1-6 初日ノ話

「――――待って!!」

 穂乃歌は声を上げた。何の変哲もないただの車内で。

 ハッと横を見ると樹希が花凛目を丸くしていた。二人は立ち上がり吊皮に掴まっている。

「あ、やっと起きた」

 樹希が呆れた様子で声を掛けてくる。二人の無事な姿に、こみ上げてきた言葉を口に出そうとしたその時だった。

「………… あれ?」

 先ほどまで頭に描かれていた光景が消えている。

 あったはずのモノがない。その衝撃が彼女の思考にぬるく染み渡り、不快感が体を巡る。

 何が起こったのか理解が追いつかない。しばらく固まったまま二人を茫然と仰いでいた。

「全然起きないからちょー心配した。電池が切れたみたいにぐっすりだったし」

「まったく………… 新学期早々、寝過ごして遅刻する気?」

 穂乃歌は状況を理解できず気の抜けた声を漏らす。

 沈静化してゆく思考と同期する様に地下鉄がゆっくりと速度を落していった。

『ご乗車ありがとうございます。双柳学園前駅でございます』

 アナウンスが鳴り、乗り込み口が開く。

 ドアの向こう側は、見慣れた学校最寄りの駅ホーム。

「やっば! ほら、ぼーっとしてないで早く下りないと」

 花凛は穂乃歌の手を引き、樹希が鞄を肩にかけ地下鉄から引っ張りだす。

「ちょっと待って! もしかして、私眠ってたの? いつから?」

「そうだよ、それもスヤスヤ爆睡でね」

「嘘…… 全然覚えてない…………」

 発車した列車の運ぶ風がいやに冷たい。

 樹希から鞄を受け取り、三人はホームを歩く。

「あと、凄いうなされてたけど大丈夫?」

「あー…… なんか変な夢を見てた。でも、もう内容覚えてない」

 記憶がすっぽりと抜け落ちた感覚に清々しささえ感じてしまいそうになる。

「まあ、夢なんて大抵覚えてられないもんさ」

「でも、オッパイ揉んでも起きないのはヤバいでしょ。女子として」

「―――なっ⁉」

 彼女の顔が恥ずかしさと若干の怒りで真っ赤になった。

 赤面は鬼の形相に変わり、実行犯のカリンに掴みかかると、ほっぺたをこねくり回す。

「ごめんごめん。でも心配だったのはマジなんだってばー! ちょっと、まって千切れる、マジ千切れるからぁ!!」

 駅の階段を上る穂乃歌ははもう夢の内容などすっかり忘れて、興味を失っていた。

 上の改札階では同じ制服を着た学生たちが歩いている。

 先端技術が張り巡らされた大理石の回廊のような地下とは打って変わり改札階はほとんど吹き抜けの小さな駅だ。

 駅内の販売店もなく、目につくモノはいくつかの自販機と|SRで出来た仮想ディスプレイの広告程度。

 三人は駅の出口に近づく。そこには切符を通す改札機はない。

 乗車賃は出口ゲートに設置された検知器が乗客が着ているナノクロをスキャニングし利用者に紐付けられた電子マネーを自動的に引き落とすのだ。

 乗車駅で張り付けられた識別情報を下車駅で吸い取り、乗客の電子ウォレットから運賃を自動で差し引く。なので必要最小限の駅員しかおらず、ほぼ無人駅状態で稼働している。

 しかし、無銭乗車を試みて無理に識別電波が届かない敷地外に出ようとするならば即座にアラームが駅中に鳴り響いてそいつは恥ずかしい思いをする。

 そして今現在、穂乃歌はそれと全く同じ境遇に立たされていた。

「わっ! ――なに!?」

 警告ランプが鳴る。|SRで作られた仮想警備ゲートが穂乃歌を囲う様に円形に展開された。

 既に外に出た花凛と樹希は驚いて振り向も、呆れ顔で囚われたまま狼狽えている穂乃歌に呼びかける。

「どうした? 定期券の期限切れ?」

「ううん、違うっぽい」

 警告音がけたたましく、大声での会話が続く。それが運の悪いことに周囲の視線を集めた。

「はぁ………… なんか、幸先悪いよ今日」

  羞恥心と焦りの中、警備ゲートに手をかざすと数字の羅列と共にエラーメッセージが浮かび上がる。

 『データ破損により読み取り失敗』。つまるところ、彼女が着ている制服のナノマシンコンピューター群が壊れているのだ。

