第4話


家の外には食欲をそそられる香ばしい匂いが漂っている。この匂いはきっと唐揚げの匂いに違いない。漆黒の空には散りばめられた無数の星々が光り輝いている。だが、ハートを塵ほどに砕かれた俺の目にはそんな綺麗な星達も曇って映る。

放課後に職員室召喚を命じられた俺は古典の授業中の私語だけでなく遅刻したことや忘れ物をしたことなど隅々まで怒られた。長時間与えられた数々の罵声によって俺のハートがパリーンッと音を立てて粉砕された。ちなみに召喚される原因を生み出した元凶とも言えるもう一人は号哭の梨々香へと化していた。

「私は私語なんかしてません!」

「私はただ将太君に話しかけられただけで…」

「先生、ごめんなさい…グスッ…」


てな感じで見事にノックアウトされた。見ての通り高校生活録に残るであろう散々な1日だった。でも、梨々香が機嫌を損ねたおかげで放課後に強制的に約束させられた買い物に行く用事は抹消された。そしてそこには心の中でガッツポーズをする俺がいた。


「ただいま。」


ドアを開けると玄関は外に漂っていた香りと同じ匂いがした。

この匂いはうちの匂いだったんかい。


「お帰りなさい。」


リビングと玄関を繋ぐドアが開き、エプロンを着た淡麗な女性が出てきた。母だ。


「遅かったわねご飯できてるわよ。食べちゃいなさい。」


理由を言ったら母さんには怒られないが最終的に父さんの耳に届くので説教は不可避になるから言わない。


俺は脱いだ靴を丁寧に揃え、家にあがった。リビングに入るとテーブルには既に色彩豊かな数々の料理が並んでいた。妹は早くも先にその料理を堪能している。


「お兄ちゃん遅いよ。」


妹は眉間にしわを寄せながらご飯を食べている。

それじゃせっかくの料理が不味く感じるぞ。

俺はそんな妹の横の席に座った。


「それよりお前、音楽の教科書返しに来いよ。」


お前がちゃんと返しに来ていれば俺があんなに怒られる事は無かったんだぞ。

と言う文句は心の中にしまいこんだ。


「あ、ごめんね。忘れてた。」


妹は携帯をいじりながら人事のように言った。


俺は二度とお前に教科書を貸さない。

と将太’s禁忌録第105条に刻み込まれた。


「そんなことはどうでもいいからさ。」


はいーー?そんな事って言った?


「私が冷蔵庫に入れといたクリームパン知らない?」


妹の目は一段細くなり、眉間に寄せられたしわは一層深さを増した。


「知るわけねーだ…」


俺は脳裏に違和感を覚えた。あれ、思い出したクリームパンのゆくえ。そして流れ出す冷や汗。


「ろ?」


もう俺の腹の中には居ない。学校の便器奥底に眠っているだろう。


「そっか。お兄ちゃんは嘘つかないもんね。」


妹は表情を無にした。

なんとか修羅場になる事態を回避した。

そしてクリームパンのおかげで冷蔵庫に保存しておいたプリンのことを思い出した。俺は料理に手をつける前にこの欲望を抑え切れまいとプリンを求め、席を立った。俺は苦笑いをしながらそそくさと冷蔵庫へと向かった。冷蔵庫の前で流れ出した冷や汗を制服の袖で拭き取った。今日の疲れを癒してくれる絶品プリンを求め俺は冷蔵庫の扉を開ける。疲れ切った身体はその扉さえ重く感じさせる。頑張れ俺。扉を開き切り、プリンを置いた2段目に目をやった。


