4 重なる手

 MPB本部ビル六階=医療フロア。事件翌日の昼下がりの病室。

 涼月=目を覚ます――蛍光灯の明かりで眼がチラチラ痛む。

 やがて足音/ノック/返事があるまで待っている=几帳面な立ち姿が目に浮かぶ。

「どーぞ」

 入室した副長――「調子はどうだ」

 慰労の言葉をかけられる。独断専行に対してのお咎め――今のところなし。気を遣われてなんか調子がくるう。

「はあ……」

 いつものからかいの気持ちが起こらず、しんみり返事をした。

「クリストフ・ゲルストは拘束された。それと、機動捜査課の調査により、あの機体に関わる人物たちの背景が判明した」

 あの機体=義体――自分の脳内チップのデータから作られた怪物・拘束された男の死んだ娘の人格データを持ったもの。

 涼月=臆する自分を見せたくなくて、はっきりとうなずく。知らなければならぬことに対して、逃げずに。

 副長――涼月にPDAを渡す――拡大表示=画面が立ち上がって大きなスクリーンに。

 捜査資料――ある父子の略歴。

 娘=有明アリアケ・ヒルデ・ゲルスト――幼少期ジュニアボクシング選手として有望視される。大会へ送迎中の交通事故で母親と自身の両手足を失う。四肢を機械化。子供工場では四肢の扱いに長けた優秀な少女。病に冒され子供工場を退所。十四歳で死去。

 父親=クリストフ・ゲルスト――もとはオーストリア国内のロボット工学の第一人者。娘の事故後、彼女のために義肢の研究者に転身。義肢メンテナンス員として子供工場の職員に。娘の治療のため退職。娘が亡くなった後、失踪。

 涼月、とくに引きつけられたもの=娘の機械化前の人生。

 ジュニアボクシング選手。とびきり有望な。

 何かが引っかかる。声。快活なのに憂いをにじませた。

「あんたなら――きっと……できるよ」

 涌き起こる衝動。欠けた記憶。とても大事な気がして。

 いてもたってもいられなかった。副長に進言=子供工場キンダーヴェルクへ行くことを。

 副長=しばし思案し、許可。

「一時間後に地下の車両スペースへ来い。私が送迎する。その前に小隊員に会ってこい」

 またも気遣い。素直に良い大人をやってる副長に気味悪さを感じながらもその通りにした。なにより自分が仲間に会いたくてしょうがなかった。

 クリーニングされていた制服に袖をとおし、病室を出る。

 医療スタッフのいる部屋を覗く。マリア医師センセが気付き駆け寄るや、いきなり大喝! 独断専行のこと、そのせいで仲間がどれほど危険を冒したか大声で語られた。激しい驟雨しゅううのような叱責の後、抱きしめられた。アメとムチ――あるいはマリア医師センセがそうしたかったのかも――と涼月は思った。

