第2話 神社参り
翌日の放課後。
アイドル研究部の部員たちは、縁芸神社の鳥居の前に集合していた。強司と亀ちゃんと詩奈である。残りの部員は部室で留守番だった。
縁芸神社はX町の外れの小さな丘にひっそりと建っている。X町は人通りの多い住宅街であるが、神社周辺は鎮守の森のおかげで異質な空間を思わせる
石でできた鳥居の向こうには三十段もの石段が続いている。勾配が急で実際の段数よりも高く見える錯覚を起こす。そのためか十段おきに踊り場があり、休憩が出来るように設計されている。石段のせいで鳥居の前からでは神社の社は見えない。
心臓破りと呼ばれる石段を目の前に、亀ちゃんはごくりと唾を飲み、鳥居をくぐろうとすると、その横で強司が軽く一礼していた。
「え、お辞儀しなくちゃいけないんですか?」
驚いた亀ちゃんは、何かにつまずいてその場に転んでしまった。そのままでんぐり返しで鳥居をくぐる。
「亀ちゃん、その鳥居のくぐり方は神様に失礼だよ。鳥居の向こう側はもう神聖な領域なんだから」
「亀ちゃんさん大丈夫ですか。わわっ」
転んだ亀ちゃんを助けようと駆け寄る詩奈も、鳥居の前で何かにつまづいて転んでしまった。
「詩奈もか。みんな神様に対する敬いの心がなってないぞ」
強司は転んだ研究生二人に手を差し出しと、グイと引っ張って起こす。亀ちゃんと詩奈は何につまずいたのか分からず不思議な顔でお互いを見合う。
わずか三十段、されど三十段。息を切らせながら急勾配の石段を登りきると、目の前に神社の境内が真っ平に広がっていた。整然と敷き詰められた石畳の参道がまっすぐ、妻入りの拝殿に一直線につながっているのが目に飛び込む。参道の左右には社務所や摂末社がならんでいる。地方都市にひっそりとたたずむ神社にしてはスケールが大きい。古さを感じさせない社たちから見ても、割と最近になって改修されたと思われる節がある。
平日にもかかわらず、境内には参拝客が幾人かいるところからして、この神社の人気のほどがうかがい知れる。しかも若い女性が多い。
「ここが通称縁芸神社だ。本来はもっと堅苦しい正式な名前があるんだが、通称の方が有名になってしまったわけだ。アイドルのニックネームみたいなものかな。亀ちゃん待った!」
石畳の参道を歩きだそうとした亀ちゃんを、強司が大きな声で制した。
「神社に来たら、まずは
「はい?」
急に強司の顔つきが変わり、神社参拝の作法の講釈が始まるのだった。手水舎では手を清めてから、口をすすぐのが礼儀だが、最初は左手から清めるなど順序があり、実にややこしい。
「意外とこの順序を理解していない人が多いのだよ。中には水を飲む人までいるんだ」
「飲んじゃいけないんだ」
亀ちゃんと詩奈は口をそろえた。
「さあ、拝殿に行こうか。亀ちゃん待った!」
石畳の真ん中を歩く亀ちゃんを、強司が大きな声で制した。
「参道の真ん中は神様の通り道だから人間は歩いちゃ駄目なの。端っこを歩くんだ」
「そうなんだ。知らなかった。すみません。でもなんでそんなに詳しいんですか? 親せきに神主さんでもいるんですか?」
いちいち行動に制限を加える強司だったが、いちいち謝る亀ちゃんだった。
「うーん、一般常識だと思うけどなあ。まあ俺の場合、谷社長の芸能事務所所属のアイドルやタレントさんがここにお参りに来るたびにご一緒させてもらってるから、嫌でも覚えさせられたけどな」
「部長さんは縁芸神社にしょっちゅう来てるんですか? あたしは初詣くらいしかここには来ないんですけど」
詩奈は大きな目を丸くした。有名な神社の近所に住んでいるといっても、意外と訪れないものである。そういう意味では神社とは俗世を離れた異界である。
「そういえばまだこの神社の由緒を説明していなかったな。ここの祭神はアメノウズメ命なんだ。知ってるかな芸能の神様なんだ。だから、Q県内の芸能に携わる人はほとんどここにお参りに来るんだ。古くは芸者さんに始まり、今はアイドルがヒット祈願に訪れる。まあ、全国的に有名ではないけど、地方の穴場的なパワースポットとして知る人ぞ知る神社なんだ」
「なるほど、だから私たちをここに連れてきたんですね。大ヒットを飛ばせるように」
亀ちゃんは得心したように手を打った。
「それともう一つ。アメノウズメ命の夫である猿田彦命も祭神なんだ。この夫婦二柱の神様が祀られていることから、夫婦円満、縁結びのご利益もあるというわけだ。縁結びと芸能のご利益があるから、通称縁芸神社と呼ばれているんだ」
亀ちゃんと詩奈は、初めて地元の神社の由来を知って驚くと同時に、なぜ若い女性の参拝客が多いのかわかったような気がした。
強司、亀ちゃん、詩奈は拝殿の前に横一列に並ぶ。手を合わせようとして、はっと気が付いた亀ちゃんは恐る恐る強司の顔色をうかがった。
「まずはお賽銭を入れる」
