01話 相


 季節は、冬から春へと移り行くころ。

とはいってもまだまだ冬の寒さが残っている3月半ば。布団の温もりから逃れたくないと駄々をこねる身体に鞭を打って起き上がれば、カーテンの隙間からまだ明るいとは言い難い空が見えた。時刻は6時半を少し過ぎた頃だ。

 パソコンに限らず、液晶の中で動く人間と言うものがなぜか苦手で、殆どつけないテレビ。どうせ自分はキッチンに立って朝食と弁当の支度をするから、作業BGMにしかならないだろうと今日は気まぐれに電源を入れた。

お馴染みの朝のニュース番組が始まったようで、これまたお馴染みのニュースキャスターが気の良い挨拶と共に報道するラインナップを述べていた。自分たちの与り知らぬところで繰り広げられている国会の状況やら、卒業などの時事イベント。

多少の雑談も交えながらも、淡々と進んでゆくニュースをぼんやりと聞き流しつつ炊き立ての白米をかき混ぜる。冷蔵庫にある卵とハムで朝食は済む…が、お弁当のおかずになりそうなものがない。

 昨日、いつもの深夜徘徊ついでに24時間営業のスーパーで買い物をしようと思ったのだが、それが叶わなかった事を思い出す。しかたない、コンビニで適当におにぎりと野菜ジュースでも調達しよう。

『先日起きた××埠頭での、貨物船爆発事件で―――…』

「………。」

『貿易会社×××の……、関係者に対する事情聴取―――…有力な情報は得られておらず、警察は――…』

 キッチンから顔を出して、テレビの電源を消す。

まるで夢のような出来事だ。どこにでもいるような一般人で、特出した才能もない。だからこそ俗に言う「事件」とかそういった類のものには無縁だと思っていた。あるとすれば、真夜中に出歩いてあらぬ疑いをかけられ職質される程度……なんて考えたところで、放置していたフライパンから少し焦げ臭い匂いがしていることに気付く。

慌ててキッチンへと戻り火を止める。いい感じにやけていたはずのハムは黒焦げ寸前のカリカリになってしまっている、それだけ思い耽っていたんだろうか。 気を取り直してハムを皿に移し、ボウルの中の溶き卵を入れ替わりにフライパンへ流し込む。そのまま手際よく掻き混ぜ、火が通り過ぎない程度のちょうど良い所で皿に移し替えた。 テレビのついていないリビング、空は明るくなり始めた頃。朝食をとったら今度は洗濯機を回して支度をしていよいよ出勤だなぁなんて考えながら、焦げて尖ったハムを口の中に放り込んだ。






普段は着慣れたパーカーに、いつもの蛍光グリーンの差し色が目立つヘッドフォン。 しかし今は若干ヨレたスーツ、地味な色のネクタイ。そこに必要な道具やら書類を詰めたカバンを肩にかけて、まさに冴えないリーマンといったところだろう。

もうすぐ春とはいえ、まだ朝方は肌寒い。

冬よりはマシだが、無意識にジバリングしてしまうのもこの寒さを物語っているかもしれない。 通勤の為に電車に乗り込み、程遠くない職場を目指す。

これもまたいつも通りだ。何も変わらない。見慣れ、やり慣れ、過ごし慣れた時間。今日はバタつかないといいなぁとか、トラブルとか起きないと助かる、なんて考えるだけでため息が出た。

仕事場最寄りの駅へ到着した事を、アナウンスが告げる。

出勤ラッシュの時間宜しく、都心部よりは幾分かマシな程度の人の波が僕を電車の外へと押し出す。

これもまぁいつもの事だ。人の波は周囲の視界を奪うから、目的の場所を見失いがちだとか流されて流されて気がついたら全然見当違いの場所、なんてことも有り得るのだが、この身長の高さと体格の良さに感謝する。

駅のホームを出て、冷たい空気を肌に浴びる。

電車内は暖かかったが、やはり外は寒い。さっさと会社に入って、エアコンの暖を貰おう。 カバンを持っていてむき出しの手の甲を擦りながら足早に歩き出した―――のは良かったが。

