5 あたしの拳

 深夜のMPB本部ビル――十二階=女子隊員の寮/涼月の自室。

 消灯しベッドに潜って寝たふりをした涼月=携帯電話がメッセージを受信。

 ――共犯者からの開始の合図。

 涼月=速やかに着替える/私服の黒ジャケットに袖をとおし自室を後に。

 周りを確認して、非常階段へ。

 待ち合わせていた小柄な少年が、外を眺め佇んでいた。

 少年=吹雪・ペーター・シュライヒャー=律儀に制服姿。

「よう」あえて気楽な調子であいさつする。

「涼月ちゃん……」調子を合わせようとするも、持ち前の素直さから心配で止めたくて仕方ありませんという態度が言外に滲む。

「いろいろありがとな」

 いろいろ=監視カメラの操作/涼月の位置情報の細工/適切な逃走ルートと時間 ――工夫してくれて。

「本当に、一人で行くの?」

「ああ」――なんてことないさ、と肩をすくめる。

 いろいろ言いたい気分だったが時間もない。でもきっと、目の前のこいつなら分かってくれるだろうと思う=絶対的な信頼。共犯者。

 ただ一つ、訊きたいことだけ訊いた。

「なんで、あたしを助けたりしたんだよ」

 イカレ博士に言われたこと――義体プランの候補者だった当時の自分/研究を亡きものにした当時の吹雪。

「涼月ちゃんに、僕がしたいと思ったことをしただけだよ。もし当時の義体プランが認可されてたら、きっと選ばされることもなく体を棄てられたから」

 僕が全部やったことです。だから気にしないで、と言わんばかり。

 予想通りの答え。こいつならそうだろうなと安心/確認/なぜかちょっとがっかり――。

「あと、涼月ちゃんの体が好きだったから」

 沈黙――突然の爆弾発言。

 かわいいツラして男の子的リビドー満天の桃色宣言をかます吹雪。

「は?」半眼――すごい形相。

「あ、いや、ちがって」自分が何を言ったか遅れて気付く/抗弁=しどろもどろ

「顔も、みみも、ほっぺたも、あれ? えと、くろい髪も、きれいな瞳も、くちびる――」

「もういい。よせ!」でこを小突いてあわてて静止。

 ほっとくと細胞単位にまで好きを告白されそう。

 ――てか最後、なに言いかけやがんだこいつ。

 紅潮/顔がほころぶ/気楽さをよそおわずに笑っている自分に気付く。

 涼月――涙目でおでこを押さえここからが大事なところですとまだ何か言いたげな吹雪へ、

「けりはあたしがつけに行く。だから、お前はちょっとだけ手伝ってくれ」

 言って踵を返す/名残惜しさを振り払う/非常階段から飛び降り、着地。

 しばらくして近づく車両=課長のマクラーレン=無人/乗車。吹雪の疑似人格――マルチエージェント化したAIが運転手。

 吹雪がマスターサーバーに接続した合図。

 爆音とどろき走り出すマクラーレン=涼月のリクエスト/黙って事件から外した腹いせも込み。

 ショートホープに火を付け一服/有害物質を流れる窓の外へ吐息。早鐘を打つ胸を鎮めたがって。

 劣等感が具現化した自分・暴力の権化となった彼女への哀悼/けじめ――やってやる。この拳で。

 仲間にも大人にも、この街にも、勝手に終わらせるなんてさせない。させられない。

これは、あたしの事件ケンカだ。




 第十一区ジンメリンク――中央墓地ツェントラル・フリードホフ

 脳内チップに示された場所に到着。厳粛さが漂う夜の墓地。

 相手がそこにいた。

 ある墓標の前で佇んでいる黒い怪物=鮫野郎。

 墓標に刻まれた名=有明・ヒルデ・ゲルスト。

 彼女の人格を持ったものが、原初たる者の死の証を前に何を思うのか。

 涼月=悲痛の波にさらわれそうになる心を自覚/強いて呑み込む/歩み寄る。

