第六章 光に絶望し闇に希望を知る(3)

「ビアンカ……お前……」


 声をかけるもビアンカは気にも留めず、まっすぐアルブスに向かって歩み始める。それに対し足をふらつかせながらも立ち上がり剣を再び手にするアルブス。やがて、アルブスの前にビアンカが立ちふさがった。


「アルブス先輩、ブラン先輩にこれ以上手を出さないでください。もし、首をはねるというのであれば……先に……この……あたしを……!!」


 両手を広げアルブスの前で立ちふさがり続けるビアンカ。だが、よく見ればその足と手は小刻みに震え続けている。紛れもない恐怖がビアンカを襲っているのだ。


「ガァハ……ビ、ビアンカ……今すぐ逃げろって!」


 咳き込み血吐き出るはで苦しいが、なんとか声を絞り出しビアンカに叫びかける。もう……いい加減に……逃げてくれよ。


ビアンカの荒い息遣いがブランの耳にもしっかり届く。下手すれば心臓の鼓動すら聞こえてくるのではないかと思うほど、緊迫した状況が繰り広げられている。

 ビアンカの目の前にはすでに態勢を立て直し、剣を構え始めるアルブスがいる。絶望のほかはもうない。ビアンカとアルブスの差は圧倒的だ。


 もう、ビアンカは恐怖にすべてを飲み込まれているはずだ。でも、……ビアンカはその言葉を絞り出した。


「あたしを……殺してか……」


 だが、ビアンカが絞り出すより先にブスリとむごたらしく生々しい音が鳴った。その音によってビアンカのセリフが途中で遮られる。その向こうでは声に出して笑うアルブスの姿があった。


「フハハハ……ああ、分かったよ、君から殺してあげようじゃないか」


 あまりに唐突のことでブランは思わず息を飲んだ。あわててビアンカのもとへ駆け寄る。それと同時にビアンカの体ががくがくと震えはじめ、やがて後ろに足をふらふらと躍らせ始めた。


 ブランがたどり着くと同時、後ろに倒れこむビアンカ。その時のビアンカはまるで何が起こったのか分かっていないようで、口をパクパクさせながら目が明後日のほうを向いていた。


 だが、やがて血があふれ出す右肩を左手で抑え込む。


「アアアアアアァアア……クゥゥウ……ァアア……!? ハx……ハァ……。だ、大丈夫です……傷は……浅いので……グゥ」


 ビアンカを抱え込みながらアルブスに視線を送らせた。そこには剣を前に突き出したまま笑うアルブスの姿。剣先から少し血が垂れていた。


「せ……先輩……いや……アルブス……てめぇ!」


 怒りが頂点に達したブランはビアンカに包帯を投げ渡すと思うままに光の力を開放していった。それはたちまちあたりの大地を照らしていき、忌々しいアルブスの顔もはっきりと認識できるようになる。整ってはいるがまるで反吐が出るような顔だ。


 だが、奴の行動を見て聞いて感じ取って、心に響いたものは確かに感じた。今の自分が本当にやりたいことはなんなのかってことが。


「アルブス……あんたの光は……輝いて見えるようだけれども、まるで輝いてねえな。どす黒い、あまりにどす黒い。そこら辺にいる魔王軍の闇のほうがよっぽど純粋な黒だ。あんたのは……汚くてひどくて……醜い。最低の光だよ、ちくしょうが!」


「ふん、何を言おうが、光は光、闇は闇だよ」


「ああ、その通りだ。だからこそ、もうあんたみたいなどす黒い光と同じ光をもっているなんてごめんだね」


 アルブスはクスクス笑い続けながら、剣を振り上げる。


「だから、光を捨てて闇を得るのかい? なら、ここで始末しなくてはね」


 剣を振り下げてくるアルブス。それに対し素早く反応し、アルブスの右手を抑え込むと今度は地面に勢いを借りてたたきつけた。


 剣が手から離れ地面にひれ伏すアルブス。そこから図具立ち上がり、半歩離れるのをよそにブランはアルブスの剣を奪い取った。


「先輩……ひとつ、あなたにお礼を言っておきますよ。前に勇者をする理由、自分が持つ欲望は何かという話題がありましたよね。あの時は分かりませんでしたが、今あなたを見てはっきりしました。自分が何をしたいのかをね」


「フフフ……フハハハ!! 僕を殺したいのかい!? ならそれは無理だね!」


「ふっ、違いますよ。……んな……くだらない理由なわけないだろうが!! てめえを殺すのを目的にするなんて死んでもごめんだ! そんなことすりゃ、おれの力までどす黒く濁っちまう」


 剣を今一度見た。そこには確かに光が宿っている……けれども……なんともどす黒い、奴の光が宿っている。そんな剣を乱暴に地面へと突き刺した。


「おれは今まで勇者であるが故なのか知らないが、どうも妙に光を捨てきれなかった。光を失うのが怖かったのな……。

 でも、あんたみたいな汚い光を見て思ったんだよ。こんな光にもなる可能性があるんだったら、光も闇も同じだなって。だったら、光にとどまっている必要なんてない。おれが思うままに闇を手に入れたいってな。


 告白するよ。おれは闇が好きだ。闇は本当にきれいに感じた。いや、あのときあいつから感じたあの美しい闇が好きだ。深く深く黒々しい闇が好きだ。てめえみたいな腐りきった光に比べたら……よっぽどきれいな闇だ」


 そして自分の右手をゆっくり目の前にまで持ち上げ、ゆっくり眺めた。


「だからこそ、おれもそんな闇が欲しい。その闇に近づきたい。けれど……この今、右手に宿っている闇は……おれのものじゃない。ノワールの剣から宿った闇……ノワールの闇だ。


