第6話 ライブハウス

 ドル研杯当日。Z町にある小さなライブハウスには、県内から大勢の客が足を運んでいた。

 ライブハウスを訪れたアーティスたちによる落書きだらけの狭い楽屋には、今亀ちゃんと詩奈の二人っきりだった。アメノウズメもいるから、正確には二人と一柱だった。

「いやあ、無理だよぉ」

 ライブ前になると亀ちゃんは、人見知りを発揮して客前に出るのが怖くなってしまうのだった。おまけに今まで練習したことが全てなかったかのように、自信を無くしてしまう。

「だったらあたしが代わりましょうか?」

 詩奈がぶっきらぼうに言う。珍しく朝から不機嫌な様子だ。

「本当に詩奈ちゃんに代わってもらいたいくらいだけど、無理だよぉ。だけどなぁ、緊張するなあ」

 アイドル研究部の他の部員は、すでにスタンディングフロアに移動している。強司たちは他校のアイドルをチェックしたり、撮影したりと忙しい。お雪は大事を取って休んでいる。楽屋内には強司たちの荷物だけが置かれている。何を思ったのか意気込みすぎてカメラ機材を全て部室から持ってきたものの、やはり使わないからと言って半分くらい楽屋に残している。

 亀ちゃんはお雪が中学生時代に着ていたというステージ衣装を借りて身にまとい、準備万端だった。黒のフリルブラウスにこれまた黒のティアードスカート。全身フリル尽くしのゴスロリ風衣装である。長い黒髪の亀ちゃんがドールのようでよく似合う。

 防音効果のほとんどない楽屋には終始ライブの様子が聞こえていた。他校の研究生の曲や歌声はもちろん、拍手や歓声、応援のコールなどが亀ちゃんの耳に届く。

 亀ちゃんは大トリである。出番を待っている間、他校の研究生の歌声のうまさや歓声の大きさに、どんどん自信を無くしていっていた。

「いやあ、無理だよぉ」

 この日何回目かの弱気の言葉に、詩奈が椅子から立ち上がった。

「そんなに嫌ならやめればいいじゃないですか」

「え?」

 亀ちゃんが見上げると、詩奈が何かを頭上に持ち上げて、亀ちゃんに振り下ろすところだった。ぶつかる寸前、アメノウズメに突き飛ばされて助かる亀ちゃん。と、同時にカメラが床に叩きつけられて、グシャグシャに壊れた。

 舌打ちとともに、今度は壁に立てかけてある大きな三脚を手にする詩奈。

「亀ちゃんさんが怪我をすれば、あたしがステージに立てるんです。おとなしくやられてください」

「ちょっと詩奈ちゃん、待って、何を言ってるのかわからないよ」

 今度は重たい三脚を振りかぶる詩奈、動けない亀ちゃん。すると再びアメノウズメが素早い動きで、手刀を詩奈のみぞおちに食い込ませる。詩奈は宙を吹っ飛びロッカーにぶつかってピクリとも動かない。鉄製の縦長ロッカーは扉がへこんでしまった。

「心配いらぬ。気を失っただけじゃ」

 床にへたり込んだまま動けない亀ちゃんは、呆気にとられてしまい。楽屋の扉がノックされているのに気づかなかった。

「亀ちゃん。どうかしたか? 亀ちゃん? 開けるぞ」

 強司が楽屋に入ってきた、そして楽屋内の様子を見てあぜんとした。壊れたカメラ、転がっている三脚、そしてへこんだロッカーにもたれかかって気を失う詩奈。

「亀ちゃん。何があったんだこれは」

 腰を抜かしてしまった亀ちゃんは、床に伸びてしまっている詩奈の方を見た。

「いきなり詩奈ちゃんが襲ってきて。それで……」

 亀ちゃんは混乱して言葉をつなぐことが出来なかった。

「反撃したわけか。亀ちゃんにそんな力があったのか」

 色々な意味で驚く強司。実際にはアメノウズメのおかげなのだが。

「で、怪我はないのか?」

「私は大丈夫だけど。詩奈ちゃんが……」

「わかった俺が様子を見る。もうライブの出番だが、ライブは棄権でいいな?」

 はい、と亀ちゃんが答える前に、別の誰かが答えた。

「出場するぞよ」

 アメノウズメである。声だけ発して姿は強司には見えない。

「なんだって? 出場する? こんな状態で?」

 会場からはなかなか姿を現さない亀ちゃんの登場を待っている歓声が聞こえる。

「ウズメさん、私ショックで足が震えてるんですけど、こんなので出場できるんですか」

「わらわに任せるがよい。おぬしは身を預けておけばよい。久しぶりに我が舞を大勢に披露できるとは。身震いがするぞ」


 何のアナウンスもないまま誰もいないステージに、不意に亀ちゃんが現れた。拍手はまばらで、大歓声というわけではない。

 もともとお雪が出場するはずが、当日になって亀ちゃんに代わってしまったのを知らされたお雪ファンから、ブーイングまで起きてしまったからだ。

 ただ、中学生時代にお雪が着ていた衣装に身を包んだ亀ちゃんを見て、わかる人からはどよめきが起きた。

 と同時に『鼓動の記憶』のイントロが流れ出す。

 大人っぽいダンスナンバーに身を任せていると、亀ちゃんの体は自然に動き始めていた。

 オリジナルの動きから多少アレンジされた妖艶な動きに、フロアは静まり返ってしまった。いつもの亀ちゃんとは明らかに違う。

 この曲でダンスをするお雪も十分に大人っぽいが、その比ではなかった。大人と子どもの中間という色気と幼さが同居する危うさがバランスを失い、今にもフロアになだれ落ちそうになっていた。客たちはなすすべもなく虜になるほかなかった。

