第38話 夜

 美沙子さんと初めて話した時と同じ、心拍数の上昇を感じた。初めて会った時の気持ちを数倍強めたような、強力な薬が体に入ってしまった様な感じがした。

「人生そんなに悪くないだろう?」

「誰ですか」

 予約をしていたお店に向かう夜道で、ふと誰かに声を掛けられた。振り返って見てみると、一人の女が立っていた。淡い青が入った白基調のワンピースを着た彼女は私の顔を見るなり、不気味に笑った。

「誰だと思う? 確かに私は貴方と顔を合わせるのは初めてだね。当然、知るわけもない。しかしながら、どうも貴方の顔が明るかったからつい声を掛けてしまったのだよ。──もしかして、今幸せを感じてる?」

「何なんですか」

 彼女は一体何者だろうか。私は過去に会った人たちの顔を覚えている限り巡らせたが、目の前に立っている女と一致するような人はいなかった。しかし、何故私に話しかけてきたのだろうか。彼女の不気味に見つめる目はどことなく不安を感じる。

「まぁどっちでもいいや。貴方は私の事をどう感じているか大体分かっているから」

「さっきから、何が言いたいんですか!」

「私がアンドロイドだって言ったら、貴方は信じる?」

「え……」

 頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。彼女がアンドロイドだという可能性は確かにある。本物の人間と見分ける事は困難であるからだ。しかし、アンドロイドは何か与えられた仕事を遂行するため以外に人に話しかけたりはしない。だが、彼女の胸元には青いバッジが無い。もしアンドロイドだとすれば、確実に違法タイプになる。

「私に何か用事があるという事ですか」

「流石はアンドロイドの事を熱心に勉強しているだけあるね。貴方の友達の森部君とは違ってね」

「何故森部の事を」

「私を舐められては困るなぁ。だって人間ではないんだから、簡単に貴方の周りの人間関係を把握出来ちゃうの」

「誰の差し金ですか」

 彼女が私の周りの情報を集めて何かを探している事は間違いない。だが、私が気付かない場所で詮索した方が得策であるはずなのに、何故わざわざ私と接触してきたのか。

「ブランクID」

 彼女は右手の人差し指を上げてそう言った。ブランクID──初めて聞く言葉だ。言葉から察するになのか。

「私はそれの調査を委託されてんのね」

「一体、それは──」

「はーいお話はここまで。残念ながら、レベルファイブの守秘義務遂行事項だから教えられないの。──お話出来て楽しかったよ、直人君」

 そういうと、彼女は夜の闇へと消えていった。去り際、彼女は静かに呟いた。

「あんた、くれぐれも気をつけな」

 彼女が過ぎ去った後、夜道は気味悪い程に静寂に包まれた。彼女がさっきまで存在していた事を証明するものは何もない。まるで、存在していなかったかのような、幻を見ていたかのような感覚に陥った。

「一体、何があるんだ……」

 私は一種の緊張感を覚えた。

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