第三章 闇は光と反発する

第三章 闇は光と反発する(1)

 夜になれば空は黒く染まる。

 それはまるで魔王軍の力である闇に染まってしまったかのよう。しかし、その夜空に浮かぶのは闇だけではない。小さく光る星々、それはそこらに散らばる勇者ども。


 そして、もう一つ浮かぶもの、月。ひときわ夜の闇を照らす明かりは地面にいる人たちにまで届く。


 闇の中で輝く光、まるであの勇者、ブランみたいだ。


 魔王女ノワールは夜空であたりを照らす月に手を伸ばしながらそれを実感する。だが、同時にそれは……。


「そう、簡単には届かないのだな」


 ノワールは自分の黒い髪を眺めた。黒い髪だが月の光で一部が反射して見える。

きれいだ……実にきれいな光……。


「ノワールさま、お食事の時間です」


「あ、そうか……。分かった」


 バルコニーにいたノワールを呼びに来てくれたのはメイドのひとり。ゆっくりと王宮の中、足を進めていく。必要以上なほど豪華に飾られた廊下を歩き続けるとやがて、大きなドアの入り口にたどり着く。


 使用人に開けてもらい、中へ入るとそこにはすでに家族、と言ってもふたりがこれまたバカみたいにでかい机を挟んで座っていた。


「お父さま、お母さま、ただいま参りました」

「うぬ、食事にしよう。座れ」

「はい」


 ひときわ偉そうにするのはノワールの父。俗に世の中で魔王と呼ばれる人物だ。要は武力によって国力を大幅に上げた国の王。だけれども、それに不満を抱くものたちも多く、勇者と呼ばれる人たちがこぞってこの父を討とうとしているのだ。


「ノワールも座りましたね、ではいただきましょう」


 そう言いだすのは母だが、この料理は母が作ったものではない。使用人が作ったもの……。ノワールは……王族だった。


 食事の時間がしばらくの間無言で続く。もはや慣れた状況なのでどうも思わない。淡々と食事を済ませていく。もはや、おいしいのだろうが、それをおいしいと感じるのさえ面倒なほど。


 ずっと……退屈だったのだ。


 でも……あのとき感じた光は退屈な日々の中で照らされた光。ブランが放つ光は本当にノワールの退屈な日常を照らす希望の光。それははっきりとわかる。あれは、まぶしいほどの美しくすべての闇を照らすがごとくきれいに輝いていた。


「ノワール……最近ずいぶんと活躍しているではないか。ノワールのおかげで戦線がどんどん前に進んでいる。実に大義といえよう」


「……ありがとうございます」


 父が口を開いたかと思えばこれだ。もちろん娘をほめていることに変わりはないのだろうが。なんだろうな……なんか違う気もする。


「本当にすごいですよ、ノワール。最近、あなたの闇がさらに美しく深いものに仕上がってきています。母として親としてうれしい限りです」


「……どうも……こちらこそうれしいですよ」


 闇が……美しい……か。

 自分が放つ闇はそんなに美しいだろうか。黒くておぞましくて……ブランが放つ光とは大違い。ノワールには、どうしてもブランの放つ光のほうがずっときれいだと思える。


 でも、そんなこと、この両親の前では口が裂けても言えない。ゆえに、嘘をつくしかない。嘘の笑顔を振りまいて、話を合わせるしかないのだ。王族が敵の力に魅力を感じているなどと……言っていいはずがないのだから。


「ごちそうさまでした」


 最後の一口を食べ終わると立ち上がり、特に親が食べ終わるのも待つまでもなく部屋を出た。使用人が部屋のドアを閉め親と空間を区切られたことを確認すると廊下の天井を見上げる。


