1 小隊長たちの休日

 ミリオポリス第六区マリアヒルフ

 ――旧市街ウィーンの二大ショップストリートの一つ=マリアヒルファー通り。

 週に一度、車道を開放し歩行者天国として賑わいを見せる、風光明媚ふうこうめいびな一角。

 車道の石畳をカツカツ鳴らして歩く少女――涼月・ディートリッヒ・シュルツ。

黒髪/鋭い切れ長の黒瞳こくとう/しなやかな肢体/ラフなデニムルック/両手にはみっちり詰まった紙袋/いらつきと気だるさを発散させながら、穏やかな街路をおごそかに行軍中。

「陽炎のやつ……ワケ分かんねぇもんばっか頼みやがって」

 ぶつくさ不満をたれる。大股でずんずん歩く。

 非番で外出と来ればだいたい一緒にいるはずの小隊員=陽炎+夕霧――おらず。

 治療や義肢バインのメンテナンスのため医療フロアに。

 治療――先の〈空港占拠事件〉を受けての措置。

 陽炎=副長の命令で一定期間のカウンセリング。

 夕霧=戦場での無茶な外科手術+ステルス戦闘機との電子接続から皆より多い治療期間を過ごす。

 一足早く健康に戻った涼月――貴重な非番=本来なら受験勉強に割いている時間、しかし隊員二人を尻目にそうするのもばつ、、が悪くなり、自分でもびっくりするくらいの気遣い発揮。

 気遣い=ほしいもんあったら買ってきてやる――という愛情表現が不器用なパパみたいな行動。

 そんな小隊長の申し出に、陽炎――本気で気味が悪いと言いたげに怪訝。

しかし面白がってどんどん注文。よくわからない品々の名前と地図/店の名前らしきもの。まるで呪文。

 陽炎の情報――ナッシュマルクトののみの市で買えるはずだ。ああ、出店の位置は変わっている可能性がある。頑張って探してくれ。

 結果=地図は当てにならず。さんざん歩き回り、どうにかお目当ての品らしきモノをかき集める。想像以上の労苦/荷物量/歩数。正直途中からテキトーに買い漁る。知るか=居直り。

 つと立ち止まる。めいめいに行き交う人々の間から飛び込んできた光景。しゃがんで泣いている小さな女の子。おそらくは迷子。

 おいおい、誰か助けてやれよ――親切な誰かさんが来るのを期待し自分は喫煙スペースへ。どさっと紙袋を置く/ふところからショートホープの箱を取る/しゃらっと一本くわえ/上着のポッケからジッポを出し速やかな着火。周りがぎょっとなるのもかまわず、ぼうっと有害物質を吐息。

 真向かいの通りには泣いている女の子/いやがおうにも目に入る/親切な誰かさん=未だあらわれず。全くもって落ち着かない。

わかったよ、ちくしょうめ――涼月、タバコを灰皿に押しつけ、紙袋をぶんどり、せっせと女の子のほうへ歩み出す。

――なにらしくねぇことをしてんだ、あたし。異義の勃発=いいや、一服する至福を邪魔されたくないだけだ。と納得させる。

 “A.S.A.P.アズ・スーン・アズ・ポシブル”だ。そのとおりさっさと終わらせてやる。

 速やかに通りを横切り女の子の前へ。

「あー……」来たは良いが、どう声をかけるべきか困ったように頭をかいていると、ふと女の子を見下ろす自分によぎるものを認めた。

 幼いときの自分/手足が腐って、立ち上がることも出来なかった自分/大人がみんな自分を踏みつぶそうとしてるように思えた幼少期の恐れ。そんな自分が女の子に重なって見えた。

 おもむろにしゃがみ込む涼月。女の子と同じ目線に立って、声をかけた。

「おい、お嬢ちゃん」「どうなさいましたの?」

 ほぼ同時にかけられた声/ぶっきらぼう+優美。ぶっきらぼうが左を見た/優美な方が右を見た――なんと同じ目線に相手がいた。

「あたくし様――」他意なく/完全な条件反射。

「鳳・エウリディーチェ・アウストですっ!」同じく条件反射で名乗る少女=鳳。深紫色の瞳ディープパープル/左目のところに海賊傷/ウェーブがかった長い髪/意外なジーンズスタイル=上品さを損ねない必要な機能美とアピール/しゃがむことでその柔らかさが如実にあらわになる豊麗な胸。

