つけ狙う影(1)


 広見優也が見舞いに行った翌朝、とある調査事務所にて。

「『江波透夏に近付くな』ねえ……ストーカー?」

 優也が経緯を話すと、所長は気難しげな顔で頭を掻く。

「透夏ちゃんは、それについて何か言ってた? 昨日会ったんでしょ?」

 机を指でトントンと叩きながら、所長は優也に視線を向けた。露骨に機嫌が悪い。

「本人からは、そんな話は出てこなかったわ。変わった様子もなく、いつも通りって感じ」

 こういうときは、聞かれたことを素早く答えるに限る。勿論、触れなくてもいいことには触れない。当然のように彼女の動向を把握している件については、突っ込まないのが賢明な判断だ。

「そう、あの子は何でもないような顔が上手だからね」

 所長は大きく息を吐き、優也に向かって、江波に連絡するよう指示を出す。

「何て言うの?」

「話があるから、なんて言ったら警戒されるからね。『昼頃、事務所にお弁当を持ってきて』とでも。あ、今いない人の分も含めて、四人分ね」

「はいはい……自分で連絡したら?」

 言われた通りにメッセージを作成しながら、尋ねると、苦笑が返ってきた。

「俺が連絡すると、二回に一回は未読で無視されるんだよね。優ちゃんからの方が確実」

「そんなに仲悪くて、よく一緒に暮らせるわね」

「俺には愛があるから」

 今時、映画俳優も言わないような台詞を、なんの照れもなく言ってのける。そのくせ、わざわざ『俺には』と付けるあたり、身の程を弁えた感じが伝わってきた。この所長が、江波に対して強引に同居を迫った経緯はなんとなく聞いている。

「はい、送ったけど、来ると思う?」

「……五分五分かな」

 メッセージを受け取った江波の、渋い顔が何となく想像できた。



「……こんにちは」

 挨拶で、ここまで不機嫌な声が出せるとは驚きだった。昼過ぎに事務所に現れた江波は、清々しいほどの仏頂面で所長を睨む。スカートを気にせずつかつか歩み寄ると、机の上に大きな風呂敷包みを置いた。

「お弁当、必要ならもっと早く言ってください。数人分だと作るのに時間がかかるので」

 所長はそれをにこやかに受け取る。

「手作り? 嬉しいなあ。出来合いを買ってきてもよかったのに」

「今度から、そうします」

「いやいや、そんなこと言わずに」

 包みを開けると、大きいタッパーが三つ重ねで現れた。蓋を開けると、一つ目と二つ目には、唐揚げや卵焼き、ポテトサラダなどのオーソドックスなおかずが彩りよく詰められている。三つ目のタッパーには、ラップで包まれたおにぎりが並んでいた。見た目は普通の、いかにも手作りのお弁当という感じだ。

 しかし、美味しそう、と言うよりも先に率直な感想が出た。

「えっ、江波ちゃん、料理できたの?」

「ヒロミさんの中で、私のイメージはどうなってるんですか」

 横目で睨んでくる江波に対し、優也は笑って誤魔化す。普段の昼食風景を見ていれば、到底料理ができそうには思えない。カップ麺、学食のうどん、菓子パンのローテーションが基本の女だ。

「透夏ちゃんは結構料理上手だよ。知らなかった?」

「知らない知らない。普段は貧相な昼食とってるから。へえ、意外」

「ヒロミさん、余計なこと言わないでください」

「じゃあ、今日は何食べるの?」

 江波の口から、ファーストフード店の名前が挙がった時点で、所長と優也の考えが一致する。優也が退路を塞ぎ、所長が肩を抱いてソファに座らせた。

「透夏ちゃんも一緒に食べようね」

 文句が出る前に三人分のコップと割り箸、紙皿を出す。そこまでされて、ようやく観念したらしい。

 外に出ている所員の分を先に取り分け、後は各人で好きにつつくことになった。味付けはどんなものかとビクビクしながら箸をつけたが、普通に旨い。料理上手という評価は、所長の贔屓目というわけでもなかったらしい。

 弁当の残りが半分ほどになった頃、所長が本題を持ち出した。弁当に気を取られていたが、江波を呼び出したのは訊きたいことがあったからだ。

「で、透夏ちゃん。何か言うことはない?」

「玉子焼きの味付けなら譲りませんよ」

 透夏は目も合わせずに答える。いつものことだが所長に対する態度は冷たい。気を許していることの裏返しと取れなくはないが、それにしてもだ。

「俺はしょっぱい方が好みだけど、それはいいんだ。君に合わせるよ。そうじゃなくて、優ちゃんから君の学校生活について聞いてね。主に人間関係について」

「ああ、いつもヒロミさんにはお世話になっています」

 淡々と答えながらその目が優也の方を向く。何を言った、と言わんばかりに。

「優ちゃんの他に親しい人はいないのかい?」

「あなたに関係あります?」

 探るような台詞に、江波の警戒が高まったのが分かる。この状態でどうやって聞き出す気かと、所長を見るが、彼は相変わらず余裕の笑みを浮かべながら告げた。

「君に話す気がないなら、俺の方で勝手に調べさせてもらうけど」

 上手く機嫌を取るのかと思いきや、最初から強引な手段を視野に入れていたらしい。これは単なる脅し文句ではなく、実行前の宣言だ。調査事務所の所長だというのは伊達ではない。