 叱ってくれる大人の存在がいることに、何だか鼻の奥がつんとなった。

「向こうの部屋に夕霧がいるわ。陽炎も付き添ってるはずよ。顔を見せて、ちゃんと言うべきこと言ってきなさい」

 勢いよく背を叩かれて送られた。

 マリアの言っていた病室の前に来る/ノックし入室。

 病室――手足を外されて眠っている夕霧と、かたわらに座りこちらを見る陽炎=制服姿。

 朝、出かける前にあったときの夕霧――元気いっぱいに「トルテケーキをみんなで食べたいです」と言ってた夕霧。今は深く息をついて眠っていた。

 涼月、歩み寄って、しゃがみ込んだ。

「聞いたよ。ありがとな。……あと、ごめんな。ホントにごめん」

 告げる。行動のツケを払ってくれた仲間に。自分が情けなくなる。

 暗澹あんたんたる気分に身も心も浸りそうになったとき――

「あー……? 涼月―っ……」

 起きる夕霧=ぼうっとした声――やっとみつけましたというように喜びをがんばって表情で表現。

「ああ」

 いつだってそうだ。あたしらが迷ってる暗い道を、肝心なときにこいつはいつだって照らしてくれた。

「がんばってくれて、ありがとな」

 素直な感謝=ここで名前を呼んでくれたことも込めて。

「涼月は……まだ、がんばれますか……?」

 突然の問いに虚を突かれる。

 自分に何ごとか言おうとしている/頼む/託す。不思議とそういうことなんだと理解できる。

 涼月はうなずいた。夕霧のがんばりに報いたくて。

「お願いです……あの人の手を、握ってあげて」




 第十一区ジンメリンク――子供工場キンダーヴェルク。涼月はかつて自分たちのいた場所に来ていた。真実を確かめるために。

 本部から副長が送迎。確かめるリミットは迎えが来るまで。

 副長が事前に話を付けていたのでスムーズに入館/職員が面談に来る。

 当時を知る職員と話をした。副長からもらった捜査資料とだいたい一致。

 一点だけ判明した新たな事実――娘は施設では漢字キャラクター有明アリアケで通っていたらしい。

「そうね……あなたとは、特別関わっていた記憶はないわね」

 面識の有無について=納得。かたや優等生。かたや暴力沙汰ばかりの問題児。しかも年も離れた。それでも共通項を探る。

 ボクシング。拳。機械の手足。

 夕霧のお願い――あの人の手を握ってあげて。

 はたと合点。職員に頼んだ。

「あの、当時の手足って、まだありますか?」

 個人に合わせた設計が成される機械義肢。同じものは一つとしてない。義肢は今後の有用な義肢の設計のために保管されているはず。

 職員が研究整備部門に取り次ぐ/あった/保管室へ。

「機械化義肢の研究が今より成熟してなかったころ、彼女のデータは私たち技師に希望を与えてくれたものだよ」

 厳かに語る研究員――敬意と哀悼をもって。

 彼女の死後も義肢に関わる国内のさまざまな研究部署に活用され、今年、研究の役目を終えここに保管されていた。

 涼月=じっと見つめる――彼女と世界をつないでいた手足。

 その手に触れる、拳を合わせる。胸に迫る何か――記憶の扉が開くようだった。

 よみがえるもの――

 今より小さな自分と、不敵で頼もしい誰かさんが笑っていた。




 涼月にとって有明アリアケ・ヒルデ・ゲルストという女は、めっぽういけ好かない女だった。

 施設で一番年上で、年少者にとっての姉役で、まとめ役の女。施設の誰よりも見事に機械の手足を操っていた。

 当然ながら優等生。勝ち気で負けず嫌いで強気――そのくせ優しげで面倒見の良い姉御肌。体育会型の良い子ちゃん。

 施設には女のパパが一緒にいた。職員=技術部の調整技師。ときどき見えた仲睦まじい親子の光景。

 親に捨てられた・親から引き離された・親がいない。そんな者たちの中で、そいつは極めて異質で、とびきり眩しくて、自分のみじめさをどうしようもなく際立たせた。

 あるとき、ケンカして野郎どもをノしたあとのこと。

 汚れた顔を洗おうと女子トイレのドアを開けると、あいつが個室から出てきた。

 泣いた後の顔みたいに、目が腫れぼったくなっていた。

 思わず凝然。狂犬として通っていた涼月だが、さすがに気まずく立ち尽くした。

 有明=眼前の涼月を一瞥。それ以上かまわず。大股で歩き、洗面台でバシャバシャ顔を洗う。

 涼月=気にくわない――負けじと、となりの洗面台へ。顔を洗う。気後れした自分に酷くむかつく。

 有明が豪快に袖でぬぐって顔を上げるや

「またケンカ?」と唐突に放った。

 それが、はじめて自分に向けられた言葉だった。涼月=怪訝。お説教でもする気か?