 〈空港占拠事件〉〈戦犯法廷事件〉――両事件に従事した者たち/電話口の再現。

 その様子に女の子は涙で濡れた顔を不思議そうに上げた。




「あたくしは通りでご両親を呼びかけてみます。そちらはここで彼女と待っていてくださいまし」

「あー、へいへい」――何であたしが仕切られんだよ。

 ひとしきり相談し、担当を分担する。

 即座に発揮された鳳の小隊長的リーダーシップに、同じく小隊長の涼月=不満げ。いらつきを紛らわすべく、ふところからショートホープを出す/くわえる/ジッポをかちり/着火しようとし――しまった、くせで。とどまった瞬間、二つの目線に気付く。

 鳳=半眼。“あたくしのみならず、子供の前で……あなたという人は”――言外に告げる腕組み/ため息。

 女の子=びっくり。軽蔑などとは違った不思議なものを見つめる瞳。

「……」逆再生=速やかにジッポをしまう/タバコをはなす/箱へ/ふところへ。――いや、途中で気付いたんです。と目線で抗弁。

「く・れ・ぐ・れ・もっ! お願いしますね」涼月に言い含め、女の子の瞳をちゃんと見て「ご安心ください、あたくしたちが必ずパパとママを見つけてみせます」自信満々に宣言した。

 おずおずとうなずく女の子に微笑みを返し、振り返りつかつかと歩き出した。

 涼月=しゃがんだまま、鳳を見つめる。街ゆく人ひとり一人に訊く/よく通る発声で呼びかける。なんか一生懸命だな――と素直に感心しているところへ、

「おねえちゃん、妖精さん?」

 うずうずと/ずっとききたかったの、というように女の子が訊いた。

 涼月=ぽかん。意図せぬ言葉に思考停止。

 いやいや、あたしに言ったんじゃないだろ、と思い直して遠くの鳳を指さす。

 ぶんぶん首を振る女の子――やっぱあたしか? 何がどう間違って自分を妖精などと呼ぶのだろうこの子供は。ぐるぐると認識のパラドクスに陥る/頭の悪い顔になる。

「テレビでみたの」

 その一言で合点=キャンペーン任務。馬鹿げた肌色率&ひらひら率の衣装で、本気か冗談か知れないテーマのもと、装甲車の上で羞恥心と表情筋の限界に挑む

「アレか」

 自分のあの有様をそんな風に思うやつもいたのか、と妙な納得感。

 いや、ありえねー。気恥ずかしさでとぎまぐ。

「ちがった?」

 不安げにこちらを覗き込む顔。その表情と自分の中のあれこれ、、、、を天秤にかけた。

「に……似たようなもんかなぁ……?」と妥協的譲歩。

「やっぱり!」

 ぱぁっと明るくなった女の子。

 プライドを犠牲に得た信頼/笑顔。デ○ズニープリンセスにでも会ったような反応の女の子に、勘弁してくれ、と思いながら、ちょっとだけ鼻が高い気分の自分に戸惑った。




 感情が消える――悲痛にうちひしがれたはずの心が遠のく。

〈戦犯法廷事件〉――守れなかった証人たち――ロザリオを託してくれたシスター・アーレ。

 感情を食べたい、と言った敵の特甲猟兵の少年――今の君に感情は無い、そういったことを言われた。

 そんなことは決してない。そう思いたくて。

 非番の日に少女は/MSS小隊長の鳳は、中心街を――自身にとって大切な場所を巡っていた。

 同伴者なし――同じ小隊の乙+雛――先の事件で治療と検診中。冬真=解析課の情報汚染対策の研修を受けている。

 なにより、今日は一人で回らねば意味がなかった。自分の大切な記憶が、それにまつわる感情が、失われてなどいないと証明するために。

 第一区インネレシュタット――ホーエンマルクト広場にある仕掛けアンカー時計。

 時計から流れる音色の記憶=家族を・身体の大半を失った自分に語りかけてくれた人――あたくしに『生きること』の権利が選べるのだと示してくれた人との記憶。

 今ここに在る自分の原点――第二の生の始まりの場所。

 時計の針が十二時を指した。メロディとともに代わりばんこに十二体の人形があらわれる。記憶のとおりの音色を目を閉じて聴き入っていた。当時の自分を呼び起こしてくれる音色に心が安堵してゆく。