怒られなかった亀ちゃんはほっと息をつく。
お財布を出す一同。
「亀ちゃん何やってるんだ?」
指でつまんだ一円玉をにらみつける亀ちゃん。
「念を込めているんです。一円でもご利益があるようにと」
「一円玉に念を込めても一円には変わりないだろ」
「えー、じゃあ百円ならいいんですか?」
「お願い事はお金で買うものじゃないぞ。しかもたったの百円で。何かの代わりに祈願成就をするなら、例えば断ち物をするとか」
「断ち物ってなんですか」
「好きなものやことをやめて、願掛けをするんだ。例えばアイドルとして成功したいなら、スイーツをやめますとか」
亀ちゃんはちょっと考えてから困った顔をした。
「えー、アイスだけは絶対に譲れません」
「そういうものこそ断ち物するんだ」
「わ、私には断ち物は無理です。ごめんなさい」
亀ちゃんはおとなしく頭を下げた。
「まあ、生半可な気持ちでは断ち物なんて無理なんだけどな。さて、固い話はこの辺にして、お願い事をしようじゃないか。お賽銭を入れたら、まず鈴を鳴らして、神様に対して自分はここにいますよとお知らせするんだ。そして二回礼をして、二回柏手を打って、そこで願い事を思い浮かべて、最後にもう一回礼をする。これで終わり分かった?」
願い事を祈念する部員一同。しんと静まり返る境内を、突如として木々のざわめきや虫の鳴き声が走り回る。人間が意識して息をひそめないと聞こえない者たちだった。
「さて、では……」
礼を終えた強司が仕切ろうと思ったとたん、亀ちゃんと詩奈が社務所へ駆け出していた。二人とも強司の声は聞こえていない。
「やっぱり神社と言えば、物販でグッズだよね。お守り、おみくじ、絵馬、御朱印!」
「まてまて、グッズっていうな。罰当たりな」
亀ちゃんと詩奈のはしゃぎ声と強司の大声に、周りの参拝客や社務所の巫女さんは笑っている。
「いいじゃないですか。これがあるから楽しいんですよ」
「あ、あたし大吉だ」
「え、詩奈ちゃんいいなー。私は、中吉。なんか微妙だなあ」
「あ、亀ちゃんさん。ここの絵馬見てください。大野こがねさんの絵馬がありますよ」
大野こがねはダイヤモンドダストのメンバーで、中学三年生である。見ればお雪を今度のドル研杯で勝たせてください、と絵馬に書いてある。
「できた後輩だ」
亀ちゃんと詩奈は口をそろえた。
アイドル研究部一行は、まるでテーマパークに来たかのように、にぎやかなまま神社をあとにする。
石段へと向かう途中で、思い出したように強司が立ち止まる。
「ここの神社にはあるジンクスがあってな。アメノウズメ命に
と強司が言うが早いか、
「あいたー」
亀ちゃんが大声をあげて、前によろめくとうずくまってしまった。
「亀ちゃんさん大丈夫ですか?」
慌てて詩奈が駆け寄る。
「うう、背中が痛いよう。誰かに思いっきり殴られたみたい」
その様子を見て強司がまた大声をあげる。
「亀ちゃんすごいじゃないか、アメノウズメ命に叩かれるなんて」
亀ちゃんと詩奈は驚いて強司を振り返った。
「女性がこの神社を訪れた時に、猿田彦命に気に入られると、嫉妬からアメノウズメ命に叩かれることが時々あるんだ。要するにそれだけ魅力があるということで、芸能を目指すものにはとてもありがたいことなんだ。男性は逆に猿田彦命に叩かれるんだ」
「そうなんですか。でもすごく痛いです。あいたた」
背中をさする亀ちゃんだが手が届いてない。
「去年、お雪と参拝に来た時も、お雪が叩かれていたから間違いないよ。亀ちゃんもやっぱり素質があるんだよ」
「はあ、そうなんですか。そんなに縁起のいいことなんですか」
いまいち実感のわかない亀ちゃんはまだ背中をさすっている。
「いいな亀ちゃんさん。あたしも叩かれたいです」
自分は叩かれないことに嫉妬を感じた詩奈だった。亀ちゃんとお雪にあって、自分にはないもの。そう考えるとなぜかのけ者にでもされたかのように感じてしまうのだった。
「おい詩奈まで、大丈夫か。またアメノウズメ命の嫉妬か? あれ? でももう鳥居は過ぎているしな?」
「大丈夫です。何でもありません。ただの立ちくらみです」
何事もなかったかのように立ち上がる詩奈。そして強司を振り返って提案を言う。
「そんなことよりも。これから学校に帰って自主練習しませんか? いいでしょう部長さん」
「え、今から? もう遅い時間だから今日はここで解散にしようぜ。今から帰ったところですぐに下校時間だ」
「五分でも十分でも練習できればいいじゃないですか」
「いやあ私帰りたいなー。アイス食べたいよ。練習なら明日やればいいじゃない。ね詩奈ちゃん」
もう帰る気満々の亀ちゃんの言葉に無言の詩奈。ほどなく三人はそれぞれの帰宅の途についた。
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