追想C【殺意のベクトル】(3)
殺人計画を慎重に進めるために、幾つかの規定を設けた。
一つ目、今後二人の接触は必要最低限に留めること。共犯関係があると分かれば、二人とも罪に問われる。それは避けたい。
あくまでも『突発的な犯行』を装うことが重要だ。綿密に練った計画犯罪ではなく、耐え切れなくなった衝動的犯行に見せかける。虐待されていたという事実は、おそらく裁判の際、心証に有利に働く。精神的な苦痛の中で、心神喪失状態にあった、という結論に着地するのが望ましい。
二つ目、計画に関係する情報は、記録を取らないこと。情報は口頭で共有し、手紙やメールなどの文書は使わない。また、電話も通信の記録が残るため使わない。これも共犯関係を疑わせない事への策だ。物的な証拠があれば、万が一見咎められた時の言い訳が効かない。
実のところ、初めはノートに計画を記録していたのだが、一度知り合いに見られそうになったようだ。その場にいた西末がなんとか破棄したが、今後は記録を残さないことになった。
三つ目。緊急を要する状況に陥った場合は計画の遂行に拘らず、その場で最善と思われる選択を採ること。
ここから先は一蓮托生だ。二人のために、それぞれができることをする。
会合は主に、校区外の県立図書館で行うことになった。知り合いの目が少なく、資料も多い。行き帰りに使う電車は、わざと時間をずらした。電車代は、互いの食費を削って捻出した。
休日の外出について、母親には、友達と勉強してくると言った。思えば、母に向かって隠し事をするなんて初めての経験で、少しだけ緊張を覚えた。
「友だち? 誰。同じクラスの子なの?」
「うん、そう。最近仲良くなった子だから、多分お母さんは知らないと思うけど」
「何ていう子?」
母には、関わる友人を選べと言われている。また、母は透夏が異性に近付くことに過敏な反応を示す。まさか正直に、同じクラスの男子生徒だというわけにはいかなかった。
咄嗟に答えた名は、嘘ではない。
「……はるかちゃん」
「初めて聞くわね。ちゃんとした子なの」
「頭のいい子だよ。いい刺激になるから、テスト期間中は時々一緒に勉強すると思う」
嘘は言っていないが、透夏にとっては、最もヒヤヒヤした時間だった。
「そう。あんまり遅くならないようにするのよ。今日もお母さんは遅くなるから」
「うん、分かった」
計画で頭がいっぱいの間は、他の事はどうでもよくなった。帰りの遅い母のことも、あまり苦にならない。
***
会いたいと連絡をすれば、桜庭は驚くほど簡単に応じた。放課後に待ち合わせて、あちこちの店を見て回ったあと、透夏がねだってコーヒーショップに入る。店の中にはすでに西末がいる手筈だった。西末の顔が見えない位置から、近くのテーブルを選んで腰掛ける。
「透夏ちゃん、ちょっと聞きたいんだけどさ。この前のって彼氏?」
「違います。友達です」
「なあんだ。びっくりして損した。えっと確か……西末くんだっけ。どんな子?」
「個人情報なので教えられません」
西末の名前が出たことに少し焦ったが、バレたわけではないらしい。世間話程度のことだろう。深く追求されることもなく、話題が移る。
「この間、広島に行ってきたんだよ。牡蠣が美味しくて。魚介は好き?」
「普通です」
「そ、でも、本当に頬っぺた落ちそうだったよ。柔らかくて、噛んだら旨みがジュワーっと染みてきてさ。透夏ちゃんもくればよかったのに」
「私は何も聞いていませんから。広島旅行のことなんて」
「ああ……ゆり子は相変わらずだねえ。透夏ちゃんにはなんて言って出てきてるの?」
「旅行の日程が、先週末で合っているなら『出張』ですね」
「『出張』ねえ……まあ、予想はしてたんだけど。ハイ、これあげる」
桜庭は透夏に向かって、小ぶりの紙袋を手渡してきた。
「何ですか、これ」
「おみやげ。その分だと、ゆり子からは何にも貰ってないんでしょ」
「受け取れません」
「遠慮しないでよ」
「遠慮じゃありません。家には持って帰れないので」
その言葉で、桜庭は察することができたらしい。桜庭と会っていることを、母に知られるわけにはいかない。後に残るものは、万が一見咎められた時に言い訳がしづらい。
それでも尚、桜庭は紙袋を差し出してくる。
「軽めのお菓子だから、家に着く前に食べちゃえばいい」
「……ありがとうございます」
結局受け取り、挨拶をして別れる。毛嫌いしていた男と一緒だったとは、考えられないぐらい穏やかに過ごした。
近くの公園で西末と合流し、土産の包みを開ける。箱の中には菓子が三つ並んでいたので、一個ずつ手にとった。残りの一個は西末に渡す。それも食べ終わってから、西末が口を開いた。
「江波さん、一つ聞いてもいい?」
「なあに?」
「本当に、お父さん?」
「そうだよ。考えたくもないけど、私の父親はあの人なの」
「いや、そういう意味で聞いたんじゃなくて……江波さんが殺したいのは、本当にお父さん?」
「……どういう意味?」
問い返すと、西末は言い淀みながらも答える。
「よく知らないから何とも言えないけど、僕が見た限りじゃ、まともそうな人に見えるから」
「外面のよさに騙されないで。そちらだって身に染みてるでしょう?」
