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第1話 ボルコフの通達

 事の起こりは、1939年6月、ヨシュア社会主義連邦西北方面担当書記ボルコフの出した通達だった。通達は、ファンランド共和国に領土交換を提案するものだった。

 当初、ヨシュアは事もあろうにバルトー海からボスコウ湾、ファンランド湾に続く結節点に当たる要衝バンコ島の50年租借を持ち出してきた。隣国スノーデンまで扼する重要地域の無法な租借要求をはねつけたファンランドに対して、次に持ち出されたのが土地交換だった。

 ヨシュア第二の重工業都市エルミタグラードの西方わずか400キロ、ほとんど指呼の間と言っていいほど近いヨシュアーファンランド国境線を西方に500キロ押し出し、ファンランドの肥沃なカナリア地峡地域の大半を割譲させる代わりに、エルミタグラード北方1500キロに位置するネビュラ湖北岸の、約4倍の土地レポール・ポルヤルヴィ地域を譲渡するという提案だった。

 ヨシュアは当時西欧諸国に台頭する覇権主義に強烈な危機感を抱いていた。とりわけ危険なのは、敗戦の荒廃から劇的に立ち直り、急速に軍備を拡大して来たドイル帝国だった。第一次大戦争後は各国の干渉もあり、共和国として再建を図っていたが、莫大な戦後賠償からくるハイパーインフレが起こり国政が混乱。間隙を突いて国家社会主義を奉ずる革命政党が混乱のうちに政権を掌握し、賠償を一方的に破棄して再軍備を宣言した。それからわずか10年、先進的な兵器開発力を誇るディエコ共和国や豊富な鉄鋼資源を有するグデーテンランドなど近隣地域・国家を次々に併合、北欧でもノーグランドに無血進駐し、スノーデン、ファンランドが併合されるのも時間の問題だった。ヨシュアにとって国境線を自国の重工業都市から遠ざけることは、死活的な課題となっていた。

 しかしこの提案にファンランド政府首脳陣は戦慄した。レポール・ポルヤルヴィ地域は、ヨシュア連邦が革命から地方平定戦時代に制圧した地域から強制的に移住させた330万の開拓団が、3年で全滅したほどの荒廃地だった。春から夏にどんなに耕し、苗を植えても、1年中吹き付ける極北から吹き降ろす寒風で、地中が夏でも冷たく、まともに作物は育たなかった。そもそも国境を隔てたファンランド側では住民はもっぱらトナカイやヤク、イノシシの狩猟で暮らしているような寒冷地なのだ。

 ボルコフは下交渉すべく、駐在大使を首都ぺオトルグラードからエルミタグラードに呼びつけ、要求を突きつけた。

 「とてもいい条件です。土地も肥沃です。こちらの準備は整っていますから、遅くとも3か月後には交換作業を開始し、半年後の12月までに領土交換を終わらせましょう。」大使を前にボルコフは言った。

  ボルコフが笑いかけると、駐ヨシュア大使団の顔色は一様に蒼白になった。本交渉は翌月、ヨシュアの首都ぺオトルグラードにてヨシュア国政の全権を掌握する書記長スタールが待っている。


 ファンランド政府団全権のパシキビ外相は本国政府の意向を携えて交渉に挑むべく、政府案の決議を待った。しかし政策議論は紛糾した。国力の差から考えれば応じざるを得ない提案だった。しかし国民世論は徹底交戦を求めて止まず、悪いことに国防相クシネンは国民世論に迎合して反対論を支持した。国防相は内戦に参加した経験しかなく、世界の軍事情勢から勘案して判断する総合的な能力に欠けていた。共和思想陣営と社会主義陣営が戦った内戦に勝利した個人的な体験に拘って、ヨシュアの軍事力を甘く見ていた。

 一方、ファンランドの国軍を実質的に率いるヴァイナモイネン将軍はヨシュアの要求に応じることをクシネンに強く進言した。若くしてヨシュア帝国軍に身を投じ、騎兵将校から将軍となった将軍は、革命当時のヨシュアから独立の機運を高めていた故国ファンランドに帰国した後も、現地諜報からヨシュアの軍事力を正確に把握し続けていた。

 対マヌーク戦役から対日本戦役まで数々の対外戦役の経験を持ち、補給将校時代には前人未到のユーラシア大陸騎馬横断視察行を成し遂げた将軍は、当時世界的に見て稀有の戦歴を持つ伝説の人だった。その高名はファンランド独立後、一時軍歴から離れたヴァイナモイネンに対して世界各国から元帥就任要請がきたことからも伺える。そんなヴァイナモイネンからの進言に対して、クシネンは意地になって自分の主張にこだわり続けた。国民世論と客観的な軍事力比較から導かれる譲歩策の間に揺れる閣議は、クシネンの強硬な主張に押し流されてついにヨシュアの要求に対して厳しく反対する交渉条件を持たせ、パシキビ全権代表をぺオトルグラードに赴かせることになった。ファンランドのルティ大統領は固唾を飲んで交渉の行方を見守ることとなった。

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