「俺のプリンちゃー…」


あれ、ない。


1段目3段目おまけに野菜室も探したがその姿はどこにも見られない。


「千里。俺のプリン知らないか?」


「ひああいお。」


妹はさっきとは一転し幸せそうな表情を浮かべながらご飯を食べている。


「口に入ってる物を飲み込んでからもう一回言ってくれ。」


口に含んでいた食べ物を飲み込み再度答えた。


「ひああいお。」


口に何も入っていないのにさっきと全く同じく聞こえる。俺の耳がおかしいのか。それとも、妹の滑舌が悪いのか。


「ごめんな。よく聞き取れなかったからもう一回言ってくれ。」


「ひああいお。」


ああ、だるい。非常にだるい。妹の知能の低さに呆れた。


「知らないんだな。」


「そう、知らないよお兄ちゃんのプリンなんてよく聞き取れたね。」


そう言い終えると皿の上に盛られている唐揚げを一口で平らげた。

何たる満面の笑み。美味しそうに食べるよな。母さん大喜びだよ。


案の定、その画を見ながら母は笑っていた。

そんな貰い幸せ中の母に妹に投げかけた同じ質問をした。


「プリンのゴミならゴミ箱に入ってたのを見たわよ。」


はい。犯人分かったわー。


俺は確信した。


「千里、プリン今すぐ買ってこい。」


俺は蔑んだ目で妹を睨みつけた。


「お兄ちゃんも一緒に行こ?いや、行かなきゃダメなんだよ。クリームパンを買いにね。」


妹の視線が俺の腹部付近にあるので見てみると、制服のポケットから「千里の」という油性ペンで書かれた文字が見える程度にクリームパンのゴミが飛び出していた。俺は慌ててゴミ箱へそのゴミを放り込んだ。


「千里。愛してるよ。」


「お兄ちゃんきも。誤魔化せてないわ。」


妹の目から輝きが消え去った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

俺達は夕食を済ませて制服から暖かい格好に着替え、コンビニに行くために家を後にした。母がくれた500円玉を片手に握り締め新雪が積もった細い路地を歩いた。

妹と一緒に外出するのはいつぶりだろうか。

兄妹であるという事は当然分かっているが女性と2人きりで歩く事は緊張する。


「お兄ちゃんもしかして緊張してるの?妹と歩くだけで緊張するとか、ただのクソ童貞じゃねーか。」


その一言によって体内から止めどなく溢れていた汗は一瞬にして止まった。よって、緊張感皆無。一つ物申したい。クソ童貞は童貞カーストの最上位層に君臨する者だぞ。もう少し丁寧に扱いなさい。


「ふふふっ。」


思わず変態的微笑が溢れてしまった。


「きっしょ。」


氷柱のように鋭く尖った言葉が唐突に心に突き刺さった。


「話変わるんだけどさ。」


「どうした?」


「お兄ちゃん梨々香ちゃんに告られたんでしょ?こんな奴のどこがいいんだか。」


こんな罵りはまだまだ序の口だった。


「髪は長くて不潔だし、部屋汚いし、足臭いし、金遣い荒いし、口…」


もう聞いてられなかった。

ガラスのハートの崩壊のカウントダウン始まっちゃうよ?


「などなど、悪い所はたっくさーんあるけど、兄妹だからこそわかるお兄ちゃんの良さを私は知ってるよ。」


妹の予想外の発言に息が詰まった。


「長いこと付き合ってるから気づいてるんじゃないかな?お兄ちゃんのそういった良い所。」


小さい頃からの付き合いだからその可能性は高い。だが、あいつは幼馴染だ。兄妹みたいなものだ。


「お前は梨々香の事をどう思っている?」


「私は好きだよ。小さい頃からずっとお兄ちゃんにベタベタくっついて好きな人に一途ってとことか。」


妹は今日イチの笑みを浮かべた。


「そっか。」


その話は俺の胸の奥の何かを熱くした。


「お兄ちゃん、顔赤いよ?」


「別に梨々香の事なんか好きじゃないからな!」


危ない危ない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「クシュンッ!風邪かなー?」


机で勉強中の少女は寒気を感じてるわけでもないが謎にくしゃみをした。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今の世の中暇しない @Higuta

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る