家の外では誠実な会社員を演じている、西末の父を引き合いに出す。
「そう言われたら返しにくいけど。でも、普段そういう人を見ているからこそ、嘘か本心か見分ける自信はあるよ」
「でも、事実として桜庭さんは、お母さんをないがしろにしてる。お母さんはね、あの人と結婚したかったんだよ。その為に私を生んだ。私はあの人に気に入られなきゃいけなかったから、必死でいい子になれるように頑張った。でも、無駄だったの。あの人は誰とも結婚する気がないから」
母と桜庭と透夏と、昔は三人でよく出かけたものだった。母は張り切って計画し、家にも何度か招いた。その日一日を楽しく過ごし、しかし結局桜庭はどこか別の場所に帰っていく。その度に嘆く母をずっと見てきた。しかし、やがて私の存在がかすがいにならないと分かると、桜庭を家に呼ぶことがなくなった。母は外で桜庭と会うようになり、透夏は留守番をするようになった。
透夏が家族のことを話し終えるまで、西末は黙って聞いていた。そして、少し考え込んで、視線はそのまま口を開いた。
「江波さんを追い詰めてるのは、本当は、お母さんの方じゃないの?」
「ずっと、不思議だったんだ。江波さんのお母さん、事務職って言ってたよね。どんな仕事をしてるかはよく知らないけど、そんなに出張が続くとは思えない。家にいない時が多いし、ご飯だって、江波さんが自分で用意してるよね」
「それは、お母さんは忙しいから。帰りが遅いし」
「じゃあ、帰りが早い時はお母さんがご飯を作るの?」
息を飲んで反論を失った私に対し、畳み掛けるように言葉が向けられる。
「それだけじゃない。江波さんの行動を制限してるように感じるし。君を思い通りにしたいだけに見える」
「だって、まだ中学生だから、お母さんは心配してくれて」
母親の言った理由をそのまま口に出すと、その浅はかさを鋭く咎められた。
「本当に心配なら、娘を置き去りにして男と旅行に行ったりなんか、しないと思うけど。進学先だってそうだ。寮に入れって、体のいい厄介払いとは思わなかったの?」
「違うっ!」
根拠のない否定は空虚で力を持たない。
「少し、時間を置こう。計画の見直しが必要だと思う」
「どうして? 私は本当に、桜庭さんにいなくなってほしい。あの人さえいなければ、私とお母さんは幸せになれる」
「『私のために人を殺してください』」
西末が唐突に落とした言葉に息を呑む。嘗ての自分が発した。これが約束の始まりだった。しかし、これほどまでに冷ややかな響きだっただろうか。
「僕は、この約束を守るよ。でも、江波さんのために殺すとしたら、対象は桜庭じゃない……江波さんの母親だ」
「ふざけないで! どうしてそうなるの。私の頼みを聞いてくれる約束でしょう?」
「だから、君の望みを叶えるよ。君の為に人を殺す」
「違う、私はそんなこと望んでない。お母さんに何かしたら許さない」
ほら、と冷静な声が刺さる。
「そのこだわりは、どう見たって異常だ」
「違う」
「違わない。いい加減目を覚ましたら? 君は母親に酷い扱いを受けてる」
咄嗟にあげかけた反論は、視線だけで制される。
「僕に指摘されるのが気に入らない?」
頭に血が上った透夏にとって、西末の冷静な態度がいっそう気に障る。
「ようやく分かった。何で、江波さんが僕に興味を持ったのか。同族への共感と哀れみだよ。江波さんは、僕を見下して安心したかったんだ。自分が僕よりも幸せだと思いたかったんでしょ? 僕が父親に殴られているのを知ってからは特に」
「そんなこと……」
西末には、無意識に惹かれた。ただ、暗い色の目が気になって。本当に? 自問自答する。一度も関わりを持たなかった相手を、たったそれだけで気にかけるのだろうか。今までのことは全部、傷の舐め合いをしたかっただけ?
「自分が母親から受けている仕打ちは、大したことないって、思い込む根拠にしたかったんだ。自分よりも、親に愛されてない人間がいるって、可哀想な奴がいるって、思いたかったんでしょ?」
内容の酷さに対して、その口調は穏やかだった。しかし、その目が発する剣呑な光が透夏を射抜く。
「滑稽だよ。僕から見たら、どっちもどっちだ」
「違う……! 私は手を挙げられたことなんて一度もないよ!」
「目に見えるかどうかの差だ。ご飯も作ってもらえない。行動も身につけるものも全部制限されて、優先順位は男より下。ここまで蔑ろにされておいて、愛されてる? 馬鹿なこと言うなよ。僕の親父とどこが違うか言ってみろよ!」
言い返そうと口を開いて、けれども声は出なかった。口を開いても、息ができない。
肩を掴んだ西末の手を振り払い、踵を返す。走った。一度も振り返らずに、ただ前だけを見て。
逃げ込むように家に入った。扉を閉めて、その場で蹲り、嘔吐(えず)くように咳き込んだ。
「お母さん」
無意識に助けを求めていた。
自分の声だけが、誰もいない室内に響く。
「お母さん、お母さん」
いくら呼んでも来るはずがない。分かっていても、止まらなかった。西末の言ったことを、認めるわけにはいかなかった。
「お母さん……」
今日も母親は帰ってこない。
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