 黒いフリル衣装の亀ちゃんのバックでは、薄物一枚だけを羽織り髪を下ろしたアメノウズメが艶やかに舞い踊っている。その姿は客には見えていないが、完全にライブハウスの空間を支配していた。

 体の芯に熱いほてりを感じながら、亀ちゃんが踊っていると、ブラウスのボタンが弾け飛んだ。スカートの裾もいつも以上にひらひらしているようだった。

 どうにでもなれ、と半ば捨て鉢になる亀ちゃんだった。

 童顔の亀ちゃんにはふさわしくない、危ういダンスに、ステージを降りた後もフロアは静まり返ったままだった。

 亀ちゃんは、いかに自分が恥ずかしいステージをしていたのか気が付くのは楽屋に戻ってからだった。


 楽屋に戻ると詩奈が土下座をして待ち構えていた。その横には強司も正座している。

「申し訳ありません。あたしとんでもないことをしてしまいました」

 詩奈はおでこを床に着けながら謝罪する。

「あ、えーと詩奈ちゃん何のこと」

 亀ちゃんは混乱して訳が分かっていない。

「亀ちゃんさんに殴りかかろうとしたことやその他色々です」

 原形をとどめないカメラがまだ床にあった。三脚も近くに転がっている。恥ずかしいステージですっかり忘れていたが、先ほど自分が襲われたことをやっと思い出した。と、ここで足の震えが出だした。

「あたしどうかしていたんです。いつの頃からか、どうしてもステージに立ちたい、何が何でもライバルを蹴落としてでも出演したい、って思いが強くなって。そうすると自分が自分でなくなるんです。信じてもらえないかもしれませんが」

「じゃあ、私を怪我させて代わりに出場しようと思ったの?」

 土下座しながらうなずく詩奈。顔色はうかがえない。

「それならいくらでも代わってあげたのに……」

 と亀ちゃんが言おうとすると、アメノウズメが姿を現した。再び千早と緋袴姿に戻っている。

「それは邪鬼のせいじゃな」

 いきなり現れた神様に詩奈は顔をあげて大きな目を丸くした。あまりの神々しさに目がつぶれるかと思うくらいだった。

「亀ちゃん、この人は……?」

 強司は驚きよりも、あまりの美しさに見とれていた。

「ウズメさんです。あ、アメノウズメさんです。この間縁芸神社にお参りに行って以来、ずっと私に憑りついているんです」

「この女子が依代として居心地がいいのと、アイドルとやらに興味があって憑りついておったが、なかなか楽しかったぞよ。そしてここ何日かおぬしらを見ていて、気になったことがあって、こうして姿を現したのじゃ。この詩奈とかいう女子、邪鬼に魅入られ心を乗っ取られておった。ずっと穢れの念を感じていたのじゃが、それは邪鬼のせいだったのじゃ」

「あたしが邪鬼に? 邪鬼って何ですか?」

 詩奈は自分の体を触りながら訪ねた。

「縁芸神社に全国各地からやってくる、怨念や邪念の凝り固まったものじゃ。叶わなかった願いや思いがうらみつらみとなって、人間に憑りつく。そしてその心をたぶらかしあらぬ方向へと導くのじゃ。詩奈が神社にお参りに来た時に、お雪に心を奪われておったろう。その心のすきを狙われたのじゃ。そして怪我をさせてでも自分の演舞を見てもらいたいという思いに至ったのであろう」

「じゃあ、お雪ちゃんが石段から落ちたというのももしかして……」

 亀ちゃんは思い出すように言った。

「はい、あたしが後ろから突き落としました。お雪さんさえいなくなればあたしがステージに立てると思って。でもそうしたら亀ちゃんさんが出場することになって……」

「全て邪鬼のせいじゃ。邪鬼は人間に憑りつくと神社の中に入ることが出来る。だから鳥居の前に巣くい、心のすきの有る人間に憑りつこうと待っている。人間だれしも、ライバルに対して殺意を覚えるものじゃ。だがそこで理性で実行しないのも人間じゃ。その迷いにつけ込むのが邪鬼だ」

「今でもあたしの中に邪鬼はいるんでしょうか」

 詩奈は再び自分の体を触りながらたずねる。

「先ほどわらわが打擲した時に憑き物は落ちておる。心配はいらぬ。ん、なんじゃおぬしら」

 気が付くとアイドル研究部員達が楽屋に戻ってきていて、アメノウズメを撮影していた。

「あれ、なぜか写らないぞ。おかしいな」

「愚か者め。神がそんなものに写るか。そんなに見たければ自分の両眼でしっかりと拝むがいい。今しか見れないからなありがたいと思え」

 ドル研杯は観客の投票結果により、亀ちゃんは優勝こそ逃したものの、特別賞をもらうこととなった。あまりに大人っぽい雰囲気がアイドルという領域を超えすぎていたのが原因だった。

 ステージでの表彰が終わり、再び楽屋に戻ると、強司が言った。

「ところで亀ちゃん、お雪から借りたその衣装。ボタンが無くなっているけど大丈夫かい。ステージを探した方がいいか?」

「え? あ、あー」

 亀ちゃんのブラウスの胸元は大きく開き、お腹部分も開いていた。大勢の前で肌を露出していたことを今になって真っ赤になるのだった。

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