 大丈夫だ。ちゃんとある。記憶もそのときの意志も。

 以前よりぼんやりとした、、、、、、、、、、、ように感じたのは、時の流れによるものだ。そうに違いない。言い聞かせるように頭のすみで起こった不安に蓋をした。

 第六区マリアヒルフ――マリアヒルファー通り。

 家族との優しい在りし日の記憶がある場所に到着した。

 休日の歩行者天国=行き交う人々/活気づく商店/パフォーマンスをする若者たち/手をつなぐ家族。

 連想=結びつかない。先ほどよりずっとぼやけた記憶に胸がざわめく。

 いずれ跡形もなく消えてしまうのだという声――。

 ちがう! 胸に手をあて記憶をたどる。遠のいたまま戻ってこない思い出/あたたかな家族の記憶。

 心が虚無へ誘われる。今ある絆にすがろうとする。乙に・雛に・冬真に、そばにいてほしい。

 記憶が消える/逃げようとする自分。

 過去を今あるもので塗りつぶそうとしている。消えてしまうより、ずっと良い。

 ちがう! そうしたくてここに来たんじゃない。

 にわかに声。通りから聞こえてくる泣き声が現実に引き戻してくれた。

 泣いている声の主=しゃがみ込んでいる女の子を見た。

 不意によみがえる鮮明な記憶――。

 父様と母様、弟、車椅子に乗った幼い自分――はぐれた妹を探してみんなで呼びかける/見渡す/父様が通りじゅうを探し回る。

 幼い鳳=このまま見つからず永遠に会えなくなる想像に襲われ、泣きそうになったとき――

 見つけた――道の隅でしゃがみ込んで泣いている妹を。鳳は駆けだした。車椅子で/自力で/急いで/妹の不安を消してあげたくて名前を呼ぶ。妹が顔を上げてくれた。

 とたん車輪が石畳のくぼみにはまる。がくっとバランスを崩す/車椅子ごと地面に倒れ込む。

 後ろから鳳を呼ぶ声=父様と母様が駆け寄る。妹が涙で濡れた顔で駆けてくる。妹の不安でいっぱいだったはずの涙顔が、鳳を心配して別の不安顔になっている。

 よみがえるもの=そのとき感じた手のひらのすり傷の痛み/鳳を中心に一つに集まってゆく家族/母様に抱きしめられ/父様に支えられ/妹と一緒に怒られ/泣き出しながら謝り/なぜだか弟までつられて泣いて/また抱きしめられていた。

