つけ狙う影(3)
美幸とは駅で別れ、透夏は帰路に着いた。
アパート近くの公園は、昼間は子ども連れで賑わっているのだが、今は人っ子一人いない。道の途中には、コンビニや住宅が建ち並んではいるが、出歩いている人は少なかった。通り魔は別にしても、夜道を一人で歩くという点では、確かに心配されるのも無理はない。
透夏は唐突に立ち止まり、前を向いたまま背後に声をかけた。
「別に、もうついて来なくてもいいですよ? 勤務時間外ですよね」
固く抑揚のない声が、暗くなりかけた路地に響く。
「ああ、バレてました?」
数歩後ろの塀から、男が姿を現して苦笑いした。帽子とカツラを取り、メガネをかけると、見覚えのある姿になる。調査事務所の所員の一人だ。
「尾行って苦手なんですよ」
やれやれと肩を落とす男に、嫌味のつもりで尋ねる。
「彼女さんはいいんですか?」
「ああ、そこからですか……」
服屋にも、ファミリーレストランにも、この男はついて来ていた。ただし、女の人と二人組で。美幸は、となりの試着室にいたカップルが尾行要員だとは思ってもいないだろう。
「彼女はファミレスで待たせてます。すみませんが、ちゃんと帰宅を見届けろっていうのが所長命令なので。このあと報告に帰らないといけないんです」
命令を強調されては、透夏も自分勝手を言いづらい。目の前の男は、あくまで仕事中なのだ。悪いのは私情で部下を動かす同居人である。
「あの人がいつもすみません」
「いえいえ、仕事ですから」
お金は貰ってます、と堂々と言ってのけた男に、思わず噴き出す。
「それじゃあ、すみませんが、送っていただけますか?」
***
「恭二くん、お疲れー」
「遅くなって悪い」
仕事帰りに美幸から連絡を受け、恭二がたどり着いたのは、駅から少し離れたところのダイニングバーだった。落ち着いた雰囲気の店だが、価格設定が良心的なためか、客層は若い。
「透夏は? 一緒だったんだろ?」
恭二が尋ねると、美幸は肩をすくめた。
「誘ったけど帰っちゃった」
「一人で帰したのか? 最近物騒だから気を付けないと」
「あ、大丈夫大丈夫。駅までは一緒だったし」
その言葉に安心し、上着を脱いで椅子に腰かけた。冷えた指先におしぼりの温かさがじわりと染みる。
「二人で何してたんだ?」
「買い物。透夏の服を一緒に見てた。可愛い服が欲しいんだってさ。珍しいでしょ」
美幸がサラダを取り分けながら楽しげに言う。
「へえ、何でまた?」
「さあ? 気になる人でもできたんじゃない?」
あまり要領を得ない答えに、恭二は首を捻った。美幸は盛り付け終わった小皿をこちらへ差し出す。
「まあ、これを機に見た目に気を遣うようになれば、透夏にもちゃんとした彼氏が出来るでしょ」
「前から思ってたんだけど、お前、透夏の恋愛のこと気にし過ぎじゃないか?」
「そう? まあ、私透夏のこと好きだしね。幸せになって欲しいわけですよ。後は……ちょっと、心配だから」
「心配? 何が」
美幸は困った様子で左右に目を動かし、少しだけ声のトーンを落とした。
「ちょっと話がそれるんだけど……私のパパの話、恭二くんにしたことあったよね」
以前聞いた話を思い返す。美幸の母は未婚で彼女を生んだ。美幸の父親は、認知して、養育費も払っているが、誰とも結婚する気はないと公言しているらしい。常に複数の恋人がおり、美幸の他にも母親違いの子どもがいる、碌でもない男だと聞いている。
「透夏は、パパに雰囲気が似てる。周りに人が寄ってくるのに、壁を作って踏み込ませないように感じるところとか。物事にあまり執着しないところも」
「でも透夏は、そんな最低な奴じゃないだろ。ヘラヘラ誰にでも愛想を振りまいたりしないし、男遊びしてるわけでもない。心配しすぎだって」
「うん、そうだよね」
頷いた美幸は、噛みしめるように呟く。
「でもやっぱり、早く透夏に大切な人ができたらいいと思う。恋人じゃなくてもいいの。誰か一人、透夏が興味を持てる相手が現れたら」
「美幸はそういう相手の話、聞いてないのか?」
問いかけると、美幸は渋い顔でこめかみに手を当てる。
「聞いてはいるんだけど、問題があるというか……恭ちゃんは、『西末悠』って知ってる?」
恭二は思わずフォークを取り落とした。その名を、まさかこんなタイミングで聞くことになるとは思わなかった。
***
「ただいまー」
優也が仕事を終えて事務所に戻ると、いたのは所長と新入り所員の二人だけだった。
「あれ、クノさんは?」
「もうすぐ帰ってくると思うよ。透夏ちゃんを家に送り届けたって連絡があった。因みに尾行がバレたらしい」
「あーあ。後で怒られても知らないわよ」
「覚悟の上だよ」
所長は肩をすくめてみせた。帰宅した後の所長が、透夏とどんなやりとりをするのかは想像する他ないが、平穏には終わらないだろう。所長は透夏のことになると盲目的なまでに手段を選ばない行動に出るが、彼女は彼女で所長が絡むとムキになる。
一日の報告書を書き終えて、クノが帰ってくるまでの待ち時間にテレビを点ける。所長も隣にやってきて、コーヒーを飲みながら、ニュース番組を見て感想を述べ合う。新入りは離れた位置に座って、暇つぶしに古い週刊誌を広げていた。
そのとき、のんびりとした空気を裂くように、電話の呼び出し音が鳴った。受話器を取った所長の顔がみるみる険しいものになる。数分の受け答えの後、所長は受話器を乱暴に置いた。ガチャンという激しい音に、新入りが何事かと顔を上げる。
「やられた、通り魔だ。クノちゃんが階段から突き落とされた」
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