 突然、機械の手を握られる/じーっと見られる/触られる。

 戸惑う/たまらず反目/振り払う。

「なんだ、気色悪ぃ!」

「来な、拳の振りかた教えてやる」

 有明がぶしつけに言った。

 なんだ? ケンカの誘いか? 面白い乗ってやる。

 トイレを出る有明にずかずか着いてく涼月。

 施設の角にある人通りのほぼ無い区画=ケンカにはもってこいの場所。

「やるんだろ? さあ来い」すかさず戦闘態勢に入ったところへ――

「全っ然ダメ! なに? そのかまえ!」

 いきなり叱責。ぽかんとなる涼月。思いもよらぬ先取攻勢=痛烈なダメ出しに固まる。かまえた涼月の周りをぐるぐる見てまわる有明。

「両脇もっと締めて、左の拳はもっと離す」

 突然のコーチング。逐一指摘/なぜかその通りに動く狂犬。

「ウエイトバランス意識して。機械の手足はそのへんデリケートだから」

 後ろから肩を抱かれる/ゆらゆらさせられる/がちっと止まる。

「はい、こんなとこか。今の重心をよーく覚えときなさい」

 満足げに腕を組んでいる有明。なんだこの女――涼月の所感。

 涼月のフォーム=じつに窮屈な姿勢。

「よし、そのまま腕ふって」

「な……さっきから何なんだよ! 誰がやるかって」

「あんたの拳はフォーム変わった程度で振れなくなるほど臆病なのかい?」

「ば、ばかにしやがって! みてろ!」すっかり乗せられる涼月。

 脇が締まった姿勢のまま力を込めようとする――違和感=腕を振りかぶれない。自分が頼りとしてきた殴りかたが使えない。

 それでも負けん気で腕を突き出す。ふらふら/ぎこちなく宙をかく拳。披露された情けないパンチに涼月は困惑する。

 ちがう、こんなのあたしのパンチじゃない。拳を振り回すことで誇示してきたプライドを否定されたように感じ目の前が真っ暗になった。

 やってられるか――投げ出す/食ってかかる。

「このくそアマ! あたしを笑いものにしたいのかよ。あたしに無いもの、何もかも持ってるくせに!」わめき散らす。言うつもりのなかったことまで口をついて出る。さらにみじめになる。

 有明――何ごとか言おうとして、言葉を呑んだ。代わりに一言だけ告げた。

「見てな」

 すうっと滑らかに/ゆっくりと/丁寧にかまえる=涼月に指南したのと同じ姿勢になる。

 ひと呼吸のんで、そして風が起こった――そう錯覚するほどの速さと鋭さの拳勢けんせい=研ぎ澄まされた一閃ストレート

 その芸術というべき拳の軌跡に、涼月は魅入られていた。

 自分と同じ機械の四肢でこんなパンチをするなんて。驚きと感じ入るものが表情にあらわれていた。

「やり続ければここまで行ける。その先にだって。あんたはどうする?」

 有明の問い――とても気にくわない女からの誘い。起こる雑感=この域に至るまでどれほど拳を振ってきたのだろう。受け入れるだけでも大変な労苦を強いられる機械の手足。それを誇れるものに昇華させた事への興味。

 ――あたしにも、やれんのかな……?

 涼月=有明のフォームを見よう見まねでかまえてみせた。それが問いの答えだった。

「上等だ」快活な笑み。「でも全然ちがーう!」またもや一括を見舞った。

 その後、ひたすらワンツーを振り続ける涼月。

 互いに空いた時間/同じ場所で。

 最初は心許なくふらついた腕がまっすぐ伸びてくる。重心の移動が身につく。機械の指先/つま先まで神経を巡らせるイメージ/全身を使って力をパンチに伝える。突き出すだけで精一杯だった腕/次第に空を切る音が聞こえるようなストレートに。