「この感情……どうすればいいのだろうか……」


 そっと胸に手を当てて目を閉じてみる。自分の心の奥を覗いてみるが溢れてくるのは己が持っている禍々しい闇ばかり。光だ……光が欲しい。


「ノワールさま? 何かご気分でも?」


「……いや、何でもない」


 使用人に心配されてしまい、面倒なことになる前にさっさとドアの前を立ち去った。


 さっさと自分の部屋に戻りベッドにうつ伏せに転がり意味もなく時が過ぎるのを待ってみる。壁にかけられた時計の時を刻む音をひたすら聞く。でも、何も変わらない。当然だ。何もしていないのだから。


 今度は仰向けになり、天に吊るされるランプに手を伸ばしてみた。ランプから放たれるのは光だ。文字通り眩しい光。その光を手に取る動作を何度か行ってみるが、虚空をかすめるばかりで手には何も入ってこない。


 ベッドに転がってからどれくらいの時間が流れただろうか。大きなため息を吐いたあと、どうもせずこのまま眠りに落ちてしまおうか、などと思ったが、ふと思い立ち上がった。そして、思い立ったまま今度は別の場所へと趣いた。


 広い王宮の端の方にある場所。ある人と話をするためだ。親にも話せないことでも、その人になら話せることもよくあった。

 いわゆるノワールの世話係に近いものだ。といっても、戦闘に関する技術を叩き込んでくれた将軍、教官と言うほうが正しいだろう。


 まあ、もしかしたら相手はノワールの愚痴をさんざん聞かされてもうお腹いっぱいかも知れないかな。それぐらいには散々頼りにしてきた人だ。心の底から……安心できる人というべきか。


 しばらく歩き続けるとちょうどくつろぐスペースでその本人がコーヒーをすすっているのを発見し、ゆっくりと近寄った。


「シュバルツ、休憩しているところすまない、少しいいか?」


 シュバルツ、それなりに年を食ったおじさんといった印象を最初に受けるだろう。魔王軍の力の根源である闇を使うがゆえ髪は黒々としているがその量は少し減少し始めているのではなかろうか。


「これはノワールさま。夜遅い時間、こんな老いぼれに何か御用ですかな?」


「老いぼれではないだろう。君もまだ戦えるさ」


「ハッハッハ、老体をこき使わないでくださいよ。わたしよりはあなたのように若いかたが戦場に立つほうがよっぽど有益ですぞ。まあ、ノワールさまは既に大活躍されていますな。戦場でその勇姿、しっかりと見ておりますぞ」


「勇姿……か。勇者でもあるまい」


「おお、これは失敬。ハハハハ」


 しばらくその空間に笑いが生まれる。シュバルツがノワールにもコーヒーを勧めてくれたので淹れてもらったのを受け取る。シュバルツはコーヒーをさらにすすり口を開いた。


「で、やはり何かお悩みがあるのでしょうな。いくらでも聞きましょう。わたしがあなたに出来ることはもう、それぐらいなのですから。もちろん、王、王妃に口を滑らせることもありませんので、好きなようにお話ください」


「……察しがよくて助かる」


 ノワールはコーヒーに砂糖を入れ、ミルクを入れた。コーヒーの黒とミルクの白。最初入れたときは綺麗なモノクロだが、かき混ぜてしまえばそれは混ざり合って別の色になってしまうものだ。


 でも、人はそういかない。光と闇は混ざらない、絶対に。

 それは今日、ブランと直接あいまみえて嫌というほどはっきりわかった。

 ぶつかって、ぶつかって、ひたすらぶつかって互いに力を打ち消し合おうとする。実際、自分が力を放てば、ブランの光は消えかけてしまっていた。でも、自分がしたいのはそんなことではない。