 痛みもぬくもりも、まだ息づいていた。

 歩き出す鳳――あのときのように。一人の不安におびえる女の子を助けたくて。

 そして同時に女の子にかけられた声――あの失礼な少女との再会。



 両親さがし=なおも呼びかけ続ける鳳。女の子の隣には涼月――あの粗暴で無遠慮で無思慮な方に任せてしまって大丈夫ですかしら。横目に様子を見ると、意外な光景があった。

 楽しげに涼月に何事かをお話ししている女の子。いっぱいの手振りで心底楽しそうにしている。

 涼月の様子=気さくそうに話す/頭を撫でてやる/ときどきなぜかぎこちなくなる。

 まるで仲の良い姉妹みたいな光景だと思った。

 そんな様子に感心/少し尊敬/羨望――涼月に。

 ふりはらう。いまは自分の役割に意識を振り向けた。


 両親が見つかる頃には、女の子はすっかりごきげんになっていた。

 涙を浮かべる両親/女の子を叱った/抱きしめた/女の子――両親の体温が伝わってきて泣き出した。

「ごめんなさい。パパ。ママ」

 仲良く並んで去って行く一家。両親=何度も振り返りお礼を言っている。女の子がぶんぶん手を振り、

「またねー、妖精のおねえちゃーん」

 涼月のほうへ元気よく言った。

「妖精?」鳳=訝しげ。

「う……うっせ!」涼月=赤面。




 第二十四区エー・ヴェー――MPB本部ビル六階=医療フロア。

 その一室に響く歌声。ぼうっとしたハミング。

「ふんふんふ……ふーん♪」

 病室のベッド=夕霧・クニグンデ・モレンツ。窓の外を見つめる青い瞳プラオ・オイギヒ/日に反射して輝く白金の髪プラティーン・ブロンド/患者服/取り外された機械の手足。

 いつもの心のままのハミングとは違う。欠けた音を探すようにメロディを幾つも試している。

〈空港占拠事件〉――太公望さんと繋がり、一緒に空を飛んだ日。あの事件以来、大事なことを探そうと歌っている自分がいた。忘れてしまったとっても大事なこと。

 事件で重傷を負った夕霧/事件後に眠り続け、目覚めたときには太公望さんはこの世界からいなくなっていた。

 ――だいじょうぶ。お別れはきっと済ませられました。今はまだ思い出せないだけで。

 思い出せない――ふと起こる連想。涼月が・陽炎が喪失した記憶。夕霧もそう――初めての出撃の記憶=きっとみんな求めているもの。

それとは違った、、、、、、、不自然な譜面の空白。あったはずの音。探そうとさっきから歌う/止まる/思案/歌う。

そうするごとに浮かぶ予感――空白の音がどこかで/近くで/近いうちに――鳴らされるのだという確信。

「んー♪ んーっ♪」だから探している。探せば見つかるところまで来ているから。

 にわかに音――現実の音/耳がひろう。カシャ、カシャ、と廊下から近づいてくる――ドアが開く。

「やあ夕霧。今日の歌は何だかぼんやりしているね」

 微笑みをたたえ入る少女=陽炎・サビーネ・クルツリンガー。アップにした燃えるような赤髪ロート・グリューエント/さえやかな美貌/検診のためスペアの手足――崩れることないモデル体型=砂時計型/患者服さえファッショナブルに着こなし健康さを各所にアピール。

「陽炎さーん、そうなんですー。探し物が見つからなくって」

「よくわかるよ。夕霧も私もダンジョンの住人だからね。底なしの魔窟から目当ての宝を引き上げるのは毎度至難の業さ」

 夕霧&陽炎=ともに片付け下手。自室はサグラダ・ファミリアのように日々混沌が拡大中。

「とってもむつかしいけど、夕霧隊員はがんばりますよー♪」

 るんるんと歌うように宣言。意味が食い違うのも全然かまわず会話続行/談笑――外出中の涼月の話題へ。

「そういえば、我らが小隊長が急に変なことを言い出してね――」おつかいのこと。

「夕霧もお願いしましたー♪ モーツァルトのトルテケーキー♪」

「夕霧のお気に入りだものね。気がかりなのは私のほうだが……はたしてちゃんと買うものが分かっているのか?」

 陽炎リクエスト=日本ヤーパンの絶版コミック・有志が書き記した別冊対訳つき×六タイトル。土曜に第六区マリアヒルフのナッシュマルクトで開かれるのみの市に出店――すなわち今日。

 陽炎の所感=その手のセンスが圧倒的にズレてる小隊長は果たして品の違いを見分けられるのか? とっても不安・半分あきらめ――どんな勘違いショッピングをするか見物みもの

「陽炎さん、嬉しそうですねー♪」

 こほんと照れ隠し。「まあね。憂鬱で退屈なカウンセリングも、涼月の帰還時のリアクションや成果発表が待っていると思うと、やり過ごせそうだ」

「ふふふふーん♪」

 ごきげんハミング。足をコツコツ鳴らしたい気分。手足が外されているので、まばたきで表現。ぱちぱちするたび鈴の音が鳴るみたい。

「ああ、そろそろ時間だ、それじゃあ行って――」言いかけぎくっと固まる。「夕霧?」

 夕霧の異変――青い瞳が虚ろな輝き。にわかに発する歌声。ぼんやりした歯抜けのハミング/欠けた一音いちおんが加わる/秩序立ったメロディに変化する。

 ――見つけた。

己の内側から声が起こった。声の主は、はたして夕霧か、それとも。

 メロディが止む/夕霧が我に返る/陽炎を見つめ返す。

「何か来る……河――誰か来るの」

 



