つけ狙う影(2)

 小倉美幸が待ち合わせ場所に着くと、透夏を横目でチラチラと見ている男がいた。知り合いかと思ったが、話しかけもせずに視線を送る様子は、明らかに不自然だ。

「透夏、おまたせ」

「美幸、急でごめんね」

「いいよー。透夏が服を見たいなんて言うの、珍しいし。行こ」

 歩き出したところで、声のボリュームを落とす。

「さっきから、透夏のことチラチラ見てる人が居るんだけど」

「うん、いるね」

 透夏はのんびりとした口調で答える。動揺の欠片もない。

「気付いてたの?」

「見られていたら何となく分かるから」

「知ってる人?」

「全然」

 よく周りを見れば、透夏を眺めている人間が数人いる。すれ違う人の視線が、吸い寄せられるように彼女の方を向いた。容姿につられて、何もせずとも周りに虫が寄ってくる。まるで誘蛾灯のようだ。

「美幸はいつも、どんなところで服を買うの」

 透夏は通り過ぎるショーウィンドウを眺めながら、物珍しげに周りを見る。カジュアルなレディースファッションの店をいくつか挙げるが、あまりピンと来ないらしい。数店まわることを提案すると何故だか、すごいね、と賞賛を受けた。

「普通だよ。お兄ちゃんと買い物に行くときも、いいのが見つかるまで何件も回るから」

「あれ、美幸、お兄ちゃんいたっけ?」

 透夏は口に出してから決まり悪そうに口を閉じる。美幸の父親のことを思い出したからだろう。父には何人も、母親の違う子どもがいる。美幸自身はそこまで気にしていないが、タブー視されがちだ。

「母親は違うけど、仲はいいよ。センスがいいから、よく服を選んでもらってる。友達みたいな感じ。いっそのことお兄ちゃんも連れてこればよかった」

 美幸が軽い口調で言うと、透夏は安心したように肩の力を抜いた。

 ハンガーにかかった服を手に取って、体にあててみる。二つを見比べて一つを戻し、また違うものを探す。冬場に並ぶ服はどうしても落ち着いた色合いのものが多いが、あまり重苦しくならない方がいい。透夏に好きな色を尋ねると、それすらも特にこだわりがないらしい。本当に、今まで何に興味を持ってきたのか。

「それにしても、なんで急に服に興味持ったの? 今までは、着られたらそれでいい、って言ってたのに」

 江波は少し悩んだ後に、久しぶりに友人に会うから可愛くしたい、という真っ当な答えを返してきた。

「へえ、どんな子?」

「美幸にも、話したことあると思うよ。中学の時の友達」

「そんなに長く続いてる友達いたんだ? 時々会ってたの?」

「ううん、直接会うのはえっと……八年ぶりかな。なかなか会えない事情があったからね」

 話している間に、違和感が大きくなる。

 美幸と透夏が出会ったのは、高校に入学してからだ。透夏は中学時代の話は滅多に話さない。というのも、中学三年生の時に、とある事件にあったから。同級生に母親を殺され、自らも暴行を受けたらしい。世間でも、未成年の犯罪ということで週刊誌などに取り上げられ、騒ぎになった。そのため、少し離れた場所の高校に通い、中学時代の知り合いとは疎遠になっていたはずだ。

 美幸が透夏と知り合って一年ほど経ち、気の許せる間柄になってから、何度か昔の話を聞いたことがある。透夏が語る中で出てきた友人の名は一つだけ。

 血の気が引いた。

「まさか、『西末悠』!?」

「そうだよ」

 美幸の問いに、透夏はあっさりと頷く。

「何考えてんの! 殺人犯じゃん!」

 思わず物騒な言葉が口をついて出たが、透夏は動じることなく、唇に人差し指を当てる。

「声が大きい」

 美幸は慌てて辺りを見回すが、人が多いため、周りの騒ぎに上手くかき消されたようだ。

「先週が釈放だったから、会おうと思って」

「透夏がやけにこだわってるのは知ってるけどさ……正直言って、私は会って欲しくない。なんでまだ友達扱いできるのか分からないんだけど。自分が何されたか覚えてないの!?」