 ケンカでぶん殴るときにしていた機械の手足を使う/ぶん回す/体についた重い道具をぶつけるイメージ。それらが矯正されていく。

 積み重ねるごとにだんだん分かってくる快感――身体は軽く・打撃は重く、その通りに動ける自分自身への。

 いつしか染みついた動き――無意識でも/眠ったままでも出来そうになってきた。

「はい。今日はここまで」

「何だよ、あたしもっとやれるぜ」調子づいて体を振る涼月。

「気持ちはそうでも身体はまだついて行けてないんだよ。ほらクールダウンして。ストレッチさぼるんじゃないよ」

 お前はまだまだだと言われているようでむかつく/しぶしぶ身体を伸ばす。自分がどれほどか試したい気持ちに駆られる。

「なぁ、こんど勝負しようぜ」だしぬけに/身体を伸ばす有明の背に向けて言った。

その背がぎくっと身をすくませたようにみえた。なにか変なこと言ったのか不安になる。

 とたん背を振るわせる有明――くくくっと声/大声で笑う=じつに豪快。

「なにがおかしいんだよ!」涼月=むっとなる/心配して損した気分。

 ひとしきり笑い終えるや、涼月へ顔を振り向けた。

「十年はやいよ」勝ち気で不敵で、じつに頼もしげな笑み。

 ――かっこいーツラしてんじゃねぇっつの。

 はぐらかされて不満顔。顔を伏せる。

 やおら目の前に来た有明――機械の右手が涼月の頭にぽんっと置かれる/わしゃわしゃされる。涼月=ひどく気恥ずかしいくせに、拒否することは何故かはばかられた。とても奇妙で、こそばゆい感じ。そこへ――。

「あんたなら――」色のない声。そう形容したくなる有明の透明な響き。

「あんたなら、きっと世界と仲直りできるよ」

 まるで自分はそうできなかったよと言うように。

 意味が分からなかった。

 翌日、有明は子供工場キンダーヴェルクを去った。父親も一緒に。

 誰も、大人でさえどこに行ったのか口にしなかった。




 鮮やかに再生された記憶――自分の拳のかたちが定まった出来事。

 ずっと頼りとしてきた拳の原点。

 記憶のあたたかさの分だけ、とめどなく悲痛が迫った。

 去った有明を待ち受けた運命に――こみ上げる熱いものをおさえられなかった。

 かつて見せてくれた美しい拳の軌跡、自分の頭を撫でてくれた手のひら――機械の手足が涼月に残したものがふつふつとよみがえる。

 そしてただ一つ忘れていなかったもの。

 拳の振りかた――いなくなっても、誰に教わったか忘れてしまっても振り続けた拳。

 いつの間にか継承されていたスタイルを――その原点を、涼月は思い出し、噛み締めて、持ち主のいない機械の手をぎゅっと固く握っていた。




 夕方、迎えの車が到着=副長ではなくマリア医師の車。

 涼月=マリアの運転への連想――地獄のジェットコースタードライブ。

 しかし今日は驚くほど静かな省エネ運転。

 湿っぽくなった気分をぶっ飛ばすには丁度いいと思ったのに――拍子抜けする。

 環状道路を走る。夕日がドナウ河に反射してキラキラ光を放っている――ぼうっと見ている涼月。

 涼月の今後についてマリアが告げた。

「副長からの指令よ。あんたは今回の事件から外れてもらうことになるわ」

 涼月=反応せず。ドナウ河のほうを変わらずに見ている。

「私はそれでいいと思ってる。彼女の生命の尊厳、あんたの人としての尊厳、いかなる理由があってもあんな風に使われていいわけない。解決するのは機体を破壊することと同じ意味。きっとMPBの誰もあんたにそれをさせるつもりはないわ。これ以上傷つくことはない」

 涼月=うなずくそぶりをした。自分の周りの大人たちの優しさは伝わったよというように。

 瞳はじっと河を見つめ続ける。河/水路/逃げるときに脳内チップに送りつけられたもの――座標と時間と場所。その瞬間がまもなく迫るのを自覚し、自分の瞳が河に反射するギラつく輝きを映し続けた。

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