 第六区マリアヒルフ――ケッテンブリュンカッセ駅/地下鉄のホーム。

壁に寄りかかる涼月。ぴんと立つ鳳。ともに電車を待つ。

涼月「なあ、まじでいいって」気後れ。

鳳「いいえ。トルテケーキを楽しみにしていらっしゃるのでしょう? このくらいのお手伝いはさせていただきます」凜然。

 互いの手に紙袋×一つ――涼月の荷物の片方を担う鳳。

 迷子事件解決の後、夕霧のためにお気に入りの店のトルテケーキを買って帰ろうとする。だが予想外の荷の量に手がふさがり、休日の賑わいのためタクシーも捕まらず。諦めるか/日を改めるか/本部に荷を置き近くの店で済ませるかと思っていたところに、鳳の申し出。

 断ろうとするも、あっという間に袋を持たれて地下鉄構内に。優雅にかつ強引にリードされ、こうして電車を待っている。

 さっきの迷子のことと言い、いちいち熱心で律儀で一生懸命なやつだな。と物珍しげに鳳の横顔を見る。自分とは正反対なお姫様オデットみたいな風情の同年代/同役職の少女。

 つと目が合う――見つめていた気まずさで目をそらす。ふっと憂いの笑みを見せる。なんだその顔。

「さっきの迷子の子――あたくし一人では彼女の不安をあんなふうに取り除くことは出来なかったでしょう」

「んなこと、ねえだろ」

 静かにかぶりを振る鳳――とくとくと語る。

「あの街は、マリアヒルファー通りは、あたくしにとって、大切な思い出のある場所ですから。あのときのあたくしは、きっと彼女にあの場所で恐い思い出を残してほしくなかったのだと、思いますわ。ですから……ありがとうございます」

 ――思い出を守ってくれて。そう続きそうだった。

「別に……礼はコレで返してんだから、いちいち言うな」

紙袋を掲げる/表情を隠す。ここまで真に迫ったお礼を言われるとは思わず。

 思い出――いつの/誰との――とりとめもなく浮き上がる思案。あの女の子/パパ/ママ――眩しい笑顔/眩しい光景。なぜか吹雪の家族が連想される。

 思い出――たぶん、きっと、あたくし様も――にわかに起こる羨望の波。女の子に/鳳に。さっき見た一家の光景に幼い自分と両親が重なる――在らざる幻が浮かんで、すぐに消えた。

 ――におうな。

 ある男に言われた言葉が涼月を捕らえた。

 ――お前の劣等感のにおいだ。

 ちくしょう。思い出してんじゃねぇ。思い出してもなんとも思うな。あたしは上手いことやれる。やれてる。

 自制する――足を取られるな。進んでる。きっと、まっすぐ前へ。心を引き戻す。

 気を取り直して、しばし話した。正反対の二人=ぎこちなげに――電車が来るまで。心が落ち着きを取り戻してきたところへ――

《本部より黒犬シュヴァルツ、応答しろ》

 無線通信いぬぶえ=副長。

「わりぃ、ちょっと」「失礼、通信です」

 同時に発言。互いの組織から同時に通信。

 隣の鳳=びっくり。ひとまず会釈して応答。

 涼月=こちらも遅れて応答した。




 MPB本部ビル二十階=情報解析室。長身痩躯の男=MPB副長フランツ・利根・エアハルト――通信マイクをにぎり涼月に無線通信。

 先ほど医療フロアからマリア医師を介して連絡=夕霧が副長に事態を告げる。河、誰かが来る――歌/ビジョンが意味するもの。それはきっと壊すもの。傷つけるもの。多くの誰かを。この街を。