 鮫野郎=とっくに探査してたであろう涼月のほうを向いた。

 見せつけるように左の雷撃器を作動させて、かたわらにあった墓標を殴り砕いた。墓石の小さな欠片が涼月の足下にあたる。

 有明の墓が石塊と化す――まるで空しい誇示=現在いる自身こそが絶対だというように。

 そうして鮫野郎はもう一つ破壊せねばならないもの=涼月へ向かってかまえた。

 涼月は、ただ相手を見つめた。憎しみと憎悪を持って痛みを与えること以外の一切を切り捨てられた自分を/有明を。

 そうすることでしか生きられなかったもしも、、、の存在。

 感じていた疑問――なぜ頭の中のものを取り出されそうになった自分を助けるような真似をしたのか。

 改めて対峙した実感――答え=与えられることに抗いたかったのだ。自分の実存を左右するものを誰かに与えられることに反抗した。

 ――もしあたしがこいつなら、きっとそうしていたから。

 あらゆるものを切り捨てられた自分の、ほんのわずかに残った、なけなしの自分らしさの欠片。

 涼月――ぎゅっと拳を握る。固く、握る。そして静かに何ごとか唱えた。それが己のゴングだった。

 飛び出す涼月/ノーモーションの突撃/敵より一拍はやい/船着場での意趣返し/自分こそが突撃手だ。




 本部ビル二十階――解析フロア前の廊下で途方に暮れる解析官たち。

 開かないドア/パネルは緊急度の高い赤色になったまま/どのコマンドも受け付けない。

「何ごとだ」副長が到着。

「情報汚染発生時の緊急閉鎖コードが働いているようで……」

 あり得ないことと自覚している解析官。思い当たるのはただ一つ。

接続官コーラスか……。黒犬シュヴァルツは! ヤツはどこにいる!」

 涼月の不在に気付いた陽炎。同じく解析フロアに。

「私が気付いたときにはもう」

 陽炎=己の失態を後悔/決着をつけに行ったであろう涼月/頼られなかった怒り/同じ立場なら私でもきっと……と共感を同時に抱いていた。

 副長=上位者権限を行使――パネル操作/エラー。BVTビルの各所のセキュリティが掌握されたとPDAに次々連絡。

 接続官コーラスによるマルチエージェント化=本部ビル全体が吹雪のAI群の支配下に。

「どういうつもりだ吹雪! 涼月は? あいつは敵と接触しているのか?」

《涼月ちゃんは、必ず彼女を止めます。この事件は僕たちだけでやります》

 疑似人格の吹雪の電子音声=いつもより勇ましい調子――全フロアのスピーカーを介した宣言。

「いいか、お前たちのやっていることは明らかな造反だ。今すぐこのテロまがいの行為をやめろ! さもなくば――」

 突如、ずんっと現れる巌のような体躯の男――MPB大隊長オーギュスト・天龍・コール。いきなり副長の横手に現れる。副長=凝然/叱責の言葉を言い損ねる。

 大隊長=その屈強な肉体を持って解析フロアを単独で制圧しかねない威容。

「三十分だ」剣呑で重い声/端的に告げた。

「転送に関わるすべての権限を三十分間接続官コーラスに一任する」

 それ以上は待たない。有無を言わせず場をおさめる大隊長。

《ありがとうございます》りりしい電子音声。

 副長=言いたいあれこれをこの場はこらえて「確証は」

《あります。涼月ちゃんですから》

 迷いなど一切ない断言。それが確証だと言わんばかり。




 死者の眠りを覚まさんばかりの殴打の音が響き渡る。

 果敢なる攻勢=涼月――特甲で殴る/抗磁圧の盾で防がれる/砕ける/ひしゃげる/バラバラになる。

 そのたびに再転送=接続官コーラス吹雪のセコンド。

 何度も繰り返される拳の応酬。

