第五章 増大する闇と失う光(2)

 朝、目が覚め自分の部屋のドアを開けると同時に母の顔が飛び込んできた。気が付けば両頬が母の手に握られ、目を合わせたくもないのに無理やり視線を母のほうに寄せられ真正面から見つめられた。


「どこへ行っていたのです? 心配したのですよ?」


 何度も何度も顔を付け合せてくる母を振りほどこうとするもまるで無理。まるで母の目から放たれる闇を宿す視線がノワールを押さえつけるかのよう。


 そう、それはある種の恐怖ともいえるものだった。闇にはそれほどの力がある。


「あ……ごめんなさい、ちょっと」


 母は少し自分の目の部分を手で覆うとそのまま後ろを向く。周りにいる使用人からきれいなハンカチを渡されたあと、何かごそごそとし始めた。その後、再びノワールのほうへ顔を合わせてくる。


「さあ、とりあえず朝食にいたしましょう。お父さまもお待ちかねですよ」

「……はい」


 いつもの食事を行う場所へと入ると奥で父が両腕を組み、ひとり威圧を放ちながら座り込んでいた。周りに立っている使用人たちはそれに対し気劣りしているよう。


 ノワールはあえてそれに触れないよう、視線を父から外しながら自分の席へと座り、無言で食事を進めていった。


 しばらく、食器の音以外まるでない静かな部屋で気まずい空気が続く。しかし、ついに父がこの空気を破るように口を開いた。


「ノワール……昨日突然、街を飛び出したみたいだが、どこに行っていたんだ?」


 ノワールの食事を進める手が止まる。さっきの話は撤回だ。父の放った言葉は気まずい空気を破るどころかむしろ、空気を濃厚にさせるものだった。


 うつむいたままだが、父のそのセリフだけですごい剣幕の表情が浮かんでくる。


「さしあたり、おれのカンではその髪の毛と少なからず関係しているとおもうが、……どうだ?」


 その言葉に対し、無意識に自身の白い部分の髪を触ってしまった。その動作に気づきあわてて手をテーブルの下に収める。


「ふん、いまさら遅い。お前の目を見ていれば……大体わかる。お前は……光におぼれかけているな? いや、もうおぼれているか」


 父の言葉を耳に入れながら、さらに食べ物を一口、口の中に放り込む。それをぐっと無理やり喉の奥へと流し込んだ。


「光は……そんなにダメですか?」

「そうだな、現に懸念していた通り、お前の持つ闇の質が下がっているからな」

「それは……そうですね」


 実際、ノワールにはそれを否定することはできなかった。そのおかげで……ブランに敗北しているのだから、何よりも事実として結果が出ている。悔しい思いはふくれあがるが我慢してそれを認めると、今度は母がノワールに顔を近づけてくる。


「ねえ、ノワール? 自分の闇を犠牲にしてでも光を取り込みたいのですか?」

「……」


 言葉を返すことができなかった。本当に思っていることを言えば「どう自分の思いを伝えたって、どうせ理解できない」となってしまうと思う。


 やはり、異様で心地の悪い空気は続くばかりだった。食事に集中してその場をやり過ごしたい気持ちもあるが、気分で食も進まない。スプーンですくった一口は口元まで運ぶことだけでも重労働に感じてしまう。


 そんな空気に父は、闇が口から漏れるのではなかろうかというほど大きいため息を吐くと、スプーンをテーブルの上に置いた。


「もう、お前が光を取り込もうが文句は言わん。好きにすればいい。だがな……、お前は光を手に入れようとしているんじゃない。どうもおれには、光にとりつかれているだけのように見えるがな。どうなんだ?」


「……」


「光を取り込んで、モノに出来るのならとやかく言わない。だが、今のお前は好んで火に飛び込もうとするバカでしかない。光に引き寄せられてはいけない、自ら光を闇に引き寄せろ。それができないのならば、お前は破滅する」


「は……破滅……」


 思わず顔を上げ食事開始から初めて父の顔を見てしまった。その父はやはり……というか想像以上にとてつもない剣幕を放っていた。そんな顔から放たれる言葉はさらにとてつもない剣幕を放つ。


「とやかくは言わない。とやかくは言わないが、もし、お前が破滅に対し少しでも抵抗があるのだとすれば、その胸に抱える光を吐き出すことをお勧めする」


 スプーンを握る右手に力がグッと入り込む。父が言うことはもっともなのかもしれない。だからこそ、ここまで胸に父の言葉が刺さるのだろう。ものすごい剣幕が乗ったセリフだったが……やはりノワールに対するアドバイスに代わりはなかった。


 確かにノワールは光を取り込もうと必死になっている。でも、その姿こそ、本当は光にとらわれ、引き寄せられているということなのかも。


 このまま続ければ光にすべてを奪われて光の力に自分自身を破滅へと追い込むのかもしれない。


 でも、そんな忠告程度で止められるようなら、そもそもビアンカは光を取り込もうと行動することからなかったと思う。たとえどれだけ言われようと、光を求める自身の感情は……止められない。


「……すみません。あの光をあきらめるぐらいなら……破滅を選びます」


 ついにノワールは自分の意思で顔を上げ、父としっかり目を合わせた。父の顔からでる剣幕に更なる拍車がかかる。少しでも油断すれば腰を抜かしそうなほどの威圧を感じてしまった。


 あの背中から放たれる闇のオーラはどうやればできるのか、分からない。もっとも……あんな闇など放ちたくもないが。


 父はついに威圧を放ちながら机にこぶしをたたきつけた。


「いい加減にしろ!」


 そこから生まれる振動が机の上にある食器を躍らせる。小さな動きではあるが、ガシャッと甲高い食器の音が確かに響き、空気に亀裂を走らせる。父からあふれ出す闇がこの部屋に充満していき、漆黒に染め上っていった。

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