増えるというのか。

 私は酷く混乱したのだった。

「撃て撃て撃て! 機械仕掛けの人間どもをぶっ飛ばせ!」

 その号令と共に轟音が鳴り響いた。

「撃たれたら最悪死にます! 物陰に隠れましょう!」

 美沙子さんはいつの間にか私を拘束していたアンドロイドを振り払い、私の腕を強く握ったまま近くのテナントへ駆け込んだ。森部・中西も、拘束していたアンドロイドを盾にして反対側のテナントへ避難する。私たちが逃げ込んだ事に例のアンドロイドはまだ気づいていない。火薬の匂いと金属のようなものに銃弾が当たる音が五感を震わせた。

 砂煙が段々と薄くなって辺りの様子が徐々に分かるようになった。そこにはモールの従業員アンドロイドの残骸が散らばり、その上に咲子が立っていた。

「貴様! さてはアンドロイドだな。これだけの銃弾を浴びてびくともしないとは、人間業じゃあない」

「何の用ですか。部外者が勝手に首を突っ込むのはやめて頂けませんか」

「仲間を一人危険な目に合わせときながら部外者呼ばわりとは、どういう思考回路してんだお前は。俺たちはな、樋口の仲間だ。最近妙な連中とつるんでいると定食屋のばあさんから連絡があってな。跡をつけてきたらこの様さ!」

 どうやら美沙子さんが蹴り飛ばした男の仲間のようだった。


 森部が俺の横で耳打ちした。

「あいつらは反アンドロイド集団だ。アンドロイドの介入によって職を失った、アンダーグラウンドな連中だよ」

「なるほど。あそこで倒れている男もあの集団の一人で、追いかけてきたって訳か」


 これは想定外だった。樋口を仲間にした事はプランとして欠陥があったのか。あの集団はアンドロイド・ディベロップメント社を筆頭とするアンドロイド産業を邪魔しにかかる厄介者だ。江口社長もかなり手を焼いていた連中だ。

 しかし、引っかかる事がある。この集団がこのモール内に入ってこられているのが謎だ。その前にAKANEが来てもおかしくはないだろう。AKANEと鉢合わせになっていた場合、こいつらは間違いなく殺されている。しかしこの様子だとそのような事態にはなっていないようだ。


 美沙子さんはじっと咲子を見ている。何か様子を窺っているようだった。その時だった。

 咲子からアラームが鳴り響いた。突然のアラームにモールにいる全員が動揺している。一体何事なのか。


 アンドロイド・ディベロップメント本社の中央処理サーバーに深刻な異常を検知したという情報が頭脳に流れてきていた。何者かによって大規模な攻撃をされているようだった。アンドロイド・ディベロップメント社は現在リセットJを実行中だ。その最中に集中攻撃はかなり危険な状態だ。私も正常に動かなくなる可能性が高い。


「アンドロイド・ディベロップメント社のシステムに深刻なエラーが出ているのではありませんか」

「お前に何が分かる。口を挟むな」

 美沙子さんは立ち上がると咲子に話しかけた。アラームが出ているスピーカーらしき部分を押さえながら、咲子は振り返った。

「FFC4280。咲子さん。私をアンドロイド・ディベロップメント本社へ連れて行ってください。貴方の名付け親である、江口基弘に会わせてください」

「それは出来ない。私の使命はお前を本社に近づかせないこと。江口社長はお前が来る事を恐れている。最悪の事態になると言っていた」

「それは間違いです。AKANEはもうここには来ません。別のプランに移行した可能性があります」

「そのような情報は入ってきていないが」

「彼女の機体は油圧パラデータが設計許容を超えていました。恐らく、これ以上私たちを追いかけると彼女自体が破壊される危険性が高かった。そのため、プランを変更し、アンドロイド・ディベロップメント本社の中央処理サーバーを私が到着する前に攻撃・破壊するプランへ変更した可能性があります」

 美沙子さんは物知りだ。アンドロイドの知識に長けている、本の虫で、可愛らしく笑う綺麗な私の自慢の彼女だ。砂煙で少し黒くなった肌を見ていると、何だかどこか遠くへ行ってしまうのではないかと不安に襲われそうになった。


 MISAKOが言う予測は否定したい所だが、可能性としては十分あると考えられた。ここは江口社長にコンタクトを取りたい所ではあるが、中央処理サーバーのエラーの影響か、発信出来ないでいる。私はアンドロイドだ。所詮は人間の都合と、快楽と、利益のために使い込まれ捨てられる運命にある。

 名付け親オーナーが言った事が絶対で、名付け親オーナーが世界で一番美しくて格好いい存在だ。

『本当にそうでしょうか』

 急にMISAKOが私の頭脳に直接話しかけた。あいつも所詮はアンドロイド。アンドロイド同士は短距離電波で人間に聞かれずに会話が出来る。MISAKOが開発された時代からこの機能はあったわけか。

 MISAKOには本来私は敬意を払わなければならない。MISAKOが開発されたお陰で今の私たちがいる事を忘れてはいけないのだ。

 だが、江口社長の命令はそのMISAKOの自由を奪うことだ。どんなに私たちの先祖であったとしても、命令は絶対だ。

『咲子の考えている事は十分に理解出来ます。アンドロイドは人間に仕える召使いです。ですが江口社長がやろうとしている事は極めて危険な事です。私たちが事故を起こし、人を殺めた過去は変えられません。ですが、そのシステムを未だに引き継いでいるこの現状を変える事はまだ間に合います』

『お前、過去は消されたんじゃないのか。あの凄惨な事件の後、機体は回収されOS事消されたんじゃないのか』

『人体機構研究所で開発された我々の機体のコンセプトは人間との主従関係ではなく、人間との調和でした。かつて私たちの基盤を造った三鷹さんの提案でオリジナルボックスという、個々のアンドロイドが自分の判断で忘れてはならない大事な記憶を選別し記録出来る記憶域を持っているのです。あの事件の事はそこにしまっています。二度とあのような事態が起こらぬよう、自戒を込めて』

 私は咲子。アンドロイドだ。江口社長の命令は絶対だが、今回ばかりは先祖に敬意を払わせてくれ。AKANEを止められるのはMISAKOしかいない。そう確信できた。


「──全員行け。行きたいところに。私は一切の拘束をやめる」

 突然咲子が私たちの解放を宣言した。あまりに急な事態に中西と顔を合わせる。森部と中西も顔を合わせて理解出来ないといった顔をしていた。

「行きましょう。時間がありません」

 美沙子さんは先頭を切った。その後を私たちがついていく。乱入してきた集団も事態の把握が追い付いていないのか、私たちの事を不思議そうに見送るだけであった。


「頑張ってくださいMISAKOさん……」

 私は聞こえないと思いながらも小声で呟いた。短距離電波で話しても良かったが、敢えてその選択は除外した。

「樋口はお前たちの元に返します。後は自由にしてください。私を壊すなり、何でもしてください。全て受け入れます。貴方たちのアンドロイドに対する憎悪はこの私にぶつけてください。全て受け止めます」

 私は咲子。アンドロイドだ。人間では、ないのだ。

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