「なあ……わたしたちは、どうすれば光を手に入れられるのだろうか?」


「ひ……光ですかな? と、突然何をおっしゃいます」


 さすがにシュバルツも驚きを隠せなかったらしい。目を丸くしてこちらを見てきた。だが、こっちは真剣だ。ゆえにそれを目で示した。


「……どうやら、冗談でおっしゃったわけではなさそうですな……」


 シュバルツはさらに一口コーヒーをすすると喉を唸らせた。


「難しい話でしょうね。そもそも我々の力の根源が闇、本質が闇なのですからね。光と闇は相反する存在。それが一緒になるということはまず、無理と考えるのが妥当でしょう」


「……そんなことは分かっている」


「なら、なぜそのような質問をされたので? わたしは無理としか言えません。あなたはわたしに嘘でも可能性があると言って欲しかったのですか? それとも、ただ答えがわかりきっていても質問をしてみたかっただけですかな?」


 鋭い返しに今度はノワールがコーヒーを口に含む。砂糖が効いてはいるが、やはり少し苦い味が口に広がる。まるでシュバルツの返しのように苦い。でも……


「シュバルツ、君は『難しい話』と言った。つまり、可能性がないわけではない、実はそう思っているのではないか?」


 シュバルツは誤魔化すように口にカップを当てたまま動きを停止させたが、やがてクスリと笑った。


「……フッ、お見事です。しっかり人の話を聞く御方だ」


 シュバルツはコーヒーを飲み干すとカップを適当な場所に置き窓を眺めた。


「ノワールさま、あなたの闇は実に深い。美しいほどに黒いその闇は全てを飲み込む力があります。それは……光すら平然と飲み込める力でしょう」


「光を……飲み込む……」


「それが……貴方の言う光を手に入れるという行為になるのかはしれませんが、闇が光を手に入れるとすれば……おそらくそうなるのでしょう」


「……そう……そうか! そうなのか! わたしも光を手に入れることができるのだな? 光を……この手で掴むことができるのだな!」


 柄にもなく笑顔を振りまいてシュバルツに近づいたが、シュバルツはその笑顔に反して渋い顔を見せた。


「しかし、あなたの本質は闇だということをお忘れなく。光は闇を拒絶するように、闇もまた光を拒絶する。大きな闇の中に光が入り込んでは……あなたの闇が拒否反応を起こすことでしょう。


 言わば、磁石のN極とN極を無理やりひっつけるようなもの。そこには無理矢理なことこそあっても……繋がり交じることはない。あなたの中で光は反発を続けることになるのではないかと考えます」


「……それでも……手に入れられるのだろう?」


「光を取り込めば、おそらくあなたの闇は弱体化します。あなたの奥にある美しく深い闇を汚してまで……光を取り込む……手に入れる価値があるとは残念ながらわたしには到底思えません」


「……君に……わたしが見た光はわからないさ」


 ノワールは自分の右手を見つめた。直接ブランと拳がぶつかった手だ。この手に流れてきた光は……自分にしかわからない。


「魔王女ともあるお方が、光に魅了されたのですか……飛んで火に入る夏の虫に……ならなければいいのですがね」


「……どういう意味だ?」


「ふっ、まあ、もし、もし光を取り込んだのだとしたら、あなたの深い闇でしっかりと奥深く飲み込む必要があるということですよ。光をどれだけ押さえつけることができるか。それが、あなたが光を飲み込める条件というわけです」


「なるほどな……わたしのこの手に宿る闇で、取り込み、飲み込めばいいのだな」


 ノワールもまたコーヒーを飲み干すとゆっくりと前に出た。右手に闇を一気に集中させ、爆発。壮大な闇があたりに広がっていく。


「そうですな、その闇でしっかり取り込めればいいでしょう」


「そうか……そうか……クククッそうなのか! それでいい、最高じゃないか。ありがとう、シュバルツ。いい話を聞けた!」


 解き放った闇をもう一度右手に集約させるとその場から立ち去ろうとした。聞きたい話は聞けた。自分がやるべきことも決まった。あとは実行あるのみ。


「しかしノワールさま。まさか、本当に光を取り込む気ではありませんよね」


 歩む足をぴたりと止め、無言でシュバルツのほうに目を向けた。


「やはり我々は闇。相反する光を取り込んだところでメリットなどございません」


「……メリットがあるかないかは、わたしが決めることだ」

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