エピローグ ずっと二人で

 昼の三時を過ぎる頃になって、ようやく芹沢宛てのプレゼントは届かなくなった。

 刑事課のデスクで、芹沢はこれで今日いくつ目か分からないダンボールの箱詰めを作っていた。

「――芹沢巡査部長」

 声をかけられて顔を上げた。確かよその課の新人捜査員だった。しかしまだ芹沢の認識にはっきりとは定着していなかった。

「えっと――」

「武内です。武内衛たけうちまもる、十月に西天満署生活安全課勤務を拝命されました。階級は巡査です」

 堅苦しい自己紹介だった。だが初々しく、生真面目そうな風貌に相応しかった。

「あ、そう。よろしく」芹沢は梱包作業に戻った。

「今日はお一人なんですか」新米刑事は言った。

「え? ああ、そうなんだ。鍋島が休み取ってさ」

「何されてるんです?」

 武内は怪訝な表情でダンボール箱を覗いた。「何の包みですか?」

 どうやら芹沢のプレゼントイベントを知らないらしい。ほんの三ヶ月足らず前に他の課に来たばかりなのだから、当然と言えば当然だ。

「ん? えーっとほら、何て言うかさ」

 実は俺の場合こんなイベントが年に三回あるのよ、と自分で説明するなんて超ダセぇと思った芹沢は、言葉を濁して愛想笑いを浮かべ、話題を変えた。

「で、俺に何か用?」

「あっそうだ、失礼しました」

 武内ははっと目を見開いて、ぺこりと身体を半分に折って一礼し、そしてすぐに顔を上げて言った。「巡査部長にお客様です。若い女性の」

「誰」

 芹沢は低いテンションで訊いた。また荷物が増えるのかよと、それしか思わなかった。

「キジマという方です」

「キジマ?」芹沢は眉根を寄せた。「知らねえな」

「でも、刑事課の芹沢刑事に会いに来たと――」

 やれやれ、仕方ねえなと芹沢は思った。カッコ悪いけどここは自分で説明するしかないか。けどできるだけ簡潔に済ませたい。さて、どう言えば――

 ところがその直後、芹沢の記憶の扉が開いた。キジマ。そう、確かそういう名前だった。

「そのコ、中学生だった?」芹沢は訊いた。

「分かりません。私服に化粧もしてましたから」武内は首を傾げた。「でも、そのくらいの年齢に見えなくもないです」

生安課そっちの部屋に来たのか」

「いえ、署の玄関で中の様子を伺う感じで立っていたのを、外出から戻った自分が声をかけたんです。アポイントは取っていないとのことなんで、今もロビーで待ってもらってます」

「分かった」

 芹沢は立ち上がり、椅子の背に掛けたスーツの上着を羽織った。武内とともに刑事部屋を出て、廊下を階段に向かった。

「事件関係者ですか」武内が訊いた。

「ん――まあな」芹沢は武内を一瞥した。「ありがと。戻ってくれていいよ」

 武内ははいっ、と模範的な返事をして、生活安全課の前に来ると立ち止まり、一礼して芹沢を見送った。


 一階に下りた芹沢はロビーを見渡した。さほど人は多くなかったので、彼女はすぐに見つかった。総合案内のカウンターからはかなり離れた場所にぽつんと一つだけある長椅子に座って、俯いている。大きなアラン模様のオフホワイトのフード付きセーターに正面にスリットの入ったデニムのロングスカートを合わせ、茶色いブーツを履いていた。

 芹沢が近づくと、気配を感じたらしい彼女ははっと顔を上げた。

「真優ちゃん」

 彼女を手で示しながら言うと、芹沢はにっこり笑った。「こんにちは」

「……こんにちは」

 ゆっくりと立ち上がり、芹沢を見上げて静かに挨拶をしたのは、深見茜のクラスメイトの来島真優だった。先日、梅田のカフェで会ったときの制服姿とは違い、今日は私服のせいかずっと成熟して見えた。それにしても、引き締まったアスリート体型をしていたはずの彼女がこんなフェミニンな服装をするとはちょっと意外だった。なぜかフードを被ったままだったのでちらっと見える程度だったが、耳には大きなイヤリングも付けている。

