凶刃(1)
週刊〇〇 ××号
『少年Aの闇 △△市アパート母娘殺害・暴行事件』
『十四歳の凶行の背景にあるものは?』
閑静な住宅街に建つアパートの一室で、一人の母親の命が奪われ、娘も傷を負わされた。犯行に及んだのは、わずか十四歳の少年Aであった。
Aは、被害者の娘と同じ中学校に通い、同じアパートに住んでいたという。同級生とその家族を相手に、凶行に及んだAとはどのような人物だったのだろうか。
Aと被害者が通う学校の関係者からは、「Aは明るくて礼儀正しい生徒だった」「勉強はあまり得意ではなかったが、友達が多くて、いつもニコニコしていた」といった人物像が挙げられている。犯行については、「信じられない。あんなことするなんて、今でもびっくりしている」と語られた。
一方で、近隣住民からは、「Aは夜遅くまで一人で外にいることがあった」といった指摘がされている。Aは父親と二人暮らしであり、父親は仕事で家を空けることが多かったようである。また、調査を進めていくに連れて、部屋から怒鳴り声や暴れるような音が聞こえた、という事実も明らかになってきた。警察がAを取り押さえた際、真夏にも関わらずAは長袖を着ていた。服の下には、多数の痣や傷があったという。
父親から虐待を受けながらも、明るく振舞っていた少年は、何をきっかけに道を踏み外したのか。一人の命を奪ったことは許されることではないが、事件のバックグラウンドや、被害者少女との関係について解明が待たれる。
***
美幸は県立図書館で、事件当時の雑誌のバックアップを漁っていた。西末悠――当時は少年Aと呼ばれていた彼に、透夏があそこまでこだわる理由を知りたかったからだ。
西末という名前は、度々透夏の口から出てきていた。本来ならば、透夏にとって西末悠は母の仇であるはずだ。しかし、透夏が彼の名を出すときの語り口は、決して剣呑なものではない。親愛の情をにじませて、懐かしむように語ることもあった。また、特別でも何でもない会話の中でさらりと口に出すことも。それだけ近しい相手だったということだ。
透夏にとっての彼は過去ではない。相手が出所するのを何年も待ち望み、自ら会いに行くという。二人の間に、何らかの約束があることは間違いないが、それが何故ここまで透夏の心を占めているのか。
持っていた雑誌を、自分の左手にある山へ積み、代わりに右側の山から一番上を手に取って開く。
週刊誌の類は書き方や演出がそれぞれ独特で、雑誌によって読者に与える印象も違う。当の事件は、未成年者の犯行ということもあり、かなり大きく話題になっていた。特集を組んでいる雑誌も多い。おおよそで分類するならば、切り口は主に二つだ。透夏と母親を襲った悲劇について取り上げているもの、そして西末悠の人物像や背景について掘り下げたもの。
中には、西末の供述に触れたものもあった。『似た境遇なのに、恵まれている彼女が羨ましかった。全部むちゃくちゃにしてやりたかった。同じぐらい不幸になればいいと思った』 ――中学生にしても幼稚な発言は、透夏が語る西末像と噛み合わない。透夏の話から感じた鋭さが、記事で扱われている西末からは全く感じられなかった。
腑に落ちないまま次の雑誌に手を伸ばし、目当ての記事を探してページをめくる。読みたい箇所は、これまでよりも簡単に見つかった。というのも、そのページにプラスチック製のカードが挟まっていたからだ。図書館の利用者カードで、貸出に使うバーコードが印字されている。誰かの忘れ物だろう。
貸出カウンターの人に渡そうと、席を立ちかけて、息を呑む。何気なく見たカードの裏面には、サインペンで名前が書かれていた。
『西末悠』
***
恭二が待ち合わせ場所に着くと、透夏は紅茶にレモンを浮かべているところだった。彼女は恭二の姿を見つけると、誰かを探すように視線を彷徨わせる。
「美幸は?」
「何か用事ができたんだってさ」
「そう……」
残念そうに呟く透夏に、悪いことをしたと思いつつ、本題に入る。
「西末悠と会おうとしてるって、本当か?」
その名が出た瞬間、透夏の纏う空気が緊張を帯びる。
「美幸に聞いたの?」
「ああ。でも、あいつのことは知ってる。やめておけよ」
「知ってるってどういうこと? 西末くんの居場所が分かるの」
透夏は強く食いついた。
「今の居場所は知らない。でも、あいつが危ないやつだってのは、嫌というほど知ってる。事件のことは関係なしで、だ」
恭二は、中学時代の西末と会ったことがある。
初夏の、たまたま図書館に行ったときのことだった。閲覧室の机に、一冊のノートが置き忘れてあった。丁寧な字で記名してある。その名前には見覚えがあったものだから、手に取ろうとしたその時だった。横から来た少年が、そのノートを取っていった。江波透夏のノートを。
「おい、それ」
思わず声をかけると、少年は立ち止まって恭二の方を見た。ひょろりと痩せた以外は、これと言った特徴のない少年だった。
「それ、お前のじゃないだろ?」
訝しげに細められる目が、次の言葉で見開かれた。
「俺、透夏のいとこなんだ。渡しておくよ」
少年は弾かれたように踵を返して、走った。恭二は一瞬動きを止めたが、逃げられたと分かるやいなや、すぐにその後を追った。相手も足は速かったが、サッカー部の恭二ほどではなかった。腕を掴むと、少年はそれを振り払おうと暴れた。ギリギリと掴み上げ、抵抗がなくなったところで解放する。
「お前、何なんだよ」
「……江波さんのクラスメイトです」
「名前は」
「西末悠」
「なんで逃げた?」
詰問するこちらに対し、相手は何故か、微笑んだ。姿勢を正した立ち姿に気圧される。
「別に、逃げたつもりなんてないですよ? 帰ろうとしたらたまたまあなたが追いかけてきただけで。これは江波さんから借りました」
ふてぶてしくも、そんなことを言う。
「それなら逃げる必要なんてないだろ。ふざけるなよ。そのノートを渡せ」
恭二が手を伸ばしかけたところで、西末はノートを持ち上げ、真っ二つに引き裂いた。言葉を失う恭二の前で、ノートがどんどん小さな紙切れにされていく。
「あなたに渡すぐらいなら、こうした方がましです」
「おまえ、一体」
掴みかかろうとした恭二を避け、西末は再び館内に戻る。そこで追いかけ合いをするわけにもいかず、とうとう書架に紛れて見失った。
「なるほどね」
話を聞いた透夏は、何故か可笑しそうに肩を震わせる。
「きっと、あいつはお前から盗んだんだ。それがバレそうになって、あんなことを」
「恭二くん、西末くんはね、その後私に謝りに来たよ。『ごめん、ノート無くなっちゃった』ってね。そんなことがあったのか」
懐かしむような言い方だった。この話で、西末の人間性を伝えられると思ったのだが、効果は薄かったようである。
「とにかく、こんなことをするやつなんだ。会いに行ったら何されるか……」
恭二の言葉が終わるのを待たずに、透夏は席を立った。
「ごめんね。これから待ち合わせがあるの」
「待ち合わせ? 誰だ、まさか」
「残念だけど西末くんじゃないよ」
自分の飲食代をテーブルにおいて、さっさと出口へ向かってしまう。
「美幸によろしくね。それから、通り魔には気をつけて」
それだけ言うと、振り返りもせずに去っていった。
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