第2話 レンミンカイネンの着想

 1939年春、R兵器工廠を預かるレンミンカイネン大佐は半地下に作られた工廠の執務室にいた。長大なカイゼル髭をしごきながら、長身をかがめて風刺画雑誌「ガルフ」を読んでいた。「ガルフ」は社会情勢を辛辣なカリカチュアで描写した、現代で言えば漫画と新聞が合体したようなものだが、当時は上層階級の人々が隠れてこっそり読み、社会批判や政治体制への皮肉に時に怒り、時に溜飲を下げる雑誌だった。今月号の表紙は、可憐な乙女が巨大な羆に襲われかけている絵だった。その周りを取り囲むように立つ、いずれも肥えた燕尾服の紳士達は、助けの手も差し伸べずにただ見守っているばかり。その様子を、いつものように画面の片隅に居る地獄の番犬「ガルフ」が呆れたような顔で眺めていた。

 装画は新進気鋭の女流画家、トルベルト・ヤールソンが描いている。彼女の視点はいつもながら痛烈だった。レンミンカイネンは当初、この画家を老練な社会批評家だと思っていたが、実は20歳にもならない若者で、しかも女性だとは思ってもいなかった。

 彼はこの雑誌を10年近く愛読していた。この風刺画こそ、現在のファンランドとヨシュアの一触即発の対立、そしてそれを遠巻きにしながら何ら支援の手を差し伸べることもない世界各国を表している、とレンミンカイネンは思わず頷いた。

 (まったく、世界中の国々の新聞雑誌が同情の声だけはあげているが、肝心の支援物資も来なければ、派兵もない、来るのは僅かばかりの義憤に狩られた義勇兵ばかり。)彼は心の内で毒づいた。しかしそれにはやむをえない事情もあった。西の隣国スノーデンが頑なに中立を維持しているために、支援しようにも大規模な物資、兵員の移送ができないのだ。各国は再三スノーデンへ本意を促したが、一切の物資、兵員の国内通行を認めなかった。おかげでファンランドは自国の貨物船で細々と各国から買い付けた軍事物資を運ぶしかなかった。

 (何としても、自国で兵器を開発生産するしかない。)これがもう10年来、彼の頭を占め続けている焦慮の思いだった。国防省では各国の旧式兵器を買い付けたりライセンス生産をしたりと手は打っている。しかし旧式兵器は当然ながら各国の兵器水準からすれば後塵を拝するのは免れず、優秀な兵器のライセンス生産も最新鋭の兵器はそもそもライセンスが取れない。さらに別の事情もあった。国土の大半が沼や湖といった沼沢地で、乾いた土地も多くが広大な森林に覆われているファンランドでは、平地運用を想定して開発された戦車や装甲車はわずかなぬかるみや雪でたちまち足を取られて動けなくなり、悪くすると車軸が壊れて擱座するものも多かった。自国の国土に適した戦闘車輌、兵器の開発が、将来必ず訪れるヨシュアとの戦争に備えてどうしても必要であった。

 (それにしても長かった)苦節10年だった。大佐が率いるR兵器工廠はようやく自前の、そして独自の兵器開発と生産に成功した。他国であれば兵器製造会社に開発仕様書を出して開発した物を選ぶだけだったが、ファンランドには軍事産業自体がまだなかったため、単なる生産工場である工廠が開発まで担うことになった・・・。


 1929年春、レンミンカイネンがいつものように「ガルフ」を読んでいると、秘書官が物資の着荷を報告にやって来た。今日は各国から買い付けた軍需物資、主に陸戦用兵器類が届く日だった。

 ヨシュアの大公国として衛星国家だった時代に引かれた鉄道線は、ファンランド南端に位置する首都へーシングの軍港から重工業都市ヴィボークを経由してファンランド湾に面した海岸沿いに、遠く東の隣国ヨシュアのエルミタグラードまで繋がっていたが、独立時に国境線で分断された。その鉄道の中間駅ヴィボークから秘密裏に引かれた支線が広大なカナリア地峡の森を通ってR兵器工廠まで貨物を運んでいた。月に一度の割合で運ばれてくる物資の現品確認と収納に立ち会うのが大佐の任務だった。

 技術士官のイルマリネンから到着した物資の説明を保管庫で聞いていたレンミンカイネンは、あるところで説明を遮った。「その『塹壕用胸甲』とは何だ。」

「第一次大戦争の時にドイル兵が塹壕で身につけた鉄の胸当てです。厚さ10ミリの鋼板で出来ています。重過ぎで使われなかったとのことで、多量に余っていたのを引き取りました。我々は要塞戦を戦いますので有効かと思われます。」引き出されてきた現物を見ると、中世の騎士の鎧の胴当てを簡素にしたようなものだった。

 「まあ、無いよりはマシか」レンミンカイネンはカイゼル髭を扱きながらつぶやくと、説明を聞き流して着荷目録の読み上げを進めさせた。イルマリネンが続けて読み進めるうち、また何行か後に出て来た兵器が、再びレンミンカイネンの意識に引っかかった。彼は舌打ちしながらイルマリネンを睨みつけた。

「イタルカの『油圧式山岳歩兵砲』か。こんな旧式兵器まで買い付けたのか。」地中海沿岸の軍事独裁国家イタルカが山岳部の多い隣国との戦争用に開発した歩兵砲で、部品を細かく分解して山岳兵や荷駄馬が運べるようにしたところに特徴があった。駐退復座機の油圧装置が傘の骨のような細いパイプの集合体で砲身を覆っている。第一次大戦争当時は画期的な設計だった。しかし、砲口と逆方向に炸薬を打ち出して発射衝撃を相殺し、駐退復座機自体を廃した軽量な無反動砲が開発され各国で採用されると、一気に旧式兵器に成り下がってしまった。

 イルマリネン技師は折角苦労の末に運ばれて来た兵器を貶されて、我が事のようにムッとしながら弁明した。「口径70ミリで初速も500KM/時とまずまずです。無反動砲の砲弾は特殊で高価ですが、この砲なら我が軍の徹甲弾や榴弾と共用可能です。要塞砲として使えば分解移動も不要ですので、有効かと思います。」

 「ふーん、なら良いがな・・・」大佐の不快げな返事を聞き流してイルマリネンは説明を続けた。彼はどうもレンミンカイネン大佐が苦手だった。報告も聞いているのかいないのか、いつもぼんやりしていることが多い。そのくせ何か思いつくと急に活気づいて、せかせかと技師達を引き回しては何ヶ月も通常業務を放り出して可笑しな改良兵器を作っている。その評判も軍部には良くなく、そのせいか昇進も遅かった。

 今がまさにそうだった。ぼんやりして報告を聞き流していた大佐が、ハッと身を乗り出したかと思うと、突如カイゼル髭をヒクヒクさせて目を見開き、メモを取り始めたのだ。興奮している大佐を見て、イルマリネンは悪い予感がした。「あの、どうかなさいましたか大佐、説明を続けますか?」(嗚呼、また大佐が何か思いついてしまったのか。)不吉な予感がした。

 予感は当たった。「なあイルマリネン、さっきの胸甲と歩兵砲だがな・・・

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