執着(2)


「逃がして良かったの? また何かしそうで不安なんだけど」

「大丈夫だと思うよ。恭二くん、拒絶と挫折に弱いから。叩き落とされたことがない、育ちのいいタイプ。私たちと違ってね」

 尋ねてくる西末に向かって透夏は返す。許さないと告げ、立ち直れないように心を折った。それでもおそらく、失敗の原因を自分に求めることはないだろう。思い込みが激しい彼は、透夏が全て悪いとでも言い出しかねない。

「あの人が捕まると、美幸や叔母さんが悲しむから、できるだけ秘密裏に終わらせたかった。でも、野放しにしたせいで無関係の人も巻き込んだ……だめだね、私」

 透夏は昔から、人の心を読むのが得意だった。目は口ほどに物を言う。会った時に透夏を見つめる目から、恭二の気持ちはなんとなく察していた。熱を持つ視線が、時折暗さを帯びていたことも。距離を取り、不自然でない程度の事務的な態度をとって、それでも事件は起こった。

 思ったよりも沈んだ声が出たが、透夏は切り替えて西末の方を向く。ようやくこの時が来た。

「ようやく会えたね、西末くん」

 彼が口を開く前にその腕を掴んだ。煙に巻いて逃げられぬように。

「ずっと探してた。話がしたいの。逃げるのは諦めてくれる?」

 西末はため息をついた。そのまま彼の手を引き、アパートの方へ向かう。



「なんで、連絡くれなかったの?」

「……江波さんは、今更僕に会いたくないでしょ」

「会いたいとか会いたくないとかじゃなくて、会いに来る約束だったよ。会いに来てくれなきゃ、私が嘘つきになる」

 テーブルを挟んで向かい合わせで座る。コップ注いだ麦茶にはお互い手をつけず、話を進めた。

「二人での計画だった。それなのに、何で西末くんだけ損な役回りになろうとするの」

「計画はもう関係ない。あんな、一生引き摺っても仕方ないような、酷い事をしたのに」

「お母さんのことも、あれは計画のうちだった。西末くんがそう言ったんでしょう? 恨んでなんかない。実行犯は西末くんでも、私だって共犯だよ」

 なぜか彼は惚けた顔で透夏を見た。

「いや、そうじゃなくて、その……ちょっと待って、何か誤解がある」

「誤解?」

「いや、だって僕、江波さんに……覚えてないの?」

「あの日のこと、ところどころしか思い出せなくて。ニュースとかで、結果だけは知ってるんだけど」

 そう言うと、西末は髪をグシャリと掻き上げた。

「そうか……記憶喪失って言ってたっけ」

「言ってたって誰が?」

「桜庭さん」

 思いがけない名前が出て、透夏は首をかしげる。

「そういえばさっきも話に出てきていたけれど、どうしてあの人が?」

「出所してすぐに、あの人が会いに来てさ。『しばらく生活の面倒を見る。代わりに江波さんと会わないように』って釘を刺された。見張られていたのかもしれない。あの人に住むところを用意してもらって、仕事を手伝ってた」

 思わず唇を噛む。そんなに近い場所にいたのに、気付かなかったのだ。桜庭によって、意図的に隠されていたとはいえ。

「教えてよ、あの日のこと。思い出させて」

「知らないなら、そのままでいいよ」

「よくない」

「新聞なりニュースなりで情報は得たんだろう? 僕が言えることなんて、それに毛が生えたぐらいだ」

「それが本当ならおかしいよね。私に会いに来るのに躊躇う理由がない」

 強い口調で言うと、西末は歯切れ悪く答えた。

「……約束を守ったって言えるかどうか微妙なところだから、会いたくなかったんだよ。結局、独断で標的を変えた。江波さんは、母親ではなく父親を殺して欲しいと僕に言ったのにも関わらずだ」

「それなら、さっき言ってた『一生引き摺っても仕方ないような酷い事』っていうのは、計画を逸脱した話のこと?」

「そう。分かってくれた? 君が愛されていないと一方的に決めつけて、君から最愛の母親を奪った。雑誌とかで見ただろ? 僕は君が羨ましくて妬ましくて、ずっとずっと、君から何かを奪ってやろうと思っていた。僕は不幸だったのに、君は脳天気に母親を信頼しきっている。それをぶち壊したかった」

 饒舌になる西末の言葉は、刃のように鋭く容赦なく飛んでくる。だが、それが心を切り裂く前に、透夏には分かってしまった。

「嘘つき」

「嘘じゃないよ。だって」

「嘘だよ」

 余計な言い訳を並べ始める前に、強い調子で遮った。

「覚えてないけどそのぐらい分かる。この際だから言っておくけど、西末くんね、嘘つくの下手だよ」

「はあ!?」

「悪い癖、教えてあげる。嘘つくときと誤魔化すときは、よく喋るからすぐに分かるの。それに目を見れば分かる。必ず作り笑いをするか、視線が合わなくなるから。簡単に言いくるめられると思わないで」