 歌とともに示された場所=ウィーン・シティ船着場。

 副長は夕霧の話を真面目に聞いた。戯言ではなく何かの事態を告げる前触れであると理解。マスターサーバーも先の事件を受けて情報汚染対策のため機能強化の最中/接続官たる吹雪も臨検に参加。

 その調整のためにマスターサーバーの全快機能が発揮されず、現状の探査に穴が生じた可能性を考慮。

 現在出撃可能な遊撃小隊員=涼月のみ。

《こちら黒犬シュヴァルツ

「指令二・ツヴァイ・ウント・ツヴァイを発令。現地点よりただちに第一区インネレシュタットのウィーン・シティ船着場へ向かえ。怒濤ドランク中隊も現場に向かっているが、お前のほうが近い。先行して現地の状況を報告せよ」

 指令二・二=計画された犯罪の判明/出動命令――イレギュラーのため口頭で発令。

《なにがあったんです?》

「わからん、白犬ヴァイスからの『河から危険なものが来る』という曖昧な判断材料で動いている。しかしマスターサーバーが臨検中の今、無視できない情報だ。ドナウ運河から何かが上陸する可能性はある。敵性兵器の場合は足止めしつつ中隊を待て。遊撃小隊員が不在の今、中隊と連携して対処しろ」

「現地定点カメラより、敵性兵器と思われる上陸を確認!」

 解析官が叫ぶ。モニターの一角に船着場のカメラ映像。それに映るもの。

 川面から浮上するもの/何かが伸びて川岸の柵をつかむ。飛沫とともに持ち上がる物体――上陸。漆黒の機械=人のような――というより人そのもの、、、、、の挙動をした二メートルほどの機械。

 アームスーツなどとは違う、恐ろしく人間らしい二足歩行。

 威容=鮫を頭からかぶったような大きな外部ユニット胴・頭・背を覆い隠している。

 まるで魚人――鮫人間。

「マスターサーバーは?」

「探査に反応せず、犠脳体兵器……」

「いや、MSSのバク、残りのマスターサーバーにも犠脳体の起動の兆候は観測されなかった。単一でマスターサーバーに拮抗できる自律兵器だとでもいうのか……。ただちに兵器開発局に照会、敵機体の情報を明らかにしろ。現地警察および警備、特憲コブラに要請。市民の避難を最優先にと伝えろ」

 通信マイクを握り締め「黒犬シュヴァルツ――」

《なんか来たんすね。急行します》不敵な調子で応答。

「よし――いやまて」携帯電話が受信。最優先の緊急度を示すメッセージ/暗号解除/送信者=ヘルガ・不知火・クローネンブルク/一読/理解。

「そちらにMSSの要撃小隊長がいるな。いかなる場合でも彼女のことは気にせず、あくまで単独かつ自立的に行動しろ」言い含める。「いいな」

《あー……了解》通信アウト。




 無線を終えた涼月=隣を見る。

 同じく無線を終えた鳳。視線を交わす。たぶん同じ事件だと伝播。

 同時に駆け出す/駅のロッカーに荷物を預ける/地上へ。

 現場のある方角を見据える涼月、そして鳳。

 違う部隊、違う命令系統の少女二人。

 上官からの指示「あくまで単独かつ自立的に行動しろ」

 同質の命令を受け取っていた涼月と鳳。

「だとよ」

「あたくしもです」

 顔を見合わせる。互いの意図・上官の意図/伝わる了解事項。

 第一区インネレシュタット=BVTのお膝元――表立って協力すると色々うるさい――やるならこっそりやりなさい。

「自立的な行動の結果、ぐーぜん、連携っぽいことになるのも」

「仕方が有りませんわね」

 つまりはそういうことだ、という了解/合致。

 互いに不敵な笑み。この上ない頼もしさを共有。

「転送を開封」

 同時に斉唱。にわかにエメラルドの輝きが二人をおおい、一瞬で機甲化。

 漆黒&紫の特甲をあらわした。

 鳳がフェデールを展開――互いが手を握る/たまたまそうなったのだ/いつかの塔崩しのときのように。

 現場へ急行=二人の小隊長――空を飛んで。

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