 ノワールの闇は……やっぱりノワールのもとでないときれいじゃないよな。おれの中にあっても……痛みを伴う中途半端な闇だ。おれが欲しいのはこんな闇でもない」


 光の力を右手の方へどんどん流していく。それに伴い、右手に宿る闇が浄化されていく。悔いがないといえば嘘になる。名残惜しい。


 でも、本当に欲しい闇はこの右手にある闇じゃない。だからこそ、これは……すべて浄化しきる。


 やがてすべての闇が消え去った。再び真っ白な髪に戻ったことだろう。


「今、おれの心の奥でうずいているのもがある、それがよくわかる。闇の鼓動だ。闇は……おれの……心の奥に既に潜んでいたんだよ。

 でも、それは周りにある光という環境の中で気が付かないまま押し殺していた。でも、もう押し殺さない。おれは……これから光を捨てる。その覚悟でこの闇のすべてを受け入れる」


 大きく深呼吸を重ねていく。とにかく心を落ち着かせて胸の奥に潜む。闇に全神経を集中させていく。


「アルブス、あんたがすごく憎い、ひたすら憎い。そんな感情が闇を確かに膨れ上がらせようとしている。けれども、欲しいのはそんな闇じゃない。そこから生まれるどす黒い闇より深くきれいな闇こそ、おれが欲しいもの。闇よ……闇よ……膨らめ」


 なすがままに闇にすべてを任せた。するとほんのり胸の奥が脈打つのが分かった。でも、それは痛みを走らせるものではない。本当に心地よい、静かながらも強さを感じる純粋な闇。やがてそれは黒いオーラとなって中心からあふれ始めた。


「また……髪が……黒く……」


 手当てを終えたビアンカが立ち上がりながら、そんな言葉を口にする。そうか、ちゃんと闇が……生まれてくれたんだ。でも……ビアンカには……。


「ビアンカ……お前に言わなければいけないことがる。この闇を本当に素直に受け入れるために……お前に本当のことを言わなきゃいけない」


「……本当の……こと?」


 本来ならしっかりビアンカと顔を向け合って話したいこと。でも目の前には油断ならないアルブスがいる。でも、背中越しでもしっかり伝えるため、そして自身が本当に心の底から闇を受け入れるためにも、一つ一つ言葉をかみしめて告げていく。


「悪いな。おれ、お前を助けるために闇を手にしようと思ったんじゃなかった。本当にお前の為に行動したことは……今思えばなかったのかもしれないな」


 後ろを……ビアンカを見なくても耳に伝わってくる息遣いでどういう評定しているのかはなんとなくわかる。驚き、悲しみ……動揺か。


「おれはあるとき……やつの……ノワールの闇を見たんだ。本当に美しかった。あの闇に少しでも近づきたい、そう思っていた。でも、おれは勇者だ。そんなことは……あってはならない。だから胸の奥にしまっていた。でも、その思いはうずき続けた。


 だからこそ、ビアンカがノワールに取り込まれた時にお前を助けるってことを言い訳にして結局闇に手を伸ばしたんだ。ビアンカのために闇の力を宿したけど、本当は嘘で……闇を手に入れるきっかけが欲しかっただけ。


 アルブスに捕まり牢屋に入れられた時もそうだ。ビアンカを助けたいという言い訳を使って、ノワールの闇をもう一度見たいから、近づきたいからって理由で……脱獄したんだよ。おれの根本にあるのはノワールの闇だ、あれに近づきたかった一心だった」


「やめてください! そ、そんな……聞きたく」


「でもこれが真実だ。隠していないおれの本心、いや……違うな。まだ嘘ついているな、おれは。本当の想い……戦う理由……おれの欲望……」


「フハハ、面白いことを言うね、君」


 突如前にいるアルブスが笑い声を上げる。しかし、すぐそれをこらえるように手を口に当てて手のひらをブランに向けてきた。


「いいや、どうぞ。続ければいいよ、その面白い茶番を」

「……ふん」


 今一度大きく息を吐き、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。


「おれは……ノワールの闇だけじゃない……ノワールが好きだ。おれは……あいつに惚れていると思う。だからこそ、あいつに近づきたいがために……あいつと同じ深く美しい闇になろうとしたんだ。

 あいつの横に立って並びたかったから。あいつと同じ世界に立ちたかったから。あの美しい闇とそれを放つノワール……やつが欲しい。それが欲望で、すべてノワールが欲しいがためにおれは戦う意味を求めた。


 ノワールに会うまでは確かに理由はなかった。でもそれは……そもそも勇者がおれのやりたいことじゃなかったからだな」


「嘘だ……嘘ですよね。すべて! すべて!」


「ビアンカ、最後にもう一度いうぞ。ここから去れ。逃げろ。もう、お前はおれに対する義理なんて残っていないだろう」


「いや、先輩……嘘だ! だって、一番最初、あたしが勇者になる決意をした、勇者になる理由を生み出した……最初に先輩が助けてくれたのは、ノワールと関係ないはず! あなたが勇者として……確かにあたしを」


「ッ!? ……いいから逃げろよ……」


「先輩!」


「さっさと逃げろビアンカ! 先におれがお前を殺すぞ!!」


 一気に心の奥にあった闇が膨れ上がった。どんどん胸の奥にあった闇があふれ出してくる。力が……力が……あふれてくる。


 もちろん、殺すなんて……そんなのは本心じゃない。でも、こうでも言わないと、あいつは逃げてくれない……。分かってくれよ……ビアンカ。


「……ッ!!」


 ついにビアンカはクルリと背中を見せた。そしてそのまま、何も言葉を放つことなく、無言のままただ走る足音だけが耳に残る。やがて暗い闇の中へ足跡と共に、ビアンカの姿は消えていった。

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