「そんなこと」

 言い返しかけたが途中で口をつぐんだ。目を泳がせている所を見るに、反論はできなかったのだろう。自覚はあるらしい。

 ただ一言、悔し紛れに

「……なんだよ、それ……」

と弱々しく呟いた。



「江波さんも、こういう時よく喋るよね」

「どういう時?」

「嘘つきを追いつめるとき」

 苦笑しながら言う。心外だと言う前に西末の声が真剣味を帯びた。

「ひとつ忠告しとく。全部思い出しても、何かしようなんて思わないでね」

「どういうこと」

「理由は後で分かるから、今約束して」

「理由も分からないのに頷ける訳無いよ」

「この約束を守れないなら、あの日について僕からこれ以上話すことはない」

「……破ったらどうなるの」

 悠はすぐには答えず、すっかり温くなった麦茶を呷った。ひと呼吸おいて、静かに告げる。

「この八年が無駄になる」

 その瞳に気圧された。八年前に彼の中に眠っていたものは、今でも息を潜めてその目に宿っている。

「で、どうする? 話さなくてもいいならもう帰るけど。明日も仕事だから」

「話して」

「約束は?」

「する。だから、ちゃんと教えて」

 何度も何度も確認してくるので、透夏もその度に頷いた。連なった鍵を一つ一つ外していくように。

「本当にいいんだね?」

 やがて最後の一つにたどり着く。ゆっくりと頷けば、西末は覚悟を決めたように呟いた。

「分かった」



「とはいったものの、どこから説明しよう。実際のところ、僕も全部知ってるわけじゃない」

「どうして? だってあの場にいたんでしょう?」

「……理由は、まだ言えない」

「話してくれるって言ったのに」

「僕がやったことは全部言うけど、そこに至る過程までは保障できないよ。江波さんが思い出さないといけない部分は多いと思う」

「自分でなんとかするしかないってこと?」

「思い出すきっかけになるよう努力はする」

 西末はしばらく口を閉じた。一つ一つ思い出しながら、言葉を選んでいるのが分かる。

「まずは……どこから覚えてる? 計画のことは全部覚えてるんだよね?」

「事件当日以外のやりとりは、ほとんど覚えてる。欠けてるのは、あの日のことだけ」

「計画のことを覚えてるのは助かるよ。記録がない分、説明に手間がかかるし、証明もできない」

 共犯関係を示す材料を減らすため、ノートは取らないというのが決め事だった。その分何度も繰り返し話し合ったから、計画の内容ははっきりと覚えている。

「じゃあ、一つずつ聞くよ。その日、江波さんは何をしていた?」

 それははっきりと覚えている。七月十九日は、母の誕生日だった。

「誕生日を祝うために、家で夕食の用意をしてた」

「そう。そこに、江波さんのお母さんが帰ってきた」

「その後のことはどう? 江波さんのお母さんが死んだ瞬間のことは?」

「お母さんの死んだところは全然覚えてない。なんとなくのイメージはあるんだけど、自分の記憶か後付けの情報か曖昧なところもあって……新聞とかには刺されて死んだって書いてたから」

「うーん……じゃあ、取り敢えず、情報が自分の記憶かどうかは区別はしなくていいよ。知ってること全部教えて。凶器は?」

「包丁」

「どんな包丁?」

「どんなって、普通の、台所にある」

「見覚えは」

「あるよ、だって包丁だし」

「そうだよね、だって江波さんの家にあったやつだし」

「そうなの?」

「そうだよ。包丁には、江波さんと江波さんのお母さんと僕の指紋が付いてたはずだ。僕の自白だけじゃ、証拠としては弱いからね。これが決定的な証拠になったはずだけど、知らなかった?」

「知らなかった。でも、一応計画通りだよね。『突発的な犯行』を装うために、凶器は現地調達って言ってたじゃない」

 頭の中にある計画書と突き合わせながら答える。

 西末は言いにくいことのように次の質問を投げた。

「僕とのやり取りは」

「……キスしたのと、謝られたことと……」

 流石にその続きは透夏にも言えなかった。透夏自身は覚えていない出来事。テレビのニュースや新聞ではぼかされていたが、週刊誌でははっきりと、性的暴行を受けた旨が書かれていた。あまり覚えていない、と口走れば、西末も深く追求はしてこなかった。

「道理で警察には何にも言われないわけだ。殺人と違って親告罪だったもんね、強姦は」

 西末からでた語句に、自分がされたことを自覚する。あえて淡々と、その語句を持ち出した。西末は、ここまでの会話の端々に、事件に強く関係する言葉を多く用いている。お母さん、凶器、包丁――キーワードを出し、記憶の引き金を探っているのだろう。

「さて、今までのところで何か思い出したことはある?」

 首を振ると、西末は少し思案して、立ち上がる。

「ちょっと、借りたいものがあるんだけどいい?」

 彼は承諾の言葉を待たずに台所の方へ行き、何かを後ろ手に戻ってきた。

「先に謝っとく。ごめんね」

「何するの?」

 西末は僅かに微笑む。

「僕のこと、嫌いになっていいよ。今から酷いコトするから」

 その言葉は、どこか懐かしい気がした。近付いてきた西末がしゃがんで、目線が合った。肩を押され、後ろ向きに床に倒れこむ。思わず目を閉じたが、頭をぶつけないよう、後頭部にはいつの間にか手が添えられていた。起き上がろうとする前に馬乗りになられて、喉元に、包丁が突きつけられた。刃に蛍光灯が反射して、冷たく光る。

「動けば殺す。母親と同じ目に遭いたくなかったら、大人しくしてろ」

 演技としても下手だった。台詞なんて棒読みもいいところだし、選んだ言葉も随分と安っぽい。今時のドラマなら、チンピラ役だってもっと気の利いたことを言う。

 だが、頭の片隅をよぎるものがあった。

「西末、くん」

 温度の高い指が肌を滑り、二の腕に一本の線を引いた。傷跡をなぞるように、ゆっくりと。そう、あの時は確かに、ここに傷が出来ていた。痛みはない……今は。すっかり見えなくなった傷を、改めて付けられた気がした。

 あの時、透夏に鋭く線を引いたのは、西末が手にした包丁だった。


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