「ここで信号待ちを喰らうのがやはり僕らしい……」

タイミング悪く点滅していた歩道の信号が赤へ変わった。

そう言えばここの信号、地味に長かった気がする……。出勤時間には余裕があるから、信号待ち程度どうということは無いのだが、こうした小さな不幸も自分らしいなぁなんて小さく笑う。―――そんな視界の隅で、

「おはよーございまーす!」

「おまわりさんおはよー!!」

赤と黒のランドセル。黄色い帽子。賑やかな色がこれまた賑やかに声を発する。 向かい側で信号が変わるのを待機していた小学生たちのようだ。そして、その子供たちは一人の男性の元に集まっていた。

 褪せた金色。真っ先に目が行くのは、その髪色。

お巡りさん、と呼ばれたにしては職に似つかないその髪の色は、昨日とは違い朝の日差しをうけて。褪せていて派手さは薄れているもののやはり目立つ。

「おはよう、ほらちゃんと並んで。危ないからね」

 子供たちに手を引かれ、服の裾を引っ張られ。小さな影にもみくちゃにされながらも穏やかに笑うその人と——

「……あ、」


 ———目が、合った。


「おはよう、

 彼が微笑む。昨日の真夜中に出会った警察官。確か——確か三廻部みくるべといったか。彼はわざとらしくそう言った。お兄さん、なんて言われているが絶対に自分の方が年下だし、これ間違いなく周りの小さい子供たちと同じように扱われてるな?

間違いなく小ばかに、いやからかわれているような気がする。彼との初対面が真夜中の、しかも不審者と間違われるとかいうエンカウントだった為に。

 ただ、…………ただ。

「…おはようございます、お巡りさん」

「これから仕事でしょ? 気を付けてねー」

 信号が青に変わる。 勢いよく飛び出す子供たちにこら飛び出さないの、なんて注意しながら三廻部は横断歩道に踏み出す。 たまたまか、それとも意図的か。僕と横並びに歩いているが、お互いの会話は無い。

 …何を意識しているんだろう、僕は。

三廻部とはたった一度、職務質問という形で出会っただけだ。それだけだ、何も意識する必要もないじゃないか。三廻部だって、流石に昨日の今日だから僕の事を覚えてはいるだろうが、それだけの事だろう。

横断歩道を渡り切る。子供たちを学校まで見送るのだろう、三廻部はそのまま左へと曲がる。僕は、職場はこのまま右に曲がって真っ直ぐだ。ここでお別れかぁ、なんてふと思って、自分の思考に疑問を持った。

 一度何かに引っ掛かると、動きを止めてしまうのも癖だ。さて、何が引っ掛かったのやら。子供たちの喧噪が遠く聞こえる。ただ、その中で自分とは別に止まった足音を聞き逃すことはなくて。もしかして、もしかして。——いや、そんなはずは。


 ぎこちなく、振り返る。




 「あ、……———」


 同じタイミングで、同じことをしたのだろうか。

振り向いた彼と、また目が合う。 さっきとは違う、僕をからかうような視線ではなく、例えるなら昨日のあの時の。

僕の気のせい?意識のし過ぎ?——それとも、僕と同じことを、思っていた?

そこで漸く自分の抱いていた、引っ掛かっていた感情に名前がつく。

 ああこれ一目惚れだ。

たった一度会っただけなのに。ここまで意識して、彼の為に足を止めて振り向いて。

見つめ合って数秒、三廻部は小さく会釈をして去っていく。 その後ろ姿を見送って、深く息を吐いた。

自分の行動だとか、意識だとか。その内訳を理解するまでに時間はかかるものの、理解してしまえば受け入れるのははやくて。


「……まいった、なあ」


 受け入れたというのに纏まらない感情を引きずりながら、やっと一歩を踏み出した。




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愛の哲学(フィロソフィー・ラブ) 獅柴 @leon9883

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