 しかし、思い当たる節が一つも出てこない。ナノマシン繊維は一部が破損してもネットワークを通じてバックアップから喪失データを自動で補修する機能が備わっている。

 考えられるのは、ナノクロ専用じゃない洗剤を入れた洗濯機に放り込んだか、或いは制服自体が修復不可能なほど大きく損傷したか……

「穂乃歌ー、後ろから人来てるから取り敢えず端に避難しようぜ」

「え。 ……わっ」

 言われるがまま咄嗟に足を引いて人の流れの外にでた。

 だが避けた先、後ろ来る利用客に気づかず、背中から当たってしまった。

「ご、ごめんなさい―――」

 謝りながら後ろを振り向くとそこには同じ学校の男子生徒が立っていた。

 着崩した制服と伸ばしすぎな前髪、耳には小さなピアスを開け、マジメ一辺倒な雰囲気の生徒ではない。

 その男子生徒のため息と共に漏れた声を穂乃歌は聞いた。

「気をつけろよ」

 寄りかかられ、肩からずれた鞄を担ぎ直した彼は穂乃歌の目をじっと見る。

「改札、通れないの?」

「は、はい。なんかリンカ―の調子が悪くて…………」

「…………だろうな」

「? だろうなって…………」

「気にすんな。それより早くしないと遅刻するぞ」

「でも改札が」

「―――分かってるって」

「え? ち、ちょっと……」

 青年は穂乃歌の背後に回ると、改札に向かって彼女の背中を押して歩いた。

 一瞬、穂乃歌は背中にわずかな熱が広がるのを感じ取った。それと同時に自身の背筋にグッと力が入る。そして―――

(なに、これ……… 足が勝手に…………)

 一歩、また一歩と彼女の足が前に出る。

 ただ押されて歩いている感覚とは明らかに違う。自分の意志とは関係なく動く足、その奇妙な感覚と共に彼女は改札に進んでいる。

「ちょっと、何なのいったい⁈」

 後ろを歩く青年に、自由に動かせる首だけ向けて話しかける。

「まっすぐ。あと静かに進みな、そうしたら出られるから」

 穂乃歌は青年の話す静かな言葉遣いに少し怖くなり、それ以上の質問をやめた。混乱している思考では、何が何だかさっぱり分からないこの状況にただ流されるだけだった。

 出口ゲート付近に差し掛かったとき、穂乃歌の背中を青年が強く押し出した。

「―――わっ!! っとと!」

 瞬間、彼女の足を操っていた違和感がすっぱりと消えた。それは押されたのとほぼ同時だった。

「お、やっとでできた」

 外で待っていたカリンと樹希がやれやれといった風に駆け寄る。

「なんだ、普通に通れたじゃん。って、どうした?」

「え…… あれ…………?」

 穂乃歌は二人に目もくれず、既に通り過ぎたレンガ屋根の地下鉄駅を見回す。その姿を友人たちは不思議そうに見ていた。

「ねえ二人とも、私を押して歩いてきた男の子、見てない?」

「……は?」

 二人はお互いの顔を見合わせる。

「見てるも何も、一人で歩いてきた様にしか見えなかったけど…………」

「へ? いやいや、いたでしょ。制服の中にパーカー着てて、なんかだらしない格好の人が私のすぐ後ろに」

「だからそんな人いないって、幽霊でもあるまいし。もしかしてまだ寝ぼけてる?」

 まだ夏の暑さが残る日差しの中、穂乃歌の体を一滴の悪寒が走り抜けた。そして、

「…………幽霊(ボソッ)」

「え、なに?」

「ガッコウ、イコウ、フタリトモ…………」

「ちょっと、大丈夫? 顔色マジで悪くない?」

「フリムカズニ………… チコクスルカラ」

 その姿はまるで錆びついたロボットの様。だが、パニック寸前の足取りは実にスムーズに坂道を登っていく。

「はやっ! ちょっと、まってよー。ホノカってばー!!」

 幽霊、怪談、怪奇。小さいころからこの手のモノは本当にダメだ。

 友人二人を置き去り、駆け抜け。穂乃歌は実家の叔母に頼んでお祓いをしてもらおうと強く決意した。











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ダークアウト・シンドローム  橋咲愛理 @makademia

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