 その闘争のさなかで、涼月は、唱え続けていた。

 ――捨てるな、消すな、握り締めろ。

 防壁へ殴る/ひたすらに雷火をまとわせ殴る/拳を合わされる/拳と拳の一毫いちごう/特甲が砕ける/再転送/殴る――唱える。

 ――捨てるな、消すな、握り続けろ。

 幾十度目かの再転送。ひるむことなく、戦意が燃える。

 警告=肉体とクッションの疲労により、メリアー体が換装できる限界まで達しようとしている。

 警告=涼月の身体疲労/ダメージ/転送への支障/転送の限界推定時間・回数を通知/アラート。

 それらまとめてかなぐり捨てるように殴る。警告が消える=吹雪の判断。

 まだだ、鋭く、もっと、もっとだ!

 一打ごとに研ぎ澄まされる拳勢けんせい/その求めに応じるように再転送のたびに微妙に変化する特甲=吹雪のフォローが今の自分のこぶしをかたちにしてくれる。

 特甲の転送限界VS盾の耐久限界。

 互いにその限界に近づいている。

 ――捨てるな、消すな。

 理不尽な生も、抱えてきたみじめさも。

 ――握れ、固く、固く、握れ。

 大切な誰かさんも、背負ったものも、受け継いだものも。

 ――くしゃくしゃに握り締めて前へ進め。それがあたしだ。

 いずれこぼれてしまっても、大事な欠片だけは残っていられるように。そいつをたどって、またつかみ直せるように。

 ――拳を、握れ!

 涼月の左腕が盾に弾かれ砕けた。

 刹那、猛烈な炎のごときエメラルドの輝き――天使祝詞/そいつを雄叫びでかき消した。

 涼月が顕わしたもの=左腕だけの特甲レベル三――心を力に委ねずにいられる精一杯/自分の意志だけで掴める今の力の全て。

 ――この一瞬だけ、涼月ちゃんが望むなら=涼月へのあふれる守護の意志を呑み込んだ吹雪の賭け。

 拳に宿る万感――握り締めてまっすぐ前へ。

 にわかに最速の接迫/左をふところで溜める=抗磁圧がみなぎる――桁外れの雷炎/踏み込む/両足の特甲で踏ん張る/溜めた拳を全身で持ち上げるように振り上げた。

 ドゴン! 

 耳をつんざく音――重心をかけた強烈なアッパーカットが盾に直撃/衝突により吹き荒れる抗磁圧の嵐/レベル一の両脚が打突の衝撃を流しきれず砕け散る/後ろへ吹っ飛ぶ/左手のレベル三が維持できずにバラバラになる/ぶっ倒れる。

 這いながら即座に敵を見上げる――敵の盾に滞留する抗磁圧が釘のかたちを顕わす/突き刺さるように炸裂/貫通/盛大に爆発した。

 炎/立ち上る煙の柱を見据える涼月――再換装=両脚のみ。

 迎えた転送限界――片腕のまま立ち上がる/戦意を消さずに炎をにらむ。

 やがて爆炎の中から浮かび上がる人影――涼月の・有明の似姿。

 女性型の漆黒の義体――鮫頭をパージし本来の姿に。

 激しく損傷しながらも、毅然とさえ思える姿勢で涼月と対峙している。

 その姿=涼月と同程度の身長と体格/頭部=能面――しかし燃えさかる炎が顔にうつり込み、感情の波を表現しているようだった。

 互いに盾無し/転送無し/身を守るもの・助力――ひとつとして無し。

 この闘いの地平――おのが身ひとつ。

 よみがえる言葉――それが答えだと言うような在りし日の二人の言葉が、涼月の胸にせまった。

「なぁ、こんど勝負しようぜ」

「十年早いよ」

 果たされる場所と時が、この一瞬なのだ。

 あらゆる意図も、操る他者も、しがらみも無い領域――。

 二人が走る、決着の一点へ走り出す。

 片腕の涼月が/義体の有明が

 最後の拳を振るった。

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