 江波もこの男の性格と行動力がよく分かっているのだろう。ため息を吐きつつも、大人しく口を開く。

「一番よく話すのはヒロミさん、美幸は学科が違うので学校ではあんまり会いません。電話はしますけど」

「それで他は?」

「同じゼミの人とは必要があれば話しますが、そのぐらいです」

 嘘ではない。しかし、聞きたかった名前は出なかった。所長もそれは分かっているらしく、質問を続ける。

「じゃあ、佐藤くんは?」

 その名を聞いた江波は、眉をひそめた。

「通り魔に遭ったみたいですね。吃驚しました」

「それだけ? 同じゼミだったんだよね」

「はい。知ってる人がそんなことに巻き込まれるなんて思わなくて……怖いですよね」

 江波は首を振り、怯えたように俯く。その態度に違和感を覚えた。昨日、優也と話していた時の江波は、通り魔の話題が出ても特に表情を変えなかったのだが。

 江波はしばらく沈んだ顔をしていたが、やがて気を取り直したように、明るい口調で話を続けようとする。

「同じゼミの人なら、他には……」

 それに所長が待ったをかけた。

「もう少し、佐藤くんの話をしようか」

 その言葉を聞き、江波の表情が再びいつも通りのポーカーフェイスに戻る。それで気付いた。先ほど見せた態度は、怖いから話題を変える、という流れを不自然に見せないための演技だ。

 佐藤の話題を避けるために。

「昨日、優ちゃんが佐藤くんのお見舞いに行ってきたみたいなんだけどね」

「行くって言ってましたね。佐藤さんは大丈夫そうでしたか」

「意外と元気そうだったわ」

「良かった……」

 江波は安堵したように頬を緩める。しかし、

「あ、そういうのはいいから」

と言って、所長はその態度をバッサリ切り捨てた。

「君が、興味ない人をテキトーにあしらうのは知ってる。どうでもいい話をして本題をずらすのはやめて欲しいね。まどろっこしいのは無しだ」

 所長の表情が、声が、冷気を帯びる。

「『江波透夏に近付くな』……佐藤くんが犯人から聞いた台詞だよ。透夏ちゃん、君は誰に狙われている?」

 空気が変わったのを感じ取ったのだろう。江波は唇を噛み、諦めたように言う。

「……さあ、誰でしょうね? 佐藤さんは刺されちゃったし。他にアプローチがしつこい人は、今は思いつきません」

「何で俺に黙ってたの。いや、俺じゃなくてもいいよ。昨日優ちゃんに会った時にも何にも言わなかったんだってね? 身の危険に晒されてる自覚はある?」

「警察には相談してます。あなたに言ってもどうにもならないでしょう?」

 淡々と言い放つ江波を睨み、所長は腕を組んだ。

「とにかく、しばらくの間、ふらふら出歩くのは控えるんだ。分かったね?」

「分かりました」

 話が終わるやいなや、江波はバッグを持って立ち上がる。

「じゃあ帰ります。弁当箱は、洗って持って帰ってきてください」

 それだけを言い残して、事務所を立ち去った。



「所長」

「なんだい?」

「あの子、大人しく帰ったと思う?」

 所長は目を細めた。

「まさか」

 根拠は、かさばる荷物を嫌ったこと。そしてもう一つ。

「珍しい格好してたもんね」

 服装に無頓着な彼女が、珍しくスカートを履いていた。事務所に来た時の剣幕から察するに、所長や優也に会うためではないだろう。

「所長、デートだったらどうする?」

「相手の男は血祭りだ」

 所長は、冗談のようなことを、冗談めかして、冗談ではない表情で言う。

 そして、携帯を取り出した。

「もしもし、クノちゃん? 仕事終わった? うん、うん、それなんだけどね。この後、ちょっと別の仕事に行ってもらえる? ああ、報告は横にいる新入り君に任せたらいいから。うん、至急。場所は後で送る」

 正所員に電話をかけてまで任せる『仕事』が何なのかは訊かずとも分かった。江波透夏のあとをつけさせる気だ。

「江波ちゃん、もう行っちゃったけど。場所は後で送るって、どうするの?」

 尋ねる前から嫌な予感はしていたが、優也の口がうっかり滑る。

 所長は端末を操作しながら、何でもないことのように言った。

「世の中には、GPSという便利なものがあってね」



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