 半ば責めるような口調で思ったことをぶつけてしまった。しかし、透夏は飄々とした様子で、視線は服の方へ向けられている。

「覚えてないから会いたいんだよ。美幸だって、西末くんのことを直接知ってるわけじゃない。ニュースや雑誌の受け売りでしょう?」

「だからって」

「大丈夫だよ、一応友達だったし。取り敢えず会ってみたい。それからのことは会って話して、思い出してから考える」

「何よ、その行き当たりばったり。危ない奴なんでしょ? 最近の通り魔事件だって、もしかしたら……」

 呆れて首を振る。どうにかして止める方法を考えていると、透夏が、美幸の耳元に口を近付けてくる。

「美幸」

 囁くような声で、名を呼ばれた。

「私、あなたのことが好きだから何でも話してきたけど、あまり干渉されるのは好きじゃないよ」

 静かに告げた透夏が笑みを浮かべる。同性ですら竦むほど、美しく。

「……だって、心配だもん」

「知ってる。危ない真似はしないよ」

「犯罪者と会う時点で既に危ないって」

「そうだね。でも、約束したから」

 こうなれば、言っても聞かない。きっと梃子でも動かない。

「一体、どんな約束したのよ……」

 不思議だった。何事にも執着せず、表情をあまり変えない透夏が、この件にだけはこだわりを見せる。

 透夏が言った通り、西末悠のことは直接知っているわけではない。美幸の中での彼は、透夏と自分の境遇を比べて羨み、身勝手な理由で友人を裏切った凶悪犯だ。少なくとも、ワイドショーや週刊誌ではそういった扱われ方をしていた。透夏の知る西末悠は、どんな人物だったのだろう。

 美幸の心配など気にもかけず、透夏は服選びに真剣だ。おしゃれをしたい理由が、西末悠の為ではなかったなら、手放しで背中を押すことができたのに。

 それでも、頼られた以上は応えたいと思う。

「透夏。これとこれと、これ、試着!」

 目に付いた服を手渡し、目を白黒させる透夏を試着室に押し込む。

 透夏のリクエストである可愛い服、という条件で、尚且つ動きやすいものを見繕っていく。ロングスカートは駄目だ。いざと言うとき足がもつれる。袖がひらひらした服もダメだ。いざと言うとき捕まりやすい。ヒールの高い靴も駄目だ。いざと言うとき走れない。なんといっても、対峙するのは前科一犯の男だ。

 隣の試着室では、カップルが似合うだの似合わないだのでイチャついている。対するこちらは、そんな浮ついた気持ちではない。生きるか死ぬかの真剣勝負だ。妥協は許されない。

 あれこれ着せ替えして、疲弊気味の透夏には気付かないふりをして、次々とめぼしいものを渡していく。

 心配した美幸を押し切っても行くのだから、このぐらいは耐えてもらいたい。



 一通り(本当に全身分)を買い揃えたところで、休憩しようという流れになった。近場のファミリーレストランに入って、ドリンクバーを注文する。タイミングが良かったのか、店内は空いていた。いるのは中高生ぐらいの女子グループと、若い男女、小さい子供を連れた父親の三組だけだ。

「ところでさ」

「何?」

 買った物の洗濯表示を見ている透夏に、ふと気になったことを尋ねる。

「あの人には言ったの?」

 名前は出さずとも、意図するところは伝わったらしい。

「言ってない。考えてもみてよ。西末くんに会いに行くなんてこと言ったら、家から出してくれなくなる」

「やりかねないわね」

「でしょう?」

 同居人の男も大概、透夏に執着し過ぎだ。もっとも本件に関しては、その過保護も仕方ないと思うのだけれど。

「まあ、バレてると思うけどね。だって」

 透夏は声のトーンを変えず、何でもないことのように言う。

「ずっとついて来てるし」

「は? えっ、あの人が?」

 驚いて周りを見回すが、それらしき人はいない。

「本人じゃないよ。調査事務所の所員さんじゃない? 軽く変装してるけど、多分見たことある」

 美幸は声を潜める。

「それ、やばいんじゃないの? バレバレじゃん」

「別にいいよ。監禁されそうになったら、同居解消するから」

 そう言いつつも、透夏は眉をひそめ、不満げな顔をする。

「過干渉は嫌いだって言ったのに」

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