「この前と雰囲気が違うから、分かんなかったよ」芹沢は言った。「いつもそんな感じ? なんか大人っぽくて、ドキッとしたぜ」

「あ、いえ」真優は俯くとセーターの左の袖口を引っ張って口元を押さえた。その可愛らしい仕草が、この前会ったときの健康的な少女らしさを少しよみがえらせた。

 座ってよ、と芹沢は言って自分も長椅子に腰を下ろした。真優も芹沢に倣った。

「で、今日は何? 深見さんのこと?」芹沢は訊いた。

「……う、うん。あ、はい」真優は頷いた。「どうなったのかな、と思って」

「学校で先生から聞いてないの?」

「冬休みに入ったから」

「あ、そうか」

 芹沢は腕組みして後ろの壁にもたれた。「一応、個人情報だからさ。あんま言えないんだよね」

 あぁ、と真優は短くため息をついた。

「簡単に言うと、処分が決まるのはこれからだ」

「裁判とかになるんですか」

「それもね。詳しくは教えられない」

「……そっか。じゃあ、しょうがないです」

「心配して来てくれたのに、悪いね」

 真優は床を見つめたままかぶりを振った。

 わざわざ訪ねて来た割には相槌程度の回答であっさり納得するんだなと芹沢はちょっと不可解に思った。そして、もしかしたら当初から感じていた真優に対する違和感こそが彼女の本題なのではないかと気づき、腕を解いて彼女を覗き込んだ。

 すると真優は、わずかだったが芹沢に背を向けるようにして身体を捻った。

 それで芹沢は確信した。

「来島さん、本当の用件は?」

「えっ――」真優は小さく振り返った。

「他に用があったんじゃないの? 深見さんのことは口実なんだろ?」

「いえ、ちが――」そこまで言うと真優は顔をしかめて口をつぐんだ。

「どうした?」芹沢はさらに真優に顔を近づけた。「……どこか痛むのか?」

 真優は黙って俯いていた。芹沢はじっと待った。茜の事件のおかげで、少女に対する忍耐力がかなり備わっていた。

 やがて真優の左手がゆらゆらと上がって、被っていたフードを外した。顔を上げ、ゆっくりと芹沢に振り返った。

 真優の額に大きな痣が出来ていた。赤黒く変色し、少し腫れていた。うっすらと血も滲んでいる。

「……誰にやられたんだ」芹沢は言った。

「援交の相手」真優は小さく答えた。「この前の」

「会ったのか」

「会ってくれって連絡が来て、断ったら、学校にバラすって言われた。知らんあいだに学校を突き止められてたの。それで仕方なく」

 そこまで言うと真優はぎゅっと唇を噛んだ。「……ホテルに連れて行かれて、いきなり殴られて――」

 全身が小刻みに震えていた。

「分かった、場所を変えよう」芹沢は言った。「ちゃんと話を聞くよ。女性の警察官も同席する」

 真優は芹沢を見つめた。その瞳は恐怖で占領され、涙が揺れていた。

「嫌だったら、俺は席を外すから」芹沢は優しく言った。

 真優はかぶりを振った。そして脱力したようにふうっと息を吐いて長椅子に手を突きかけたとき、痛っ、と小さな声で言い、右の二の腕をさすった。

「大丈夫?」芹沢は彼女に振り返った。「そこもか?」

「……たぶん、折れてる」真優は言うと、芹沢を見た。その右目からぽろぽろと涙が零れた。「もう、ラケット持てない」

 芹沢はため息をついた。自業自得だぜ、と言いたかったが、今はやめた。

「先に病院か」芹沢はさっき下りてきた階段に振り返った。「待ってな。車の鍵を取ってくる」

 真優は涙を拭った。「ごめんなさい……」

「謝ることじゃねえ」

 芹沢はきっぱりと言って立ち上がった。


 階段を上りながら、横浜に行くのは最終の時間だなと思った。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る