1-3: 初日ノ話

 衝撃が三人を襲う。

「――わッ!!」

 穂乃果は咄嗟にポールを掴んだ。

 車内に風が吹き荒れる。さっきの衝撃で窓ガラス割れたのだろう。

 列車が壁に擦り付けられ、焦げ臭い砂ぼこりが車内に充満する。

「まさか、脱線?!」

 緊急アラームが鳴り響く車内。すると突然、穂乃歌たちを浮遊感が襲った。

 地下鉄車両を浮かせる電磁石が止まり、支えを失ったことで車体が浮かび上がったためだ。

 列車は急激に速度を落とし、磁気制動装置が発する重低音が反響する。

 程なくして激しい揺れが収まり、非常灯が点灯した。しかしながら、十分な明かりは無く、以前として薄暗い。

 しかし、車内にはその暗闇以上の不気味さがが漂っていた。

 割れた窓から吹き込む風が穂乃歌の長い黒髪を撫でくすぐる。

 その時だった。鼓膜を裂く高音がとてつもない大音響で車内に木霊した。

「ッ!!――――」

 耳を塞ぐも、音は頭の中から響いている。思わず膝を付いてしまうほどの痛みだった。穂乃歌は目を閉じて痛みに耐える。

 時間にして5、6秒。程なくして頭をかき回した狂騒は静まった。

「なに、今の音…………?」

 ゆっくりと目を開ける。

 カリンと樹希がいやに静かだ。風の音も聞こえない。

 残響がきれいに反響するほど恐ろしい静謐に包まれていた。

「――ッ!! 二人とも大丈夫!?」

 ぐったりと座席にもたれかかる二人。咄嗟に肩を揺らすも反応がない。

 まさかと思い、樹希らの口元に手を当てた。

 手の平に吐息がふれたことで穂乃果はほっと胸を撫でおろす。

「よかった…………」

 どうやら先ほどの音で気絶をしたのだろう。彼女はそう納得すると緊張が解け足の力が緩んだ。

 しかし、穂乃歌は安堵と共に得も言われぬ不安感を感じていた。

 友人たちは確かにそこにいる。だが、彼女たちそっくりの人形――偽物を見ているような奇妙な無機物感があった。

 近くにいるはずの幼馴染たちを画面ごしに見るような、実体のない不可視の壁が自分とそれ以外を隔てている。そんな気持ちだった。

 時折、カリンの頬をつついてみるが、やはり返事はない。

 危険な状態かもしれない二人を動かすこともできず、ケータイの電波も繋がらないのは非常にまずいのではないか。

 助けを呼びに行こうと席を立ち、連結扉に手を掛けたその時だった。

―――gigigigiギギギギ…………GRUUUUU

 およそ生き物とは考え難い不気味な唸り声。

 その音は天井の軋みといっしょになって、二階でうごめいていた。

 一転する状況に穂乃歌は恐怖を押しとどめ、上階の様子を探る。

 オーディオノイズに非常に似た声。それが周囲の機械から発せられていない事は直感的に理解できた。

 姿の見えない声の主は彼女の頭上すぐ近くを歩いている。


『近い……臭うぞ……』


 不気味なノイズが、野太い男の声に変る。何かを探している素振りだった。

 暫くすると足音は徐々に小さくなり、ある所でその音がピタリとやんだ。

 穂乃歌はせき止めた空気を静かに吐き出す。

 だが、安堵も間も束の間、鋭い頭痛が彼女を襲った。

 耳障りな音が脳内で飽和し視界がかすみ、淀んだ水中にいるような浮遊感に飲み込まれる。

 それは、一瞬の出来事だった。

 痛みの中、天井から何かが落下した事に気が付く。それとほぼ同時に、窓のディスプレイから一斉にノイズが巻き上がった。

 クラッシュした映像が画面の外に千切れ飛び、空中を舞う。

 背筋が凍りつく光景を前に穂乃歌は目を見開いた。


(なに、あれ…………)


 天井をすり抜け、ゆっくりと立ち上がったそれは巨体の怪物だった。

 角を生やすその姿はファンタジー小説に登場する悪魔や鬼に似ている。

 怪物の体表には光る亀裂があった。

 その溝は翡翠色の閃光を放ち、全身に巡っている。

 光を揺らし暗い車内に佇むその姿は、まるで深海生物の様だ。

 怪物はニヤリと口元を吊り上げ、彼女に近づく。

「な、なに?」

 カリンと樹希。親友たちに危険が及ばないよう、後退りして怪物を引き付ける。

 穂乃歌は震えを抑え、恐怖を呼吸と一緒に飲み込んだ。

「さあ、を渡してもらおうか」

 鋭い爪が額に触れ、一筋の血が垂れる。

「わ...悪いけど、アンタみたいなのが欲しそうなものは持ってないから」

 穂乃歌の態度に、怪物は煌々と光る目を僅かにひそめた。

「俺は臭い芝居は好きじゃない。もう一度言うぞ『wireDワイヤード』は何処だ?」

「…………ワイヤード?」

 オウム返しに単語を言い返す。

 怪物は怪訝そうな目の後、腑に落ちたといった風に肩を落とした。

「なるほど。その様子から察するに、俺らの事をまったく知らないようだな。容易に位置情報解析ポイント・ハックできるはずだよ」

 怪物は語尾を強め、もう片方の爪を凄まじい速さで横に薙いだ。

「――――ッ!!」

 あまりに一瞬の出来事で、その場から一歩も動くことが出来なかった。

 制服には、鋭利なナイフで切り裂かれたような一筋の爪痕。

 穂乃歌は無意識的に切られた箇所を手を抑えた。

「なに…………これ………」

 傷口から質量のない光る糸のようなものが煙の様にくすぶっている。

 それだけでなく、破壊された金属ポールや砕けた窓ガラスからも同様に光を淡い光を放つ物体が、炭酸が弾ける様に吹き出していた。

「まさか逃げられたか………」

 緑の怪物は指に付着したその光る糸をまじまじと眺める。

「痕跡はあるが既に抜け殻みたいだな。チッ、強力な反応があったからわざわざ危険を冒してきたってのによ」

 彼女の体の半分近い大きさの手の平は、首のみならず胸部辺りまでをまとめて覆い掴んだ。

「――――カハッ!! く、苦し…………」

 体が易々と持ち上がり、肺の空気が押し出される。

 拘束を逃れようと光の筋が脈打つ腕を殴り付け、爪を立てた。

 だが、怪物の硬い樹木のような皮膚には傷一つ付かない。それどころか、締め付ける力は徐々に強さを増す。

 穂乃歌は足をばたつかせ、かすむ意識を必死に繋ぎ止め怪物を睨む。

「さてと、己の不幸を恨んでくれ、お嬢さん」

 彼女が意識を手放しかけたその時。怪物の背後で何かが動いた。











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