第9話 長い夜の始まり
こんなことがあっても、学校生活はいつものように過ぎた。雨の降り止まない帰り道、僕は真雪と別れてから自宅の前を通り過ぎて、大通りを駅に向かって歩いた。だが駅までは行かず、その途中にあるファストフード店の前で立ち止まった。
『着きました』
携帯電話を出してそれだけメールに打つと、そのまま送信した。すると、すぐに『おっけい。ちょっと待っててね』という返信が来た。さらに待っていると、今度は楽しくおしゃべりしながら二人の女性が出てきた。互いに手を振って別れると、そのうちの一人がこっちに来た。
「いきなりごめんね、湊くん」
「大丈夫ですよ。僕も顔を合わせて話したいと思っていたので」
彼女は僕の友人というわけではない。関係を言うならば、親友のお姉さん(こういうのも友人というのかもしれないが、)、つまり真雪の姉だ。名前は美冬という。真雪が学校に復帰した初日に僕が電話した相手だ。
「近くのカフェにでも入ろうか。おごってあげる」
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
僕らはそんな風に駅とは逆方向に道を歩き出した。
日はすでに沈んでいた。普段寄り道をしない僕だから一度家族に連絡をして、帰るときに電話をすると約束して寄り道を許可してもらった。
僕の住む町は都会でもなければ田舎でもない。まあまあ栄えているが、副都心になるほどではない。そんな町にもチェーン店のオシャレなカフェは存在している。行ったことはないが、長い名前の飲み物がショートとかトールとかグランデとかよく分からない種類で売られていることは知っていた。
入店すると、美冬さんは慣れたように長ったらしい商品名をカウンターで告げた。僕は面倒だったから同じのを、と言って空いている席に座った。店内は比較的空いていた。ぽつりぽつりと僕と同い年くらいの女の子たちがきゃっきゃしながら放課後を楽しんでいる。
座って落ち着くより先に注文の品がテーブルに届いた。どうやらそれは一番大きいサイズだったらしくて、思っていたのより少々大きかった。
「うん、美味しい」
美冬さんが言ったので、僕も飲んだ。ちょっと苦い。これを飲み切らなければいけないと思うと、ちょっとだけ後悔したが、とりあえず話をすることにした。
「真雪のことなんですが……今日は咲良ちゃんの記憶がなくなっていました」
「そう、とうとう……」
「咲良ちゃんはもう縁を切ると言っていました。ついでに僕は頬を叩かれて『あなたとも縁を切る』と言われてしました」
「随分ひどい扱いね」
「そんなことを相談したいわけじゃないんですけど」
「真雪のことでしょ」
「はい」
「失う記憶はやっぱりランダム?」
「まだ三日目ですから。なんとも言えません。でも、今日と一昨日は特定の人間の記憶でした。昨日は部活っていう、……かなり大きな記憶でした。今考えれば、ランダムなのかもしれません」
僕はそんな曖昧な返しをした。
二日前に『真雪のこと、頼むね』と言われて、実はメールでやり取りをしていた。それよりも報告書をメールで書いて送っている、と言った方が的確だ。真雪のことを頼まれているというのに実際はそばにいるだけで何もしていない。だから、せめて報告ぐらいはしようという僕なりの足搔きだ。しかし、そんなものに意味はない。結局は真雪の記憶について考えるだけで、行動はしていない。厳密にいえば、メールをすることも『行動する』のうちに入るのだろうが、結局同じだ。動いてはいない。
だからこの機会に直接話そうと思ったのだが、よく考えればこれも意味はないだろう。顔合わせるか合わせないかの違いだけで、結局は同じだ。
「そっか。変化なしって感じか」
「思い出す感じも、今はないです」
僕はカップから延びたストローに口をつけた。ストローの中を通ってきた液体が苦いことをすっかりと忘れていて、苦い顔をする前に飲み込んだ。
「で、美冬さんのお話はなんですか? 真雪の報告をさせるために呼んだんじゃないでしょう」
「うん。まあ、真雪のことに変わりはないんだけど……ちょっと相談、かな」
「相談?」
「それがちょっと深刻っていうか……」
どうも煮え切らない感じだった。前置きが長いというか、もったいぶるというか。
しかし、プラスな感じのことではないのはよく分かる。
美冬さんは一回深呼吸をして、改めて僕の目を見た。
「実は真雪、ここ三日、家に帰って来てないの」
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