第3話 アメノウズメ命
「ただいま」
自宅である二階建ての中古住宅に帰った亀ちゃんは、玄関からまっすぐ台所に向かう。傷んだ板張り廊下は歩くたびにギシギシと悲鳴をあげる。
「お帰りなさい。ゆか里、もう少しで夕飯だからアイスもほどほどにしなさい」
亀ちゃんの母、さと子がガスコンロの前で煮物を作りながら、冷蔵庫の前にいる亀ちゃんに声をかける。娘と同じく色白な肌が印象的だ。
「大丈夫。一本だけだから。あれ、どうかしたの」
アイスを手にする亀ちゃんを、遠くを見るような目つきでさと子が眺めている。鍋がふきこぼれそうになっていた。
「お母さん、お鍋お鍋」
「え? あ、あー」
さと子は慌てて火を消した。煮詰まった具をお皿に盛りつけるが、その動作はどこかぎこちない。なるべく亀ちゃんの方を見ないようにしているのがうかがえる。
「また見えるんでしょ」
亀ちゃんは様子のおかしい母親にかまをかけてみた。するとさと子はふーっとため息をついて、手を止めた。そしてにっこりとほほ笑んだ。
「ええ、見えるわよ。あなたの横にいらっしゃるわ」
さと子は霊視の能力を持っている。霊の姿を見る能力に長けているが、見える以外の能力は残念ながら持ち合わせていない。
「なんだかとっても神々しい、光り輝くまばゆいお方ね。これはきっと霊ではなくて、神様ねきっと」
「神様!」
「口寄せをやっているおばあちゃんでも、神様はなかなか降りていらっしゃらないから、ゆか里は霊媒体質としてはとっても優秀ね。なにかいいことがある前触れかしら」
亀ちゃんは横を振り返るが何も見えない。
「神様ってどういうこと」
夕食後、亀ちゃんは二階の自室に戻るとベッドに座り込んで、もう一度横を振り返った。亀ちゃんは霊媒体質ではあったが、肝心の霊が見えないという体質でもあった。
「おぬしの母上殿はわらわが見えるとは、よほどの霊視能力の持ち主と見た。さすがはおぬしの母上殿か」
不意に聞きなれない澄んだ声が聞こえて、驚いた亀ちゃんはベッドから転げ落ちた。
「だ、誰ですか?」
「おぬしはわらわが見えないのだな。それもそのはず。人間に神の姿は見えないからの。どれ拝ませてやろう」
すると突然ベッドに腰掛ける女性が姿を現した。千早に緋袴。巫女のような古風な装束をまとい、長い髪をお団子にしてかんざしでまとめていた。切れ長の目と、ふっくらとした唇が印象的だ。若いのか歳を取っているのか不詳で異様な雰囲気がある。
「だ、誰ですか?」
同じ質問を繰り返す亀ちゃん。ベッドから落ちたまま起き上がれないでいる。
「アメノウズメじゃ。ほれ、先ほどわらわの所へ来たであろう。おぬしの体が
「はあ、私の体が居心地がいいのですか。そんなの初めて聞きました。でも神様がこんなところに来てもいいんですか?」
ようやく体を起こした亀ちゃんは、アメノウズメの横に座る。気持ち距離を置く。遠慮気味に。
「心配はいらぬ。あの神社には夫の猿田彦もおるし、
「はあ、なんでもウズメさんは芸能の神様だそうで、だからあやかりたいなぁ、なんて思ったんですけど」
「おぬし今日、ドームとやらでライブしたいと願ったな。そんなに叶えたいか」
「え、いやあ。大観衆の前だと恥ずかしいし緊張しちゃうけど、一度はやってみたいじゃないですか。芸能を目指すなら。いやあ無理かなあ。でもウズメさんが叶えてくれるならありがたくお受けしますです」
亀ちゃんはもじもじと照れたり顔を赤くしながら、ニヤニヤと妄想を膨らませた。
「誰が叶えると言った」
「えー、だって私を叩いたじゃないですか。あれって縁起がいいんですよね」
「馬鹿者。あれはおぬしの参拝のマナーが悪いから懲らしめるつもりで
「は、はあ」
亀ちゃんはまだヒリヒリしている背中をさすった。
「願いを叶えたければ努力すること。わらわのところに来る暇があるなら精進せい」
「えー、じゃあ神社は何のためにあるんですか」
「神様を崇め祀るためにあるのじゃ。おぬしら氏子たちが
アメノウズメの説教にひたすら謝り続ける亀ちゃんは、このアメノウズメとのやりとりを強司たちに言っていいものかどうか迷うこととなった。
「アイドルとやらに興味があるから、しばらくおぬしの体についていることにする。迷惑はかけんから心配はいらぬ」
憑りついてる時点で十分迷惑だとは口が裂けても言えない亀ちゃんだった。
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